こんばんは。とくに、おかしいところは、感じませんでしたよ。といっても、「問い」の内容が深いので、いくら考えても、それくらいのことしか思いつかなかったというのが本音ですけど。あえて言えば、「言葉」と言うのは、あまりルーズにとらえてしまうと罠に落ちてしまうし、厳密にとらえようとすると、抜け出せなくなってしまうということだと思います。この場合で言うと『困っている』という「言葉」を、どこまで厳しく捉えようとするか?ということじゃないかと思います。たとえば、『困っていない』と言い切ることが出来ないならば、それは『困っている』ということだと考えることもできます。でも、それだと、『困っていない』人なんて、一人も居なくなってしまうかも知れませんけどね。あまりうまく言えなくて、ごめんなさい。でも、こういうの、考えるの嫌いじゃないんで。それでは、また。
こんばんは。そうですね。「困っている」という言葉をどのように捉えるかですね。>『困っていない』人なんて、一人も居なくなってしまうかも知れませんけどね。要は自覚の問題でしょうね。現実に、「別に何も困ってないよ」というひとはいくらでもいると思います。わたしは最後の部分に書かれていること、これこそがまさに「困っていること」ではないのか、などと思いました。コメントをありがとうございます。
こんばんは。
返信削除とくに、おかしいところは、感じませんでしたよ。
といっても、「問い」の内容が深いので、いくら考えても、それくらいのことしか思いつかなかったというのが本音ですけど。
あえて言えば、「言葉」と言うのは、あまりルーズにとらえてしまうと罠に落ちてしまうし、厳密にとらえようとすると、抜け出せなくなってしまうということだと思います。
この場合で言うと『困っている』という「言葉」を、どこまで厳しく捉えようとするか?ということじゃないかと思います。
たとえば、『困っていない』と言い切ることが出来ないならば、それは『困っている』ということだと考えることもできます。
でも、それだと、『困っていない』人なんて、一人も居なくなってしまうかも知れませんけどね。
あまりうまく言えなくて、ごめんなさい。
でも、こういうの、考えるの嫌いじゃないんで。
それでは、また。
こんばんは。
削除そうですね。「困っている」という言葉をどのように捉えるかですね。
>『困っていない』人なんて、一人も居なくなってしまうかも知れませんけどね。
要は自覚の問題でしょうね。現実に、「別に何も困ってないよ」というひとはいくらでもいると思います。
わたしは最後の部分に書かれていること、これこそがまさに「困っていること」ではないのか、などと思いました。
コメントをありがとうございます。