詩人の長田弘は「風景」について以下のように書いている。
自分がその中で育てられた風景というものに助けられてわたしたちの経験、あるいは記憶はつくられています。わたしたちの文化もそうです。風景のない文化はありませんし、芸術というものをつねにささえてきたものは、風景を深く見つめる姿勢です。
その意味では、風景というものは文化そものもと言っていいのかもしれません。わたしたちの日々を確かにするのは、わたしたちがそのなかで生きて暮らす風景の感受であり、わたしたちが日常の在り方、生きてゆく心の在り方といったものを見定める手掛かりとしてきたものもまた、自分たちがそのなかで育った、あるいは育てられた風景です。
(略)
わたしたち一人ひとりにとっての歴史というのは、そういう風にそれぞれの記憶のなかに留められる、生きられた風景のことですが、そうした記憶の中の風景どころか、いまのわたしたちにとって切実なのは、逆に、生きられた風景の記憶の欠如です。
たとえば、歌は世につれ世は歌につれと言いますが、世のはやり歌というのは風景をうたう歌でした。村に一本杉があり、トンビは空で輪をえがき、赤い夕陽は校舎を染め、街の灯りはとてもきれいだった。しかしいつか若い世代のはやり歌に、風景がうたわれることがなくなって、風景は消失し、歌の世界に残ったのはとめどない感情です。
風景の感覚が見失われて、見失われたのは、風景の中に自分がいるということの自覚です。
『なつかしい時間』(2013年)より「大切な風景」(1996年1月9日)(下線Takeo)
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(切実なのは)「生きられた風景の記憶の欠如」ではない。「生きられた風景の消失」こそが切実な問題である。生きてきた風景の記憶が心の裡にあるからこそ、それが「喪われた」こと「喪われている」こと、すなわち「(内にありながら)外側に存在しないこと」に苦しみ傷つくのだ。
「大切な風景」に続く「街を歩こう」(1996年5月1日)にはこのようなことが書いてある。
街歩きを楽しむには、目をきれいにし、耳をきれいにし、心もきれいにしなければ、何もならない。風薫ると言われる五月は、どんな時節より、街歩きの楽しみをくれる時節です。五月晴れと言いますが、愁いもまた透き通ってくる時節には、心の外へ出て行って、街歩きを楽しみ、無用の用を楽しみたい。
「目をきれいにし、耳をきれいにし、心もきれいにしなければ、何もならない。」
いったい何を言っているのか。
過去に何度か書いたが、ある作家は、「人は自分の内面の汚れに見合った街を求めるんです、人間の内面の汚れを無視して、街だけがきれいになっても落ち着かない」
目も耳も、そして心もきれいなら、本を読む必要がないのと同じく、街歩きの必要などあるのだろうか。
古傷から血が滲むから、悲しいから、歩くのだ。ならば街には何にもまして、古びと錆びれ(寂れ)そして汚れが必要だ。
この文章の前に彼はこう書いている
今日のように車や電車や乗り物を使っての移動というのは、室内にいるのと同じで、移動と言っても、室内のままの移動です。けれども街歩きというのは、室内から外に出なければいけない。室内を出るということは、自分の心の外に出るということです。自分の心の外に出て、外の情景のなかへ自分から入ってゆく。
電車に乗っての移動が、室内のままの移動であるなら、その「室内」のなかでさらに、スマホやらタブレットに見入っている者たちはいったい何処にいるのだろう?
そもそも電車での移動は、物理的には室内ではあるかもしれないが、それは、現在のような「個室」「自室」ではなかった。車内には見知らぬ人たち、どこからきてどこへゆくのかわからないひとたちが集まっていた。本や新聞雑誌を読む者もいたが、わたしにとって、電車内は、長田弘のいうような「室内」ではなく「街中」だった。そこには見知らぬ人たちの様々な顔が、表情があった。笑顔があり、憂いがあり、物思いがあり空想があり会話があった。そこは「閉ざされた空間」ではなかった。
今では昔のように、純粋に街歩きをする人は少ないのではないか。
「愁いもまた透き通ってくる時節には、心の外へ出て行って、街歩きを楽しみ、無用の用を楽しみたい。」
街歩きができる人とできない人がいる。ひとつには街の風景と一体になれること。
けれども、今は少なくともわたしにとって親和的な風景は存在しない。
そして、ここに書かれているように、自分の外側に出てゆくこと。
「街を歩く、ゆえに街あり」と当時長田弘は書いた。
けれども今はどうだろう、「街を撮る、ゆえに街あり」ではないのか。
「街歩きを楽しむことができるなら、そういう自分はまだ信じるに足るかもしれない。」
確かにスマホも、カメラも持たず、ただそぞろ歩きの楽しめる人は、信じるに足りるかもしれない。
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