松浦寿輝(ひさき)のエッセイ集の「あとがき」にこのような記述がある。
ある時、旧友と出版社でばったり出会ったロラン・バルトに旧友が尋ねた。
「それで君、この頃はどんなものを書いているんだい?」
そう聞かれたバルトは、不快そうに顔を顰めてこう答えた。
「僕がなにを書いているかだって?書いてなんぞいるもんか!ただ注文仕事をこなしているだけさ!」
◇
ところで本書は、わたしがずいぶん長い歳月にわたって書いてきた短い文章を集めた本である。何々について、何日までに、何枚で、(場合によっては何字で)書いてほしいという注文を受け、それを淡々と、営々と、渋々と、ごく稀には嬉々として、とにかくこなしてきたわけだ。それが二十年も続けばまあ一応、プロを自称してもバチは当たるまい。プロと言ってもそんなご大層なものではない。江藤淳の言葉を借りるなら、ざる一丁と言われればへいといってざるを作って出し、天ぷらそば一丁と言われれば、へいといって天ぷらそばを作って出し、そんな単調なことを飽きもせずに繰り返してきたというだけの話だ。ではそんな渡世を後悔しているかと言えば、実はそれほどでもない。わたしのざるや天ぷらそばを旨そうに食べてくれるお客が、いつでもほんの少しはいたからである。(略)ロラン・バルトにとって本当の意味での「書くこと」とは、プルーストが『失われた時を求めて』を書くような営みのことでなければならなかったのだろう。それでも、久しぶりに会った友達にしかめっ面を作ってみせたのはたぶん社交術と照れに過ぎず、きっとバルトも大小様々な注文原稿の執筆をそれなりに愉しんでいたに違いない。わたしはそう確信している。ー松浦寿輝『青の奇蹟』(2006年)「あとがき」より(下線引用者)
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いうまでもなくわたしは「プロ」の物書きではない。それにレパートリーといっても、それこそざると天ぷらそばの二種類くらいしかない。
小津安二郎が、いつも同じような話の映画ばかり作っていると批判された時に「豆腐屋は豆腐を作るのが仕事だ」と反論したように、わたしの書くことのできる領域は極めて限定されている。
わざわざ引用文に下線を引いたように、わたしにとっても、「書く」ということは、プルーストが『失われた時を求めて』を書くような営みでなければならないと思っている。
しかし現実にはこの数か月、自分なりに満足のいく文章はひとつも書けていない。以前は書けていたような文章を書くことができない。
その理由は、生きているということの苦しさが日増しに強くなっているということと、それに伴い生きていることに付随する何もかもが面倒くさく、億劫になってきているということ。
「まだ生きなければならない」と命ぜられたわけではないが、死ぬことが出来ずにいる。
現実には「生きて」いないにもかかわらず、くたびれ果てたこの生にとどめを刺すことができない。
それは言葉を換えれば、生きるということも、死ぬということも、あらゆる行為がたまらなく億劫なほど疲れ果てているということであるのかもしれない。
◇
「ではそんな渡世を後悔しているかと言えば、実はそれほどでもない。わたしのざるや天ぷらそばを旨そうに食べてくれるお客が、いつでもほんの少しはいたからである。」
嘗てわたしのつくった豆腐を旨いと言ってくれた人が「ほんの少し」でもいただろうか?
それでもわたしは誰も見向きもしないものを飽きもせずに書き続けてきた。
それはわたしにとって唯一、この世界に存在していたことの証しだからだ。
そして誰も旨いとは言ってくれなくとも、「これまでは」「自分自身が納得できるもの」が曲がりなりにも書けていた。けれども今は「プルーストが『失われた時を求めて』を書くような」、彫心鏤骨入魂の文章が書けない。
既に実質的には「生きている」とは言い難いわたしにとって、書けなくなったということは、最早完全な「屍(かばね)」と同義である。
わたしは誰かに旨いと言ってもらうよりも、なによりも自分が納得できる文章が書きたいのだ。(といってこのような畸形者の文章に共感してくれる者の存在が、どれだけ孤独な魂の支えとなり、励みになるかは言うまでもないことだろう)
書けば書くほど、自分は「書けない」ということを思い知らされるのが現状である。
クルシイのだ。生きているということが。そして書くことがその空虚、懊悩を少しでも緩和してくれるのならまだ救いはあるが、書くことができない。
「きっとバルトも大小様々な注文原稿の執筆をそれなりに愉しんでいたに違いない。わたしはそう確信している。」
わたしはとてもそのような「確信」は持てない。バルトはやはり苦しかったのだ。忌々しく腹立たしく、苛立っていたのだ。自分の思うように執筆できないことに・・・勿論それにもまた「確信」など持つことはできないが・・・
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