こうさんのブログを読んでいたら、新しい詩が書かれていた。
冒頭から引き込まれた。
日頃の彼女の投稿と違い明朝体で書かれていたのもよかった。
以下こうさんの許可を得て、引用させていただく。
◇
【詩】朝
まことに さびしい ときがあり
それは 人がいても
若いときでも このように年長けてもおなじである
ひとによくないことを 言ってしまったとき
うれしすぎたとき
こころに
稲妻のようなものが走る
姪が朝の仕度をしている
よい匂いが漂ってくる
それでも
こころが沈む
からだをうごかして 振ってみる
かなしみを 振ってみる
それでもやはり
こうべは下に垂れ
起きがけに 母の名を呼んでしまった
あ、まちがえた、と思い、妹の名を呼ぶ
だけれど、階段をとんとん上がって来たのは
洗濯物を干しに来た姪である
さびしいのは
わたしではなく
ちりちり言う眼
点かなくなったスマホの充電ランプ
若い人達に追いつけなかった 夜道
◇
最近は曜日、日付、そして時間の感覚も曖昧になってきている。
いづれにしても、一行目の
いづれにしても、一行目の
まことに さびしい ときがあり
という言葉が、わたしのその時の気持ちそのままだった。
よい匂いが漂ってくる
それでも
こころが沈む
それでもやはり
こうべは下に垂れ
もちろん、さびしさ、悲しみの質はこうさんとは異なる。
わたしのさびしさ、かなしみは、こうさんの詩に描かれているようには明確に言葉にできないもののような気がする。無論人は誰でも、具体的に指し示すことのできない「存在の悲しみ」を背負って生きているのだろうけれど・・・
新宿のTSUTAYAが閉店するらしい。あそこにはもう20年以上前から通っていた。
確かめたわけではないが、おそらくはDVDにはなっていない、古くて、日本ではほとんど知られていない名作のビデオはどうなるのかと電話で尋ねてみた。それらはすべて渋谷店に移動するようだ。
それを聞いてひとまず安心した。それにしてもわたしにとっては渋谷店以上に愛着のある店であった、「・・・やっぱりコロナの影響でしょうか・・・」と尋ねると、電話の向こうで、「えっと、ご用件は何でしたっけ?ビデオは渋谷店に移動しております・・・」
言葉が通じない。通いなれた店が何故閉店するのか?そんな会話も遮られる。
たまたまその店員だったからではない。わたしのことばは、通じない・・・
まことに さびしい ときがあり
点かなくなったスマホの充電ランプ
それは最早この世界、この時代に追いつけなくなっている自分。
追いつくことをはじめから放棄している自分。
まことに さびしい ときがあり
この世界のどこにも属していない自分を見つめる時・・・
そして
まことに さびしい ときがあり
それはこうさんと同じさびしさを共有できないさびしさであり・・・
喜びも分かち合うことが出来ず、さびしさすら分かち合うことが出来ず・・・
詩を引用してくださり、ありがとうございました。さびしい、という気持ち、もしかしてTごじぶんのものとは異なるかもしれないけれど、ということで共感して頂き、こころが暖かくなりました。(すみません、人に対して手紙やメールを書くのが苦手でうまく言い表せません。)
返信削除TSUTAYAの定員の対応、鈍感ですね、(こういう時「このバカ!」と私は思い、妹に電話で大声で愚痴ります。)ああいう人は いっぱいいますが、さり気ないことで、こちらが思っていた以上により多くのことを理解してくれる人も、さり気なくいます。それで以前に受けた鈍感な仕打ちが薄れてくることもあります。
こんばんは、こうさん。
削除わざわざコメントを下さりありがとうございました。
TSUTAYAの店員の態度はこうさんでも鈍感だと思いますか?
わたしは最近自分が人に通じる言葉を話しているのだという確信が持てないので、こうさんも同じように言われたら、やはり腹が立つ、かなしくなるということを聞いてちょっと心が和らぎました。
こうさんのブログを拝見していると、確かに、「いい出会い」にも恵まれているようですね。
それもこうさんの人柄ゆえだと思います。羨ましく思います。
親切なコメントをありがとうございました。台風ですが、穏やかな週末を過ごされますよう。