2019年12月6日
父がいなくなって、自分の中で何かしら感傷というか、後悔のようなもの、そんな感情が芽生えるかと思っていたが、何も感じない。感情がすっかり鈍麻してしまったのか、或いは父のことどころではなく、次は自分だという意識が感傷に浸ることを妨げているのか・・・
先日、「遅くとも来年の3月には弟は戻ってくる」と書いた。3月どころではない。弟は来月にはここに戻りたいと言っているらしい。
部屋が空いた。金はない。還りたい者がいる。これで、何故2月だ3月だなどといっているのか理解できないのは当然かもしれない。
そうなると、あまり時間が無い。無論弟がここに戻ってきて母と暮らすことも、それが来月であっても、わたしに異論はない。ただわたしは、「試してみる」と言ったものの、やはり弟とは暮らせないだろう。それが分かっていて、尚且つ主治医やデイケアのスタッフが反対しても、わたしの気持ちは変わらない。
弟が戻ってくるということは、高い確率で、わたしがここから出てゆくことを意味する。無論行く場所はないし行く場所を探すつもりもない。
急だったので、主治医には今年中に、これが最後の受診になるかもしれないということを、またデイケアも、来られても1月いっぱいになるかもしれないということを伝える必要があるだろう。
何もお暇乞いなどという大袈裟なものではない、主治医には長い間、デイケアには丁度一年間、お世話になりましたとあいさつをするだけだ。
母にできる唯一のことはわたしが我慢をして弟と暮らすこと。
けれども、親不孝なわたしにはそれができそうにない。
生まれてきた罪、そして「わたしという人間である罪」・・・
ふたつさん、Junkoさん、底彦さん。お別れの挨拶もなしに突然消えるかもしれませんので、ここでさようならを言っておきます。
わたしのような者に親切に接してくださったこと、わたしの狂気を真正面から受け止めてくれたこと、いつも変わらぬ誠実なメッセージを頂いたことに心から感謝します。
これが最後ではないかもしれませんが、現状をお伝えしておくとともに、万一の時のためにお礼を認めておきます。
どうもありがとうございました。
武雄
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こんにちは, Takeo さん.
返信削除私にはどうすることもできないのかも知れません.
別の記事で Takeo さんはこのように書いています.
> 「純粋であること」「繊細であること」これはいつの時代も反・社会的態度である。
そうですね. この世界では, 「純粋であること」や「繊細であること」が幾分か侮蔑や嘲笑の対象となることが多いようです. 「反社会的」と書かず「反・社会的」と書いたところに Takeo さんの思慮を感じます.
人によっては「もっと現実を見ないと」とか「もっと強くなろうよ」などの言葉を掛けてくれることもあります. それらの言葉は投げかけられた当人にとっては凶器になり得るかも知れません.
どうして純粋であることや繊細であることが, 現実と向き合っていないとか弱いなどと捉えられてしまうのでしょうか.
私は自らの体験の中で彼らを観察してきました. 私の周りの狭い世界のことだけなので極個人的な印象になります.
彼らの言う現実とは, 大概がお金や地位や肩書きなどの観点で力を持っている者の世界に関わることのようです. 繊細な人はその「現実」から逃げている者を表わすことが多いようで, 彼らの世界の中では敗者と見られるようですね.
私のこの見方は今の自分が居る世界を極端に単純化して言い表わしたものですが, それほど的外れでは無いと思います.
尊敬する知人に自ら死を選んだ人がいます. 芸術を生業とし, 知性に溢れ優しく, 非常に繊細な方でした.
彼の死後, 親族がしたことは遺産の奪い合いと「彼は負けたのだ」という言葉を投げ掛けることでした. 人間とは時にここまで浅ましくなるものだとわかりましたし, これは明らかに間違っていると思ったのです.
そしてそれは私自身にも当て嵌まったのです.
当時の私は生を肯定する哲学を浅薄に表面的にのみ理解しており, その立場から生前の彼との議論 (それはいつも非常に楽しいものでした) の中で彼の生き方に対する姿勢に否定的な発言をしました. 彼は言下に私の言葉を否定しましたが, 少なくともそのような言葉を発してしまったという事実は現在の私の消えない傷となり, 未だにその痛みに苦しんでいます.
これは私の罪です. 贖うことは不可能だと思いますし, 痛みも苦しみも消えることは無いでしょう.
どうしても逃れられません.
つまり, 私も「彼ら」の側の人間だということです. 極めて暗愚な俗物ということで, 実際に私は自身の中に見るに堪えない下劣さがあることを認めています.
そのような人間には, 現在の Takeo さんにかける言葉を持っていません. どのような言葉も Takeo さんを追い込んでしまうでしょう.
Takeo さんは優しい方です. 詩や芸術を愛する豊かな心を持ち, 美しい文章を書く才に恵まれています.
そのような純粋で繊細な方がどうして, 家族という社会の事情に葬られなければならないのでしょうか. 俗に塗れた私にはこのことがよくわかるのです.
せめて文章を書き続けるということはできないのですか. もう疲れ切ってしまわれたのですか.
それならば十分に休んでください. 時間をとって, 休息してください. 十分に.
これは私の悲鳴のようなものです. 読んでいただけないかも知れませんが, 発せずにはいられなかった声です.
まとまりのない文章でごめんなさい.
どうか少しでも平和な時間が Takeo さんに訪れますように.
祈っています.
>これは私の罪です. 贖うことは不可能だと思いますし, 痛みも苦しみも消えることは無いでしょう.
削除どうしても逃れられません.
これは底彦さんの罪ではないと思っています。言ってみれば、人間という(「大方の」という保留をつけた方がいいのかもしれませんが)存在のもつ「原罪」或いは近代以降、我々が国の体制に関わらず、意識的に或いは無意識に涵養し続けてきた「価値観」即ち「幻想」であると。
贖うことのできない罪を持つ者、苦しみ、傷を持つ者こそが真の人間であると思っています。言い換えれば、傷を、苦痛を消してしまうことこそが罪であると。
ただ、傷を抱えつつ、それによって崩壊してほしくはない。痛みと、傷と、共存してほしいと願います。
昔のブログで鴨井玲について書いた記事で引用したジャン・ジュネの言葉を。
◇
美には傷以外の起源はない. どんな人もおのれのうちに保持し保存している傷,
独異な,人によって異なる,隠れた,あるいは眼に見える傷,その人が世界を離れたくなったとき,短い,だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には.だから,この芸術は,悲惨主義と呼ばれるものからは遠い.
ジャコメッティの芸術は,私には,どんな人にも,どんな物にさえあるこの秘密の傷を発見しようとしているように思われる,その傷が,それらの人や物を,光輝かせるように.
ジャン・ジュネ (Jean Genet 1910~1986)
Takeoさん、こんにちは。
返信削除Takeoさんの心境を思うと言葉が出ませんが、それでも何か言わないではいられませんので、なんとか言葉にしてみます。
まず、一番初めに考えられることは、必ず受けられる公共のサービスがあるはずです。
それを、ケース・ワーカーなどのような人に相談することをおススメします。
大切なのは、その際に、Takeoさんの現状を強く訴えて、要求をハッキリさせてから相談することだと思います。
今の社会では、遠慮した人間は排除されて行きます。
裁判のことを考えればよくわかりますが、どんなに凶悪な犯罪を犯した者にも一定の権利が与えられるのが今の社会の仕組みです。
不利な証拠を黙秘しても責められませんが、それを開示すれば、それほどひどいことをしていなくても、あっという間に追い込まれてしまいます。
そういうことを、どんどん、どんどん、極めて行ってしまった状態がいまのTakeoさんの状態ではないでしょうか?
Takeoさん自身は、『いや、そこまでして生きたくないんだ』と言うかも知れませんが、ぼくは、たとえ生きたくなくても、『「社会」に殺されてはいけない!!』と思っています。
『「社会」を踏み倒してから死ぬ』ということならば、わかりますが、いまのTakeoさんの状態は、明らかに「社会」からはじき出されようとしています。
確かに、「Takeoさんの選択したこと」と言う形にはなっていますが、これもまた「現在の社会」の問題であって、本当の意味で熱烈に支持している人などほとんどいないような人たちが国を動かしているというのが現状です。
しかも、それをすべて国民が選択したことにされてしまうような仕組みに成っています。
それが、「大規模社会における多数決」と言うシステムの致命的な欠陥です。
それと同じように、Takeoさんも自分で選択した形に仕立て上げられてしまっていますが、実は、「社会」によってはじき出されようとしているということだと思います。
つまり、「社会」がTakeoさんに与える「役割」として、「はじき出される者」と言う「役割」を押し付けてきているわけです。
ぼくは、これを受け入れることを支持できません。
少なくとも、出来る範囲での抵抗をしてもらいたいと考えます。
以上、今のTakeoさんにとっては、厳しすぎることを言ってしまったかも知れませんが、今の状態を重く捉えたからこその言葉だと思って、ご理解ください。
このブログも、前のブログも、いつも、読んでいますし、また、書きますのでよろしくお願いいたします。
それでは、また。
こんばんは、底彦さん。こんばんは、ふたつさん。
返信削除先ず、おふたりのいつも通りの、上辺の感傷に流されず、さりげなく、しかし力強く寄り添って下さる文章に感謝しています。
「「純情であること」「繊細であること」は、いつだって反・社会的な態度である」
これに関して、以前のように底彦さんとお話をしたいのですが、今の時点ではそれだけの気力も、また思考する力もありません。
あれはフラグメントとして完結してもいいし、またそこから考えを展げていってもいいかなと考えています。
近頃は、つげ義春のマンガや、古い『暮しの手帖』など(わたしが自分でリクエストしたものですが)母に借りてきてもらっていますが、一向にページをめくる気持ちになれません。
お気付きかもしれませんが、タンブラーやアート・ブログへの投稿が増えました。
これはまさしく(底彦さんの絵画と同列に扱うのは失礼ですが)アートへの逃避に他なりません。写真の投稿に関しては、あからさまな過去への逃避です。
絵を、写真を探している時だけは現実を忘れていられるのです。一方で、探し出し、投稿しているものにどれだけ心惹かれているかといえば、自分でもよくわからないというのが本当のところです。「妥協を許さぬ厳しい審美眼!」などという地点に立てば、最早何も投稿できなくなります。「とりあえず逃げたい」そんな気持ちが勝っています。
底彦さんの、亡くなられた友人に対する気持ちの変化、底彦さんの告白にもわたしなりの考えを伝えたいのですが、今書けば、単なるありきたりの文章に堕してしまうでしょう。今はこのことへの言及を控えることが礼儀かと思いますので、ご理解ください。
けれどもただひとことだけ、
>尊敬する知人に自ら死を選んだ人がいます. 芸術を生業とし, 知性に溢れ優しく, 非常に繊細な方でした.
この一行は、何故かわたしの琴線に触れ、また、なにか力づけられた気がしています。
いつもながらのべとつかない、それでいて、心地よい心遣いをありがとうございます。
まったく不十分なお返事ながら、底彦さんの文章を読むことはわたしのよろこびです。
◇◇
ふたつさんの「反・社会的」な発言には、底彦さんの個人的なメッセージ以上に返信が困難です。
今日母が、父の部屋での必要な品を買いに立川に行きました。帰りの電車で、母がドアの脇に立っていると、すぐ後ろの「優先席」から男性の声が聞こえてきました。
「ちゃんと座りたいので、もっと詰めてもらえますか」それから続けて向かい側のシートに座っている人に「すみませんが携帯電話止めてもらえますか」
母は、それを見聞きして、今の時代、こういう人は大変だなぁと感じたと。
きとんと座席に座りたい、スマホをいじっているのを止めてほしい。つまり自分の快適さを求めること。
わたしは母に言いました。「きっとその人心を病んでいるんだね」
母も「うん」
つまりこれは底彦さんへのコメントにもつながりますが、今の時代、きちんと座りたいの、スマホを止めてほしいのという人は「病んだ人」ということになります。わたしがそうであるように。
その人がどういう人か、母にもわかりませんが、そういうことを言わなければならない「外界」に出てゆくこと・・・わたしはそれができないし、したくないので、外に出ないのですが、「病んでいる」「おかしい人」と言われても、わたしはその人をすごいと思います。
これまた余談ですが、「ぼく自身・・・」に書いた辺見庸に関する文章。あれは出版社への手紙ですが、あのメールを送った翌日、最新刊『純粋な幸福』担当であり、辺見庸とはもう10年以上の付き合いの編集者から電話がありました。20分弱話しました。
基本的に「いやな社会と関わりたくない」というわたしと「常日頃けなしている大手マスコミを利用してでも(利用されてでも)、(底彦さんの言葉ではありませんが、自ら泥水を浴びてでも)自分の今の社会批判を、ひとりでも多くの人に読んでもらいたい」というのが、辺見庸の根本的なスタンスだということ。けれども、元が嫌いなものだから、常に内部に葛藤と自己嫌悪があって、ブログを削除したり、講演をキャンセルしたりは昔から日常茶飯事だと。
辺見庸という物書きに最も近い人物の一人である編集者から電話をもらったこと、そのことで、多少は気持ちが鎮まりました ──(つまり普通なら、「あれ」を読んで、「で、結局何が言いたいの?」「どうしろっていうの?」・・・というのが大方予想される反応だから、少なくともわたしの怒り、やりきれなさを「彼」が読み取ってくれたことに「ああ、言葉が通じた」という想いを感じています)
しかしやはり基本的な立場が違う。わたしは、繰り返しますが、「携帯を止めてもらえますか」ともいえないし「内側から社会をぶち壊す」ことも考えない。
編集者は言っていました。「手を汚さずに社会を変えることはできない」と。
エミール・シオランも、プリーモ・レーヴィも、石原吉郎も、名前だけは知っていましたが、読んでみようと思ったのは、全て辺見庸の影響です。
1970年に自死し、その後、遺された日記が『二十歳の原点』として発表された高野悦子さんの日記の中に、「石原吉郎を初めて知った。彼に比べれば吉野弘など、おぼっちゃんだ」という記述があります。
『純粋な幸福』また図書館にリクエストしました。辺見庸が「反社」という位置から今の社会にどのように唾を吐きかけているのか。
結局読まないかもしれませんが・・・
このような「余談」から、何かしら汲み取っていただければ幸いです。いまのわたしには、また、これが精一杯です。
底彦さん同様、いつも自分の価値観を保持しつつ、今のわたしの状態を気遣ったメッセージをありがとうございます。
まとまりませんが、あらためてお二人にお礼を・・・