2018年4月15日

書くこと、生きること


机の前に坐って書くために、立ち上がり、生きることをしない。なんという無駄なことだ。

ー ヘンリー・ダヴィッド・ソロー


生きさせてください。愛させてください。そしてそれを上手に表現させてください。

ー シルヴィア・プラス


書くことは生きること。そして観察することだ。
生きるということは、生の坩堝に飛びこむことであり、逆に観察することは、対象から一歩身を退くことだ。ちょうど絵を観賞するために数歩後ろに下がるように。
世界の内部に生きながら、渦中に埋没せず、消化されてしまわぬこと。

わたしの好きな女流カメラマン、ドロシア・ラングに、

' How To See The World Without A Camera '
「如何にしてカメラ無しで世界を観るか」というタイトルの本がある。
内容を読んだことはないが、いい言葉だと思っている。彼女は大恐慌時代のアメリカの貧しい農村の姿を撮った優れたカメラマンだが、この本もおそらくはかなり古い時代に書かれたものだろう。

いかにしてカメラ無しで世界を観るか?
察するにこの言葉は、当初は彼女の、カメラマンとしての写真論、芸術論を語ったものだったのではないだろうか?
彼女が生きた20世紀半ばまではそれほどカメラが普及していた時代ではなかっただろうから。

けれども21世紀現在。ほとんどすべての人が「カメラ」を携えながら世界中を歩きまわっている。そのような状況の中で、人々は「カメラ無しで世界を観る方法」を見失ってしまっているように見える。

「カメラ」をのぞき、写真を写すこと、けれども最早それは「観察」ではない。「彼ら」は世界とも、そして「カメラ」とも一定の距離を保ってはいない。世界は今やカメラの内側に存在しているかのように彼らは思っている。

観察には、(カメラをも含めた)対象との距離と、批評的な視点が必要だ。生きて、愛すること、そして同時にそれを客観視することが、書くことには必要だ。

現代人は、生きるため、そして書くために、もう一度、いかにしてカメラ無しで世界と向き合うかを学び直さなければならない時期に差し掛かっているようだ。


最後に、書くことは生きることの最適の例として、数年前の雑誌に掲載されていた記事から印象に残ったものを紹介しよう。

書いたのは末盛千枝子さんという編集者。

「アンコール」というタイトルのエッセイで、彼女が出逢った思い出深いコンサートの模様が綴られている。

1971年、仕事で行ったニューヨークのホテルのテレビで偶然見たパブロ・カザルスの92歳の時のコンサートの様子。

「彼は一人真ん中の椅子に座り、チェロを抱えて、「わたしの故郷、カタルーニャの鳥はPeace, Peace!と鳴きながら飛ぶのです」と言って、「鳥の歌」を演奏した。神聖な時間だった。スペイン内乱、そして第二次世界大戦をくぐり抜けた老音楽家からの心をこめたメッセージだと思った」

そして十数年前、ジェシー・ノーマンの来日公演の際、何度もアンコールに応えて出てきてくれた彼女が、ほとんどの観客が帰った後にひとりピアノの前に座り、「アメージング・グレイス」を歌い始めたこと。

「帰りかけていた人たちに、近くに来るように手招きして、舞台の下に集まった20~30人の人たちに一緒に歌おうと言ったのだ。」
「そしてみなうろ覚えの歌詞をジェシーに導かれるように、子供のように一緒に歌った。
" 私には、本当に沢山の過ちや恥ずかしいことがあるのに、こんな幸せを頂けるなんて " という歌だ。みんな泣いた。」

そして彼女が岩手に越した翌年に大震災があった。その年の暮れに、盛岡でモスクワ合唱団の公演があり、いろいろな懐かしいロシア民謡を聴いた後で、アンコールになった。

「きっと日本の歌「故郷」(ふるさと)を歌ってくれるのかなと思って待っていると、彼らは朗々と「浜辺の歌」を歌いだした。津波に奪われて哀しみの詰まった岩手で、いま、「あした浜辺をさまよえば、昔の人ぞしのばるる」という、あの美しく懐かしい歌をである。それを完璧な日本語で3番まで歌ってくれた。それは彼らからの心からのプレゼントだった。」
末盛さんは「アンコール」は演奏者からのプレゼントではないか、と。

蛇足は野暮だが、ふと「玩物喪志」という言葉を思い出した。「物をもてあそび、肝心の心を喪う」という中国の故事だが、彼女の貴重な一期一会の体験を認めたこれらの文章を読んで、ひとがこころを失った世界は生きるに価しないとしみじみ思うのだ。















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