「話が合う」ってどういうことだ?
「孤独じゃない」ってどういうことだ?
成程ここを訪れてくれている3人は、わたしという人間のかなりの深いところまで知っている。1年間通ったデイケアの利用者、そしてスタッフの誰よりも。
「自殺肯定」「現実否定」「スマホ・タブレット・電子書籍(=語義矛盾)嫌悪」、「アル中、ヤク中、場合によっては殺人者をも肯定するが、名利(金と名誉)に敏い人間が大嫌い」「皆が好きなものは皆が好きという理由によって嫌い」「日本という国が大嫌い」「人類は(わけても日本人は)地球上から消滅すべき」・・・エト・セトラ・・・
これだけでも相当過激な変わり者だが、それをとりあえず受け容れてくれている。
けれどもわたしはあなたたちの顔を知らない。声を聴いたことがない。文字を見たことがない。それは逆さまにして、ふたつさんも底彦さんもJunkoさんも同じこと。
わたしの顔を知らない。わたしがどんな風に話すのかを知らない。どんな文字を書くのかを知らない。淋しい時、怒った時、どんな表情をするのか知らない。
だから「わたしは孤独ではない」ということができない。
それにしてもこの3人以外に上記のような「わたし」という人間を受容してくれる人間が存在し得るだろうか?
そしてみんなは、このアンチ・ソーシャルの権化のような存在を現実に目の当たりにした時にいったい何を感じ何を思うのだろう・・・
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