2021年4月10日

F2C 青梗菜ブログ記事内容への説明要求1

 一昨日夜、F2Cブログに対し、以下のURL部分の書き込みについて、「削除」でも「謝罪」でもなく、
そこに書かれている文章の意味をわたしに対し説明してくれるように依頼した。
 
削除など考えてもいない。それは、あったことをなかったことにすることに他ならない。
つまり死刑制度と同様、その行為(この場合発言)の背景に何があったのかを知ることが最重要と考える。誰にとって?それが殺人などの場合には遺族にとって。犯行を犯した者にとって。そして社会にとって。この場合はわたしにとって。であるから、問題発言があると、先ず、その言葉によって不快にさせられた者、傷つけられた者に、何を望んでいるかを尋ねるのではなく。削除という選択肢しかないというところが、一事が万事であることだなあと改めて感じた。
 
「謝罪」を求めないのは、日本の社会は、説明ではなく、謝罪して、事を収めようとする傾向があるからだ。
「言った事を取り消す」のでも「書いたことを削除する」のでもなく、「丁寧に発言の内容と意図を説明する」ことが、 なによりも優先されるべきだと考える。それは口先だけの「しゃざい」或いは反吐の出そうな「土下座」などよりも、もっとも誠実な対応だと思うからだ。


先ず説明要請Ⅰ

 
 

この前私の質問が引用されたから、
何を書いても青梗菜さんに迷惑かけそうで、
何も書けないでいました。

青梗菜さん、コメント常連の皆さん、
迷惑かけてごめんなさい。

彼の人は「困っている」かもしれないけれど、
周りが変わればいい、という考えが優先なので、
親身にしても解決しないどころか、
こちらが悪者になってしまいます。

環境が変化していくのは誰の責任でもない。
生物はみんな環境変化に主体的にそれぞれの形で
変容していくものであり、
それをしないと決めるのも自己責任と思います。

スマホはただ都合がいいからやり玉にあがっているだけで、
それを審美的だとか言ってるうちは主体変容や
みせかけの「困り感」は解消見込めないでしょう。

ミュンヒハウゼン症候群と同じで、
「困っている」ことが彼の人の存在に必要なことですから、
どうあっても手放さないと思います。

困って雪隠詰めになってまたは自主的に
隠遁生活で満足してくれたらいいけれど、
「自己愛」があるから幼稚な承認欲求を
満たすために、これからもいろんな人にネット上で
ふっかけては揉め事起こすでしょう。

絶対に彼の人の求める人には出会えないし
抱擁も望めないでしょう。
(一部にはいるのかもしれませんから完全否定は
できません。でもそれで満足しない、
もっと違う人がほしいのです。)

前に青梗菜さんとも意見が一致したけれど、
人はたくさんの人からもらった材料でできてるわけですから、
全く似てる人と出会ってその人から統合してもらう
ことを目指すのは不合理です。
だから彼の人の主張(その他の理由を含む)は
一見「理由」のようで、ただの「逃避」です。

知らずと関わった人は不幸です。
特に彼の人の嫉妬の対象になった人はいい迷惑です。

この種の人間との遭遇を一度経験すると
他の自己愛にはひっかかりにくくなりますが、
それでも心に負う傷は深いです。

でも彼の人(達)は詫びたり改めたりすることは
ないでしょう。

彼の人(達)からは反面教師として、
・他人や社会のせいにしない
・各人可能な限り「主体変容」が必要である
ということが大切であると学べはしましたが、
やりとりが不能かつ不毛なことは残念です。 

 

○説明を求める箇所。

「周りが変わればいい、という考えが優先なので、
親身にしても解決しないどころか、
こちらが悪者になってしまいます。」

確かにわたしは、自己を合わない既成の環境に合わせることは出来ません。
それにご存知でしょうが、昨年、まだ、トランプ政権の頃、ニューヨーク・タイムス紙は、日本をトランプ支配下のアメリカ、中国、ロシア・・・などと並ぶ「独裁国家」と規定しました。
ソースは(東京新聞です)
そんな国に対して、周りが変わればいいと考え、感じることはそれほど不自然ですか?
 
「親身にしても解決しないどころか、 こちらが悪者になってしまいます。」
 
これは何を意味していますか?誰がわたしに親身にして、その結果悪者にされたのでしょう。
具体的にお答えを。
 
「環境が変化していくのは誰の責任でもない。
生物はみんな環境変化に主体的にそれぞれの形で
変容していくものであり、
それをしないと決めるのも自己責任と思います。」 

ここで使われている「環境の変化」とはどのような「変化」でしょうか?
太古に恐竜が絶滅したような地球環境の変化のことでしょうか?
それとも、20世紀以降、今に至るまで続けられている、「人類による」「地球環境の破壊・汚染」の意味でしょうか?後者の場合は責任は人類にあります。その犠牲となって多くの生物がこの地球上から消え去りました。或いは、所謂「IT革命」のような文明化を言うのでしょうか?誰の責任でもない?スマホは突然地球上に誕生した生物ですか?だとしたら、誰のせいでもないといえるでしょう。けれども、あれは、巨大企業が開発製造したものです。それが自然のものでない限り、何を生産製造しようとも、そこには、作り手の、生産者の、開発者の責任が伴います。
2030年代には、地球環境の急激な変化によって、人類にとって(ということは無論他の生物にとっても)
かなり過酷な生存環境になるだろうという予想も出ています(ソースは辺見庸の著作)
それでも、生物は、やはり「主体的に」「それぞれの生存のための変容を遂げてゆく(ゆける)」とお考えでしょうか?この120年の間に地球から消えた動植物たちも、その絶滅は「自己責任」であったと?
数十年後、アザラシや北極グマがいなくなることがあっても、それもまた「自己責任」であると・・・・
 
③「スマホはただ都合がいいからやり玉にあがっているだけで、
それを審美的だとか言ってるうちは主体変容やみせかけの「困り感」は解消見込めないでしょう。 
 
わたしはスマホを嫌っています、それが都合がいいとは、どのような意味でしょうか? スマホを攻撃することで得られるメリットとはなんでしょう?
あなたは、何かを醜いと感じたことはありませんか?
人それぞれ、美醜の規準が違う。スマホを醜いと思う美意識が偽物であるという、なにか確信でもお持ちですか?
この二行の説明を要請します。

「ミュンヒハウゼン症候群と同じで、「困っている」ことが彼の人の存在に必要なことですから、
どうあっても手放さないと思います。 
 
何故「困っていることがわたしの存在の基盤」になるのでしょうか?何を以ってあなたはそう言い切ることが出来るのでしょうか。
 
「どうあっても手放さないと思います。」という確信的発言とともに説明を求めます。
 
 
2へ続く
 
 





メプさんへ、コメントありがとうございました。

こんばんは、メプさん。

いただいたコメントへのお返事を8割方書いてから、ふと手が止まりました。メプさんは他の人の介入を好んでおられない。けれども、わたしが返信を書くと、どうしても、いつものわたしの文章になってしまう。それについて読者がコメント欄で反論を述べることは一向に構わないのですが、そこにいるメプさんにもいやな思いをさせてしまう。

そう思い、あまり意味はないと知りながら、返信を独立した投稿にしました。
 
メプさんのあのような穏やかなコメントに対してさえ、やっぱりいつもの口調いつものわたしになってしまう。器用に使い分けが出来ない。仕方ないですね。メプさんがとばっちりを受けないようにという浅慮の上の苦肉の策です。どうかご寛恕ください。
 
 

>武雄では、真っ先に何処かの市。武雄市(笑)、、、って、どこだ!?

武雄市は、昔日本地図を見ていて見つけました。確か大分(?)だったかな?

「確か大分(?)だったかな?」って、こういう場所でのやり取りではちょっとヘンじゃありませんか?だって、「武雄市」という部分をドラッグして、マウスを右クリックすれば、もう隣のタブにはグーグルで「武雄市」の検索結果が表示されているはずです。でもそれをしたくないんです。所謂ファスト・カルチャー、或いはジャンク・カルチャーというものに馴染みたくないのです。ですからわたしのブログは間違い勘違いが多いはずです。わたしの主観的な言葉以外、ほとんど記憶だけを頼りに書いていますから。

メプさん、最近思うのです。幼児と、80代以上の高齢者以外ほとんどがスマホを持っている時代に於いて、「無知である」とはどういうことか?

武雄市が何県にあるか定かじゃない。けれども、10秒もしないで、検索で「答え」が出るのです。
「無知とは何か?」を問うことは、同時に「知とは何か?」を問うことでもあります。

知らなかったことがわかったときの喜びって、今でもあるのでしょうか?
知る喜びを伴わない知(知識)ってなんでしょう?



>画像検索すると、福田前総理が居る。そっか、、、フクダタケオ、だ(笑)。

三角大福と呼ばれていた頃の福田元総理ですね、タケオという字は書けないけど。
あの頃は派閥なんて言葉が日常的に使われていました。福田派、大平派、田中派・・・

楽天ブログにはコメントの承認設定なんてあったのかな(笑)
あれは最後の頃にレイアウトを変えたのです。もう少しクールにしたいと思って(笑)
あの表紙(?)の写真は1920年代のフランクフルトです。タイトルもずっとoooOOOOOps (ウープス!)=おおっと!だったのですが、新たなタイトルを思いつかず、タンブラーから流用しました。「過去とともに生きる男」・・・やはりわたしにはこれです(苦笑)



>それと確かに、ブログや公開コメントは、誰が見るか解らないわけで、
それはブログの長所でもあり、すごく怖いところ、、、。

確かにその通りで、以前書いたように、「ブログ村」のメンタルヘルスのカテゴリーにいて、コメント欄を公にしている人は決して多くはありません。

わたしは誰も傷つけないなんて、誰も言えません。誰もね。人を傷つけずに生きるためには、ただひとりだけで生きるしかないと思っています。わたしの言葉が、メプさんを、母を傷つけているはずがないなんて、決していえません。それは繰り返しますが、わたしに限ったことではありません。だから、つい忘れてしまいがちなその「事実」、即ち、わたしたちは誰もが不完全な存在であるということを時々思い出せればと思うのです。そしてわたしはただ傷つけられるだけで傷つける能力のない人たちに惹かれるのです。
幼児、高齢者、障害を持った方たち、絶望した者、死を想う者、深く傷つけられた者、老いたホームレス・・・

一方で、心を病んだ人たちの自己譴責自己呵責を見るにつけ、わたしの中に、割り切れない思いがわだかまるのです。人間である以上、病みます。人間である以上、倒れます、転びます。
そのことを悪びれる必要などないのです。 そして、彼らの自己責任論。病のあるなしにかかわらず、もっともっと、ご自分の代わりに社会を、時代を、政治を糾弾し罵倒すべきなのだと常々思っています。
社会は無謬・・・といわぬまでも、基本的に正しく、誰もがそれに従順であるべきで、そこから零れ落ちた者はあたかも罪を犯したように己を責め、周囲の無理解にさらされるという異常な社会。そこにある躓くことは(社会にとって)悪いことである、そして悪いのは穴に落ちた者であるという、いわば自虐意識を共有している「自己責任論」なる21世紀の先陣訓への盲従は、しばしばわたしを苛立たせます。
「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなわたしのせいなのよ」という自己責任論は為政者にとって、すこぶる好都合です。
 
 
>【私】=本当の核心は、或る程度やんわり・オブラートに包むとか、
行間に込める程度に留まる場合も多々でしょう。

それは主に悲しみですね。わたしは怒りや憎しみはオブラートに包んで、ということが出来ません。

>Takeoさんがブログの中でも仰っている通り、
ご自身の書きたい事を、書きたい様に、書きたい時に書くのが、やはり一番と思います。
 
よくもわるくもそうしています、だからこれだけ人気(ひとけ)がないのです(苦笑)でもメプさん。これがわたしなのです。
 
 
>とにかくお身体無理せず、
お母さまも含め、くれぐれもご自愛下さい。

それと、普通の桜は葉桜になってしまいましたが、
八重桜って言うのかしら、、、毬みたいに沢山の花が咲く桜は、
今がキレイです(昨日は、キレイでした)。

では、、、。

          メプ
 
 
ありがとうございます。
 
物理的に離れたせいか、母とはうまくやっています。 

八重桜は結局見ませんでした。毬みたいというとずいぶん大きなものを想像してしまいます。メロンのような。

わたしはいつも八重桜ではなく、いがいがの栗の実のようですね。

良い週末を送られますよう。
 
コメントをありがとうございました。

TAkEo







2021年4月9日

生涯に亘る手ほどき、尾崎放哉と荻原井泉水

 
放哉の「青空」の二句を冒頭に引用しようとしたが、手許に付箋がないので、何処へいったかわからなくなってしまった。
 
わたしは尾崎放哉の句に勝る風景画はないと思っている。
 
以下、『放哉全集 第一巻 句集』(2001年)の「月報Ⅰ」に寄せられた、俳人黒田杏子氏の
「拈華微笑──放哉と井泉水」から後半部分を、少し長いが引用する。
 
 
◇ 

明治十八年に生まれ、大正十五年に没したわずか四十一年の人生を、この作家は人の世の塵にまみれず、不必要な熟成を遂げず、生まれ出ずる時に獲得してきたままの感受性を以って歩みとおし、傷つき果てたが、井泉水という兄事するに足る師匠を得て、誰よりもよく、その魂のかたちを俳句という一行の詩形に深く勁く彫り遺すことに成功したのである。
 
五年ほど前、私は勤務先の机上に拡げた東京新聞のカラー写真とその報道記事にとび上がった。その切抜きが手許にいま無いので、正確さを欠くが、荻原井泉水氏の鎌倉の物置小屋から「放哉句稿」と表書きされた複数の紙袋ががっしりと麻紐で括られて出てきた。井泉水氏が昭和五十一年に九十一歳で没して以後、一切手を触れられることなく小屋の解体まで置かれていたままであったとある。そして放哉の投稿句への選の跡と、添削の跡が写真で示され、放哉秀句誕生のドラマが生々しく示されていた。
 
放哉と井泉水の友情にかねがね深い敬意を抱いていた私は心の中でその記事に合掌していた。
放哉の句が読み返すたび、私たちの心身に沁み、背骨の歪みを正してくれる凛烈真清水のごとき一行のマントラとして立ち上がってくるその背景に、兄であり、師である井泉水が佇っていた。二人の絆の証が火事にも風水害にも遭わず納屋の土間で来るべき刻を寂かに待っていたという事実を眼前にして涙があふれてとまらない。
 
 壁の新聞の女はいつも泣いて居る
この原句は
 いつも泣いて居る女の絵が気になる壁の新聞
老師ともいうべき井泉水の手が加わって私達の魂を震撼させる一行となった。
(略)
類稀な資質を持つ友人の人生を慈父のように見守り、見診た(ママ)巨匠は放哉の投句を選別し、捨てるべきものを捨て、生かすべきもの、この世に遺すべきものものには惜しみなく手を加えた。
 
句を投じ、添削を含めた選句を受けるという、世界に例のない創造の過程を内包する地球上での最短詩形である俳句は、選者と、投句者との限りない信頼関係つまり愛の上にのみ真の成立を見る。孤立者としての連帯。
 
尾崎放哉と荻原井泉水はこの世で得られる最も豊穣で、好奇な時間を共有し、一行の秀句を共同の果実として手にし、拈華微笑の時間を体験し、無限の未来に向けて共のに生きつづけるのである。

    (引用文中、行分け・太字・下線Takeo)

 

 
 
わたしは所謂短詩=和歌、俳句、川柳、都々逸、短歌は好きだが、俳句というものが、基本的には、師弟関係に基づき、共同で、作るあげるものとは迂闊にも知らなかった。
 
そしてこの場合荻原井泉水なくして、尾崎放哉なしといえるのではないか?無論井泉水にもまた師がいた。それが延々と遡ってゆく、
 
映画、演劇、落語、スポーツ全般、これらに、優秀なコーチ、師は不可欠である。その人物の潜在的な可能性を見抜き、それを開花させるのが、良き師である。映画に関しても、落語に関しても、才能あふれる監督、或いは師匠なくして、名優も、名人も生まれない。
 
けれども、俳諧が仮に「詩」に属するものであるなら、何より重んじなければならないのは、独自性、個性ではないだろうか?
 
では「上手さ」とは何か?
ゴッホより、セザンヌより、絵の上手い画家は同時代にもたくさん居たはずである、(例えば、今でも抜群の人気を誇る美の巨匠ウィリアム・ブーグローなど)
 
放哉は井泉水に何を求め何を託したのだろう。
自作をよりよくしてもらうことだろうか?
しかし上記の句のように、井泉水が手を入れることによって、もとの放哉の句が見違えるほど「良く」成ったとしても、それは最早、尾崎放哉の句ではない。
 
ビートルズを例にとれば、彼らのほとんどの曲のクレジットは、レノン・アンド・マッカートニーである。
ストーンズであれば、キース・アンド・ジャガーだ。
加えて、ビートルズには、ジョージ・マーティンという名プロデューサーがいた。
けれども、そのことによって、彼らの評価が下がることはない。
 
しかし一方、絵画であれ、小説であれ、詩であれ、それらは基本的には、孤独な営みである。
 
映画とも、落語とも、スポーツとも、レコード化される音楽とも同じではない。つまりそれはあくまでも、その人個人の一度限りの世界(観)を描いたものだからだ。そこに他人が口を挟む余地はない。
友情は友情。思索(詩作)は思索(詩作)。ひとりの人間の生における位置が違うのだ。
 
繰り返す。「駄句」と「秀句」を分けるものは何か?
そして「何故駄句ではいけないのか?」
 
わたしは天才崇拝論者ではない。天才であれ、わたしのような愚者乃至狂者であれ、何より重んじるべきなのは、自分自身の言葉で語ること。私が私であることだ。極論すれば私の言葉が誰にも通じなくとも。誤解され、軽んじられても、である・・・

わたしにはこの黒田某氏が絶賛して已まない放哉ー井泉水の関係がわからない。
 
ただひとつわかったことは、俳句は、「短詩」とはいい条、決して「詩」ではないということだ。
 
詩ではない・・・黒田氏は同じ文章の中で、「彼の俳句は純無垢の私小説である。人はこれほどまでに私を仮借なく表現できない」と評している。「共同作業による仮借のない私小説」という、黒田氏の解説に含まれる矛盾を、いったいどのように解釈したらよいのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2021年4月8日

どうしても考えてしまう。いったいぼくは何処へ向かっているのだろうかと・・・(Tom Paxton with Nanci Griffith)







I Can't Help but Wonder Where I'm Bound 
 
どうしても考えてしまう。いったいぼくは何処へ向かっているのだろうかと・・・
 
*
 
アメリカを代表するフォークシンガー、トム・パクストンの代表作のひとつです。
後に、ナンシー・グリフィスがグラミー賞を受賞したアルバム「アザー・ヴォイセズ・アザー・ルームス」'Other Voices Other Rooms'を発表した時、ナンシーは彼女が過去に影響を受けたシンガー、ソングライターたちの曲のカヴァーだけでアルバムを作りました。

タウンズ・ヴァン・ザント、先日亡くなったジョン・プレイン、ピート・シーガー、ジェリー・ジェフ・ウォーカー、ケイト・ウルフ・そしてディラン、などなど。
 
最近はディオンの70年代初頭のフォークソングを聞いていますが、個人的には、トムのこの歌はディオンのカヴァーが好みです。ディオンはオリジナル曲にも才能を発揮していますが、この曲やジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」'Both sides now' 或いはビートルズの「レット・イット・ビー」などのカヴァーも見事にディオンテイストに仕上がっています。
 
ディオン・アンド・ザ・ベルモンツという、所謂ホワイト・ドゥー・ワップのティーン・アイドルだったシンガーで、後に見事に変貌を遂げたという人を寡聞にしてあまり聞きません。
 
ところでナンシーは、コンサートのときに、必ず'LBJ'と記されたバッジをつけています。自らを 「レフト・サイド」"I've been walking on the left side of the road"と称する彼女、Lindon.B. Johnson はほんとうに「レフトサイド」だったのかと、彼=LBJについて調べもしないで、未だに不思議に思っています。なにしろ、パソコンで、知識を仕入れるということをひどく嫌うもので・・・
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


2021年4月7日

『死刑台のエレベーター』(1958年) 或いはヨーロッパにまだ死刑制度があったころ。そして、「あなたはいま何処にいるの?」という呟きが、映画の中で使われていた頃・・・

 久し振りにルイ・マル監督25歳の時に作られたデビュー作『死刑台のエレベーター』を観た。1959年の作品である。と、いうのも、先に投稿した「人間、この愚かなる生き物」のなかで、

詳しく思い出せないが、ルイ・マル監督のデビュー作『死刑台のエレベーター』では、いつ核戦争が起こるかわからない時代に生きる不安によって、自暴自棄になったカップルの言動が、話の流れの大きな転機となっていたと記憶している。
 
と書いたが、どうも記憶が曖昧なのでそれを確かめるためと、わたしが、ルイ・マル、そしてモーリス・ロネがすきだという理由もあった。
 
結論から言うと、上に書いたわたしの記憶は間違っていた。
 
 
わたしは映画でも本でも、あらすじを説明するというのが苦手なのだが、久し振りにこの映画のストーリーをエンディングまで書いてみようと思う。傑作とまではいかずとも、「名作」であることは間違いないので、これから観てみようかと考えておられる方がいらっしゃったら、その点ご了承の上お読みください。
 
 
 
 
若く、ハンサムで、仕事も有能な男、(名をジュリアンという)が、自分のボスであり、武器商人である社長、即ち、「彼の恋人の夫」を殺害した。ジュリアン自身もみなから「大尉」と呼ばれる、戦場での落下傘部隊の将校であった。戦争といっても、ナチとの戦争ではなく、アルジェリア、インドシナでのことである。
武器商人で大金持ちの社長、そして戦争の階級で呼ばれ、社長にも信頼されているジュリアン。
ここには、反戦・厭戦の要素は見当たらない。
もっともわたしはフランスとアルジェリア、そして、インドシナとの戦いを、その経緯も背景も知らないのだが。
殺しは成功した、ジュリアンは、今目の前で、自殺を装って殺害された男の妻と30分後にカフェで待ち合わせをしている。社の前に停めてある車に乗り込み、証拠品一切を、ダッシュボードに詰め込み、ふと、会社の自分のオフィスの窓を見ると、真上にある社長室に忍び込むためのロープが垂れ下がっている。急いで、車からオフィスに戻るジュリアン。
運悪く、彼の車は人目を引く高級車である。ジュリアンが、よく夫人に花を贈るために立ち寄る花屋の目の前に彼は車を停めていた。そこには、花屋の娘の恋人が来ていて、無軌道な若者は、彼女が止めるのも聞かず、彼の車で、ドライブに走り出す、無論花屋の娘も一緒に。
 
時間は既に夕刻である。大きな社屋には今は誰も残ってはいない、オフィスに向かうために、エレベーターの中にいるジュリアン以外。
警備員が来て、エレベーターの電源が落とされる。突然停止するエレベーター。彼は暗い箱の中にひとり閉じ込められる。
 
最低でも十階くらいはあるビルである。彼はなんとか脱出を試みるが、宙にぶら下がっている箱の中からどうやって出れば良い?
 
一方、ジュリアンの車を盗み、ハイウェイをとばすカップルは、途中で出会った、メルセデスに乗るドイツ人夫婦とカーチェイスをし、何故か彼に好かれてしまう。一緒にモーテルに泊まり、ご馳走の供応に預かる。けれども、彼らが早朝、メルセデスを盗んで、逃げ出そうとするところを見つかってしまう。冗談好きの男は、おそらくはおもちゃの銃だろうが、若者に向かって、いたずらっぽく微笑みながら、「手を上げろ」という。若者は混乱し、ジュリアンの銃で、ドイツ人の男性のみならず、夫人まで殺害してしまう。
 
犯人はすぐに知れた、無論銃の持ち主であるジュリアンである。現に、彼の車に若い娘が乗って、犯行の行われた現場の方向に向かったところを見ている人がたくさんいる。
 
早朝、ようやく、動き出したエレベーターから解放された彼は、昨夜の非礼をわびるために、カフェから社長夫人に電話をかける。軍隊時代の自分の写真が、ドイツ人夫婦殺害の容疑者として、大きく新聞に載っていることも知らずに。
カフェの店員の通報で、ジュリアンはたちまち逮捕される。

ドイツ人二人を殺害した二人は彼女の部屋で、心中を試みる。レコードをかけて、薬を飲み「曲が終わるまでに死ねるわ」
 
仕事が始まり、ジュリアンの後輩で、彼のオフィスの捜索の案内をしていた、いつもジュリアンを「大尉」と呼んでいる後輩が、偶然社長が自室で自殺していることを刑事に報告する。そのことは直ちに社長夫人フロランスに伝えられる。彼女は一晩中恋しい人の行方を尋ねてまわっていた。雨の中を傘も差さずに街を歩く彼女の頭には様々な想いが錯綜する。「殺さなかったんだわ!臆病者。幸福になれたのに」「ひょっとしてあの花屋の小娘が好きになったの?」「おお!ジュリアンいったいあなたはいま何処にいるの?」
 
夫の死を伝えられた彼女は、やっぱり彼はやったんだ。でも彼は何処へ行ったの?
そして、昨日、彼女の車に、例の若い娘が乗っていたことを思い出し、早速花屋へ行き、彼女の住所を聞き出す。行くと、二人は半眠半醒という状態でベッドにいる、「死ねないはずだわ。致死量を間違ってる!」と吐き捨てるようにいうジュリアンを愛し案ずる女。
 
フロランスは匿名の通報をするが若い男はバイクで現場に向かう。ジュリアンの持っていた小型カメラで、モーテルの二人が、殺されたドイツ人夫婦と一緒にいる場面が写されているからである。彼の後を追うフロランス。モテルの現像所の暗室には、殺した二人と、殺された二人が談笑している写真が吊るされていて、そこには既に刑事がいた。若者はその場で逮捕された。
 
けれども、ジュリアンは無罪放免とはならなかった。
 
何故なら、彼には社長殺害の充分な動機があった。マイクロカメラに写されたネガを現像すると、ジュリアンと、殺された社長の妻、フロランス夫人が仲良く抱擁しあっている姿が何枚も鮮明に写し出されてゆく。
 
暗室で、それらの写真を見ながら、刑事であるリノ・ベンチュラはいう、
 
「・・・写真にはネガというものがあるということを忘れてはいけませんな」
 
刑事の推測では、ドイツ人殺しの若者はおそらく死刑、ジュリアンは、禁固10年か、5年。
「そしてあなたは、10年、或いは20年か・・・」
 
彼女は呆然とつぶやく
 
「10年 20年、無意味な年月がつづく
私は眠り、目をさます、ひとりで、
10年、20年・・・
でも私は愛していた、あなただけを。
私は年老いてゆく
でも二人は一緒
どこかで結ばれてる
誰も私たちを離せないわ」
 
 
 
ジャンヌ・モローの映画をあまり観ていないが、この『死刑台のエレベーター』とフランソワ・トリュフォーの『黒衣の花嫁』の、「愛する者のために命を捨てる女」 というイメージが強い。どちらもはまり役である。
言うまでもなく、マイルスのトランペットがすばらしい。
撮影はヌーヴェルバーグの名カメラマン、アンリ・ドカエ。

尚、このDVDは図書館で借りたもので、普通図書館でのDVD(或いはビデオ)には解説書はないのだが、これには、わたしと同年齢の菊池成孔(きくちなるよし)なる人物の解説書が入っており、その解説文は、正直あらずもがなのものであった。

音楽家、文筆家という肩書きで、東大、藝大などで、講師として活躍しているようで、エッセイストとしても人気とされているが、少なくともわたしは彼の「解説」を3回読んで、結局何が言いたいのかさっぱり理解できなかった。反論しようと試みても、ケチを着けようとしても、何を言わんとしているのかがわからないのでは反論も出来ない。
 
 
*














 
 


2021年4月6日

カンディンスキーの汽車


 Eisenbahn bei Murnau / Railway near Murnau, 1909, Wassily Kandinsky
- Oil on Cardboard - 
 
「ムルナウ近くの鉄道」ワシリー・カンディンスキー(1909)油彩
 
こういうカンディンスキーもいいですね。どことなく谷内六郎さんに似た雰囲気を感じます。
 
 
 
 
 



Mさんへ

 
Mさん、先日は、過去のブログにまでコメントを下さりありがとうございました。拝読いたしました。
さくらももう葉桜になりつつありますね。
 
今回またここにもどってきたことは、ひょとして、Mさんだけでなく、他の読者の方の中にもいらっしゃっただろうと思います。そんなことの繰り返しですから。
 
今日投稿した分は、この間に書き溜めておいたものです。気が向いたら、別に順番問わずに目を通していただければ幸いです。
 
こちらに戻ってきた理由は、やはりいつもと同じです。あくまでも個人的な好みですが、特に最初の頃の文章に好きなものが少なからずあるということ。2018年・19年・20年と書いてきましたが、わたしの中では2018年の投稿がピークのような気がしています。それ以降はあまり良い文章は書けていないという印象を持っています。
全体のわずか1~2割ほどの文章と別れることが出来ない。
おそらくこのブログの数少ない投稿が、わたしを引き戻したのでしょう。
繰り返しますが、あくまでも個人的に好きな文章であるに過ぎません。
 
コメントをやり取りする人もいなくなったことを特別大きな損失とは考えてはいません。
母も言っていましたが、中には共感してくれる人もひょっとしたらいるかもしれない。でも、この文章のこういう部分にこれこれこういう点で、共感したと文章にするのはちょっと難しいだろうと。母自体もコメントを求められたとしても書けないと。
 
コメントに関してMさんにお願いですが、このブロガーは日本のブログのように、コメント欄で非表示にすることが出来ません。ですから、コメントを公にすることを避けたいのであれば、メールで、ということになります。「メールで連絡」 という設定があったはずですから、それを試してみます。使ったことはありませんが。

Mさんはおかわりありませんか?

わたしは相変わらずです。

どうかお元気でお過ごしください。

お返事が遅くなりましたことお詫びします。

TAKEO