2019年3月29日

生とは選択の集大成である


27日の投稿に、ふたつさんからコメントを頂きました。
それに対する返事について。

『「生きること」は、ある意味で、「試されること」だと思いますし、「長生き」は「試される機会が増える」と言う考え方をしているんです。』

ここでわたしとふたつさんの考え方が異なるのは、「長生き」は「試される機会が増える」のではなく、日々試される過程の中で、常に生き延びる選択をしてきた結果が、長く生きているということではないか、ということです。

辺見庸の引用した、シオランの「誰もが夭折の幸運に恵まれているわけではない」にしても、辺見自身の述懐である「一般に長生きの芸術家や革命家ほど、いたく失望させられるものはない」にしても同じで、わたしたちには、「これ以上は生きない」という選択をする自由があるのです。

わたしはスマホやタブレットに対し、さんざん悪態をついています。仮に誰か、そういうものと一切縁のない人から、「そんなこと言いながら、あんただってパソコンでインターネットやってるじゃないか」と言われれば、返す言葉はありません。それは堕落じゃないのかと言われれば、迷いなく「堕落です」と答えるでしょう。

パソコンやスマホがなければ日常生活が送れないのなら、それがなければ生きられない=生きさせない世界であるなら、わたしはそんな世界に留まりたくはない。わたしはそこで試されます。
石原吉郎の言葉を借りれば、「精神の生」を選ぶか「肉体の生」を選ぶかの帰還不能点=ポイント・オブ・ノーリターン。

今でさえ、わたしは、「一体外の世界に何があるのか?」と訝ります。

今、この世界に生きていること、それはわたしが敗北者であることを意味します。
生きていることが「死」を意味する形で、わたしは今、この地上に存在しています。
そして世界は更にさらに変化し続けるでしょう。その時には最早敗北者ではいられないのです。スマホはともかく、最低でも携帯電話くらい持っていないと現実に生活できないというのなら、わたしは「生活」を、携帯乃至スマホに依拠する生を拒否、放棄します。






2019年3月28日

襤褸の旗Ⅱ


わたしは今日も、「いったい何のために生きているのか?」「何故さっさとこんな醜悪な世の中から出て行かないで、ぐずぐずととどまり、生き続けているのか?」「お前の生き(てい)る意味とは何だ?」
と自問しています。

一方で、「あなたたちはどうしてこんなくだらない世の中で、襤褸布のような服を纏い、ごみ箱を漁ってまで生き延びようとするのか?何のためにそうまでして「生」に噛り付くのか?」
下に投稿した写真の中の子供たちに、また世の無宿者、障害者たちに対し、わたしはそういう気持ち、疑問を、そもそも持ち得ません・・・どうかあなたの生を慈しんでください、今日一日、温かいスウプにめぐり合えますように、安らかな眠りが訪れますように・・・彼らに彼女たちに対するわたしの思いはそれだけです。

何故「彼らの生は生きるに価し」、わたしや、デジタル社会に頭のてっぺんからどっぷり漬かった人間の生は「生きるに価しない生」であるのか?その説明は、わたしにはできません。敢えて理由らしきものを見出そうとするなら、それは前にも書いたように、わたしは美に拝跪する者だから。「美」こそが、わたしの信仰だから・・・

だからこそ、この世界から、「戦争」と「スマホ」と、どちらがなくなればいいか?という問いに答えることができない。

ホームレスや障害者の生が、弱き者、病める者、貧しき者たちの生が、モーツァルトと同じくらい美しく荘厳であるのと同様に、スマホやタブレット、電子書籍は、戦争による殺戮・放火・強姦・略奪・・・即ちあらゆる種類の「暴力」と、まったく等しく愚劣で醜いと感じるからです・・・

蛇足ですが、何故わたしは天国を嫌うのか?そこにはおそらく、モーツァルトもバッハの音楽もないからです。何故ならそれらは、悲しみへの、苦しみへの、生の苦悩への慰謝であり慰撫であるから。悲しみも悩みもないところに芸術は、文学は無用です・・・


ー追記ー

下のファーガス・バークの写真の投稿について、ふたつさんから、いつものように、考えさせられるコメントを頂きました。
仰っていることに基本的には同感ですが、もう少しきちんと考えてお返事をしたいので、少し時間を下さい。またそもそも今のわたしは他人に通じる言葉を話す(書く)ことができません。




2019年3月27日

Fergus Bourke / ファーガス・バーク


アイルランドのフォトグラファー、ファーガス・バーク (1934-2004)の写真です。
ひとつひとつの写真についての詳しい解説は見つけることができませんでしたが、年代はどれも1960年代後半。おそらくは2枚目の写真がそうであるようにダブリンが舞台だろうと思います。

わたしはなにか、いつも死ぬことばかりを考え、またそのようなことを言い、書きしている人間ですが、これらの写真を視ていると、(どうしても言葉にすると軽くなりますが)生きることの荘厳さのようなものを感じます。胸を衝かれます。
生きることの、うつくしさ、重さを感じます。

彼の写真を、例えば誰かと、東京都写真美術館などで観たとしたら、わたしは隣にいる人に向かってどんな感想を漏らすでしょう。「うつくしいね」「きれいだね」・・・そんな言葉しか思い浮かびません。

わたしはしばしば、饒舌はアートを穢すと感じています。

わたしはこの写真に写されている彼ら彼女らを抱き締めたい衝動に駆られます。
最近は「HUG」「抱き締める」「抱擁」そんな言葉が、よく出てくるようになりました。
それは「言葉」の虚しさ、空々しさへの反発、反動なのかもしれません。

「どん底」の生活をしていても、その姿を視るわたしの目には、「ああ、ここに生きた人間がいる」という思いが抑えがたく湧き上がってきます。「ホンモノの人間がいる」と。

それに対して・・・いや、電車やホームでスマホに魂(Soul)を抜き取られた人間は、ほんとうに生きているのか?というようなことを言うのはよしましょう。
所詮相容れざる者同士。「彼らにだって、悩みも苦しみもあるし「内面」がないようなことを言うな」といわれても、わたしの耳には届かないのだから・・・

生きることに必死である彼らに、彼らの生の重さに、ただ頭(こうべ)を垂れるばかりです。そしてこう自問します。
「お前は死ぬ前に、一度でも彼らのように、ほんとうに生きたことがあったか?」

彼らの生のリアリティーの前では、シオランの「生まれてきたことが敗北なのだ」などという賢しらな言葉が、羽毛のように軽く感じられるのです。

むかしから「人生生きるに価するか?」という哲学的な問いが存在しました。
「彼ら、彼女らのような人たちがいる限り・・・」という悲しいアイロニーがわたしの答えです。
「彼らのような人たちがいなくなるように」という考えにわたしは与しません。
「すべての人が幸せである世界」にわたしはとても生きることはできません。

彼らの生、彼らの姿は、モーツァルトのオラトリオとまったく等しくうつくしい。
そのような彼ら、彼女たちがいない世界に、わたしが生きられるとは思えないのです。



◇    


The Bottle Throwers 1968



Pickaroon, Dublin 1966

Untitled 1968



and 





Mozart Ave Verum Corpus kv. 618 Leonard Bernstein Conducted 1990
1791年、モーツァルト死の年に作られた アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618




2019年3月25日

「俳句」と「現実」


駅までに三たび匂ひぬ沈丁花 (変哲)平成十四年(2002年)三月

また今年も沈丁花の匂いを嗅がなかった。もう散ってしまったのだろうか。

イタリアのサイトでこんな写真を見つけた。複数のサイトに同じ写真が載せられていたが、時期も場所も、写真家の名前も見つけられなかった。


今の時代の写真だろうか、それとも、昔の写真だろうか?

チンチンの子のいる路地の残暑かな (変哲)平成十四年(2002年)九月


「現実」とは、何か?

号、「変哲」こと小沢昭一の俳句には「現実」が描かれている。
しかし彼の描く「現実」は、今の時代の現実だろうか?
わたしにはとてもこれらの句が「平成」=21世紀の日本の現実とは思えないのだ。


チンドンの夫婦帰るや夕みぞれ 平成十九年(2007年) 

燕の子しばし見上げて郵便夫 平成十九年(2007年) 

もの思ひ火鉢の灰に差す煙草 平成二十年(2008年)

厠(はばかり)の小さきさわやか朝の窓 平成二十一年(2009年) 

草野球ボール探せば草いきれ 同上

子にまじりガラス屋凧の揚げ上手 平成二十二年(2010年)四月

癇症の女の叩く蒲団かな 平成二十三年(2011年)二月


こういう世界が「今の現実」なら、これが今の外界なら、まだ、生きられる気がする。

今日母が、買い物の帰りにお隣の年配の女性と立ち話をして、その人が、天井に吊るす蛍光灯が壊れてしまったので買いに行ったら、今どきは電気を点けるひもがぶら下がっているものはなく(?)みなリモコン操作になってしまっているのだといわれたらしい。年寄り同士の立ち話なので、正確では無いかもしれないが、だらりとひものぶら下がった裸電球がそぞろ懐かしく思える。
今の現実、今の世界は、やはりどうしても性に合わない。どうしても好きになれない。


何度も書いたことだが、種村季弘没後、急速に醜悪になっていった東京。
「種村さん、見なくてよかったよ。」と作家、建築デザイナーの松山巖は嘆息した。
「(今のこの現実を)見なくてよかったよ・・・」蓋し名言である。

  落花生もむ指で打つブログかな 平成二十一年(2009年) 変哲

これが詠まれて十年が過ぎた。そして「見ない方がいい」「見たくもない」世界に、「現実」の中に、何故かわたしはまだ残っている・・・ブログを書くため?

「一冊の本は、延期された自殺である・・・」ー エミール・シオラン


〔『俳句で綴る変哲半世紀』小沢昭一(2013年)より〕



















2019年3月24日

死を前に書くということ


最近のコメントで、「逃避」という言葉をよく使っていることに気づいた。
ある人は、アルコールやたばこ、そして「スマホ」にさえ「逃避」しているといい、
わたしはアートに、音楽に、逃避先を見出している、と・・・
「逃避」することが「生きていること」「生きること」と同じ意味になっている。
「生きること」とは「生からの逃避」であるというパラドクスがそこにある。

「現実」を生きる。仮に、生きるということは逃避することではなく、「現実の中で」現実を生きることだというのなら、「彼ら」のいう「現実」とは何か?
そここそが「生きる場所」であるという「現実」(Real World)とはいかなるところか?

けれども、「逃げる」ことでしか「生きられない」人間もいる。

同時に、ほんとうに「逃げること」とは、本当の「逃げ場所」とは、「生の内側」には無いのではないのか、という思いもある。真に逃げるとは、とりもなおさず「生からの逃避」即ち「死」ではないのか。

「現実逃避」という。けれども、現実とは畢竟自分自身、血と肉を持った自分の身体に他ならない。世界の果てまで逃げて行こうと、生きているということは、腹が減るということであり、爪や髪が伸びるということであり、何もしなくても垢がたまるということであり、暑さ寒さが堪(こた)えるということだ。生きている限り「腹が減る」ー「食わなきゃならない」ー「食い物を調達しなければならない」という「現実中の現実」からは決して逃れることはできない。





「今から二十年ほど前、長く摂食障害を患う五十代の女性が腎不全を来し、透析が必要になった。ところが彼女は希死念慮が強く「死にたいから嫌」。長いつきあいの精神科医が勧めても承諾しない。親族にも連絡が付かず、病状は悪化していった。
そして彼女の命を奪ったのは、突然の心疾患。彼女の命が続いていたら、私たちはどんな決断をしたのだろう。
私を含め、関わった医療者は、あくまでも透析をする方向で考えた。
当時は、「命を延ばすばかりが医療ではない」との批判が高まり、蘇生をしない死が増えつつあった時期。それでも、透析をすれば年の単位で生きられる可能性が高い。何もせずに死なせるのは忍びなかった。
「彼女は死にたいのではなく、絶望しているのです」と言い切った主治医を、私は今も尊敬している。それはパターナリズムと裏表に違いない。それでも、医療者は生きたい人を死なせる可能性を、絶対に排除しなければいけない。
三十年この仕事(精神科看護師)をしてきて、批判されない医療はないと思うようになった。選別が進む世の中。「安易に死なせた」と言われるよりも「生かし過ぎだ」と批判されるくらいがちょうどよいのではないか。」


これは以前にも『親子だから』という元のタイトルを使って書いたことのある、東京新聞に週一回、『本音のコラム』欄に執筆している精神科看護師宮子あずささんの、三月十八日付の記事、「人工透析の思い出」の引用である。

透析をすれば年の単位で生きられる可能性が高い。何もせずに死なせるのは忍びなかった。」という周囲の声のなかで、「彼女は死にたいのではなく、絶望しているのです」と言い切った主治医を尊敬しているという。それはまさに「パターナリズム」と正反対のスタンスだが、宮子氏は続けて「それでも、医療者は生きたい人を死なせる可能性を、絶対に排除しなければいけない。」ここにひとつのパターナリズム的な陥穽が潜んでいるように思う。
「生きたい人を死なせてはいけない」つまりパターナリズムに毒された人たちは、「彼女は本当は、心の底では生きたいんだ」ということができる。「死にたいと繰り返す彼女の希死念慮こそ、正に「病気」が生み出したものであって、われわれは、それをこそ「治癒」すべきだ」と・・・

わたしは宮子氏とは全く逆の立場から、もっともっと早急に「安楽死」「自殺幇助」の方向に、つまり「生」ではなく、「死」へのバリアフリー・・・その道筋を整えるべきだと思っている。

以前Q&Aサイトで、「あなたが大金持ちで、不治の病にかかったときに、ブラック・ジャックとドクター・キリコ、どちらに自分の身を任せますか?」と問うたことがある。
無論わたしの答えはキリコだ。

精神科の看護師・・・宮子氏の考えは、わたしには、安易で、かつあまりに時代に逆行しているように思えて仕方がない。

「死に至る病とは絶望である」医療者の・・・いや多くの人たちはこのように考えているのではないだろうか ── しかし人間という実存が、生きることに、世界に、人間に絶望する。果たしてそれが「病い」だろうか。
いわゆるパターナリズム(=価値観の押しつけ(乃至強制)主義)は、中島義道のいうように日本のお家芸だが、医療におけるパターナリズムは、時として、病いと同等か、或いはそれ以上に悪質である。


不悉











鳥たちのコンサート


The Concert of Birds, 1670, Melchior d'Hondecoeter. Dutch (1636 - 1695)









2019年3月16日

告白…


● わたしは現代の世界が嫌いだ。同時にわたしは自分自身が大嫌いだ。
世の中を好きになれない自分が嫌いなわけではない。
世の中も、自分も、どちらも嫌いだ。
そんなわたしから見ると、世の中とうまくやっていたり、
自分が好き・・・とはいわずとも、まんざら嫌いではないというような人は理解を超えている。とはいえ、わたしほど愚劣な人間もいないだろうから、下には下がいるという点で、「自分を嫌いではない」ということはできるかもしれない。


● 世界一の金持ちになることと、世界中から、スマホとタブレットの類が消滅することのどちらを選ぶかと訊かれたら、それはあまりに愚かな質問だが、後者以外の答えがあるか?
では世界中から戦争がなくなることと、携帯用端末がなくなること。どちらかが実現可能だといわれたら。これは難しい。子供にガソリンを飲ませて親の目の前で火をつけるようなことと、電車のなかでスマホに見入っている人間が消滅すること・・・
とても答えられない。


そう、まさに人のことよりも、自分の不快嫌悪を最優先してしまうこと。なによりもそこがわたしの最も愚劣なところだ。
地上からスマホがなくなるなら、人が殺されてもいいと考える自分。

けれども敢えて問う。そのような人間=わたしを、「人間ではない!」と糾弾する根拠は何だ、そしてそれができる資格とは何か?あなたは、あなたの「神」を穢されることさえ厭わないといえるのか。
人はそれが誤りであるか否かを問わず、自ら信ずるものを放棄断念した時に死ぬのだ。
わたしが「スマホ」に対し「然り」と肯いたとき時、わたしの魂は実質的に死ぬ。即ちこれは、「ただ一人の死」と、「戦争」による「多数の死」との軽重、或いは「死の数量化」の問題なのだ。

最近「エホバの証人」の輸血拒否のことを考える。
子供が事故に遭った。至急輸血が必要だ。けれども、両親(?)は「教え」によって
子供への輸血=他人の血を注入することを拒む。

切れ切れにしか覚えていないが、このことは当時随分論争の種になったはずだ。
わたしはまだ考えがまとまらないが、「輸血拒否」を絶対的な悪乃至過誤だとは思わない。


改めて思う、人間とは本質的に「過つ存在」である、と。

最後に蛇足になるが、昨日の新聞に、ホーキング博士の生前の言葉として紹介されていた
「このままA.Iが進歩し続けることは、人類の終焉を意味するかもしれない」

人間というものが、決して立ち止まること能わざる存在である以上、滅びるだろう。滅びるべきである。滅びなければならない。


ー追記ー

どのような理屈を付けようと、わたしが自分を嫌いであるという事実は1ミリだって変わりはしないのだが・・・



















2019年3月14日

抱き締めたい…


英国の女性ペインター&彫刻家、エリザベス・フリンク / Elisabeth Frink. (1930-1993)の傷ついた馬の絵を集めてみました。

哀しい、愛(かな)しい。傷ついているから、いとおしい。














2019年3月13日

問い


下記の「困惑」…という文章に何かおかしなところがあるでしょうか?あるとしたらそれはどのような点ですか?





困惑…


たとえばわたしが今日はじめて精神科を受診する。問診票を渡される。
「どのようなことで受診をされましたか?」という欄でペンが止まる。
何を書いたらいいのかわからない。
その部分を空欄のまま提出する。看護師は怪訝な顔をするが、「とにかく先生とお話しください」

診察室に入って、目の前の精神科医に訊かれる「どうされましたか?」「どのようなことでお困りですか?」
「あ・・・」言葉が出てこない。

わたしはなにかに困っているような気がする。けれどもいったいなにに困っているのか、或いは何も困っていないのか、それがわからない。

「困る」というのは、あることをしなければならないのに、それがうまくいかない。あるいは、こういうことをしたいが、なかなか思うようにならない。というようなことではないだろうか。(たとえば「就職」、たとえば「結婚」、たとえば「友達を作ること」、そしてたとえば「健康になること」「社会復帰」・・・etc)だとすれば、そもそも(上記のような)「しなければならないこと」「したいとおもうこと」「目指す状態」が無い場合には、「そこ」にたどり着けずに「困る」ということがあり得るだろうか?

「元気になって自由に外に出られるようになりたいのになかなか良くならない」
元気になって外に出たいと思っていない場合にはなにも困ることはないはず。

「自分が人間かどうかわからない」
「人間」でないとなにか不都合でも?

「現代社会に適応できない」
適応したいと思っているのか?

「ひとと話が通じない」
本当に通じ合いたいと思っているのか?そもそも「通じる」と思うのか?

いったいわたしはなにかに困っているのか?だとしたら、なにに困っているのかを教えてくれるのは誰か?

仮になににも困っていないとしたら、そうだとしたら、何故こうまで生きていることがたいへんなのだろう?
なぜこんなに疲れているのだろう?
なぜ自殺のことを考えない日はないのだろう?
なぜひたすら「楽になりたい」と思い続けているのだろう・・・












2019年3月12日

「伝言板」


これはわたしがTumblrでフォローしているアメリカのアンチャン、ジェフ(Jeff Pott
のブログ、kvetchlandiaの投稿。わたしは不勉強で石内都(イシウチミヤコ)という写真家を知らなかった。

「伝言板」「掲示板」ってあったなあ。
いつも思うことだけど、古い時代の日本でも、またパリでも、ローマでも、当時のすべての優れた写真家たちは、自分たちが現在生きている生活空間を撮っていた。
この写真が撮られた76年当時は「伝言板」なんて日本中のどの駅にだってあった。一流のセンスとは当たり前のことを対象化することだ。自分が「その中」にいる世界から一歩外側に出てみること、そして当たり前に目の前にあるもののなかに詩を見ることだ。

ひとつだけ ふべんなのは
そのなかにゐると
すべての<もの>が
まだ 思い出にならないことだ
ー吉原幸子「通過Ⅴ」より
そうではない。すぐれた写真家は、その中にいて実時間の中の思い出を視ている。彼ら / 彼女らの作品は、先取りされた過去である。


今は伝言板があったということすら知らない若い世代も多いのだろう。

「20分待った。先に行ってる」ヒロシ
「何処そこで3時まで待ってる」恵子

黒板に白墨でそのように書いて、パンパンと手を払う。チョークの粉を落とすためだ。

先日紹介した細野晴臣の言葉「今の東京に欠けているものは情緒」「どうやら利便性や効率と情緒とは相容れないらしい」

などと言ってはいるものの、おそらく彼だってスマホを持っているだろうし、LINEすらしているかもしれない。情緒がないとか便利であることは味気ないなどと言いながらも押し流されてゆくのが大方の人間だ。

だから、その前に死んでしまうのがいいのだ。自分の美意識が時代のそれとどうしようもなくかけ離れてしまう前に。
「見なくてよかったよ」「知らなくて幸せだった」と言われるために・・・

改めてこの写真を観ると、自分はいま「未来の世界」に、情緒も潤いも詩情もない、街も人の心もカサカサに乾いた「未来」の中にさ迷い混んでしまっているのだと実感し、戦慄する。




Yokosuka Story #58, 1976–77

Apartment #47' 1977-78


わたしが引きこもる理由 〔種村季弘の見た東京〕









2019年3月11日

孤独について



Philadelphia 1964 - Ray K Metzker

Detroit 1939 - Arthur Siegel

Philadelphia 1935 - Lloyd Ullberg

A Street in Barcelona, 1961 - Ray K. Metzker



これらの画を観ていると、「孤独」や「寂寥」というより、寧ろ「安心感」を覚えます。

孤独を感じるのは物理的に独りいることではない。誰とも繋がれないということ。つまり
周りにいる誰とも違う、ということ。

たとえば下の写真。ヴェニスのサン・マルコ広場ですが、一見鳥の群れのように見えます。
けれどもよく見るとひとつだけ「違う生物」が混じっている。
無数の「異質の者たち」に取り巻かれていることこそ、わたしにとっての真の孤独です。
そして「本質的に異質な存在」とは、鳥たちでも、獣たちでもなく、「人間」と呼ばれています。
嘗てサルトルは「地獄とは他者である」と言いましたが、「孤独とは他者である」とも言えるでしょう・・・




Piazza san Marco, 1960 - Gianni Berengo Gardin











2019年3月10日

ピーター・メイ / Peter May.


1952年生まれのドイツの画家、ピーター・メイの作品。
タイトルはSicherheit / Security. ー「安全」。この絵の場合は、安心、不安からの解放といった感じを受けます。

背中から抱きかかえる。
アル・パチーノ主演の映画、『フランキー・アンド・ジョニー』(1991年)で、刑務所から出てきたジョニーがまず行ったのが娼館でした。そこで、かれはセックスをしようとせずに、女に「スプーン・ポジションで頼む」とだけいいます。
ベッドに横たわり、少し背中を丸めるような恰好になる。その背中から女性が丁度スプーンですくうような形で彼に寄り添います。「重なる」という感じがぴったりです。

わたしのよく言う「HUG」とは正反対のかたちですが、ほんとうに独りぼっちで、孤独や不安を感じる時、背中から抱き締められたいという気持ちはよくわかります。

若い頃からから、とてもさびしく孤独なときに、背中から、真冬の凍てついた川の水に長時間浸した毛布を背中からそっと被せられるような感覚を幾度も味わってきました。だからこの映画を(わたしにしては珍しく)日比谷の映画館で観た時、わたしは26~7歳でしたが、スプーン・ポジションのシーンが強く印象に残りました。


「抱けば身にそう膝がしら」そう炭太祇は詠いました。
両腕で自分を抱きしめることはできる。けれども、腕は背中までは届かない。
誰かが要る・・・



Security, Peter May. Germany, born in 1952.
- Acrylic / mixed technique on press plate -












2019年3月8日

苛立ちと腹立ちと憎しみと孤独と寂しさと諦めのなかできれぎれに思うこと…


● わたしにとって「死」とは、最早「人間ではなくなる」ということである。尤も、わたしがこれまで、そして今現在も、「人間性」とか「人柄」の良し悪し、といった次元ではなく、そもそも地球上のいち生物としての「人間」であるのかは、誰も証明はできないし、またその確率は極めて低いのだが・・・

● 仮に「天国」のようなものがあったとして、そこでも引き続きニンゲンでいなければならないとしたら、そこは既にして「地獄」である。

●「幸福は罪ではない」と詩人吉原幸子は書いた。この言葉は、わたしに黒澤明の『天国と地獄』を思い起こさせる。
「幸福は罪ではない」とすれば「不幸は罪」か・・・

● 言葉の誤用について ──「幸福」というものはない。それは「幸運」である。「不幸」というものはない。それは「不運」である。

● わたしとあなたとの「相違」ではない。「対立」である。

● もとよりわたしは狂っている。では借問する。
「狂っていない」人間とはいかなる存在か?
狂っていることの最大の特徴は「他を傷つけること」ではないか。
器官としての脳の専門医であってさえ完全はあり得ない。ましてや目で見ることのできない「こころ」を扱う医師であればなおさら迷い、過つのに、「~だとすれば、あなたは脳に欠陥があると思う」といえること。
「引きこもりは人生に対する罪であり、また罰である」と他者の人生、他者の苦痛を高みから断罪すること。──「狂っていること」の目安は「私は間違ってはいない」=「私は正しい」と信じて疑わないことではないのか?狂気とは、人間は過つ存在であるということを、無知ゆえか、思い上がりゆえかは知らぬが、度々失念する、という質(たち)の良くない健忘性ではないのか。自分に自信のあることと、己は無謬であるという錯誤とは全く違う。自信を持つことと自己懐疑は背馳しない。というよりも、そもそも自己への懐疑の伴わない自信など、所詮は単なる自惚れか嗤うべき「勘違い」に過ぎない。

もとよりわたしは過つ。またしばしば「断定的な物言い」をする。けれども本質的に自分は「誤った」或いは「間違った」存在、'Misfit' ではなく’Miss'であると信じている。
わたしにまだ人間としての残滓があるとすれば、そしてわたしをA.Iや、他の人間と分かつものは、「わたしは愚者であり、誰よりも多く過つ者である」ということを知っていることかもしれない・・・

● 長田弘は宮沢賢治の「烏の北斗七星」という童話からの一文を紹介している。
敵の死骸を葬る烏の兵士の星への祈りである。

「ああ、(……)どうか憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように。そのためならば、わたくしのからだなどはなんべん引き裂かれてもかまいません」

わたしはこう言う

「ああ、憎むことのできる敵を殺し、何べんも引き裂くことのできる世の中であれば・・・」

長田は同じ本『なつかしい時間』の別の章でウェールズの詩人R.S.トマス (1913-2000)の詩を引用している。





「残念なことに(Sorry)」

親愛なる両親へ。
あなたがたがこの変わりばえのしない町に、
私を生んだことを咎めようとは思いません。
その気持ちは正しかったのですから。
今通り過ぎる町の通りには、
まだ、明るい日の光が残っています。

締め金で骨を締め付けられたわけではありません。
あなたがたは、充分な食べ物をおしみませんでした。
この私が丈夫に育つように、と。
背ののびた私を折り曲げたのは、
心の重み(Mind's Weight)です。

あなたがたが悪かったのではありません。
遠くへ飛んで行ったきりになるはずのものが、
確かな弓から、確かな的へ向かって
放たれた矢が、逆に戻ってきてしまったのです。
まっすぐなはずの矢が、曲がって撓んでしまっています。
あなた方の時代にはなかった、さまざまな疑問のせいで・・・















2019年3月6日

必要なものは…



夜露が朝の光に照らされて、音もなく消えてゆくように、静かに、安らかに、眠ったままこの世を去ること・・・

それをひとまず横に置いていておくとしたら、わたしに必要なものとはいったいなんなのか、まるでわからない・・・

















2019年3月5日

出来のいい「天声人語」(長田 弘を読んで)


詩人の長田弘は「風景」について以下のように書いている。

自分がその中で育てられた風景というものに助けられてわたしたちの経験、あるいは記憶はつくられています。わたしたちの文化もそうです。風景のない文化はありませんし、芸術というものをつねにささえてきたものは、風景を深く見つめる姿勢です。
その意味では、風景というものは文化そものもと言っていいのかもしれません。わたしたちの日々を確かにするのは、わたしたちがそのなかで生きて暮らす風景の感受であり、わたしたちが日常の在り方、生きてゆく心の在り方といったものを見定める手掛かりとしてきたものもまた、自分たちがそのなかで育った、あるいは育てられた風景です。
  (略)
わたしたち一人ひとりにとっての歴史というのは、そういう風にそれぞれの記憶のなかに留められる、生きられた風景のことですが、そうした記憶の中の風景どころか、いまのわたしたちにとって切実なのは、逆に、生きられた風景の記憶の欠如です。
たとえば、歌は世につれ世は歌につれと言いますが、世のはやり歌というのは風景をうたう歌でした。村に一本杉があり、トンビは空で輪をえがき、赤い夕陽は校舎を染め、街の灯りはとてもきれいだった。しかしいつか若い世代のはやり歌に、風景がうたわれることがなくなって、風景は消失し、歌の世界に残ったのはとめどない感情です。
風景の感覚が見失われて、見失われたのは、風景の中に自分がいるということの自覚です。
『なつかしい時間』(2013年)より「大切な風景」(1996年1月9日)(下線Takeo)



(切実なのは)「生きられた風景の記憶の欠如」ではない。「生きられた風景の消失」こそが切実な問題である。生きてきた風景の記憶が心の裡にあるからこそ、それが「喪われた」こと「喪われている」こと、すなわち「(内にありながら)外側に存在しないこと」に苦しみ傷つくのだ。

「大切な風景」に続く「街を歩こう」(1996年5月1日)にはこのようなことが書いてある。

街歩きを楽しむには、目をきれいにし、耳をきれいにし、心もきれいにしなければ、何もならない。風薫ると言われる五月は、どんな時節より、街歩きの楽しみをくれる時節です。五月晴れと言いますが、愁いもまた透き通ってくる時節には、心の外へ出て行って、街歩きを楽しみ、無用の用を楽しみたい。

「目をきれいにし、耳をきれいにし、心もきれいにしなければ、何もならない。」
いったい何を言っているのか。
過去に何度か書いたが、ある作家は、「人は自分の内面の汚れに見合った街を求めるんです、人間の内面の汚れを無視して、街だけがきれいになっても落ち着かない」

目も耳も、そして心もきれいなら、本を読む必要がないのと同じく、街歩きの必要などあるのだろうか。
古傷から血が滲むから、悲しいから、歩くのだ。ならば街には何にもまして、古びと錆びれ(寂れ)そして汚れが必要だ。

この文章の前に彼はこう書いている

今日のように車や電車や乗り物を使っての移動というのは、室内にいるのと同じで、移動と言っても、室内のままの移動です。けれども街歩きというのは、室内から外に出なければいけない。室内を出るということは、自分の心の外に出るということです。自分の心の外に出て、外の情景のなかへ自分から入ってゆく。

電車に乗っての移動が、室内のままの移動であるなら、その「室内」のなかでさらに、スマホやらタブレットに見入っている者たちはいったい何処にいるのだろう?
そもそも電車での移動は、物理的には室内ではあるかもしれないが、それは、現在のような「個室」「自室」ではなかった。車内には見知らぬ人たち、どこからきてどこへゆくのかわからないひとたちが集まっていた。本や新聞雑誌を読む者もいたが、わたしにとって、電車内は、長田弘のいうような「室内」ではなく「街中」だった。そこには見知らぬ人たちの様々な顔が、表情があった。笑顔があり、憂いがあり、物思いがあり空想があり会話があった。そこは「閉ざされた空間」ではなかった。

今では昔のように、純粋に街歩きをする人は少ないのではないか。

「愁いもまた透き通ってくる時節には、心の外へ出て行って、街歩きを楽しみ、無用の用を楽しみたい。」

街歩きができる人とできない人がいる。ひとつには街の風景と一体になれること。
けれども、今は少なくともわたしにとって親和的な風景は存在しない。
そして、ここに書かれているように、自分の外側に出てゆくこと。

「街を歩く、ゆえに街あり」と当時長田弘は書いた。
けれども今はどうだろう、「街を撮る、ゆえに街あり」ではないのか。

「街歩きを楽しむことができるなら、そういう自分はまだ信じるに足るかもしれない。」

確かにスマホも、カメラも持たず、ただそぞろ歩きの楽しめる人は、信じるに足りるかもしれない。












Vittorio Piergiovanni / ヴィットリオ・ピエルジョヴァンニ (1921 - 2010)


20世紀イタリアのフォトグラファー、ヴィットリオ・ピエルジョヴァンニの作品です。
イタリア語のキャプションが付いていますが、敢えてこのスタイルを選びました。
どの作品も映画のワンシーンのようです。



















わたしはいちばん上の

Loreto, Ciascuno a suo modo (Loreto, Each in its own way), 1957

「ロレト(イタリアの町/ 広場)、みなそれぞれの途を」という写真がすきです。



◇From Here









2019年3月4日

冬木立…


Nel bosco  / In The Wood ca 1940 Mario Caffaratti (1883 - 1971)


Johannes Brahms - Hungarian Dance No. 1 in G minor
 Claudio Abbado Conducted Wiener Philharmoniker


カラヤンの指揮するハンガリー舞曲は、わたしにはテンポが遅すぎるのですが、
クラウディオ・アバド指揮するウィーン・フィルは第一番から飛ばしています。
大好きな一枚です。もう30年近く前に銀座の山野楽器で買いました。
もう銀座に行くこともないのでしょう。











2019年3月3日

二十分…


生きることもできず、またひとおもいに死ぬこともかなわずに、こうして一日一日をなんとかかんとか乗り越えている。
生きることも死ぬこともできないということは、わたしは、言葉の本来の意味で「生きてもいない」し「まだ死んでもいない」という極めて中途半端な状態にある。

「できるできないは別にして、どうしたいのか?どうありたいのか?」

そのように訊かれれば、1970年代は無理としても、せめて2000年代初頭=(15年~20年前)に戻りたい。今答えられるのはそれだけのような気がする。

無理をしても外に出る必要があることはわかっている。けれども、「外に出る」ということは、わたしにとって、文字通り「砂を噛む」ような索漠荒涼たる気持ちを伴うのだ。
そんな気持ちで外を歩いていると、「なぜわたしはいまこうして生きているのか?」という疑問が否応なく湧き上がってくる。

「良くなりたいという気持ちはないのか?」「自由に外に出られるようになりたいとは思わないのか?」と詰め寄られれば、これまでの答えを繰り返すことしかできない。

「良くなる」とはどういうことか?

「良くなる」となにが変わるのか?

「外の世界に何があるというのか?」

結局誰かが、わたしにはおそらく決して解けない謎・・・「健康」とは?「良くなる」とは?「外に出られる」とは、何を意味するのかを教えてくれるまで、この状態は続くのだろう。
とは言え、精神も、肉体も、確実に、着実に崩壊しつつあるのだが・・・

たかだか20分の苦痛が我慢できないなんて!


ー追記ー

「砂を噛むような思いをせずに外に出られるようになれる」

「健康とは何かとか、良くなる、元気になるとはどういうことかなんてことをそもそも考えなくなるようになりたいとは思わないか?」

・・・だがそれは「死」とどう違うのか?











パンジー・ストックトン / Pansy Stockton. ボタニカル・コラージュ 


アメリカの女流アーティスト、パンジー・ストックトン (1895-1972)の植物を使ったコラージュ作品。

コットン(綿)も使われているようですが、すべてが木の枝や葉っぱで描かれた「絵画」です。

自然の中にあるものだけを使って自然を映し出す。すばらしいアートです。


"Pecos Ruins" 1954

"Good Fishin'

"Along the Rio Grande (New Mexico)" ca 1955

"Rain Over Puye, New Mexico" ca 1940

"Hagerman Peak and Snowmass Lake, Colorado" ca 1925


From Here and There (1stdibs.com)






2019年3月2日

「まっとうに狂う」ということ


ここに一枚のコピーがある。何かの本のページを母に図書館でコピーしてもらったものだが、誰のなんという本だったか記憶にない。おそらくは矢川澄子の『受胎告知』ではないだろうかと思う。

そこにこのような文章が書かれている。



もひとつ、ついでに打ち明けるならば、このおびえは、ここに語られているような狂った妻、もしくはまっとうに狂気への道を歩むことのできたすこやかな妻たちをまえにしてIの抱く畏れや尻込みとも、奇妙に通じるものをもっている。まっとうに狂うとはおかしないいかたかもしれないが、しかしこの妻たちは、少なくともおのれの生物学的自然に忠実に即していたという意味で、あきらかにIよりは数等健全な野性の持ち主だったともいえよう。それにひきかえ、もともとが半世紀も前から「ほんとの空」さえなかったらしいこの東京で、不自然をさして不自然とも思わずおとなしく調教されつけてきたIのことだ。Iは狂えなかった。これでは狂い出しようがなかったのだ。

安達太良山や奄美の自然との素朴な一体感のもとにはぐくまれてきたこの妻たちは、長じて夫婦という新たな褻の交わりにふみこむことになったときも、同じ人間自然への信頼感にもとづいた大らかな交換図をくりひろげることが可能だったのだろう。少なくとも当初はそうであった。その交歓が何かのはずみに害(そこな)われたとき、妻たちが狂っていったのはむしろ当然の成行であったともいえる。それにひきかえIの方には、幸か不幸かあらゆる人工や作為、倒錯、偽善、総じて不自然なものに対する耐性だけは並外れて具わっていたらしい。疎外に配するに不健全な精神。あたかもマイナスにマイナスをかけ合わせたように、重ね重ねの不自然が相乗しあってうわべの正常をもたらしたのだ。とはいえこのような意味での正気を、いったいだれがだれに向かって誇れるというのか。
(下線Takeo)

ー矢川澄子『受胎告知』より「花と女と」(2002年)


※なお母の記憶によると「安達太良山」(あだたらさん)とは「東京には空がない」といった高村智恵子のふるさとのようだ。








何もかもが美しかった時…


アーサー・ロスステイン(?)の撮った1930年代、コロラドのホテルのカウンター。
これが「本物」というやつでしょう。この電灯はどうやらガスランプのようです。
はあ~、とため息が出るばかり。下町の安ホテルかもしれませんが、使われているものは何もかもが本物・・・

Hotel du Paris, Georgetown, Colorado 1939, Arthur Rothstein


ヴィヴィアン・マイヤーのニューヨーク、ステイトン・アイランド。これはフェリーの待合室でしょうか?この木の椅子。むかしは駅の待合室と言えばどこもこんな木の椅子でした。子供の頃、わたしが小海線に乗って田舎に行く時の列車の座席もやはり木製の椅子で、床ももちろん木でした。
ああ、あの滑らかな手触り、あの飴色、あの艶、あの高級感・・・

Staten Island, NY, June 23, 1954, Vivian Maier


そしてこれは映画のスチル写真ですが、ジャン・ピエール・メルヴィルの1967年の作品『サムライ』。アラン・ドロンのかけている電話機のカッコよさ。
何もかもが決まっている。非の打ち所がない。

Le Samouraï (1967)


最後にこれも映画のワンシーンですが、2001年の『シャーロット・グレイ』という作品のようです。
わたしはこの映画を知りませんでしたが、この部屋の写真を視ただけで、もう、うっとりです。舞台は1930~40年代のドイツでしょうか。
このラジオ、このランプ、この椅子、この本箱、この時計・・・
今の若者は知っているでしょうか。木製品も、革製品も、匂いがするのだと。そして使い込めば使い込むほど「味わい」というものが滲み出てくるのだということを。

こう言うことは許されるでしょうか。ナチスの時代はこんなにも美しかった、と・・・

ヒトラーは「美」というものを政治的に利用した。彼のような強烈なカリスマを持った政治家が現れ、過激な復古主義を唱えた時に、わたしがそれに抗えるかどうか、まったく自信がありません。

そしてわたしは現代(現在)について、何も語るものを持ちません。


Charlotte Gray. (2001)


Mariage d'Amour - Paul de Senneville











2019年3月1日

銀色の鳩


Silver pigeon, Marjaana Savander. Finnish, born in 1938


Ballade No. 2 In F Major, Op. 38 -  Composer Fryderyk Franciszek Chopin.
Piano  - Idil Biret











ブログについて


このブログはアート・ブログに変わったのかと不審に思われている方もいるかもしれません。

前世紀末、わたしがインターネットを始めた当初は、当然ながら、日本語のサイトしか閲覧していませんでした。けれども、暫く経つと、ほんとうに何処へ行っても孤立する。対立する。

自分でブログというものを始める前に目にし、また実際に参加していたのが、今はなくなってしまった海外のアート系のSNSでした。そこでわたしはシンプルな事実を発見しました。日本語で語れば嫌われる。孤立する。けれども、アートなら皆が好いてくれる。ただし外国人だけですが・・・

わたしは昨年まで日本語で書かれたブログというものを読んだことがありませんでした。限られた少数のブログだけで判断するのは早計かもしれませんが、少なくともわたしが目指すようなブログは見つかりませんでした。
もちろん心の病を持った人たちの文章は参考になるし、慰めにもなります。
この一年間、幾つかの素晴らしブログに出逢うこともできました。

しかしわたしが書き手として目指しているのは、アートと文章がほどよく融合したブログです。ブログを始めてから、ほとんどの年月をアートの投稿に費やしてきました。アートを投稿しながら文章も書く、という経験がありません。

10年間ブログをやってきて、20年以上インターネットをやってきて、その経験から、
「母国語で話せば嫌われる」「真剣に話せば誰も理解できない」そして「わたしのセレクトしたアートを世界中の人が見てくれている」この二つは確信を持って言えることです。それをどのように組み合わせてゆけるのか?

わたしのタンブラーのフォロワーは、世界中どころか、1万4千人ほどですし、
このブログを読んでくれている人も、数名だがいる、という事実もあります。けれども基本的には上の認識は誤りではないと思っています。

これ」がわたしがはじめて持ったアート・ブログです。

Tumblrと上のブログと、既にアートのブログは2つもあるじゃないか、と言われるかもしれませんが、残念ながら、その両方とも、日本人の閲覧者はいないか、限りなくゼロに近い。

日本でわたしの書いているような極めて私的な文章と、アートのミックスしたブログを読んでくれる人がいるのか?
それを試してみたかったのです。
アートの投稿が増えれば、今いる4~5人の読者でさえ遠ざかってゆくのか?
ということは、例えば日本では、
このような このような そして当時のSNSの友人だった女性のこのようなブログは
見向きもされないのか?そうだとしたらそれは何故か?

このブログが完全にアート・ブログになることはありません。
ただ、今は、日本のインターネットの世界から逃げ出した当時と状況が似ていること。
思考し、それを文章にする気力も体力もないこと。アート探しが純粋にたのしみであり気晴らしであることなどから、アートの比重が大きくなる可能性はあります。

美術館の中に飾ってあるアート以外で繋がれないこと、日本人がネット上のアートにほとんど関心を示さないことを残念に思います。




ピエロの見る夢…


Pierrot's dream, Edouard Menta. Swiss (1858 - 1915)


Judy Collins - Send In The Clowns