2021年9月25日

「手」の温り

 手許に文化出版局発行の季刊誌『銀花』に掲載されていた『手をめぐる四百字Ⅱ 女たち』という本がある。勿論図書館から借りたものである。先日紹介した『最後に残るのは本』と同じように、各分野で活動活躍している53人の女性たちが、それぞれ日頃愛用の原稿用紙に手書きで、「手」についての様々な想いを綴ったものである。表紙にも「手書きエッセー」と記されている。出版は2010年。執筆されている方々の中には既に他界されている方も数名いらっしゃる。

作家であるが、それよりも、「谷中・根津・千駄木」の地域の文化・特色について書かれた冊子、『谷根千』の主催者として知られている森まゆみさんの「手蹟」という文章を引用する。


「原稿は手で書く。A4判の用紙にオノトの万年筆を使っている。著者もだんだん手書き派(?)は少なくなる。ワープロ原稿よりもらったとき断然うれしい、と担当の編集者は言ってくれるが、それとてファックスで送るので、自筆稿が残るわけではない。一人だけ、手書き・郵送の著者がいて、その生原稿だけは大事に取ってあります。と彼はいった。
 昔はそういう編集者から文学館に収まったり、古書界に流れたものだが、みんなワープロ、パソコンになったら、文学館は成立しない。
 樋口一葉の手稿を見た。罫のない薄紙に毛筆のつづけ字。日記の刊本は句読点がなく読みにくいが、手稿では息をつぐところで墨をついでいるのがまざまざとわかる。読点はないが余白がある。いま一葉の本を書き終えたばかり、最後は手の内に入った話になった。」


誠に情けない話で、自分でも嫌になるが、直筆の文字が読みにくい。
森さんの次の頁には矢川澄子の「手はシャイです」という文章。これは断然読み易い。

正直に申し上げます。自分の字でいちばん気に入っているのは、何気なく書き捨て、書き流した時の字です。つまり下書き原稿のそれで、思うことを書き表わすことのほかに、手はいっさい余念ないのです。でもそれは滅多に人前に出せるものではなくて、浄書がすめば紙屑籠行きです。

わたしが矢川さんの手稿は読み易いといったのは、これは矢川さんが一番好きな、書きなぐり、書き流した文字ではなく、「浄書」したものだからなのだろうか。

矢川さんが澁澤龍彦と過ごした10年間を綴った著書のタイトルは『おにいちゃんー回想の澁澤龍彦』だが、わたしが40代の頃、6年間親友としていつも傍にいてくれた20歳年上の女性は、わたしを「あんちゃん」と呼んでくれていた。詳しい話はここでは省くが、わたしたちは年の逆転した、そして一緒にいるときには子供の様になれた兄と妹のような関係であった。(いうところの「賢妹愚兄」というやつか・・・)とてもあたまの良い女性だったが、子供の様な字を書いた。わたしは誕生日やクリスマスに彼女からもらうカードがなによりも好きだった。癖のある字の方が、ペン習字のような味も素っ気もない型にはまった文字よりもはるかに好ましい。極論すれば、手蹟に「上手も下手もない」のだと思う。

手紙やカードなど、その人の「手」で書かれた「紙」 をもらうのは殊の外うれしい。

おそらくわたしが特殊なのだろうが、わずか四百字の原稿を読むのにこれほど時間がかかるとはつくづく情けない。

ブログを通じて知り合ったSさんは、伊東屋で万年筆を買って、ブログのほかに、自分の心の裡をありのままに綴る日記を書いているという。頭が下がる。

森さんの手稿の話ではないが、世の中から「手紙」というものがなくなりつつある気がする。全く同じことが書かれていても、手書きの文字と、ディスプレイ上の規格化された文字とでは、そこに込められた情報量が「圧倒的に」違う。

「言外」という言葉がある、「行間を読む」という言い方をする。言葉に明示されていない、言葉の裏に隠された暗示や機微を読み取るということだ。
紙の本ならまだしも、電子書籍とやらだか、スマホやタブレットでやり取りするメールから、行間を読む、言葉の陰に潜んでいる別の意味を読み取るということが本当に可能であるのか訝る。

昔から「文は人なり」といわれる。確かにその通りかもしれない。けれども、今こうしてわたしがタイプし、あなたが読んでいるこの文字の連なりには、手書きの文字(文章)のような「貌」がない。
「文は人なり」という以上に「文字(手)は人なり」であったということを改めて思う。

便利に、手軽に、効率的に、スピーディーにということばかり追い求めて、わたしたちは生身の人間としてこのうえなく大事なものを次から次と我から放棄している。

手紙、手書きという文化の衰退は、人類にとって途轍もなく大きな損失であると思われてならない。

「手のぬくもり」がなつかしい・・・


祖母が息をひきとって、

かわいがられた孫が

つめたくなった手を合わせてあげたとき

静脈はしおれた蒼い花だった。

ー 須賀敦子

(その須賀さんも、もうこの世にはいない)








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