2020年10月4日

「心の病との闘い」

 
ラグーナ出版を紹介する新聞記事を改めて見直すと、見出しは「心の病との闘い 雑誌に」とある。母とよく、東京新聞の記事の見出しはどこかおかしいと言っているが、「心の病との闘い」という文句を読んで先ずわたしの頭に浮かんだのはクエスチョンマークだった。
これがよくわからないというのは、おそらくわたしが「当事者」ではないからなのだろう。

わたしは常々、自分は狂人であり、「独特の認識の化け物」であると自称公言している。この、わたしの「狂気」もふくめて「わたし」という実存だと考えている。
わたしは「狂人」であり「化け物」ではあるけれども、おそらくは「心の病」ではないのだろう。

生きることが困難なのは(わたしに関していえば)心の病のせいではなく、わたしの感受性、わたしの美意識に由来する。腐臭に満ちた醜悪なものを見せられて嘔吐した場合、その人は病気なのだろうか?

確かに底彦さんなどの場合には「心の病との闘い」という言葉が当てはまるのだろう。
そしておそらくはラグーナ出版で働く人たちも。

繰り返すが、わたしは狂人であり「独自の認識の化け物」という自覚は持っているが、
「闘うべき」「心の病」を持っているという自覚はない。

敢えて戦うべき相手というなら、それは自分の心ではなく、この醜悪な世界=穢土に他ならない。

結局わたしが遂に「良くなるとはどういうことか?」という疑問を払拭できないのも、自分には「治し」たり「治癒」すべき心の病はないという半ば無意識の自覚に因るのだろう。
生きることの苦しさ、ひいてはそれによる自死に至ったとしても、それは「心の病」に起因するものではない。




注)この文章に描かれたふたりの妻とは、高村光太郎の妻智恵子と島尾敏夫の妻ミホのことである。












2020年10月3日

無題

 今日は無聊と不安を持て余し、寝ることもままならぬわたしに、ラグーナ出版の川畑さん(社長)がメールで付き合って下さった。
「お忙しいのに・・・」と恐縮するわたしに「今日は休日ですので自分の時間です」と。
そうか、今日は土曜日か。最近は曜日も日にちも、母に尋ねることがめっきり増えた。

前の投稿に引用したのは、過去の投稿を読んでいて見つけた詩で、午前中に川畑さんに送った。

川畑さんはラグーナ出版の仕事を通じて、「人間もまだまだ捨てたものじゃない」と感じておられるようだ。どうすればそのように思えるのだろう。

過去の投稿を読み返してみると、やはり一貫して「人間という存在との不和」そして「外界=世界との不和」という訴えが繰り返し現れている。

自分はほんとうにいわゆる「人間」なのだろうかという疑問は尽きない。

わたしは川畑さんとも、底彦さんとも違う。そしてその「違う」というのは、「個性」や「価値観」の相違といったレベルではなく、もっと根源的に、そもそも同じ生き物なのか?という疑問なのだ。

川畑さん、ありがとうございました。











朝の心境

 
今日は頼んで母に弟のところに行ってもらった。
けれどもこうして誰もいない家で目を覚ましても、なんにもすることがないとあらためて周囲を見回す。数年前までは弟の来ない日があって、その日は母もわたしもなんとなく活き活きとした、すがすがしい感じだったが、いまはただただ索漠、そして寂漠・・・
今日来ないといっても明日の今頃にはまた弟はここにいる。

先程主治医に、このような事情で、急を要するので、先生のところに行くことができない、多分もうお目にかかることはないでしょうとお別れの電話をした。

主治医の立場として「ああそうですか。じゃあお元気で、お気をつけて」とは言えない。
そういう状況であるなら「入院」という選択肢はどうですかと訊かれた。
入院ということは考えても見なかったし、正直なんのために?という疑問が拭えない。
主治医としては第一義的に、「金を持ったホームレス」という状況は避けなければならないと考えたのだろう。考えてみます、と答えたが、よくわからない。

入院して、ではいつなら、何処へ退院できるのか?
入院して退院して・・・戻ってくるのは「今この時点」ではないのか?

初めは弟の煙草の臭いがイヤだっただけなのが、全体的な症状の悪化とともに、
「煙草の臭い」ではなく、弟自身を怖がるようになった。

入院するということはどういうことなのだろう?
入院することで、わたしのなにが、どう変わるのだろう?

一方、現実に宿泊費用があったとしても、金が尽きるまで、宿から宿へと文字通りまったく何のあてもなく、土地勘も、知識もなく「放浪」するというのも確かに無理のようだ。
あてのない一人旅ではない。自宅から逃げ出すのだ。
旅を楽しむという余裕が生まれるだろうか?帰る場所はないのだ。

しかし今は弟にも、母にも、何の悪感情もない。弟だって好きで生きているわけではなく、更に言えば望んで生まれてきたわけではない。そして母はわたしたち二人に対して、最後まで「母となった責任」を果たすつもりでいる。「親という存在はほんとうに無力だ、とつぶやきながら。

太宰治がエッセイで引用しているシラーの詩。自分には最早地上にいる場所はないと天に苦情を言う詩人に対して、神は、「わたしの隣が空いている」と答えた。




「残念なことに(Sorry)」

親愛なる両親へ。
あなたがたがこの変わりばえのしない町に、
私を生んだことを咎めようとは思いません。
その気持ちは正しかったのですから。
今通り過ぎる町の通りには、
まだ、明るい日の光が残っています。

締め金で骨を締め付けられたわけではありません。
あなたがたは、充分な食べ物をおしみませんでした。
この私が丈夫に育つように、と。
背ののびた私を折り曲げたのは、
心の重み(Mind's Weight)です。

あなたがたが悪かったのではありません。
遠くへ飛んで行ったきりになるはずのものが、
確かな弓から、確かな的へ向かって
放たれた矢が、逆に戻ってきてしまったのです。
まっすぐなはずの矢が、曲がって撓んでしまっています。
あなた方の時代にはなかった、さまざまな疑問のせいで・・・


R.S.トマス (1913-2000)
長田弘『なつかしい時間』(2013年)より















追記

 
部屋の掃除をしていた簡易モップの柄がとうとう壊れてしまった。
母に「あーあ。また壊れちゃったよ」というと
「いいじゃないのあんたもうここにはいないんだから」というので、ふたりでぎゃははと笑った。






これから

自分自身がいよいよ行きづまりの段階に来ているということが、新しい年を迎えての切実な感想である。同時に、僕が僕自身の絶望的な状態に対して、まがりなりにもこのようなはっきりした認識を持ったということが、辛うじて救いでもある。
何かが変わらなければならぬ(そしてそれは一切が変わることなのだが)という感じが今ほど切実なことはない。
生活態度を改めるとか、酒をやめるとか、煙草をやめるとかいう問題ではない。自分自身が存在としてまったく破れ去っているいること、その破れのまっただなかから「僕を救ってください」という声を、全身をもって叫ぶこと。そのことを除いて、僕が存在し得る契機はもはやなにひとつのこっていない。
ー石原吉郎、1961年1月11日のノートより

「「僕を救ってください」という声を、全身をもって叫ぶこと。そのことを除いて、僕が存在し得る契機はもはやなにひとつのこっていない。」

けれども、「救うー救われる」とはどういうことを意味するのだろうか。そして人は真の意味で人を救うことが可能な存在なのだろうか。

わたしは誰かに「救い」を求めることができるだろうか?
ゼニカネの問題、或いは身体的な病であればそれも可能かもしれない。しかし人が人の魂を救うという時、それはどのような方法で?


繰り返し「来年の夏にはここで母と暮らすことはできない」と言ってきた。けれども事態はそんな悠長なことを言うことを許さないほど切迫している。
既にわたしの精神はここに弟が毎日来る事が耐えられない状態になっている。そして弟の安息が「ここ」と「母の傍」にしかないことも承知している。

近いうちに、母が行ってみたいと言っていた「五日市」に一緒に行こうと考えている。
最初はそこで、わたしは残り、母だけが帰るという話だったが、鹿児島のラグーナ出版が、わたしのブログに関心を示してくれた。「コロナで移動は難しいでしょうが、鹿児島にいらした時には是非声を掛けてください、その時は温かくお迎えします。」と言ってくれた。

母も鹿児島に行けばいいと言う。ラグーナ出版で仕事をさせてもらうとかいう話ではなく、あなたの書いたものに関心を示してくれた人と、1・2時間なりとも話をするだけでもいいじゃないかと。

最早わたしには五日市からでも、桧原村からでも、また鹿児島からであっても、帰る場所はない。この世界にまだわたしという存在に、わたしの文章に興味を持ってくれる人がいるなら、その人に会うのも暫しの猶予だ。「死」という、おそらくは「救い」までの。

ここにいて物を壊したり母に暴力を振るう前に消えなければならない。

わたしのことだから全く未定ではあるが、母と一緒に五日市に行ったあとに鹿児島に行くという予定だ。無論あきる野市から鹿児島まで一直線に行くわけではない。途中わたしの喪われた故郷でもある大森あたりのホテルにでも一泊して。

ラグーナ出版は鹿児島市の中心部にあるので、わたしはもっともっと「何もないところ」=自然の懐深くを求めて奥へ行くか、他県へ移動するか。まるでわからない。途中で「新たな居場所」が見つかるとは思えない。最後の仕事を終わるまでに力尽きてしまったのではどうしようもないので、あまりあちこちへはいけない。実質的には金を持ったホームレスのようなものだ。
もちろんここに帰ってきてはいけないとは誰も言ってはいないが、弟のいる場所にともにいることは最早わたしの精神が耐えられない。

わたしの唯一の通信手段はこのパソコンだけ。だからどこかでマンガ喫茶のようなところでも利用しない限り、ブログはもとよりメールのやり取りも不可能になる。

そしていったん九州まで行けばおそらくはもう二度と東京に戻ってくることはないだろう。
物見遊山に行くのではないのだから。

あまり間を置いて寒くなると身動きが取れなくなる可能性も出てくる。けれどもこの家に最早安息はない。破壊衝動は日増しに高まっている。せめて五日市か桧原村で鹿児島行きの英気を養うことができればと思うが、途中で力尽きるかもしれない。けれども、警察に保護されて、「ここ」に戻されるのは御免だ。







 

 

2020年10月2日

底彦さんへ、現状について その他雑感

 
Tumblrを初めて数年経ったころ、わたしは投稿で「生きていることの困難さ」について書きました。頻繁にではありませんが、1度だけではありませんでした。その時に、フランスとアメリカの、ともに30代くらい(?)の女性二人から叱られました。「軽々しく自殺を口にするな」というニュアンスではなく、「こっちは本気で心配するのだから!」ということだったと思います。アメリカの女性はわたしの記憶する限り、わたしの初めてのフォロワーだったと思います。
彼女たちは本気で腹を立てているようでした。ちょっとエキセントリックな感じのするフランスの女性は、現実に大切な人を自殺で喪った経験があるようで、わたしの嘆息が口先だけのように聞こえて腹が立ったのでしょう。今となっては記憶も曖昧ですが。

わたしはここでよく啄木の歌を引用します

死ぬことを持薬を飲むがごとくにも
我は思へり
こころ痛めば

エミール・シオランは、「自殺と言う逃げ道が無かったら、わたしはとうに自殺していただろう」と書いています。

「死ぬことを」思うだけではなく、口にせずにはいられなかったのです。

正直誰の反応も欲しくはありませんでした。わたしは二人の女性の思わぬ反応に戸惑いました。

「死んでしまいたい」「生きることを終わりにしたい」という感情を気軽に(?)言葉に、文字にできないというのは窮屈なものです。

ふたりの気持ちもまた真剣であったことも事実です。
ことほど左様に人間と言う生き物は複雑な世界で右往左往しています・・・

余談が長くなってしまいました・・・


Takeo さんがグループホームに入るという選択肢は無くなったのですね. それは日常の食事, 洗濯, 買い物といった作業が一人では行えないという Takeo さんの現在の状況によるのだと推察します.

どうもそういうことではないようです。母の話によると、週に1回でも2回でも、デイケア乃至作業所のような場所に通うことがグループ・ホーム入居の条件のようです。
とすればグループ・ホームとはあくまでも、自立のためのリハビリの場ということになります。仮に自立を目指していても、今現在引きこもりで、作業所にもデイケアにも行けない人はグループ・ホームには入れないということになります。


この世界では, 個人は自由に望む生き方を行うことができます. 私たちを取り巻く社会の中で何ものも成し遂げないとしても, 個人は自由です.
Takeo さんも日常生活において幾らかの労力を使うことによって, 精神的に自由な生活を手に入れることができるのです. 問題は Takeo さんがそのようないかなる労力にも意味を見出せないことかも知れません.

ここで底彦さんが言われている「自由」「精神的な自由」とはどのようなことを指すのでしょうか?

わたしがいま「自由」という言葉で思いつくのは、「自由に外に出られること」「自由に電車やバスに乗れること」「自由に街を歩けること」「自由に本が読めること」「自由に映画が観られること」「自由に会話ができること」・・・

わたしにとって自由であるとは、何らの手枷足枷も「格子なき牢獄」も存在しないことを意味します。
「自由であるとは」単に「可能性」ではなく「いま・この瞬間に欲することができること。それが可能であること」であるとわたしは捉えています。
わたしがいま仮に、何らかの労力と引き換えに、上記のどのような自由が獲得できるのでしょう。

問題は Takeo さんがそのようないかなる労力にも意味を見出せないことかも知れません.

そうではなく、何を代償にしても自由にはなれないという現実がわたしを絶望させているのです。


冒頭に紹介したTumblrでのエピソードは決して底彦さんへの当てつけでも何でもありません。

底彦さんは、「わたしとの対話を継続したい」と思ってくれているのなら、それを、そのままの気持ちをぶつけてくれていいのです。

けれどもわたしは自由ではないし、自由になることはあり得ないと考えています。

いかなる労力にも意味を見出せない

のは差し出した労力に何らの見返りも期待できないからです。

先の投稿で紹介した映画『海を飛ぶ夢』の主人公は、全身麻痺ではなく、首から下がマヒしている状態でした。ですから話すことはできるのです。しかしいずれにしても、彼のような人にとって、札束が何の意味を持つでしょうか?

クリント・イーストウッドの『ミリオンダラー・ベイビー』で試合中のアクシデントで同じように首から下が完全に動かせなくなった女性ボクサーは何故病院に見舞いに来たコーチ(イーストウッド)に「ワタシヲ コロシテ・・・」と涙を流したのでしょう?

共に「自由が奪われたから」ではないのでしょうか?

その辺りの気持ちは掌編「幻肢痛」で舌足らずで拙いながらも表わせたと感じています。

・・・わたしは底彦さんが間違った認識を持っているというつもりはありません。攻撃的な文章になってしまったことをお詫びします、どうか気になさらないでください。

そしてもし、わたしの言っていることが「違う」と思われるのなら、自信など無くても構わないので感じたことを聞かせてください。


わたしは底彦さんと「対話」をしているつもりです。しかし見解に相違がある時には、その都度「わたしはこう思う」と言うつもりです。

またわたしにはストレスのはけ口がないのでいつもイライラしています。

今のわたしには、母にだけは手を上げないと言い切る自信がないのです。
だから何としても今のうちに別れなければと思うのです。

『山月記』で別れの際に李徴が言いますね。よく覚えていませんが、虎になった李徴は次第に人間の意識に戻る時間が短くなってきている。今度会った時には、虎として旧友の君を襲うかもしれないからこれが今生の別れだと。

今はまだ、母に対して虎にはならないだけの自制心が残っていますが、それも次第に薄れつつあることを感じているのです。

わたしは「自死」を前提としてお話をしていません。そして底彦さんにはわたしに対して、「対話を続けるために=自分のために生きてくれ」と言い続けてもらいたいと思います。

今のわたしに必要なのは死の前の一時のRest in Peaceです。死ではないRest「休息」とPeace「平安」が、何処で、どのように得られるかはわかりませんが・・・


底彦さんの友情に改めて感謝します。

また同時に、先日のふたつさんのコメントに満足なお返事ができなかったことを気にしています。

おふたりに、そしてこれを読んでくださった方に。

ありがとうございました。


不悉









2020年10月1日

ありがとう


底彦さんから「無題」という数日前の投稿にコメントを頂いた。加えて、先に底彦さんのブログに残したわたしのコメントについての彼の返信にも併せて、考えることを書いてみようと思う。

いまでも、「緻密で」「洗練された」「端正な」文章を書きたいという欲はあるが、今のわたしにそれは望むべくもない。ただ、頭に浮かんだことを断片的に書きおくという形にしかならないが・・・

底彦さん。例によって、承諾なしの引用を許してください。

この投稿」へのコメント欄で底彦さんは、わたしの言葉を承けて


「もう気力も生への執着も消え果てたのですか? もう一度, 自身の心の奥底に深く目を向けてみてくださることとお願いします.

私はこんな悲しい文章は読みたくありません.

何とか生への隘路を探してくださることを祈っています.

友人より.」

と書いてくれた。

また上記のわたしの「無題」へのメッセージでは

私は Takeo さんに対して非常に身勝手なことを書いています.

Takeo さんの「身辺整理」によって, そのような対話の可能性すらも閉じられてしまうのでしょうか?
私はその対話の通り道を塞いでほしくはありません.

身勝手ではありますが, 一友人の心からの言葉と思ってくだされば幸いです.」


底彦さんは、おそらくは誰よりも、わたしの現在の状況を理解してくれている人だと思う。
「生きられない」ということを。

それでも、自分があなたが必要だから生きてくれと・・・

わたしには「友人」「友」のはっきりした定義はわからないが、「私のために、僕のために、死なないでくれ」というのも、明らかに友情だと思う。それを「身勝手」と呼び、「エゴ」と言ったとしても、やはりこれは友情から発せられた言葉だとわたしは感じている。

人間て、ほんとうに複雑で、一筋縄ではいかないし、整合性など求めようもない。
「身勝手な友情」といった一見矛盾した形容が存在する世界なのだ・・・

事故によって全身麻痺の後遺症を負った男性が不法行為とされている安楽死を、様々な周囲の「手助け」によって成し遂げるまでを描いた、実話に基づいた映画『海を飛ぶ夢』で、彼は、「あなたが好きだから生きてください」という女性の言葉を斥け、「僕を死なせてくれるのが真の友だ!」と。

自殺幇助も真の友情であり愛であるし、「私・僕のために死なないで」というのも、同様に真の友人の言葉なのだ。

そのような複雑な世界にわたしたちは生きている。

底彦さん。先ずなによりも、あなたの言葉に感謝します。


これも数日前、ふたつさんから久しぶりのコメントをもらった、
書かれている内容以前に、紹介してくれた絵や詩以上に、わたしに声を掛けてくれたことで、たとえそれが数時間であっても、わたしの気持ちが明るくなり、晴れやかになったことを彼に伝えておきたい。

シモーヌ・ヴェイユを初めて知ったのは、蒲田の古本屋の店先で彼女の本をパラパラとめくっていた時に出会った短い言葉

「不幸な人たちしてあげられる唯一のことは、彼らに関心を寄せることだ」

正確ではないが、そのような言葉が書かれていて、わたしはこの言葉に強く惹かれた。

わたしが死を選ぶとしたら、その死因はおそらくは「孤独」なのだ。

孤独とは単に「友人がいない」ということに限らない。わたしは「街」という友を喪った。

だから「猫額洞」さんが先日のブログに書かれていた、「地下鉄を降りて階段を上り地上に出ると、街/町が迎えてくれた!」という感慨を共有することはできない。

・・・疲れたので、一旦ここで投稿します。

尚今日どなたかがまた古い投稿を読んでくださいました。無論いつも言っているように、どの投稿が閲覧されたかは表示されますが、「何処の誰が、いつ」ということまではわかりません。

リンクばかりべたべたと、見にくいとは思いますが、現在に続く想いが記されている投稿ですので、一読いただければと思い、ご紹介します。

前半の資料に関する部分よりも、後半の、石原吉郎の言葉、二階堂奥歯の言葉に対するわたしの反応が、何かしら参考になるかもしれないと思います。

或いはこの過去の投稿を読まれたのは他ならぬ底彦さんかもしれませんね。

どなたであるにしても、このような投稿を見つけ出す能力に驚いています。