2021年9月17日

書けないということ

ブログを再開するにあたって、一番大きな壁になっているのは、意外にも、他ならぬ、過去に自分が書いた文章たちだった。「過去」といっても、2018年から今年の春先まで、わずか3年ほどの間に書かれたものだが、昨年11月の「やむを得ぬ」引っ越し以来、心身共に衰弱の著しいこの身にとって、2年前、3年前は途方もない「昔」に感じられ、「往時」書かれたようなものは、今ではとても書く自信がない。

人は誰しも、衰えに直面しなければならない。58歳で「衰え」とは少々早すぎだろうか?
しかし現実にわたしは書けなくなっている。それに60といえばもう立派な老境である。

昨日ナンシー・グリフィスの記事を書いた。日頃は「ケッ」という感じで見向きもしないウィキペディア(英語版)によると、彼女の活動期間は1977から2013年までと書かれていた。つまりもう8年も前から音楽活動を休止していたのだ。
昨年だったか、You Tubeで彼女の曲を聴いていて、気まぐれにコメント欄を眺めていると、Nanci is sick...という文字が目に入った。おそらくは長い闘病生活があったのだろう。もう一度ステージに立ちたかっただろう。もう一度、自分で詞を書き、曲を作りたかっただろう。仲間でもあり、ライバルでもある他のミュージシャンたちの活躍活動の様子をどんな気持ちで病床から見つめていたのだろう。

ナンシーのグラミー賞受賞アルバム'Other Voices Other Rooms' は、彼女が影響を受けたミュージシャンたちの曲のカバー集であった。彼女自身の作品は1曲もない。素晴らしいアルバムである。全曲他人の曲であっても。
「枕頭の書」という言葉がある。文字通り、常に枕元に置いて愛読する書物のことである。一時、いや、ながいあいだナンシーのこのCDは、わたしの「枕頭のアルバム」であった。そのころは、わたしもまだあたりまえのように外に出ることが出来ていたし、ナンシーも作詞し、曲を作り、オーディエンスの前で歌っていた。


白状するが、わたしは今日のように書けない時に、過去に自分が書いた文章(3年間で約1200程)をこっそり「コピー」して「今日の投稿」としてしまいたい誘惑に駆られることがある。
ナンシーは自分で曲が書けなくなったから、敬愛するミュージシャンたちの曲のカバーアルバムを作ったわけではない。自分に大きな影響を与え、「ナンシー・グリフィス」というミュージシャンを生み育てた先輩たちへのオマージュは、最早人の手を借りずとも自分の脚でしっかりと立っているアーティストの、自信と余裕に裏打ちされた感謝の気持ちから生まれた。

病によって音楽活動(創作活動)ができなくなった(であろう)ナンシーは、病床から、或いはテキサスの自宅のポーチの椅子に座って、どのような想いで、自分の過去の作品を振り返っていたのだろう、そしてどんな想いでその最晩年の日々を送っていたのだろう。








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