2018年9月29日

秋、感興なし


自治体の行っている無料健康診断は明日まで。
「健康であること」の意味もわからず、また「健康になれるはずもない」身でありながら、天気もいいということもあって、久しぶりに自転車に乗って、行きつけの内科に行ってきた。

秋の空の下、比較的木々の多い公園を抜け、金木犀の香る広場の横を自転車を漕いで医院に向かったが、何の感慨もない。久しぶりに外の空気を浴びたのに。太陽の光の下で金木犀の匂いを感じたのに。わたしのこころはまるで何も感じていないようだった。

検診は20分ほどで終わった。待合室のテレビがニュースを流している。
普段テレビを見ないわたしは、見るともなくぼんやりと眺めていたが、動く画面を見ているのは疲れる。
行きも帰りも同じ道で、わたしの好きな、昭和時代の、最早あまり住人のいない都営住宅の並ぶ道の脇を走ったが、ここでも心の針は幽かに動いた程度だった。

やはりわたしは既に失われた過去と共に立ち去る方がいいのかもしれない。と、健康診断を受けた帰路にそんなことを思っていた。


Danny Kaye - I'll take you dreaming

ダニー・ケイ「アイル・テイク・ユー・ドリーミング」(1955年)

この歌を聴いていると、ジュディー・ガーランドの「虹の彼方へ」'Somewhere over the rainbow' を思い出す。自由に外に出ることもままならないわたしにとって、
「此処ではない何処か」ーSomewhere は、いつも「夢の中」にしかない。













2018年9月28日

手帖より


●これ前に書いたことだが、「本が無ければ世の中は地獄だ」というブコウスキーの言葉を裏返せば、「この世は地獄だ、だから本が必要だ」ということになるだろう。
そして更に敷衍すれば、世の中を憂しとやさしと思わぬ者たちにとって、何故文学や哲学が必要あるのか?という疑問符に行きつく。

エミリー・ディキンソンだったか、アリストテレスであったか、「教養とは富めるときは身の飾り、病めるときは心の避難所」という言葉をのこしている。「身の飾り」を否定はしないが、心身共に健康で壮健な者たちが手慰みに語る文学や哲学・・・それは単に「虚栄」でしかないのではないか。
真に哲学を必要としているのは篤く病める者、深く傷ついた者、悩み多き者たちだ。
健康な者が「嗜好品」として「遊戯」として、「飽食」「美食」として哲学を語ることが、何故かとても不健康なことのように思える。何故なら、彼らは「知」という一片のパンに飢えているようには見えないのだ。


●わたしは自分の読みたいようなブログを書きたいと思う。今書いているようなものは、決して好んで書いているわけではない。本当はもっと映画や音楽、アートや文学について語りたい。そう、10年前、まだ友達がい、自由に外に出られていた頃に書いていたような。・・・けれどもいまのわたしは、このような、日々の悲嘆をぼそぼそと綴ることしかできない。簡単に言えば、「生きるとはどういうことか?」がわからないからだ。


●先日引用した薬師寺天膳のブログ、 混ぜるな!危険!ネガティヴが感染しますに、再び共鳴する。 

9月24日の投稿より引用する

しかしどうしてこんなにも仕事が嫌なのか。
我ながら不思議で仕方ない。
仕事なんてそんなものか。
皆が一様に同じことを思っていて、
その気持ちを休日に切り替えられるか、
できないのか。
その違いだけかもしれない。

俺の休日の睡眠時間はとてつもなく長い。
酷いときは12時間くらい寝ている。
寝ている時だけは幸せ。
正確に表現すると「不幸せではない状態」
要するに起きている時は、
嫌な事しか考える事ができない。
寝ている時は「無」
何も考えていない。

結局のところ「心の病」なんだな、
と痛感させられる。
起きている時に楽しい事を考えたり、
感じることができないのだから。
だから死にたいのだと思う。
考えることをやめたい。放棄したい。
そういう事なのだろう。
本当にこの話はとりとめがなく、
ずっとループしている。
下らない。詰まらない。
(下線Takeo)

世の中にほんとうに仕事が楽しいと思っている人なんて、万にひとりいるかいないかではないのか?およそほとんどの人間は「生きるためだけに生きている」(芥川龍之介)「楽には死ねないから仕方なく生きている」のではないか?
だとすれば、「生まれてきたことが既に敗北なのだ」というエミール・シオランの言葉こそ、正に真実ではないか。

わたしの思いも薬師寺と変わらない。生きていておもしろい事なんて何ひとつない。
けれどもわたしはそれを「心の病」とは考えない。寧ろ、それが人間の本来の姿なのだと思っている。


●わたしや薬師寺が不幸なのは、単に「無智」で「愚か」で「馬鹿者」だからだろうか?
「心の病」また「不幸」とは、畢竟「無智」或いは何らかの「知の欠如」の謂いなのか?
早稲田大学文学部哲学科を卒業し、老舗出版社で編集者として働いていた二階堂奥歯は、25歳で自ら死を選ぶまで、その直前まで、文字通り、「万巻の書」を読んだ。そして自殺した。それは彼女が出会わなかったただ一言ゆえか?読まなかったただ一冊の本の故か?


●「生きるとはどういうことか?」・・・人間は答えのない問いを永遠に抱き続けていられるほど強い存在であるとは思えない。
答えのない問いであっても、誰かに訴えかけずにはいられない。そして人間にその任は勤まらない。だから「神」が必要なのだ。何故なら答えのない問いとは、わたしだけの「秘密」だから。ひとは重大な秘密を、自分一人の胸に、いつまでも隠し続けてはいられない。


●人間は答えのない問いを放棄する権利を持つ。なぜなら人間は答えのない問いを永遠に抱き続けていられるほど強くはない。ところで「答えのない問い」とは他ならぬ自分自身だ。自分自身の実存であり、自身の生の在り方だ。故に彼は時宜により自己であることを放棄する権利を有する。方途は自死から回心まで・・・























2018年9月27日

引きこもり雑考


二階堂奥歯は『八本脚の蝶』の2003年1月8日の日記にこのように書いている。

「新井素子『くますけと私』は優れたぬいぐるみ小説である。破綻した親子関係による社会不適応の少女成美とそのぬいぐるみを描いたこの小説はぬいぐるみホラー、サイコホラーと呼ばれ、確かにぬいぐるみの持つこのような面をあらわしている。
しかし、彼女の違和は社会に向けられたものであり、その違和は状況の変化によって解消しうるものである。また、仮に成美の精神が崩壊しても、成美のいる世界は崩壊しないだろう。彼女は家庭や学校に居場所がないだけで、世界に居場所がないわけではない。
このような状態は確かに深刻なものである。しかし、深遠なものではない。」

探しているのは社会に対する違和感ではなくて、世界に存在することへの違和感を持つ者とぬいぐるみの物語。
世界に対する違和感を感じる主人公はより抽象的な存在だ。それは社会の中の一個人ではなく、世界があらわれでる場としての主体という性格を強く帯びている。
従って主人公が変容するとき世界は変容し、私が崩壊するとき世界は崩壊するのだ。
そのような人物にとってぬいぐるみは極論すれば自我の崩壊と世界の崩壊をくいとめる者、世界守護者とさえ言えるのではないか。
(下線Takeo)



二階堂奥歯は「社会」と「世界」は別のものだと言っている。しかしわたしにはその相違がよくわからない。
「社会」と「世界」はどのように違うのか?この両者について、例えばどのような類比が可能だろう?

わたしは、自分にとっての「外の世界」-「外界」を、「社会」と「世界」とに分けて考えたことはない。また両者を分けて考える必要を感じたことがない。これは社会と世界とは同じものだと言っているのでも、二つを敢えて分ける必要はないと言っているのでもない。単にわたしにはこの相違が解らないだけだ。

彼女が15年前に考察した「社会」と「世界」との相違は、今現在も、明らかに存在しているのだろうか?
ある文化、習慣、生活様式、思考様式を包摂した「社会」に馴染めない者が、まったく別の「社会」で生きることができるという可能性はあるだろう。けれども、仮に世界中どこへいっても均質であるとしたら、社会=全世界ではないだろうか?
またもし、やはりそれぞれに特徴があり、異質であるとしても、現実のレベルでの「移住」「亡命」は誰にでも出来るわけではない。引きこもりを抱えた家庭、或いは引きこもっている本人が、「異なる社会」つまり単純に言えばこの国以外の場所に移住し、そこに根を張って暮らせる比率は1000人にひとり(一所帯)くらいのものではないだろうか?
少なくともわたしは国外へ移住できるような財力も、語学力も、また特別な能力才能も持ち合わせてはいない。更にその新天地がスマートフォンやipadに溢れていないという保証もない。
そしてなによりも、デジタル機器が遍く行き渡っているとすれば、社会と世界の境はとっくに消滅しているはずだ・・・


世界或いは社会とわたしを融和させることができるのは、唯一心を許せる友人の存在だ。
彼 / 彼女は、わたしにとって、鎧にも、楯にもなって、世界からわたしを守護してくれるだろう。
いや・・・わたしには今の時代、わたしにとっての「新世界」というものがどういうものであるのか、まるで見当もつかないのだ。もちろん「そこ」で暮らしている人たちがどういう存在であるのかも。見知らぬ世界である以上、「友人」の概念もおそらくわたしの持つそれとは異なっているのだろう。

今のわたしはさながら1970年代に作られたSF映画『SF / ボディスナッチャー』の登場人物のようだ。

そうであるにしても、わたしは二階堂奥歯の考えた「社会と世界との相違」とはどういうものであるのか知りたいと思う。


ー追記ー

● 一般に、引きこもりに対する「引きこもる理由」についての議論には、「審美観に由来するもの」そして「社会乃至世界に自分が存在していることに対する違和感」という観点が抜け落ちている気がする。


●「引きこもりからの生還」或いは「脱引きこもり」といった表現を見聞きするたび、
彼らはいったい「何処から」ー「何処へ」、「生還」または「脱出」したのかを訝る。
少なくともわたしにとっての「引きこもり」=「外界との不調和」とは、自己が、「わたし」が、この世界に存在していること自体に対する違和感であり、惑乱に他ならない。



この人生は一の病院であり、そこでは各々の病人が、ただ絶えず寝台を代えたいと願っている。
ある者はせめて暖炉の前へ行きたいと思い、ある者は窓の傍へ行けば病気が治ると信じている。
私には、今私が居ない場所に於いて、私が常に幸福であるように思われる。従って移住の問題は、絶えず私が私の魂と討議している、問題の一つである。

「私の魂よ、答えてくれ、憐れな冷たい私の魂よ、リスボンヌに行って住めばどうであろう?
あそこはきっと暖かだから、お前も蜥蜴のように元気を恢復するだろう。あの街は水の滸りにあって、人のいうには、それはすっかり大理石で造られていて、そこの住人たちは、樹木をすっかり抜き棄ててしまうほど、植物を憎んでいるということだ。だからその、光線と鉱物と、それらを映す水とばかりで出来ている風景こそ、お前の趣味にも合うだろう!」

私の魂は答えない

「お前は運動するものを眺めながら休息するのが、それほど好きな性分だから、和蘭へ行ってあの至福の土地に住みたくはないか?美術館でその絵を見てさえ、屡々お前の感嘆したあの国では、恐らくお前の気分も紛れることだろう。林立するマストや家並の下に繋がれた船の好きなお前は、ロッテルダムをどう思う?」

私の魂は黙っている

「バタビアの方がお前の気に入るだろうか?あそこでは、熱帯地方の美と融合した、欧羅巴の精神が見られるだろうが。」

一言も答えない。── 私の魂は死んだのだろうか?

「それではお前は、もはや苦悩の中でしか、楽しみを覚えないほどに鈍麻してしまったのか?もしそうなら、いっそそれでは、死の相似の国に向かって逃げ出そう・・・。憐れな魂よ!私がすべてを準備しよう。トルネオに旅立つべく、我らは行李を纏めよう。そしてなお遠くへ、バルチックの尖端へ赴こう、更になお遠くへ、出来るなら、人生から遠ざかって、我らは極地へ赴こう。
そこでは太陽が、斜めにのみ地上を掠め、緩慢な昼と夜との交替が、変化を減じて、虚無の半身なる単調を増している。そこで我らは、暗黒の永い浴みに涵ることができるだろう。そしてその時、我らを慰める北極光が、地獄の煙火の反映のような、その薔薇色の花束を、時々我らに贈るだろう!」

終いに私の魂が声を放ち、いみじくも私にむかってこう叫んだ、
「どこでもいい、どこでもいい・・・ただ、この世界の外でさえあるならば!」

『巴里の憂鬱』より「この世界の他ならどこへでも」  'Anywhere Out Of The World' C. ボードレール 三好達治訳 新潮文庫











2018年9月26日

再び 心を病むとはどういうことか?


昨今のわたしの心を占めているのは、「心を病む」とは、そして「健康である」とはどういうことか?依然としてこの答えは見つからない。

木村敏でもいい。中井久夫でもいい。或いは市井の無名の知恵者でもいい。
誰かに訊いてみたい。「心を病む」とはどういうことですか?
「健康である」とは・・・



これまで繰り返し書いてきたことだが、わたしにとって「健康である」ということは、わたしという個人の身体に異常がないということではなく、精神(こころ)をも含めた健康とは、「わたしをとりまく環境・世界との「調和」「融和」」に他ならない。
心身と外界が軋轢なく溶け合っている場合には、その融和した状態が意識に上ってくることもないだろう。つまり「健康」とは「健康であることを意識しないでいられる状態である」ということもできる。
逆に言えば、一個の身体の何処にも「病気」がなくとも、彼が外界と友好的に調和できていない場合、その不調和が「心の病」と言われるのではないか。
だからわたしは「健康な囚人」や「戦場での健康」「(動物園の)檻の内での健康」という概念はありえないと思っている。何故なら彼の心は完全なる自由を、その環境によって剥奪されているのだから。
仮に「刑務所」「戦場」「動物園」の中からひとつを選べと言われれば、わたしは戦場を選ぶだろう。おそらく唯一、自死(の自由)が可能な場所であるから。



わたしがより知りたいのは、病んだ心が「癒える」とはどういうことか、ということだ。人が上記のように、自己をとりまく環境と融和し得ず、友好的関係を結べない場合、心が癒えるということはあり得ないはずだ。
無論多くの場合、会社、学校、家庭、その他の不協和音を生じる場所から、融和しうる場へ生活の基盤を変えることによって、「癒える」ことが多いのだろう。
けれども、たとえば自国(自国民)と合わない。時代と合わない。といった場合、いったい何処へ身を移すことが可能だろうか?
過去へ戻ることは言うまでもなく、移住すら容易ではない。



詳しい知識のないままに憶測で言うのだが、わたしは「認知行動療法」というものに懐疑的だ。世界の認識の方法に「正しい認識」と「誤った認識」というものがあるはずがない。もしそうであるなら、ゴッホやターナーの世界を見る視点は明らかに狂っている。
つまり世界はわたしたちが認識する仕方で存在しているのであって、世界という客観的な実体が、わたしの認識とは別個に存在しているわけではない。
けれども同時に、わたしは世界は「穢土」であると考えている。そしてこのような「世界中どこへ行っても東京のようなものだ」という認識乃至思い込みは、まったくの的外れではないにせよ、ひょっとしたらまだ地上には「東京的ではない、日本的ではない」場所があり、文化があり、生活があるのかもしれない。それが必ずしもアラスカやアフリカではなくとも。
それを知ることは無駄なことではないだろう。
わたしを苦しめるのは世界の、人間の同質性であって、異質であること、「いま・ここ」と違うことが、せめてもわたしを慰めるのだ。



わたしは自分を「狂者」だとおもっている。
「狂者」と「こころを病んでいるもの」とは似ているようで違う。
こころを病んだ者は、きっと「修繕」の可能性を持っている。
けれども「狂者」はそれ自身全い実存であって、何らかの欠損の結果ではない。
つまりそれは「壊れてしまった人間」とは異質の存在だ。


 あの老者と、
 また遇いたい。
 遇ったら問いたい。
〈壊れゆく者に惹かれるのはなぜ〉
〈逝く者に憧れるのはなぜ〉
〈失意のために残された活力のみでも
 じゅうぶん生きられるのはなぜ〉
〈狂える者に神を感じるのはなぜ〉
〈まったい正気をこうまで憎むのはなぜ〉
〈いみじき過誤ある者に敬意をおぼえるのはなぜ〉と。
 ー 辺見庸 詩文集『生首』より「夜行列車」(2010年)


わたしは辺見庸に聴きたい、
あなたは、ふたりの「親友」をこの2年のうちに亡くしたはずだ。
ひとりは約40年に及ぶ確定死刑囚としての獄中生活の末の拘置所内での病死。
そしてもう一人はあなたが最も忌むはずの死刑という形で。
彼らのいない世界に、なぜまだ生きられるのか?
なぜあなたは憤死しないのか。
なぜあなたは愧死しないのか。
なぜ書けるのか?
なぜクスとでも笑えるのか?
それは彼らに対してではなく、あなた自身に対する背信行為ではないのか?
いったいあなたは何を、或いは誰を喪った時に真に狂い、死するのか?

「喪失後の世界」になぜ、あなたは生き永らえることができるのか?

わたしの苦しみはすべてそこにある。
失った友人。
失った風景。
それゆえ失った自分自身・・・

Everytime we say goodbye I die a little...

「さようならを言うたびにわたしのなかで何かが少しづつ死んでゆく。」

古いラブソングの歌詞だが、この言葉のみを取り上げれば、何かを喪うたびにわたしは少しづつ死に近づいてゆく。あなたの散文詩(?)のタイトルを借りれば、「解体」されてゆく。

俗に「親亡き後」などという話題を時々目にする。
わたしは「親亡き後」のことを考えたことはない。

世界に唯一人の味方もなく、どうして生きて行けるのか?
「味方」とは「友人」「親友」以上の存在だ。つまりわたしを力強く抱きしめてくれる存在のことだ。

わたしはいつも「親亡き後」ということばを聞くたびに、
いったい彼らには尚生きるに価する何があるのかと訝る。
それほどまでに彼らは「味方」に恵まれているのか、と。


いまについても明日についてもおのれについても問わないことは幸せである。
なにも問わずに、答えのない問いごと、この身体と心を溶暗すべき時が来た。
まず、両の義眼をぽろりぽろりと外そう。耳もどき、鼻もどきもべりべり剥がしてしまえ。声もどきも棄ててしまえ。おまえは全体として一個の窩(くぼみ)になれ。失われた五体を追憶するだけの幻影躰となれ。そして、闇に溶けろ。闇の〈だま〉となれ。やがて、より昏い闇のとしておのれを完成せよ。
ー 同上『生首』より「解体」
      「解体」- Everytime we say goodbye I die a little...  


 












2018年9月24日

きみに夢中さ

パリ、1953年 エド・ヴァン・デル・エルスケン




パリ、1953年 エド・ヴァン・デル・エルスケン


I've got a crush on you - Stacey Kent
「アイヴ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー」(君に夢中さ)
ステーシー・ケント


2018年9月23日

或る哲学的告白


昨年暮れからフォローしているブログがある。「ブログ村」では『ダメ人間』のカテゴリーに自らを置いている。

今日は久しぶりに「哲学的」「思索的」な内容で、大いに共感するところがあったので、
以下に全文を引用する。

混ぜるな!危険!ネガティヴが感染しますより

「浮世離れ」

平成2018年9月22日(土)
ブログがどんどん凡庸でありきたりな内容へと
変化してしまったことに気づく。

俺は嫌いだった。
世間の話題に合わせて下らないブログを書くことが
何よりも嫌いな筈だった。

そういった意味では仕事をしていない時に
書いたブログの内容の方が今より刺激的で、
良い意味なのか悪い意味なのか分からないが
尖っていたように思える。

無職のころは世の中と強制的に引き離され
いわゆる「孤独」で、世間の流行とか
話題となってることから、大きく遠ざかり、
自身の世界が全てであった。
自身の世界は世間一般のそれと
著しく乖離しており、自身の考えこそが解となるため、
その全ての文章が浮世離れしていたと思う。

しかしいくら障害者枠だからと言っても
「働いている」今の状況では、
世間に合わせざるを得ないといったところか。

どれだけ俺自身が本来「狂気の沙汰」のような
人間であるといっても、
会社に行けばそれなりに猫を被る。
そして世間とか一般とか常識とかいう安い毒が
全身に巡り、脳にまで達し、下らない思考を生み出す。

実に詰まらない。
自分の書いている文章を読み返し
「何と陳腐な内容か」とガッカリする。
文章力がなくても、頭が悪くても、
「自身の世界」は少なからず「独特」だったと思う。
今のこんなありきたりのブログに何の意味があるのか。

休日に独りでいると、我に返る。
即ち、会社にいる俺は全て演じられた自分。
呼ばれれば「はい」と返事をするし、
多少、上司と揉めたりしても、
所詮は「常識の範疇」程度。
本来の俺は常識から逸脱した「狂人」なのだから。




一読、「う~ん」と唸ってしまった。これだけの内容のある投稿には滅多にお目にかかることはない。
わたしにしても、このブログの筆者である薬師寺天膳にしても、屡々自分自身を「狂人」或いは「キチガイ」と呼ぶけれども、それは決して卑屈になっているわけではなく、寧ろ「狂(たぶ)れ人」であることに矜持を抱いている。

彼は今日、ふと「正気」に戻ったのだ、「『狂者』である自己」という本来の自分に。
連休が明ければ彼もまた否応なく「一般人」「正常者」に戻らなければならない。
そう。「喰っていく」ためには「正常」であることを、すくなくともそのように「装う」ことを余儀なくされる。
「狂人」即ち「表現者」であることは許されない。

束の間ではあっても真っ当な人間ー狂者に戻った表現者薬師寺。
この投稿に拍手を送る。















2018年9月22日

嫌なものは嫌


昨年のこと。ふだんあまり出慣れないので、電車で二駅のクリニックに行くのに、余裕をもって出かけたつもりがぎりぎりだった。
駅に着いた時には、すでに予約時間の5分前だった。クリニックは駅から歩いて10分から15分。ちょっと遅れそうだ。
わたしは「今駅ですが、10分ほど遅れるかもしれません」という電話をクリニックに入れたかった。しかし電話が何処にも見当たらない。以前は駅前に2台ほど電話ボックスッがあったはずだが・・・

結局「10分ほど遅れます」ということを伝えるための電話を探すのに15分もかかってしまった。
こういう理不尽で、不条理な世界に生きることが、たまらなく嫌なのだ。

こうして現代人は疑うこともなく、導かれるままに隘路に入り込んでゆく。
そして隘路のアナロジーとして真っ先に思い浮かぶのはベルトコンベアーだ。

なるほどわたしの「抵抗」など所詮は徒労に過ぎない。しかし徒労と知りつつ、拘ることが、わたしには必要なのだ。

携帯電話やスマートフォンを持つ持たないに、いったいどこのだれが気が狂うほどにこだわるだろう。そんなことにいったいだれが命をかけるだろう。
しかしわたしはそうありたいのだ。真実や誇り、虚栄や意地のためではなく、ただ己一個の美意識のために・・・

徒労に賭さずして、なんのわたしの人生か。