2018年6月11日

繰り返し自問する・・・


倒るれば倒るるままの庭の草 (良寛)

最近は、だんだん自分のことが解らなくなってゆくと同時に、出来ることがどんどん少なくなってゆく。

第一の疑問として、「わたしは(まだ)生きていたいのか?」という大きな問いがある。
このことに関しては以前にも書いたが、少なくない人たちが、「別に積極的に生きていたいとは思わないが、楽に死ねる方法もないので生きている」と答えるだろう。
しかし、そう答える彼らに、働かなくても暮らしてゆけるほどの潤沢な経済力があり、躰にも心にもこれといった病気も無く、健康な状態であっても、なお同じように答えるか?と尋ねたら、答えの比率はどう変化するだろう?

同じ問いをわたし自身に向けてみたとき、(それは現在の鬱状態の渦中での問答になるので、状況が違えば答えも違うのかもしれないが・・・)
少なくとも今、その問いに答えるとすれば、やはり「積極的に生きたいとは思わないが、なかなか楽に死ぬことができない」という同じ科白を繰り返すだろう。

仮にわたし個人が肉体的にも精神的にも健康で、金に余裕があったとしても、
わたしは今この時代、21世紀のデジタル・ワールドにどうしても馴染むことができない。
そして世界は、わたし個人の心身の状態とは全く無関係に動いている。

もし心が健康になるということが、これまで醜いと感じていたものを醜く感じなくなることだとすれば、それはいったいどういう事だろう?
スマートフォンやタブレットを醜いと感じなくなることが健康になった証しだとすれば、わたしは不健康のままでいい。
それらを自由に使いこなせるようになれば、もう完全に「普通の人間」だというなら、わたしは永遠に異形の者で構わない。

つまり他人のことは知らず、わたしに関して言えば、わたしの肉体と精神が単独で健康であるということはあり得ないのだ。

「精神病とは人間関係論である」という。「人間関係」だけでなく、周囲の環境、社会状況との相互作用である。

わたしが生きられるか、生きられないかは、全くわたし個人の健康や経済状態とは無関係な場所で決定される。
極論するなら、わたしが治るのではなく、世界が治ればわたしも快癒するのだ・・・


師岡カリーマは祖国エジプトの作家の言葉を引いてこういう。
「鳥のように自由に飛んでいけたらいいのに……」一度でも閉塞感を味わったことがある人なら誰しも、空を見上げてそう思った経験があるだろう。しかしハキームによればそうではない。飛ぶしか選択肢がない鳥よりも、私たちのほうが自由なのだ。
『私たちの星で』(2017年)
ではいったいわたしたちに、どのような多様な選択肢が与えられているというのか?
自分には様々な選択肢があるのだと感じることができるのは、選ばれた少数だと知るべきだ。(少なくともわたしはアフリカやプリンス・エドワード島に住むことはできない)

外に出られるか?生きることができるか?それはまったく心身の健康状態の問題ではない。
飽くまでもそれは、美意識にかかわる問題なのだ。











2018年6月10日

今日の一枚

 The Bath, Alfred Stevens.

「入浴」(1867年)アルフレッド・スティーヴンス(1817 - 1875)



みなさんリラックスした日曜日を。


2018年6月9日

更にふと思ふ


『たがや』という落語で、夏の花火が盛大に打ち上げられている中、両国橋は大勢の見物客で立錐の余地もなかった。橋のこちらからたがや、向こう側から伴を連れた侍が馬に乗ってやってきた。ただでさえ身動きもとれない中、ふとしたはずみで、輪っかに丸めたたがやの「たが」の留め金が外れて、伸びきった「たが」が、馬上の侍の傘をはじき飛ばした。

「無礼者そこへなおれ!」
平蜘蛛のようにはいつくばって謝っても許してくれない。
今まさに無礼討ちで首をはねられそうになった時、江戸っ子であるたがやは、もはやこれまでと橋の上にどっかと胡坐をかき、ひとしきり侍に悪態をつき、

「さあ、どこから斬る?腕からか?脚からか?首からか?どこを切っても真っ赤な血が流れてなけりゃ取り替えてやらあ!」と啖呵を切る。

何処を切っても真っ赤な血が流れている。そんな文章を書きたいとふと思った。




ふと思ふ、今更思ふ


今更ながら、わたしのブログは糞真面目で面白みがないとつくづく思う。しみじみ思う。
知性はユーモアのセンスにもっともよくあらわれる。

このブログの読者は、いまのところ、3~4人と思われる。
仮に何人だろうと、いったい何が面白くてこんな堅苦しく生硬な文章を読みに来てくれるのだろう。

ブログ村の「メンタルヘルス」のカテゴリーで、おもしろいブログを見つけて早速フォローした。20代の男性で、性的マイノリティだと言っている。
1991年生まれ。30歳以上年下だ。
引きこもりでニートだとも書いていた。

「面白いのでフォローします」とだけ伝えて、こちらのブログのアドレスは記入しなかった。「彼だから」ではない。誰であろうと、いま人様に「こんなブログ書いてます」なんて、とても言える気分じゃない。
顔が火照る。

わたしのピークはやはり2008年だった。今はとてもあんな文章は書けない。とても・・・



ただ、どうしても譲れないのは「言葉遣い」だ。
例えば「~じゃね?」「すご過ぎ!」「ありえない」「後悔(感謝)しかない」といった表現は、生理的なレベルで嫌悪感を感じてしまう。言葉遣いが堅苦しさの一因であるならスクエアーで一向構わない。

言葉遣いに関しては、頑固なまでの保守主義者でありたい。

うつつなきつまみごころの胡蝶哉 

という蕪村の句がある。

花にとまった蝶をそおっと捕まえようとしている。つまむときに力を入れすぎると翅を痛めてしまう。
つまんでいるような、いないような、現のような、夢の中のような・・・
そんな幽かな、繊細な仕草を描写したものだが、
言葉に対して、胸の中の蝶を捉えるようでありたいと思う。
決してぞんざいには扱うまいと思う。それはとりもなおさず自分のこころをぞんざいに扱うことだから。








2018年6月8日

「これが人間か」" If This Is a Man "  


(日付不明)
もうパパとママに言われなくても しっかりと じぶんから
 きょうよりかもっともっと あしたはできるようにするから
もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします
ほんとうにもうおなじことしません ゆるして

(日付不明)
きのうぜんぜんできてなかったこと、これまでまいにちやってきたことをなおす
 これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだから
やめるので もうぜったい、ぜったいやらないからね わかったね ぜったいのぜったいおやくそく
 あしたのあさは きょうみたいにやるんじゃなくて もうあしたはぜったいやるんだぞとおもって いっしょうけんめいやってパパとママにみせるぞというきもちでやるぞ


警視庁捜査一課によると文章は大学ノートに鉛筆で書かれてた。結愛ちゃんは雄大容疑者から平仮名を書く練習をさせられていた。毎朝午前四時ごろに起床しノートに起床時間と体重も書かされていた。

[今年三月父親に殴打され死亡、死亡時の体重12.2キロ。5歳児平均より7キロ減
死因ー低栄養状態に因る肺炎]

六月七日付東京新聞朝刊より引用


「人間であることの恥」" The Shame of Being a man "  ー Primo Levi  

断想(死と言葉)等・・・


昔好きだったミュージシャンのサポート・バンドのメンバーが、2008年に亡くなっていることを知った。You Tubeで、そのミュージシャンのライブの模様を久しぶりに視たら、亡くなったメンバーについてコメントしている人がいて、こんなことが書かれていた。
「地上での死は天国での誕生日」" Happy Birthday in Heaven "

矢川澄子は、たとえ幼くしてその命が病に奪われても、母の手の中で、愛に包まれての死は祝福である、というようなことを書いていた。
矢川はまた、「鬼は外」「福は内」、「お家にこそ福はある」とも書いている。
そとでは汚く乱暴な子供たちがいじめるけれど、お家には分別のある大人がいて、壊れやすいあなたを守ってくれるのだと。

わたしは「お悔み」というものを言えない。
特別親しいわけでもない人の死についてであっても、内心の伴わない口先だけの「お悔み」をどうしても口にすることができない。
まして愛する者や、その死に深い悲しみを感じる場合には、最早わたしのからだの中にはひと摑みの「ことば」も残されてはいない。
嵐のように吹き荒れる悲しみは、わたしの中の言葉という言葉を奪い去って行ったのだ。

死の悲しみに釣り合うような言葉は存在しない。死について言葉を弄することが、死を、そして言葉を軽んじることになる。


わたしがフェイスブックから距離を置くようになったのは今に始まったことではなく、
2011年に始めた当初から出たり入ったりを繰り返している。
昨年の11月から遠ざかっている間接的な、しかし大きな理由の一つは、皆が言葉を使わなくなったことだ。

決定的だったのは、昨年暮れにヨーロッパのどこかで起きたテロで、死傷者が出たとき、わたしの友達のひとりが、横一列にズラリと「泣き顔」の顔文字(というのかマークというのか)が並んでいる投稿にLike(=いいね)を押していたことだった。

最早フェイスブックでは、「カナシイ」という言葉さえ用いずに、泣き顔の絵で代用するまでになっていることに・・・いやそれ以上に、人の死に対するに、顔文字を以て応えるという非礼、鈍感さ冷酷さにショックを受けた。

「悲しい」にとどまらず「ありがとう」でも「やったね!」でも、ひとの気持ちは最早文字で表すよりも「さまざまな顔の記号」で伝える割合の方が多くなっているように見えた。
言葉は、軽んじられ、更には顧みられることすらなくなっていた。

ツイッターではフェイスブックに見られたような顔文字や記号は見たことがない。
しかし140文字という制限の中で「なにがしかものを言う」時、当然そこには思索を深めてゆく広さも深さもない以上、放たれた言葉は、所詮切り売りの、思索の跡を持たず、深化されることのないままに、はらはらと主体から剥離した、発信者としての責任を負うことのない無責任な、アノニムな言葉の断片になる。

文脈とは、思索する主体=「わたし」が思索の対象と共にへ巡ってきた思惟と思考の軌跡である。
俗に「仏つくって魂入れず」という。その魂の抜けた、形だけはそれらしい立像のみが居並んでいるのがツイッターのタイムラインではないのか?


わたしはなにを言いたいのか?

ただ、幼くして親と僭称する者たちに命を絶たれた少女に対して、SNSごときで喋々することを止めよ!ただ黙せ、といいたかったのだ・・・


「親になることはやさしい、けれども親であることは難しい」
ー 山本有三『波』







2018年6月7日

日の名残り


The End of the Day, 1938, Henry APayne (1868 - 1940)

「一日の終わり」ヘンリー・ペイン(1938年)