2021年4月5日

店舗周辺での飲食は固く禁じます─ ティファニー

 
作家黒井千次のエッセイ集『50代の落書き』(1986年)に収められた「制服の存在価値」より抜粋引用する。

先日、あるデパートで開かれているウィーン世紀末の三人の画家の美術展を観に出かけた。
さして広くもない会場をまわるうちに、なんとなく作品に意識を集中できぬことに苛立っている自分に気がづいた。
観客の数は多くなかったし、騒々しくもなかったのだから落ち着いて絵を見られるはずなのに、なにかがそれを邪魔している。
原因は、壁にある絵をめぐってゆっくりと歩いている人々の動きとは異質の運動をする人間に向けての違和感が、ぼくの中に生じたためだった。
紺の制服に身をかため、上部のピンとはったツバつきのつきの帽子を目深にかぶった男子の警備員が、観客の間を二歩、三歩と進んだり、壁を背にして立ち止まったり、そこを離れて、流れの外側から人々を見守ったりしている。
ひとつには、その数名の警備員が椅子に坐っているのではなく、 立って動き回っているのが気になった。
そしてもうひとつは、服地の色こそやや明るいブルーであったものの、そのデザインの全体が警察官の制服に似ていることが鬱陶しかった。
そこに作品の飾られている画家の一人は、ポルノグラフィーを描いたとして官憲に逮捕されたことのあるエゴン・シーレだった。もし彼が生きていてこの会場に現れたなら、自分の作品が、警察官に酷似した服装の警備員たちに守られているのをみてどう感じるだろう、などと余計なことまで考えてみたくなった。
シーレがこの警備員たちのいでたちに、好意を抱くとはとても思えなかった。

わたしの若い頃の銀座、即ち20年ほど前までの銀座には、いまほど、あちこちの店の入り口付近に、制服姿で無表情の(わたしは「たちんぼ」と呼んでいるが)、それこそ警察官に酷似した警備員が、威圧的に仁王立ちしているような野暮な店はなかった。そう、これが野暮であり、田舎臭く不粋である以外のなんであろう?
皮肉なことに、警備員を配さなければならないほどの高級ブランド点が軒を連ねることによって、 逆に銀座の品と粋を失うという結果を招いた。銀座商店会(?)の面子も特に銀座を愛していたわけではなかった。愛していたのは、金の落ちる銀座、或いは「金座」であった。

日本の支店がそうである以上、そこに店を出しているフランスやイタリアの高級ブランド店の店先にも、やはりいかめしい貌をして、警棒をちらつかせた警察官によく似た警備員がいるのだろう。
 
ブルジョアってのは粋を知らないね。
ミース・ファン・デル・ローエが、「美は細部に宿る」というのなら、醜悪さ、不粋さもまた「細部に宿る」のだ。
 
 
黒井はこの文章を以下のように終わらせている
 
制服にもいろいろあるけれど、そしてそれぞれが必要に迫られてのものではあろうけれど、できることなら、その場の雰囲気をなるべく傷つけないスタイルであってもらいたい。
それとも、あえて雰囲気を破り、人々の注意をひきつけるところに制服の存在価値はあるのだろうか。

とはいえ、屡店で目にする、「私服警官巡回中」という警告も、その不快さ、不粋さに於いては「制服」と選ぶところはないのだが。

 

 
 

 

 


2021年4月4日

Every Time We Say Goodbye, I Die a Little...(さよならを言うたびに、わたしのなかで何かが死ぬ・・・)

 
わたしの「外部」にわたしの「生」の根拠となるものはない。確かにいまも音楽を聴いているが、それはわたしの生きる喜びとは言えず、憂き世に生き永らえているこの身の慰安に過ぎない。
「過ぎない」などと軽く言ってしまうには、これらの音楽はあまりにもうつくしいのだが・・・
わたしの生の支えとなる「外部」、それらはとうに消滅してしまった。

嘗てわたしは世界=外界と融和していた。わたしは「大陸の一部」であり、「孤島」ではなかった。
けれども、開発に継ぐ再開発、已むことを知らない再開発によって、既に「大陸」自体が大きく変貌してしまった。故にわたしは最早大陸の一部であることを拒み、「孤島」として生きるようになった。

私も人類の一部であれば誰が死んでも我が身がそがれたも同じ。
だから弔いの鐘は誰のために鳴っているのかと、たずねにいかせることはない。
鐘はあなたのために鳴っているのだ。
誰(た)が為に鐘は鳴る、問うなかれ そは汝(な)がために鳴ればなり

他者の死、馴れ親しんだ外界の一部が消滅するたびに鐘がなり、それが他ならぬわたし自身のための弔いの鐘であるなら、わたしは既にあまりにも多くの鐘の音を聞きすぎた。
 
 
 
 
 
 
 

 

 

人間でないという救い・・・

『生命誌絵巻』 図 橋本律子

JT生命誌研究館


現代科学が「人間は生き物であり、自然の一部である」ことを明確に示しているのに、科学を基盤に進んできたはずの現代文明がそれを認めないという矛盾は、どこかで破綻するに違いないでしょう。

未来を担う子供や、若者の教育を考えたとき、この矛盾に気づき、原点に戻って新しい文明、新しい社会をつくる人を育てなければならないと思うのです。

『中村桂子コレクション いのち愛ずる生命誌』第3巻 (2020年) 『生命誌から見た人間社会』
「人間は生きものであり、自然の一部である」p 151~p153 より抜粋。


冒頭の「生命誌絵巻」は全ての動植物は、元はひとつの細胞からできているということを表した38億年の生命の歴史を表したものです。
 
いまの時代、日本だけを例にとっても、スマホを持たない人は、幼児と80代以上の老人くらいでしょう。無論スマホを使う90代もいるでしょうし、これはちょっと想像し難いですが、スマホを持たない2~30代の若者も、いるかもしれない。けれどもそれは本当に極めて稀な「例外」と言うべきでしょう。
 
けれども、これは冗談ではなく、他の動物はスマホを持たないし、SNSに投稿することもない。
わたしは「人間」としては極めて特異な、言葉を換えれば「孤絶した存在」ですが、この地球上には、まだスマホとも、株とも縁のない動物たちが存在していると考えることはなんという慰めでしょう。

わたしはあなた方と同じ「人間」ではないかもしれない。しかし「人間」でなくとも、他の生物とふかい所で繋がっています。
 
そして、特別人間である必要を感じてはいません。
 
わたしが中村桂子さんの本を読んでいて、時々苛々するのは、やはり根本的に「人間であるということの恥」(“The shame of being a man ”) という言葉に深く深く共鳴するわたしと、(どちらかといえば嫌いな言葉)「よりよい未来をつくるために」活躍されている中村さんとの根本的な人間観の隔たり、相違に因るのでしょう。
 




 

 

 


2021年4月3日

「スマホ」とは何か?

 
東日本大震災のあと、こうしたパラダイム変換に別の形で向かっている、中村さんからすればずいぶん後輩に当たる人たちのいくつかの鮮烈なことばを思い出しました。
 
ひとりは東日本大震災に東京で、研究生活を送っていた歴史社会学者の山内明美さん。彼女は『こども東北学』(2011年)でこう書きました──
 
《放射能汚染の不安が日本社会を覆いはじめたとき、わたしがいちばんはじめにかんじた違和感は、いま起きている土と水の汚染が、自分のからだの一部でおこっていることを誰も語らないことだった。遠くの災いみたいに話をしている》
 
宮城県生まれの彼女は、東北は冷害や日照りから長く飢饉の不安に苛まれてきた場所だったので、人々は、土に雨水がしみ込むことを自分のからだが「福々しく」膨らむことと感じる。そんな土や海と人とのつながりを深く感じてきたといいます。でも都会でモノのみならずサーヴィスもお金で買うそんな生活を繰り返しているうち、震災と原発事故で傷つけられた土や海の「痛み」を自分のからだのそれとして感じられないほどに自分が「鈍感」になっているのを思い知らされたというのです。
 
「自分のからだが土にも海にも、そして米にも芋にもなりうるという感覚」がいつの間にかじぶんからうせていたと。

鷲田清一『中村桂子コレクション いのち愛ずる生命誌』第3巻 (2020年) 『生命誌から見た人間社会』「あとがき」より

大地が、水が、空気が汚され、穢されていることを、あたかも自分の身体が穢されているように感じるという感覚はとてもよくわかる。それは山内さんが東北の人で、わたしが東京で生まれ育ったという生育歴とは関係はないと思う。

わたしはスマートフォンに「反・自然」の象徴を見る。であるから、駅のプラットホームや電車内で、それらを自己の身体の一部のように操っている人たちと、わたしという人間の感受性の途方もない隔たりを感ぜずじはいられない。

山内明美さんによると、彼女を取り巻く自然と、彼女の生体は一体であった。
だから海や土が穢されることは、彼女のからだ、彼女の存在自体が脅かされることと同義であった。同様に、「土に雨水がしみ込むことを自分のからだが「福々しく」膨らむことと感じる。」と書かれているように、自然の中で生きる人たちにとって、雨水も、陽の光も、「生きている自分」の一部であった。
外界=自然即ちわたしの生命であった。言うまでもなくその連鎖は生物にとってあたりまえすぎるほど当たり前のことなのだが・・・
 
「自分のからだが土にも海にも、そして米にも芋にもなりうるという感覚」
 
「自然の一部であるわたし」 にとって、この感覚は至極あたりまえの生体としての反応である。
 
一方で、街のいたるところで携帯電話に心奪われている人たちにとって、「それ」はやはり自分の生体の一部であるのだろうか?
 
わたしにとっては、 「自分の身体(或いは心身)が多様な自然と同化する─言葉を換えれば多様な自然に変容する─」という感覚は、ごく自然に受け容れられる感情だが、現実に多くの人たちが、自身、「端末機器の先端部分」化しているという状況は、わたしの想像の域を超えている。
 
無論それらは人体と癒着しているわけではない。しかし彼らの脳は?そして精神は?思考回路は?夙に「癒着」し、一体化しているように思えてならないのだ。
 
 
最後に上に引用した山内明美さんの言葉、
 
《放射能汚染の不安が日本社会を覆いはじめたとき、わたしがいちばんはじめにかんじた違和感は、いま起きている土と水の汚染が、自分からだの一部でおこっていることを誰も語らないことだった。遠くの災いみたいに話をしている》
 
これを読んで思い出した文章があるのでそれを引用する。
 
 
 
No man is an island entire of itself; every man 
is a piece of the continent, a part of the main;
if a clod be washed away by the sea, Europe
is the less, as well as if a promontory were, as
well as any manner of thy friends or of thine
own were; any man's death diminishes me,
because I am involved in mankind.
And therefore never send to know for whom
the bell tolls; it tolls for thee.
ーJohn Danne ・MEDITATION XVII ”Devotions upon Emergent Occasions”
 
 
ひとりでひとつの島全部である人はいない。誰もが大陸の一片。
全体の部分をなす。土くれひとつでも海に流されたなら、ヨーロッパはそれだけ小さくなる。岬が流されたり、自分や友達の土地が流されたと同じように。
私も人類の一部であれば誰が死んでも我が身がそがれたも同じ。
だから弔いの鐘は誰のために鳴っているのかと、たずねにいかせることはない。
鐘はあなたのために鳴っているのだ。
誰(た)が為に鐘は鳴る、問うなかれ そは汝(な)がために鳴ればなり

ージョン・ダン 「瞑想録十七」より
 
 
◇追記◇
 
基本的には、わたしは、ポール・サイモン=(サイモン・アンド・ガーファンクル)の歌
「アイ・アム・ア・ロック」(I am a Rock) の歌詞にある、
 
ぼくは岩、
ぼくは島
 
I am a Rock 
I am an Island...
 
の方を支持するが。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

人間は生き物であるということ

Laundress and Child, Hubert Robert. French (1733 - 1808) 
「洗濯女とこども」ユベール・ロベール
 
  *
「速くできる、手が抜ける、思い通りにできる。日常生活の中ではとてもありがたいことですが、困ったことに、これはいずれも生き物には合いません。」

ー中村桂子『科学者が人間であること』(2013年)
 
 
 
 



 

2021年4月2日

人間、この愚かなる生き物

 
いささか(?)旧聞に属する記事なので恐縮だが、『中村桂子コレクション いのち愛ずる生命誌』第3巻(2020年) 『生命誌から見た人間社会』に収められている、【「どう暮らす」の問いが欠如】(2015年10月)について思うところを述べてみたいので、少し長いが、引用する
 
 
雑誌をパラパラめくっていたら、「超高層の科学 どこまで高くできるのか?」という特集記事が目に留まった(『ニュートン』2015年11月号)。高さ300メートル以上、600メートル未満のビル「スーパートール」は、現在(2015年10月時点)世界中に91棟あるという。このうち6棟は、2015年に入ってから完成、年内に14棟が完成予定とある。超高層ビルの建設が急速に盛んになっていることを示している。しかも、これにとどまらない。「メガトール」と呼ばれる600メートル以上のビルが2棟、上海とドバイ(アラブ首長国連邦)にある。後者「ブルジュ・ハリファ」は828メートルと現在世界世界一だが、ジッダ(サウジアラビア)では1000メートルを越す「キングダムタワー」が、18年の完成を目指して建設中とある。
 (略)
超高層ビルの建設地は、中国を主とするアジア、中東、それにアメリカであり、ヨーロッパにはない。実は経済性からは、幅100メートル、高さ400メートルほどが限度とのことなのに何故これほど高いものを建てようとするのか。それは権威や富の象徴になるからだというのが、この特集のしめくくりである。
 
ところで、東京湾に埋め立て地をつくり、1600メートルの「スカイマルタワー」 を建てようというアメリカからの提案がある。まだ具体的計画ではないが、東京なら建てるだろうという目算あっての提案だろう。事実、現在の東京はオリンピックという免罪符のもと、高層ビル建設ラッシュである。
伝統あるホテルが消えるのを惜しむ声も、大きな槌音にかき消されている。新国立競技場も、1964年のオリンピックの思い出とともに、そのときの建物を改築するという案には目もくれず、巨大建設物を作ろうとした。その土地の持つ歴史も自然も人々の生活も無視した選択だった。

東日本大震災のなかで、等身大の生き方をすることの大切さを学んだはずなのに、やはり成長志向は消えず、東京は超高層への道を進んでいる。超高層ビルの特集記事には、そこでの暮らしはまったく描き出されていないのだが、巨大な閉鎖空間での生活はどのようなものになるのだろう。想像することさえ難しく実感がわかない。

最も気になるのは、そこで生まれ、育つ子供たちが、どのような感性を持つのだろうということである。東京湾岸に並ぶ50階もある高層マンションを見ても、そこでは少なくとも生き物として生きる感覚を養うのは難しいだろうと思える。オリンピック・パラリンピックへ向けての建設行為は、「若者にスポーツの場を」という疑問をはさみにくいかけ声のもと、一極集中をさらに進めている。建物の高層化で、それに応じているのが現実である。数十年という短期間で、大きく生活を変えることにどれほど責任を持てるのか。その検討はどこでなされているのだろう。少なくともヨーロッパにはその問いがあり、高層ビルを建てていないのではないだろうか。技術は技術としてだけ語っていてはいけない。またできるからといって、安直に実践することも恐ろしい。
(引用文中、行分け・太字・下線は引用者による)

 ◇

 
旧約聖書の「バベルの塔」の時代から、人間は、天まで届く建造物を作ろうとしたがる小賢しい虫のような存在だった。
 
日の下に新しきものなし。

人間が犯しうるあらゆる不善は 
 いづれも皆公然と聖書に記されたるもののみならずや? 
 
ー ウィリアム・ブレイク


無論高さ2000メートルの塔を造る事は「罪悪」ではない。
人間が遥か大地から離れて暮らすこともなんら「罪」ではない。

これらの科学技術と人間との関係について論する場合には、先ず、そもそも「人間」とはなにか?という地点からはじめなければならない、人間(ヒト)とはこの地球という惑星に住む多様な生物の一個の種に過ぎない。
 
わたしは「ニンゲン」を他の生物=動植物に比べてなんら優れているとは考えない。
無論虫と比べてさえ。
率直に言えば、ニンゲンとは元来愚かしい生き物なのだと考えずにはいられない。そもそもわたしは、「わたしたち人間の未来をよりよくするために」などという考えとは到底相容れない。滅ぶことが運命であるなら、その運命を甘んじて受け容れればよい。
 

 
詳しく思い出せないが、ルイ・マル監督のデビュー作『死刑台のエレベーター』では、いつ核戦争が起こるかわからない時代に生きる不安によって、自暴自棄になったカップルの言動が、話の流れの大きな転機となっていたと記憶している。
 
いまでも「」は人類を滅ぼすといわれる。
 
けれども、その一方で「科学技術の進化(進歩)が人類を滅ぼす」という声はほとんど耳に入ってこないどころか、誰もが、それを人類の叡智と呼び、便利さにほくそえみ、新製品が出ると聞けば、いち早くそれを獲得したがる。
 
現代人がこぞって歓迎している「利便性」「速度」「汗を流さずに済む快適さ」が、つまるところ、原子力発電所や、核開発と底を通じていることを思うことはない。
 
(兵器の類は措いて)「核(原子力)」=広く言えば「戦争・紛争」のみが人間を滅ぼし、科学技術の進歩は喜ばしいなどといっている時代ではとうになくなっている。

既に中村氏自身が前回、1964年のオリンピックの思い出とともに元の競技場を改築・・・云々と言われているが、中村氏自身その「思い出のオリンピック」がどれほど東京の街を醜悪に変貌させたかを知らないはずはない。
 
NHKの名曲アルバムや名園散歩を見ていて、心惹かれるのは、ヨーロッパの諸都市が、いかに緑と水に優しく、その傍にしか魂の憩いどころはないと誰もが認識している点である。そしてそれはおのおのの都市が截然とした様式美に彩られていることと無縁ではない。
日本人だって緑と水を愛さないわけではないだろうに、東京オリンピックに狂奔し、日本列島改造法案などという暴挙を時の首相に許した頃から、その破壊は歯止めの利かないものとなった。これまでにもあまり、市民が力を合せて美を護ったというためしには乏しいのだが、都市の中にいかに緑と水とを導き入れるかという努力の代わりに、狂犬病に罹ったかのようにわずかに残った掘割を埋め立てて高速道路とし、大川には護岸工事を施して風情のいっさいを奪うという為政者に対して、反抗の兆しも見られなかった実情からすると、この先も、有力な市民運動が展開される望みはきわめて薄い。
ー中井英夫『磨かれた時間』(1994年)より「緑の安らぎと水の憎しみ」(初出1985年)

正直なところ、わたしには、50階建てのマンションの最上階に暮らす人間の感性が分からないなどということ以前に、いたるところで携帯電話を眺めている者たちの内面がまるで理解できない。

「何かを得れば、何かを失う」
 
では「電車内でスマホに見入る彼ら群集が喪ったものとは何か?或いは喪う以前に、持っていたものとは何か? 」

繰り返すが、科学技術の進歩という名の下で、「斥けるべき進歩」と「歓迎すべき進歩」というものは分けることはできない。それはちょうどこの都市が、水の流れと情緒の代わりに「高速道路」を選んだことと同じだ。
 
「市場のあるところ詩情なし」
 
われわれは、これからますます眼に見えないものを軽んじてゆく途を進んで行くだろう。「目に見えないもの」それは「不便さ」と同義でもある。
 
最後に、中村氏はこう言っている
 
数十年という短期間で、大きく生活を変えることにどれほど責任を持てるのか。その検討はどこでなされているのだろう。少なくともヨーロッパにはその問いがあり、高層ビルを建てていないのではないだろうか。
 
はたして美を護れ(ら)ない、「責任」は為政者のみにあるのだろうか?
 
自分たちの国であるという意識があるなら、先ず市民自ら立ち上がり、為政者から国土を、自然を、率先して護らなければならないのではないか。
水と緑の豊かな穏やかなヨーロッパの国々の生活、暮らしは、政府との不断の緊張関係と、屡起こる対立の齎したものでもある。「少なくともヨーロッパにはその問いがあり・・・」しかしその「問い」乃至「疑問」はヨーロッパの為政者たちだけが持っているものではなく、ヨーロッパの国々に住む、各国の市民の美意識・問題意識が生み出したものであることを忘れてはならない。
  
わずかに残った掘割を埋め立てて高速道路とし、大川には護岸工事を施して風情のいっさいを奪うという為政者に対して、反抗の兆しも見られなかった実情からすると、この先も、有力な市民運動が展開される望みはきわめて薄い。
責任を持てるのか?などと言う前に、既に64年当時から、この国の人々には、自分の国の美と自然を護るという意識がスッポリ抜け落ちていたという認識を持つべきではないのか。そして今もその心性はまるで変わってはいないということを。
 
 
 
 
 

 


 
 
 
 

2021年4月1日

ゼラチン・シルバー・プリント

 
先のブログを仕舞ってからまもなく二十日になる。その間全くなにも書いていない。書きたい気持ちはあるのだが、書き方を、忘れてしまった。いつも言っているように、いい文章を書くためにはいい文章を読まなければならない。ところが、最近は呆(ほう)けたように、本を読む気分にも、映画を観てみようという気にもならない。これもブログ同様、読みたくないわけでも、読みたい本がないわけでもない。映画もまた然りである。
 
ここ数日は、古巣のアートブログ、そしてこの3月で10年目を迎えたTumblrに投稿している。
どちらも、閲覧者の反応はわたしにはわからないが、そのほうが気楽でいい。
ブログであれ、Tumblrであれ、アートを渉猟し、選別して投稿する時間は、わたしとアートとの親密な時間だ。この画が、あの写真が、どの程度好かれたか、反応はどのくらいあったのかなど、わたしには関係のないことだ。
 
とはいえ、3年ほど前から「文章を書く」ブログを主にし始めて、アートからは随分と間遠になったとはいえ、よく憶えてはいないが2月だったか、Tumblrの管理画面を数ヶ月ぶりに見てみると、相変わらず1万5千人の「フォロワー」と呼ばれている人たちが、わたしの投稿を支持してくれていた。 10年間で、1万5千人とはいかにも少ないように感じる者もいるだろうが、「無駄に数だけいればいいってモンじゃない」というのがわたしの答えだ。


過去3年間続けてきたブログで目指していたのは、これまで日本ではほとんどお目にかかったことのない、アートと文章で構成されたブログだ。

例えば

 
 
そして
 
 
けれども、上記のブログに共通しているのは、アート、音楽、映画紹介など、ヴァラエティーに富み、そしてもちろんテキスト部分もあるが、それはあくまでも「引用」がメインであるということ。
彼/彼女らとわたしの違いは、わたしは、アートを通じて、あくまでも「自己の想い」を綴りたいということ。彼/彼女の怒り、苦しみ、悲嘆、絶望、ユーモアは全て、過去の文学者・思想家・俳優・女優たちの言葉として語られている。わたしは無様にこけつまろびつしながらも、「自分の思い」は「自分の言葉」で語りたい。ペダントリーになるつもりはないのだ。
 
しかしそれでもなお、上記のようなブログには日本では滅多に出逢うことはない。
わたしはいつも日本のブログにおけるアート欠乏症に怪訝の念を抱き続けている。
 
 
 
◇   ◇
 
 
 
前のブログの最後で少し触れた、2年前に亡くなったアメリカのフォトグラファー、ロバート・フランクの写真集『アメリカンズ』に、ジャック・ケルアックが序文を寄せている。ちなみにこの写真集がアメリカで最初に出版されたのは1959年。日本版の第一刷は1993年である。
 
ケルアックは序文で、ロバート・フランクの写真の非凡な魅力について語る。それは即ち、それらの写真を媒介にケルアック自身を語ることに他ならない。対象について語ることは、その鏡に写し出された己自身を物語ることだ。
 
 
New York City Candy Store, 86th Street, 1955, Robert Franl 
- Gelatin silver print -
 
 
ケルアックによると、ロバート・フランクの写真には、棺桶とジューク・ボックスがよく出てくる。
これはニューヨークの86番街にある「キャンディー・ストアー」で、ジュークボックスを囲む若者たち。
このジュークボックスもどことなく棺桶を思わせる。
 
好きな歌を友達と一緒に聴くって最高だと思う。それはおそらく「カラオケ」の比じゃない。
誰の発明かしらないが、ジュークボックスは、友情を取り持ち、恋の磁場を生み出す魔法の機械だ。
 
 
 
 
Nebraska, 1956, Robert Frank 
 
確かにジュークボックスの写真には惹かれるものが多いが、わたしが特に好きなのはこの写真。
 
待てど暮らせど、来ることのない言葉を待ち続ける自分の心情と重ねてしまう。
 
ビートルズの、(オリジナルは、モータウンの女性3人組ヴォーカルグループ、マーヴェレッツ)の「プリーズ・ミスター・ポストマン」を思い出してしまう。
 
しかし、あの歌のように、恋人からのカードか手紙を今か今かと待ちわびる若者の気持ちよりも、この写真には、もっと、どこかから、誰かから、いつか来るかもしれない(けれども決してくることはない)「手紙」を待ち続ける「誰のためのものでもない郵便受け」という印象を受けるのだ。
 

 
 
 
 Paris, 1951, Robert Frank. Americann/Swiss (1924 - 2019) 
 
 
わたしのこのブログも、通りすがりの人の目に留まり、よろしければお持ちくださいといったようなもの。


 
This is my letter to the world

That never wrote to me
 
 
「これはわたしの、世界に宛てた手紙です 

決して返事の来ることのない」

ー エミリー・ディキンソン
 
 
 
◇ 追記 ◇
 
今回、これまで特別好きではなかったロバート・フランクの、多くの「ネット上で見慣れた」写真を、写真集という体裁で、改めて手に取り、その持ち重り、余白の広さ、(見開きの片側が全くなにも印刷されていない白いページである。)そして縦であれ横であれ、一枚一枚の写真が悠に端書き二枚分くらいはあるという形で眺めて、「はじめて」ロバート・フランクの魅力に接した思いがする。