以下に書くことは相互に全く脈絡のない文字通りの独立した「断想」だ。
これまでも幾度となく「断想」という形で書いてきたが、それら個々の短い文章は、か細い一本の糸で貫かれていて、それは繋がれた数珠玉のように、空に放り上げても、決してバラバラに四散することはなかった・・・
先週、6月29日の土曜日に、久しぶりで主治医の元を訪れて以来、わたしの中で何かが変わってしまった。7月に入ってから3つの投稿をしたが、それらを読んで、わたしはもう文章が書けなくなっていることに気付いた。
何故「まともな」(適当な表現が見つからない)文章が書けなくなってしまったのか、何故これら「7月の投稿」が、過去に書いたものに比べて際立って「まともな文章ではない」と「感じるのか」ということを考えることさえ、最早ひどく物憂く億劫なのだ。
◇◇
● こんな夢を見た。
夢の中でわたしは「自室」にいた。(今の自室ではない)そこに若いころの斉藤由貴が遊びに来ていた。その部屋は六畳~八畳くらいの大きさで、室内はかなり乱雑だった。斉藤由貴とはどうやら昔からの気の置けない友人のようだ。そのほかに、いつの間にか中学時代の友人で、秀才でならした「ゲバちゃん」こと伊藤クンがいて、更には、おとなしそうな、無口な六十代くらいの男性が3人、乱雑な部屋の真ん中に並んで座っていた。
何がきっかけかわからないが、わたしはひとりで、自分はダメな人間だとまくし立てている。なにが「ダメな人間」なのかというと、どうやら「ものを知らない」ということらしい。由貴も、ゲバ夫も、3人のひきこもり当事者の家族も、ただ黙っていた。由貴だけは人の言葉も聞かずに盛んに部屋の中を物色していたようだった。
「ディランのアルバム」を探しているようだったが、わたしはボブ・ディランに関心がないし、彼のアルバムがあるはずがなかった。ところが何故か彼女はレコードの山の中から、わたしの見たことのないディランのアルバムを見つけ出した。しかしわたしはそんなアルバム見たことも聴いたこともない。そのことがきっかけになり、更にわたしの自己への罵倒は激しくなった。
「自分は何にも知らない」ゆえに「無価値な存在である」ということを頻りに言っている。居合わせた5人は相変わらず何も言わない。肯定もしない。否定もしない。ただ、ひきこもり当事者の父親と思われる男性が、わたしを憐れむように、(蔑視の意味ではない)見つめていたのが印象的だった。
おそらくわたしの最大のコンプレックスは、「無智であること」だ。それは例えば
6月の投稿「
断想」に書かれているようなことと言っていい。
わたしは考えることが好きだ。考えることは無智でもできるからだろう。
その証拠に、わたしが考えることは、答えー正解のないことがらについてばかりだ。
「何故生きるのか」「孤独とは何か?」「自殺は悪か?」──「考える」というよりもむしろ「空想」「白日夢」に近いかもしれない。
わたしはそもそも「この世の中に生きる」こと自体に全く熱心ではなかった。勉強が嫌いだったので、家で勉強をした記憶というものがない。ゲバ夫こと伊藤正雄君が、都立日比谷と同レベルの九段高校に行った時に、わたしは、最もランクの低い都立高校にいた。(そのことは結局はわたしにとってよかったのだが)その後彼は慶應大学に進んだ。
わたしは勉強ができないことを恥だと思う感覚を持っていない。また所謂秀才に対する劣等感も感じない。寧ろ「秀才=馬鹿」だとさえ思っている。
わたしの一番苦手で、どうしてもかなわないと思うのは、独自のテイスト、独自のセンス、独自のスタイルを持っている人だ。わたしは学校の勉強に不熱心だったのと同様に、自分の趣味の世界を持ち、それを展げることに対してもまったく関心がなかった。音楽であれ映画であれ漫画であれ、その時周囲ではやっているもので事足りていた。
と同時に、世の中で流行っていることにも関心を持たなかった。ゲバ夫たちと遊んでいたころ、巷では「インベーダーゲーム」というのが爆発的に流行していた。無論ゲバ夫も、そのほかの友達も夢中になっていた。しかしわたしは、2~3回やっただけで飽きてしまった。なにがおもしろいのか?と。
テレビに関しても同様で、ドラマであれコメディーであれアニメーションであれ、流行っている番組を熱心に視たという記憶がない。
わたしの青春時代、中学ー高校ー大学と、わたしがもっとも時間を割いていたのは、学校の勉強でも、趣味の世界に没頭することでも、世の流行を追いかけることでもなく、「寝ること」だった。
実際に付き合ってみればすぐにわかることだが、本当に驚くほど物を知らない。
例えば、変な例だが、「AさんとBさんと、足して2で割れば理想的だよね」などという。「AさんとBさんを足す。」のはわかる、それぞれのいいところが合体するのだから。でもそのあと何故「2で割る」のだろう?
わたしの劣等感の根幹は、自分というものがないことに尽きるのだと思う。
成程、確かに「あれが嫌い」「これが厭」というものはいくらでも挙げることができる。
けれども、これによって世界と、或いは社会のどこかと、或いは誰かと繋がっているというものが、ない。「世界のなかに好きな部分を見つけることができなかった」
「ものぐさ」「ぐうたら」「無精者」と言うことも出来るだろうし、「この世の中にほとんど興味を持てなかった」ということも事実だろう。
● 「愛されざる者」ということに関心を持っている。「神でさえ抱擁することを躊躇う者」とはいかにして生み出されるのか?
「何故わたしは愛されざる者」であるのか?「愛」という言葉が強すぎるなら、何故わたしは人間に好かれないのか?逆に言えば、好かれる人はわたしの持たない「何」を持っているのだろうか?そこまで人をして嫌悪せしめる何をわたしが持っているのか?
「何ら独自のものを持たない自分」と「誰からも好かれない「特別な何か」を持つ自分」
それはどのようにわたしのなかで共存しているのか?
●『ドキュメント ひきこもり -「長期化」と「高年齢化」の実態』池上正樹(2010年)で、引きこもりを主に診る精神科医の言葉として、引きこもる人の共通した特徴として、「傷つけられた万能感」ということを言っていた。つまり自分の万能感が何らかの挫折や失敗により傷つき、そこから立ち直ることが困難になり引きこもる、と。
嘗て、当時「人格障害専門医」として第一人者と言われていた町沢静夫医師はわたしを「自己愛性人格障害で間違いない」と断定した。
本人が出向くことができないため、時々ブログを読んでもらっている主治医は先日の診察室で、わたしのブログを読んだ感想として、「相変わらずナルシスティックで」と・・・
「万能感」「自己愛性人格障害」「ナルシスティック」という一連の言葉と、その主治医自身が驚くほどの自己肯定感の低さの間にどのような屈折した相関関係があるのだろうか?
わたしは自傷行為の代わりに言葉で徹底的に自己を貶める。
魂と人格を否定する。しかしそれはダメな人間をダメな奴と言っているだけであって、厳密には「人格の否定」とか「自己を貶める」ということにはならないのではないか。
わたしはわたしの価値観からすれば「ダメな奴」であり、それを受けとめる度量はわたしにはない。
ではその「わたしの中の」「ダメな奴」の規準というものは何に根拠を置いているのか?
わたしは「勉強ができること」にも「高学歴」にも価値を見出していない。「世俗的な成功」というものをせせら笑う。極端な物知らずだが、博識と言われる人を崇めもしない。
上記に挙げた本と同じ筆者による『大人のひきこもり 本当は「外に出る理由」を探しているひとたち』(2014年)の中で、様々な形の「大人の」引きこもり当事者たちの9割以上の最終的な目標が「(自分に合った)就労」であり、また現在(長期に亘って)働いていないことへの「罪の意識」が多くの当事者及びその家族に共有されていることに関しても、わたしは「働くこと」が大嫌いだし、そもそも自分にできる仕事はないということは、23歳の時に新卒で入社した会社を3か月の試用期間を俟たずして馘になり、35歳で社会から完全に撤退するまで、行く先々で極めて短期間(数日~何週間単位)で馘になり続けてきたことからも明らかだと思っている。だからというわけではないが、「働いていないこと」が「ダメな人間」であるとも思っていない。80年代。バブル全盛の頃だった。
わたしの考える「ダメな奴」の規準はあくまでもわたしの価値観に依るものであって、わたしの外部にその根拠を見出すことはできない。
● わたしは他者から愛された、自分という存在を丸ごと肯定されたという経験がない。
(無論そんな経験を持つ者は圧倒的少数だろうが)
つまりその肯定の裏付けが不在であるがゆえに自分を責め立てるのだろうか?
わたしが丸ごと受け容れられない理由として最も考えられるのは、わたしの極端な二面性だろう。わたしは場合によっては売春も殺人も暴力もテロルも肯定する。
いつものことだが今回も選挙に行くつもりはない。
誰にいれたにせよ、それはわたしの一票をドブに棄てたことになると考えるからだ。
天使を愛する者がいて、悪魔を崇拝する者がいる。しかし天使でもあり悪魔でもある人間を人はどのようにして愛し得るのか?とはいえ、「人間」とはそもそもが天使であり同時に悪魔でもある存在ではなかったのか。
わたしが「ダメな奴」であることと、わたしが「愛されざる者」であることは別々の問題だ。わたしはダメな奴だから愛されないと思ってはいない。わたしが「愛されざる者」であるのはそんな表面的な理由で説明できるとは思わない。