2019年6月29日
2019年6月28日
わたしはなにを望んでいるのか…
先日の投稿「喪われ続ける風景」に、Junkoさんからコメントを頂いた。
コメント欄に埋もれさせておくには惜しいくらい、わたしの気持ち・気分が、これ以上ないというくらい的確に表現されている。そこで、本人の承諾を俟たずしてここに全文を引用させていただきます。(Junkoさん、申し訳ありません。これはあなたの気持ちを書かれたものですが、そっくりそのままわたしの想いでもあるので、ご容赦ください)
◇
Ciao Takeoさん
私も東京で生まれ、東京で育ちました。
かつての、私が小学校の頃の東京が好きでした。
前にもコメントに書いたと思うのですが、少し前に友人の家を訪ねて、(京王線沿線でした) 私は降りる駅を1つ間違えたのですが、それに気付くまで30分以上かかりました。
そしてそれに気づいた時、ゾッとして妙な嫌悪感に襲われたものです。
なぜこうも飽きる事なく、駅には駅ビル(それもほぼどこも同じなアトレという奴) が付いていないといけないと皆が揃いも揃って、疑問を抱く事もなく思えるのか、不思議で仕方ありません。
そしてどこの駅ビルでも同じテナントで同じものを売る。
同じパン屋に同じスーパー
あそこに行かなきゃ買えない。というのが私は好きです。
だから、デパ地下も大っ嫌いです。
大体お手軽にどこの土地の旨いものも居ながらにして手に入る、それを私はあら、良いじゃない?などとは、とてもじゃあないけど思えないのです。
むしろ興ざめ、味もそっけもないと考えます。
お手軽ほど卑しいものはないと考えるのです。
今日本にいます。
今回羽田空港に着きましたが、羽田国際空港の周辺は、どこもかしこも荒れ果てた巨大な工事現場と化し、1700室のホテルを作っているという看板を見て、私は吐き気を催し思わず一人で毒づきました。
私がオリンピックを反対し、今も軽蔑と共に反対し続けるのは、これ以上東京を壊されたくなかった、という事もあり、そのために、散々反対活動をした挙句諦めました。
私ひとりの力は微少です、奇跡でも起こらない限り、私にもうできる事は何もないと。
しかしながら、オリンピックが終わった後1700室を抱える巨大なデイノザウルスのようなホテルを埋める宿泊客はどこにいるのでしょうか?
皆、長期的な、そして趣味の良い都市計画を持たないのです。
多分、自問自答さえしないのでしょう、ただ、今の数々の建築プロジェクトに酔いしれ、それで多忙を極め、巨額な金が動けばそれでいい、
勝手にしやがれ
勝手に壊れて、死んで行きやがれ 私の街 東京
そう思うしかないのです。
私は、幼少期を品川と目黒の下町で育ちました。
私は、あそこが大好きでした
私は、小学生の時原宿に通っていました。
当時の原宿はステキでした。
高校生の時、六本木にジーンズを買いに行っていました
当時の六本木もステキでした。
大学生の時は、夜中に青山通りにお茶を飲みに行くのが好きでした。
当時の青山もステキでした。
今では見るも無残
あの頃感じた匂いを、ワクワクした大人の「粋なお洒落さ」を感じる事はできません。
私は、今そこに行かなければいけないとき、なるたけ周りの風景を見ないようにするのです。
何年も前になりますが、こんな経験をしました。
何気なくぼんやりしていたら、私の意識がふっと飛び、私はあの時の品川にいました。
そこには、埃だらけの道と真っ黒だからマックと呼ばれていた野良犬と三軒長屋があり、家々の物干し台があり、その奥には品川湾の運河の小さな支流が流れていました。
空気の匂いもそのままで、、、
アインシュタインが過去は過去ではなく、今も存在し続けていると言ったそうですが、私はその時それを実感しました。
私が「好きだった」東京の、私が「好きだった」場所は、今も生き生き存在し続けているのだと。
私の家のあった品川の下町の釣船が出るあの場所、あの時の地味な原宿、六本木、青山、それら
はあの時のまま、私の中に生き生きと生きており、それは誰も壊すことができません。
少なくとも私はそう信じていますし、そう信じることによって、金に対する欲望で目をギラギラさせた人間がシャベルの刃を地面に突き立て、木を倒し、かつてあった街を破壊する、その痛みから目を反らせることができるかのようです。
これもいつか話しましたが、ローマも刻々と変わっています。
かつてあった帽子屋さんは、ブランドの店になり、昔ながらのおじいちゃんのやっていたバルは皆同じ様相の「ロンドン風」カフェになり、ここもまた「なんてこと無い」街になっていっています。
なぜ変わっていないかのように見えるかと言えば、コロッセオやトレビの泉やスペイン階段は未だそこにあるからです、あそこだけは壊せません。なぜなら、何よりの金づるなのですから、
しかしながら、そこもまた変わっていっているのです。
それも極めてドラスティックに。です。
私がローマに住み始めた時はコロッセオは誰でもただでふらりと入れたものです。
今は、無機質なチケットブースが並んでいます。
そこにはローマの名物でもあって野良猫が本当にたくさん、自由にたむろしていたものですが、猫も一匹もいなくなりました。
猫はどうしたのかと聞いたら、保護したと言います。保護?
パリの美術館を真似たブックショップなどもありませんでした。
私がローマに住み始めた30年前、遺跡はただの遺跡のままで何十世紀も前のその時のように、ただそこに佇み、その存在を私たちに提供してくれていたのです。
イタリアの人々もまた、遠い過去から使い続けていたコーヒーメーカーを使うのをやめ、おぞましい、お手軽なカプセルコーヒーのネスプレッソに変え、ローマの石畳は歩きづらいとアスファルトにしろと事あるごとに市に訴えます。
そして私は、この石畳、サンピエトリーノが無くなった時にローマから去ると決めています。
そんな中で、最近大好きな人に会いました。
おじいさん2人でやっている時計屋さんです。
小さなお店に入ると、2人がそれぞれ作業台に座って作業しています。
まるで昔の、診ただけでどこの具合が悪いのか、一目で言い当てた名医のように、時計の裏蓋をカチリと器用に開けて、やっと治りに来たねと言うような、やさしい目で時計を見、殆どのものを修理してしまいます。
そこに入ると、空気が違います。
彼らは、お愛想笑いをしません。
そして笑っている時も笑っていない時も、全く「人間」です。
私が自分の生に執着がないのは、多分こういう事でもあると思います。
汚い街に、そこに居たいと思わない場所に私の居場所はないのですし、
ああ、大好きだなぁ、素敵だなあと思えない人々と交わす言葉はありませんし、場を共有しようとも思えない。
それでは、私はここで何をしているの? 何がしたいの?と。
◇
何もかもわたしの想いとぴったりで、殊に最後の5行は、わたしが外に出られない理由、つまりわたしがなぜ所謂「引きこもり」であるのかを余すところなく表現していると思います。
これは「わたしが引きこもる理由3(Junkoさんの見た東京)」として記事にしようかと考えましたが、このような形で、引用させていただきました。
この文章に共感する人はおそらくほとんどいないことくらい端からわかっています。
ただこれはわたしにとってとても貴重な文章なので、「自分の日記」に、わかりやすい形で書きうつしました。Junkoさん、あらためて素晴らしい(?)そして同時に悲しい投稿をありがとうございました。
◇◇
わたしは明日、母に付き添ってもらって、今年初めて精神科(主治医)に会いに行こうと考えている。
その理由は主に「なかなか死ねない以上、生活の質というものを考える必要があるのではないか?」ー「Oさんへ」という理由からだが、同時にこれまで持っていた迷いは、まったく払拭されぬまま、わたしの心の中にわだかまっている。つまり「Oさんへ」で書いていることは、いわば、これまでのわたしの悩みの全否定であり、裏切りであり変節に他ならないのではないか、という疑念が消せない。「わたしの悩み」の「全否定」とは、とりもなおさず「わたしという存在の否定」に他ならない。何故なら「わたしの悩み」とは、わたしにも曲がりなりにも感受性というものがあり、価値観を持ち、美意識(自分にとって何が美しく何が醜いのかという規準)があることの証であるから。
嘗て底彦さんは、「この世界でどうありたいか?」と言われた。(ように記憶している)
どうありたいか?とは、(わたしの勝手な憶測だが)「どう生きていきたいか」と同じ意味のよう見える。
仮にわたしの憶測が当たっているとすれば、わたしは、底彦さんの抱えている疑問の遥か手前に立っている。
つまり上記のJunkoさんの文章がいまのわたしの気持ちそのものだと言ったように、底彦さんの言われる「どう生きたいか」以前に「そもそもわたしは生きたいのか?」というところで、いつも壁にぶつかってしまう。
それが可能であるかどうかは別にして、今現在わたしやJunkoさんが抱えている「現実世界」への嫌悪、忌避感を薬の力で抑え込んでまで・・・つまり自分本来の感性に蓋をしてまで生きたいのか?
言い換えれば、そのようにしてまで生きるに価するものが何かひとつでもあるのか?ということだ。
「誰がいる?」「何処がある?」「何がある?」つまり113篇も繰り返してきたことだが、「元気になる意味とはなんだ?」「何のために元気になるのか?」というところにどうしても行きついてしまう。
何もかも思い通りにならない状況の中で、わたしはどうしたいのか?
「いったいわたしは誰に何を求めているのか?」
「いったいわたしは誰に何を求め得るのか?
わからない・・・
ふとわたしは『カッコーの巣の上で』という何遍も観た映画を思い出す。
精神病棟で、何かにつけて反抗的な主人公(ジャック・ニコルソン)は、最後にはロボトミー手術を施されて何も感じない人間になってしまう。
彼の友である「チーフ」(酋長の意)は、友が最早以前の(本来の、本当の)彼ではないことを悲しみ、深夜、彼が寝ている時に、彼の顔に枕を押し付け彼を殺す。無論彼は激しく暴れるが、チーフは怪力の持ち主だ。やがて彼の全身から力が抜ける。
その後、チーフは生前の彼が果たせなかった「牢獄」からの脱走に成功する。
そしてふたつの魂が解放された。
この作品では、『バタフライ・キス』や『海を飛ぶ夢』『裁きは終わりぬ』のように、「殺してくれ」という明確な意思表示をされたわけではない。しかしチーフの行為はまったく正しい。わたしは所謂「自殺幇助」を「殺人」の対極にあるものだと考えている。
いわばそれは「救い」に他ならない。
2019年6月27日
Oさんへ
中央図書館の司書であるあなたが、今回のわたしの「調査依頼」の担当になりました。
先日わたしは以下のようなレファレンス依頼のメールを差し上げました。
◇
「参考資料を探しています。
わたしは50代の所謂「引きこもり」です。
あまり熱心に「引きこもり」に関する本を読んだことはありませんし、そもそも(この表現には抵抗がありますが)「高齢の引きこもり」に関する本が出始めたのは、ごく最近のことだと思います。
自分でも何が知りたいのか、はっきりとはわかりませんが、「引きこもり」=「外に出られない」という状態のメカニズムについて先ず知りたいと思います。
わたし個人に関していえば、外界の音・匂い・光・などの信号(刺激)への生体の拒否反応です。しかしそれは単に、物理的な「音」や「におい」への「感覚的」なレベルでの拒否反応ではなく、「外界の醜さに耐えられない」という主観的、審美的側面が主になっています。
ですからわたしの引きこもりの理由・原因は、一言でいえば、外界と、わたしという個人の「美意識」との著しい乖離によるものです。
質問1) このような、「審美的引きこもり」という例が他にもあるのでしょうか?また、何故このような現象(感覚?情動?)が生じるのでしょうか?
質問2) 「脱・引きこもり」とよく耳にしますが、「脱」とはどういう意味でしょうか?
何故そのようなことが可能なのでしょうか?
また、何故そのような気分になれるのでしょうか?
はっきりしないながらも、大体このようなことを知りたいようです。
急ぎませんが、何よりも知りたいのは、「審美的引きこもり」に関してです。そしてそれがどのようなメカニズムに起因するのか・・・
よろしくお願いします。」
◇
本日そちらからのメールが届いているのを知り、電話をしました。
メールには調査中であると書かれていましたが、なにかわたしに(資料をお探しの上で)お聞きになりたいことがあるかと思いました。
あなたは大体調査の方向性を伝えられてから、「個人的なことですが」という言葉を添えて、こう言われました。
「実は私自身、電車に乗ると、「そういう人たち」を見るのが厭で(と、仰ったのか「その一員になるのが厭で」と仰ったのか失念しましたが)すぐに文庫本を取り出す人間なので・・・」
あなたは「スマホは持っている」と言われました。けれども、やはり電車内での「あの光景」には抵抗がある、と。
◇
「スマホバカ憎し」の余り外に出ることができなくなり、自分の感性を潤してくれるであろう映画を借りに行くことができなくなったり、紅に染まる夕焼けを見上げることがなくなったり、外で友人とお茶を飲むことも出来なくなる。更にはそれが昂じて抑うつ状態になり、無気力と倦怠の裡に日々を送り、「スマホ」とは無縁の部屋の中でさえ、絵を観て心動かされる感受性さえも枯渇し、本を読んで新鮮な視点や深い洞察に出会う機会すら逸しているとしたら、それは正に本末転倒ではないでしょうか。
「スマホ」に順応しない。スマホが跋扈する社会に適応しない自分こそが「本来のわたし」であるという考えに囚われるあまり、却って本来のわたしが愛しているものたちからどんどん遠ざかって行ってはいないか・・・
わたしは「自分の信ずるところに殉ずる」ということを、たいていの場合は、賛美します。わたしは「スマホを嫌悪する己の感受性」を手放したくはありません。けれども、あまりにそれに拘るがゆえに、もう一つの本性でもある「美を愛する心」がなおざりにされているのではないかと思い始めたのです。
様々な絵を観ても、一葉の写真を見ても、自分は本当にこの絵が好きなのだろうか?この写真に惹かれているのか?ということが、次第にわからなくなってきていると感じるのです。
ですから例えば薬物療法によって、「スマホバカ」の「群れ」の中でも、あなたのように、(完全に無視はできないまでも)電車に乗ることができるようになれば、また、今の抑うつ状態、倦怠感、無気力が少しでも軽減されることがあるとすれば、それは寧ろ、今現在失われつつある本来のわたし自身を僅かでも取り戻すことになるのではないかと思うのです。
「スマホを憎むあまり」自己を喪うということを、わたしは必ずしも「愚かな行為」であるとは思いません。
しかし、わたしが最も大事にしているのが、「わたしが常にわたしであること」だとすれば、今の状態は単に「スマホを憎む」「スマホに浸蝕された社会に馴染まない」という一点に於いてのみ「わたしである」に過ぎないのではないかと感じるのです。
「スマホやタブレットが平気になる」ということは確かに汗顔赤面に価することに違いありません。
けれども、わたしはもうこれ以上、自分が失われてゆくことに堪えられないのです。
「スマホ憎し」を起点として、半円形の不毛な迂路を辿り、最終的に憎しみという感情だけが心の裡に残されている、そのことを怖れるのです・・・
2019年6月26日
どういう風の吹き回しか、気まぐれに、また「ブログ村」に登録した。
登録したカテゴリーは「引きこもり」と「ひとりごと」
メンタルヘルスのカテゴリーを覗くと、以前と同じように「オーヴァードーズ」という単語が散見される。
「リストカット」同様、昔からこれらの言葉、行為にまったく抵抗はなかったが、これまでは、所詮は「他人事」としてしか捉えてこなかった。
しかし今はアルコールとか、ドラッグとか、薬の過剰摂取が自分にも必要に思えてならない。
◇
母も疲れている。休んでもらいたいが、今のわたしには何もできない。
疲労がたまり、ストレスが溜まった者同士が顔を合わせると、どうしても和やかな雰囲気は生まれない。
お互いに疲れ切っている。わたしはともかく、母は365日、弟の世話をしなければならない。母は斃れるまで、わたしと、弟と、自分とともにわたしたちを生んだ大嫌いな男性の世話をし続けるのだろう。自分の義務として。
そのようなことから
わたしが時々死を、仄めかすと、7割方本気で、「一緒に死んじゃおうか」と。
わたしも母も、生きていても何もいいことなんてないのだ。
わたしができることは、せめて「3マイナス1」と思っているが、それを口にするとまた母を苦しめる結果になる。
そんな状況の中で、アルコールや薬に歩み寄らない方が不思議ではないか。
しかし仮にわたしがそんなことで現実逃避しても、母の状態は1ミリも変わらない。
わたしはもうどうなってもいい。母だけは心穏やかに過ごしてもらいたい。
しかしそれはわたしの死によっては齎されることはない。
そしてわたしは「元気」にも「外に出られるようにも」ならないしなろうと思っていない。
何故わたしはまだ正気なのか・・・
"I became insane, with long intervals of horrible sanity."
— Edgar Allan Poe
「狂気とは、もうこれ以上進行することのない心痛である」
喪われ続ける風景…
今日母が珍しく用事で日本橋まで行った。
帰ってきて母は、「十年ひと昔っていうけど、東京って十年ごとに違った街になるね」
と言った。
母はもう六十年以上東京に住んでいるが、十年ほど前に郊外に越してきてからは、滅多に都心に行く機会がなくなった。
わたしも東京で生まれ東京で育って55年経つけれども、今都心に行けば、母同様、全くの「お上りさん」だ。
これは『楽天ブログ』を使っている当時から幾度となくわたしのブログに現れるテーマだが、わたしが所謂『故郷喪失者』であるということ。
つまり東京という街には蓄積された街の歴史というものがなく、ひとつの都市に流れる時間の連続性がないということ。これは何もわたしに限ったことではなく、東京に生まれ、また東京で育ったものは、みな故郷喪失者だ。
そのことは以前「わたしが引きこもる理由 〔種村季弘の見た東京〕」にも書いた。
東京という街には、わたしがここで生まれ、ここで育ったという「痕跡」「形跡」がほとんど遺されていない。それでもまだ20世紀末までは、かろうじて東京は「わたしの東京」と同一だった。
人が心を病む契機となり得る要因の一つである「自分にとってなにか大きなものが喪失された空虚さ・・・」
それが今だ。今の銀座はわたしの知っている銀座ではなく、
今の丸の内、八重洲は、わたしが歩いた場所では最早なく、
今の馬込はわたしが17年間暮らした馬込ではない。
今の東京はわたしの東京ではない・・・・
わたしをわたしたらしめていたものは、最早「外部」には存在しない。
それが今だ。今の銀座はわたしの知っている銀座ではなく、
今の丸の内、八重洲は、わたしが歩いた場所では最早なく、
今の馬込はわたしが17年間暮らした馬込ではない。
今の東京はわたしの東京ではない・・・・
わたしをわたしたらしめていたものは、最早「外部」には存在しない。
わたしと「外部」の接点は最早存在しない・・・「あの頃の自分」と出会える場所はどこにもありはしない。
大都市というものはいずこもそういうものだ、とはわたしは思わない。
ローマやパリや、ウィーンやロンドンで、10年前に訪れた時にあったものが、あそこも、ここも、跡形もなく消え去っているとはどうしても思えないのだ。
もしも「誇れるもの」(建物・景観・歴史)があるという自負があるのなら、当然それを残そうとするのではないか?
「老朽化」とよく聞くが、それを取り壊した後に、全く同じものを全く同じ材料で新たに造るということは不可能なのだろうか・・・
何故かひどく無意味で、どうでもいいことを書いている気がしてならない・・・
「東京」はわたしの胸の裡にある。そしてわたしとともに滅びる。それでいいじゃないか・・・
ー追記ー
「わたしの生まれたパリの街がドイツ軍の支配下にある限り、わたしの人生にはなんの意味もありません…」
と、シモーヌ・ヴェイユは手紙に認めている。
何故かひどく無意味で、どうでもいいことを書いている気がしてならない・・・
「東京」はわたしの胸の裡にある。そしてわたしとともに滅びる。それでいいじゃないか・・・
ー追記ー
「わたしの生まれたパリの街がドイツ軍の支配下にある限り、わたしの人生にはなんの意味もありません…」
と、シモーヌ・ヴェイユは手紙に認めている。
それほどまでに、生まれ育った場所というものは良きにつけ悪しきにつけ、人間の心に大きな影響を与えうるのだ。それはある意味で第二の母胎であるから。
パリは、いまでもヴェイユの愛した当時のパリのすがたをとどめているだろうか?きっと・・・
2019年6月25日
「自ら生み出した迷宮」・・・(ふたつさんのコメントへの返信)
何も書けなくなっているわたしを見かねて、ふたつさんから親切なコメントをいただいた。
コメントの最後にふたつさんは、
「まぁ、期待しないで、もしも気が向いたなら、軽い気持ちで考えてみてください。また、もしかすると、この考え方は、ほかの方の役には立つのかもしれません。」
と書いておられる。わたしも他の人の反応が知りたいと思うので、ここに投稿することにした。
以下に頂いたコメントを引用する。
(毎度のことながら、これはふたつさんのコメント自体が、一つの記事(論説)として十分読むに価すると思うからだ。)
(尚これはわたしの「精神医療とわたしの問題」について寄せられたコメントで、先ずふたつさんのコメント、その後にわたしの意見を述べようと思う。)
◇
「こんばんは。
この記事とは、直接関係ない話なんですが、精神的な困難を感じている人の話を読んだり聞いたりしたときに、ぼくが時々思うことがあります。
これは、あくまで、一つの見方を提示するものであって、さほどの根拠があることではありませんので、どうぞ、軽い気持ちで聞いてください。
ぼくが、時々思うことと言うのは、精神的な困難を感じている方々の多くが、とても深く物事について考えていらっしゃるということなんです。
もちろん、考えること自体が悪いことではないと思いますが、考えるという行為がどうしても「思考の迷宮」を作り出してしまう傾向はあると思います。
先日、コメント欄でTakeoさんと底彦さんの対話を拝見していて思ったのですが、徹底して考えたり書いたり読んだりすることで、そういう「思考の迷宮」が強化されてしまうということもあるのかな?と言う気がしました。
要するに、言葉とか理論と言うものは、かなり不完全なものですし、その不完全なもので知ることが出来る範囲も意外なほど限られているような気がしますから、ある時には「思考」を手放すという考え方もあっていいように思います。
ぼくは、基本的に「原初的な考え方」をけっこう重視していて、本を読んだり、学んだりすること以上に、『もしも、自分が現在のような教育を受けて育たなかったら、こんな時どういう考え方をするのだろうか?』ということをよく考えます。
つまり、例えば、Takeoさんがごく基本的な「言葉」とか「生存するための知恵」とか、その程度のことしか与えられなかった場合には、当然、今、Takeoさんの中にあるような「思考」は、存在していないような気がするわけです。
おそらく、今、Takeoの中にある「思考」とはだいぶ違うであろう、その「思考」がどんなものであるのか?と考えることは、何かのヒントになるような気もします。
もちろん、「トラウマ」のような、因果関係がはっきりしたものでもないので、それを正確に判断することは、ほぼ不可能だと思いますが、どちらかと言うと、「わかること」ではなく、「そういう視点を持つこと」が一つのヒントになるような気がするわけです。
Takeoさんは、「治りたい」とか「生きやすく成りたい」と言う気持ちが薄いかもしれませんが、それでも、まだ、ご自身の置かれている状態や何故そういう状態になったのか?と言う問いは、捨てていないような気がします。
と言うより、その問いを捨てられないからこそ、Takeoさんが、困難を抱えているのかもしれません。
当然、治癒に向かうヒントとは違うものですが、もしかすると、ご自身の状態を知るためのヒントには成るのかもしれません。
まぁ、期待しないで、もしも気が向いたなら、軽い気持ちで考えてみてください。
また、もしかすると、この考え方は、ほかの方の役には立つのかもしれません。
それでは、また。」
◇
こんばんは、ふたつさん。
わたしは屡々二階堂奥歯の日記から引用します。彼女は、25歳で自死するまで、膨大な数の本を読んできました。一日一冊以上。それでも尚死なななければならなかったのはなぜか?彼女を自死から救うことができたであろうただ一言に出会うことができなかったからなのか?と思わずにはいられません。
芥川龍之介にしても同様です。あれだけ明晰怜悧な頭脳を持った人が、何故死を選んだのか?「漠然とした不安」に打ち克つことができなかったのか?偶々(たまたま)読み漏らした一冊があったのだろうか?という思いが拭い去れません。
一方で、二階堂奥歯にしても、芥川にしても、その死は、彼女や彼の頭脳とは別の部分によってそびき出されたものではないか、とも考えます。
しかしそのような曖昧な結論で簡単に納得できるものではない。
どうしても、彼女が、彼が、巡り合うことのなかった一行、一冊というものに思いを馳せずにいられないのです。
◇
「考える」ことによって「思考の迷路」に嵌まり込んで却って身動きが取れなくなるというパラドクス・・・それはわかります。しかしわたしはそれを知りつつも、考えることを止めることはできません。と、いうより、人はその迷宮から脱するために「対話」するのだと思います。自分でいくら自分自身を掘り下げてもそこには限界があります。
それはあたかも、沼におぼれた自分の袖を引っ張り上げて沼から抜け出したというミュンヒハウゼン男爵を思わせます。
たったひとりで沈思黙考することに限界はあっても、「対話」によって、共同作業によって問題を掘り下げてゆくことはやはり必要なことだと思います。
わたしと底彦さんの決定的な違いは、今抱えている問題に対し、一緒になって考えてくれる存在の有無に他なりません。
わたしの悩みは、人間が最早「人間らしい」・・・すなわち「地球上の動物」の中の一種類として「原初的」な、自然とともに生きてゆくことが不可能になった時代に生まれました。
何故わたしは今このような反・自然的な環境の中で生きているのか?
決して逃げ出すことのできないそのような環境の中に、尚「在り続ける」意味とは何だと考えずにはいられません。
人間が最早生身の生体・身体を持った生き物として見做されず、またそのように扱われない時代に生きている以上、そこに存在し続ける意味、理由を考えてしまうのは寧ろ当然だと思います。
「人間が生身の生体として扱われない。そのように見做されていない。」というのは実は不正確な表現で、多くの人間が、自己を、他の地球上の(生物)動植物とは画然と異なった存在と見做していると思えてなりません。
◇
自分は何故戦場にいるんだ?
自分は何故牢に入れられているのだ?
自ら選んだわけでもない環境に無理強いに引き込まれた者が、「何故?」と考え、「どうすべきか?」と煩悶するのは当然ではないかと思うのです。
無論大自然と文字通り溶け合う瞬間が持てれば言うことはありません。
けれどもわたしはしばしの間でも、「思考の迷宮」から抜け出してもいいという「自然」がどこにあるのかを知りません。仮にそれが以外に身近にあったとしても、どのようにしてそこにたどり着けるのかという方法を知りません。
そして、何もナイアガラ瀑布、グランドキャニオンではなくとも、自然の中に溶け込みたい、「いま・ここ」から逃げ出したいという思いはいつでも強く持っています。
けれども、「いま・ここ」に縛られている間は、自己に向けられた思考だけが、わたしがわたしでいられる唯一の形態なのだと思います。「いま・この場所」で「考えること」すなわち「なぜ?」を放棄した瞬間、わたしという存在は、風の前の霧のように雲散霧消してしまうように感じるのです。
自分の思考にしがみついていなければ自己が消えてしまうかもしれない。思考というものが唯一、母船とわたしとを繋ぐ命綱・・・わたしにとって「思考の迷宮」の外側は、カオス(混沌)です。
ー追記ー
「健康というのは、自己の身体について全く意識していない状態のことだ」とシオランは言います。おそらくふたつさんの言われているのはこのようなことではないかと思います。意識せずにいられないということは、健康な「常態」ではないということです。
社会が病んだ時、そこに生きる者は必ず病みます。(「適応」さえも「病」の一種です。)「私一個の健康」などというものは幻想に過ぎません・・・
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