2019年12月10日
デイケアの担当者と約1時間半話した。結局彼女の結論も主治医と同じ。
弟が生活保護なり現在の家の貯金を使って、近くに家を借りる。
けれどもそれでは何ら本質的な解決にはつながらないし、わたしもそんなことを望んではいない。
わたしが望むのは、そしてただ一つの解決方法は、弟が「ここ」に戻ってくること。
主治医との意見の相違を踏まえての今回の面談だったが、このデイケアの担当者との話し合いを踏まえてまた主治医と話をしても、もう意味が無いように思える。
◇
デイケアに6月から参加している60代くらいの男性がいる。
一体どこが悪いのかと思うくらい見かけもまともだし、話せば理路整然としている。
最初は好感を持っていたが、ディスカッション系のプログラムで顔を合わせる機会が重なるにつれ、彼との相違が目立つようになってきた。
彼は明らかに良くなることを目指している。そのためにデイケアに来ている。無論デイケアの参加者とバンドを組んだというくらいだから、単に医療機関としてのみの利用ではないだろうが、そもそも、その1時間なり2時間なりを生身の人間と言葉を交わし、意見を交換すること、それ自体が目的であって、その先に「よくなる」も「社会復帰」という言葉も存在しないわたしとは明らかにスタンスが異なっている。
彼の中では、「良くなった自分」「元気で健康な自分」と「現代社会」は、当然のように「地続き」なのだ。
けれどもわたしという人間と、外界との間には、なんの繋がりも存在していない。
◇
それにしても、わたしが弟を避ける理由のほぼ半分が彼の喫煙だということは母も主治医も承知しているはずなのに、誰もがそのことに一言も言及しないのはどうしてだろう?
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こんばんは。
返信削除ぼくは、むしろ社会から隔絶していた方が健康に近いんじゃないかと思っています。
これは、社会から離れることで健康に成れるという意味ではなく、社会から離れることこそが健康なことであるという意味です。
基本的に「社会」とは「個人を阻害するもの」であり、「個人を使役するもの」であり、「人間を蝕むもの」であると考えます。
つまり、『こんな社会じゃダメだから、もっといい社会を創っていこう』ということではなくて、『社会の精度や効率が高まって行けば行くほど、人間にとっては生きにくく成る』ということです。
だから、「社会」を、今よりもはるかに弱体化させて、下位に位置付けていく必要があると思うわけです。
要するに「良い社会」を作ってしまうと、「人間」はその「良い社会」によって、より巧妙にこき使われてしまうということです。
でも、現実には、なかなかは現在のコンクリートで固められた社会を弱体化させることは出来ませんから、せめて「社会」から離れていることで、少しマシに成るということです。
「社会」から離れると孤独に成りますが、「部品」としてこき使われるよりはいいでしょう。
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それから、たばこが嫌だということが伝わらないのは、きっとTakeoさんが強く主張していないからではないでしょうか?
スマホも同じだと思いますが、『どうしても耐えられないんだ!』と強く主張すれば、かなりのところまでは理解されると思います。
それでは、また。
こんばんは、ふたつさん。
削除「社会」というものの位置づけや定義にもよるでしょうね。
わたしはデイケアの担当と大田区にいた頃のことを話していて、大好きだった部屋のことや、ひとりで街を歩いていた頃を懐かしく振り返りました。
そして「引きこもり」は決して健康ではないことは、ふたつさんも認めるでしょう。
と同時に、今の社会が病んでいるということも、わたしが自由に外を歩けていた頃よりも明らかに「おかしい」ことも。
こんな社会に疑いを持つことなくただ闇雲に元気になりたい、社会復帰したいと考えることがわたしには理解できず、ついデイケアでも苛立ってしまうのです。
ふたつさんの社会観はもっともだと思いますが、現実にどれだけの人たちが「生き難さ」を感じているのでしょうか?
少なくとも今の時代の生き難さを身にしみて感じている人は、「少数派」と呼ばれるのではないでしょうか?
それともそれは、やはりここでも「日本独特」なのでしょうか?
◇
今日は母と遅くまで話しました。母としては、弟が帰ってくると同時に、突然行き先も定めずに出てゆくのではなくて、わたしがいなくなった後に、弟が、また母と弟の二人だけの生活がどうなるのか?暫く「どこかで「待つ」」ということを望んでいます。
別にわたしは死に急いでいるわけではないので、2週間ほど、どこかに滞在してもいいかなと思っています。でも果たしてそんなことが可能でしょうか・・・
また弟が仮にタバコを止めたとしても、結局何もやることがない日々彼はどうやって毎日を過ごしてゆくのでしょう?
わたしも母も、ただ途方に暮れています。