2020年2月9日

だからわたしは引きこもるのだ…


2月7日金曜日付『東京新聞』夕刊文化面に、藤田一人という美術評論家の書いた文章が載っている。興味を引かれたので、以下に一部省略して引用する
見出しは「今様の展示に昔を思う」



古い映画のこんなワンシーンが心に残っている。平日の美術館、一人の男が旅行者らしい女性に声を掛けて怪訝な顔をされる。すると男は「昼間から美術館にいるのは失業者か変人と相場が決まっているから」と自虐的な一言。今では問題発言かもしれないが、美術館のイメージを絶妙に物語る。そこから浮かび上がるのは、往年の絵画や彫刻が淡々と並ぶ時が止まったような空間。そこにいると社会の束縛からほんの一時、解放されたような気持ちになり、ただただ時間を過ごせる。

しかし、そんな美術館のイメージは、今は昔。近年ではさまざまに工夫を凝らし、観客を楽しませる。今や美術館は有意義な時間を過ごす場所なのだ。東京でも長年屈指のコレクションを誇ってきたブリヂストン美術館が、建て替えによる4年半の休館を経てこの1月にアーティゾン美術館として再スタート。名称とともにその展示や運営の変貌ぶりには今日の美術館のあり様を印象付けられる。

象徴的なのが、入場券の日時指定予約制。事前にウェブ予約をしなければならない。その際、学生以下は無料。ただ、余裕があれば当日券も発売されるが割高で、学生割引もない。混雑を解消する目的だというが、情報化時代の合理的かつ機能的な管理方法だ。また、入り口ではセキュリティー対策の持ち物検査も。
まさに時代の趨勢といえる。

そして展示空間が2倍になり、凝った演出も目を引く。開催中の開館記念展は、同館のコレクションを、従来の時代や地域、分野別ではなく、時空を超えた美術作品の出会いや関係性を物語る。

(略)

既存のイメージを払拭し、これまでにない作品の見方を通して、新鮮な美術鑑賞を提起しようとする。このようなキュレーションは、昨今の美術館では盛んに試みられている。ただ、こうした展示が延々と続くと、ここまで饒舌に語られなければいけないのか?と、食傷気味にもなってくる。

すると、かつてのブリヂストン美術館を思い出す。初めて上京した時に、ふと訪れた平日の人けのない常設展示で、教科書に載っているモネやセザンヌの本物を見た驚き。また仕事の合間に入った折に、青木繁の『海の幸』を初めて見たこと。
時代遅れの男の愚痴かもしれないが、昨今の美術館は少々息苦しい。
(下線Takeo)



美術館を訪れなくなって久しい。3年ほど前に、一度、渋谷のBunkamuraに連れて行ってもらった。それが、約6~7年ぶりの展覧会であった。それ以降も美術館には足を運んでいないし、これからももう美術館を訪れることはないだろう。

上に書いたように、今の美術館の様子をまるで知らない。それにわたしは、美術館で、作品をスマホで撮影している人がいるような場所には行きたくないのだ。

上記の記事に書かれているように、今は美術館は、「ただただ時間を過ごせる」場所ではなく、「有意義な時間を過ごす場所」になっているようだ。それにいったい「アーティゾン美術館」とはなんだ?随分と厳めしい名前を付けたものだ。「アーティゾン」とは何語で、どういう意味があるのだろう?

日本人の欧米拝跪はとどまらない。昨年は、ここから駅までの道に「北欧住宅」が建ち、先ごろ同じ道筋に「カーサ・〇〇」という「アパート」が出来た。わずか200メートルほどの道に北欧と南欧が同居している。(' Casa 'とはスペイン語で' ハウス' の意味だ)



藤田氏の書いていることが、全ての美術館に当てはまるわけではないだろうが、トウキョウの美術館事情が、このような流れになっているということは確かだろう、この先「持ち物検査」を実施する美術館も増えることだろう。

普通の人たちにとって、この「趨勢」が、美術館、そして「アート」への敷居を低くしているのか、或いはその逆なのか?また、「今の人たち」が美術館という場所に何を求めているのか、わたしにはわからない。けれどもわたしにとっては頻繁に美術館に通っていたことも、既に「今は昔の物語り」である・・・



[関連投稿] 「公共空間」について、鉛筆の芯と、さくらの花びらの危険性について







2020年2月8日

ワイアーの母親


引きこもり=(外出困難)について改めて考えてみる。

現在から約100年ほど前、1925年、リルケは書簡にこう記す


「家」とか「井戸」とか、毎日見慣れている塔とか、それどころか、自分の来ている着物やマントでさえ、まだ私たちの祖父母にとっては、限りなく重要な意味を持ち、限りなく親愛の情のこもったものでした。彼らには、ほとんどすべての「物」が、その中に人間的なものを見出したり、人間的なものを貯えたりする容器でした。
ところが、アメリカから、空虚で冷淡な品物が押しかけてきました。見かけだけの品物、生活の模造品というやつです・・・
アメリカ風の家とか、アメリカのリンゴとか葡萄とかは、私たちの祖先の、希望や物思いのしみこんだ家、果実、葡萄と何の共通点もありません ──
私たちによって生かされ、体験され、私たちと苦楽を共にしている「物たち」は滅びかかっており、しかももはや埋め合わせがつきません。私たちはたぶんこのような「物たち」を知っている最後の者でありましょう。これらの「物たち」の追憶を保持するだけでなく、その人間的な、家々の守り神の性格を持ったこれらの「物たち」の価値を保存してゆく責任が、私たちの肩にかかっています。
大地は、この地上の「物たち」は、私たちの内部で、目に見えないものとなる以外に、逃げ道を持っていません。私たちは私たちの本性の一部で、目に見えないものとつながっています。(少なくとも)目に見えないものにあずかっているという証書を持っています。そしてこの地上に存在している間に、目に見えないものの所有を増やすことが出来るのです。 ──
こういう私たち人間の内部においてのみ、「目に見えるもの」が、目に見えて掴めるということには、最早関係のない「目に見えないもの」に変わるという内密な、不断の変容が行われうるのです。
(下線Takeo)



リルケはしかし、目で見ることができ、手で掴むことのできる「物たち」への喪失に押し潰されることはなかった。
いったいわたしたちが「喪失した物たち」を内面に所有することに何の意味があるというのだろう?
わたしを取り巻く世界は、まさに「空虚な模造品」でしかない。そしてわたしはウロボロスの蛇のように、自分自身を飲み込んで、己の内面の世界に入ってゆくことはできないのだ。

わたしの内面に、記憶の裡に「それ」があったとして何になるのか?
「わたし」=Takeoという存在は、「五つの感覚の総和」に他ならない。


1958年、ウィスコンシン大学の心理学者ハリー・ハーロウは、今や伝説の(というより、悪名高い、と言うべきだろうか)実験を行った。彼はアカゲザルの赤ん坊を母親から引き離し、代わりに一体はワイヤー、もう一体は毛布で作られた、二体の代理母を与えた。どちらの「母親」に哺乳瓶をとりつけて、ミルクが飲めるようにしてあっても、 サルの赤ん坊は多くの時間を毛布でできたほうに抱きついて過ごし、驚いたり、気が動転した時にはそちらに飛びついた。ワイヤーでできた母親の方に行くのは哺乳瓶がついていた時だけ、それもミルクを飲んでいる間だけだった。
ハーロウは、触覚的な心地よさを奪われたサルが精神と情動の両面で、発達が大幅に遅れることを発見した。
ー『孤独の科学』ジョン・T・カシオポ、ウィリアム・パトリック共著 柴田裕之 訳 河出文庫(2018年)より



わたしは子ザルと同じかといわれば、そうだと答えるだろう。自己の内面に、見ることも、触れることもできずに「ある」(といわれる)「物」では不十分なのだ。

そしてわたしは現代人が、ワイヤーの「母親」にしがみついて、平気な顔をして、「情報」という「ミルク」を吸収している奇妙な、(或いは新たな)哺乳類に見える。

もし誰かが現代社会において、未だに孤独を感じているとしたら、それはまだ彼(ら)が、孤独を解消してくれるはずの機器を上手に使いこなせていない(乃至ワイヤーの代理母に完全に馴染んでいない)からに他ならない・・・




Il Trovatore Solitario (The Lonely Troubadour)  1970 Giorgio de Chirico (1888 - 1978)
- Color lithograph on Paper  -





断章



この世界に、嘗て「過去」があったということだけが救いである。



こんにち、「若さ」とは、ただ、虚ろで醜悪なものでしかなくなった。



「過去」を持つ者と「未来」を持つ者・・・そもそも比すべくもない。







下投稿の補足


精神科医がその臨床経験に基づいて人間の内面生活に関する議論を展開しようとする場合、それが科学的に見ても哲学的に見ても十分な厳密さと普遍性を欠くきらいがあり、そこにある種の「うさんくささ」のようなものが混じり込むのは、避けがたいことであるように思われる。これはかならずしも、臨床精神科医が科学者あるいは哲学者としての必要な習練を怠っているという理由だけに還元しうることではない。臨床の場面では、患者と治療者の個人的な関係が議論の出発点となるだけでなく、その窮極の拠り所ともなるし、この関係の中でのみ見い出されうる事実が、そこで唯一「真実」としての拘束力を持つ。
この真実の「関係的」な性格が、そこに一般的な科学的あるいは哲学的な「真実」とはいささか異なった趣を持ち込んでいるとしたらどうだろう。

すでに早くから「臨床の知」を標榜している中村雄二郎は、演劇と学問の関係について次のように書いている。

《演劇或いは芝居というと、一般にはおよそ学問や知とは無関係のもの、さらには本質的に相容れないものと思われてきた。……すなわち、演劇=芝居とは、多かれ少なかれ猥雑さを含んだ一種の絵空事であり、遊びであり戯れである。……他方、知や学問は根っから真面目なものであり、われわれは感情や好みを出来るだけ排して、ひたすら禁欲的に真理を極めなければならない、と。遊びと真面目(あるいは仕事)という二分法がそこに想定されている、といってもいい》(下線部は傍点=中村)

そして中村は、古代ギリシャと西欧で発達した知や学問は、この「二分法」を基準として普遍性と精密さを備え、「近代の知」として人類全体に大きな影響力と支配力を持つようになったと考える。

もちろん精神科の臨床は「絵空事」でも「遊び」でもない。それは「真面目」な「仕事」である。しかしそれにもかかわらず、いまこれを患者と医者(より一般的には治療者)以外の局外者の立場から見るとき、それがこの二分法ではどうしても知や学問ではない方の側「多かれ少なかれ猥雑さを含んだ」営みの側に分類されるであろうことも確かなことのように思われる。だからこそ中村も「演劇的知」をただちに「臨床の知」と言い換えているのである。

 (中略)

科学も哲学も、それが普遍妥当的な「真理」の探究を窮極の目標とする以上、それは「誰にとっても」開かれた、追試可能・再現可能、そして報告可能な、要するに三人称的な知を求めるものでなくてはならない。それに反して精神科医療の場で得られる「知」は、当事者である患者と治療者のみに占有された「私的」で一人称的な性格をその本質としている。治療者が変われば患者の言うことも変わる、診断も変わるし予後も変わる、というのが精神医学ではほとんど常識になっている(だからこそそれをいくらかでも客観的・科学的にしようとする努力から、治療者の主観を最大限に排除した「質問表」によって症状を聞き出そうとする「標準化面接」や、その結果を一覧表に当てはめて量的に操作しようとする「操作診断」の方法が案出されているが、これが ── ことに患者の立場から見た場合 ── 精神医療の理想から遠く離れた物であることはいうまでもないだろう。)
[……]このような考察にあたっては、自己にしても生命にしても、それを一人称的に(つまり臨床的に)見たときと、三人称的に(科学的あるいは哲学的に)見たときの見え方の違いについて、われわれはつねに敏感でなくてはならない。

ー 木村敏『関係としての自己』第Ⅷ章「生命的差異の重さ」(2005年)より
(太字著者、下線Takeo)



精神医療に於いて、患者と治療者(支援者)との間に極めて良好な「関係」が結ばれずに、「治癒」ということは考えられないのではないだろうか。
言うまでもなく精神の疾患・障害とは「関係性の病い(障害)」に他ならないのだから。






 




2020年2月6日

「恋愛について」ー 障害者の恋愛


冷たい北風の吹き付ける寒い一日。今日のデイケアのテーマはホットな(?)「恋愛について」だった。昨年一月、正式な参加者(=デイケア・メンバー)として初参加したのも、同じく「恋愛について」であった。恋愛の経験すらないのに、このテーマになるとほほとんど独壇場になってしまう。

先ず最初にいつものように、自己紹介(名前)。それに添えられる今日のひとことは、「恋愛対象になり得る人(同性・異性を問わず)で魅力を感じるのはどんなところか?」
わたしは「良くも悪くも、他と違った独自のものを持っている人」と答えた。後から考えると、「その独自性に共通点があれば」と補足すればよかったと思っている。

このプログラムでは、毎回「こころ元気プラス」という雑誌からテーマが採られ、それに関連した記事を回し読みして、その後それぞれが感じたところを述べるという形で進められる。

細かい部分は省略するが、わたしが意見(異見)を述べたのは、資料にあったある精神科クリニックの副院長である女性の書いた「当事者の「恋愛・結婚」~おつきあいする前に知っておきたいこと~」の幾つかの発言に対してであった。

この副院長(以下Kさん)は、

「障害があろうとなかろうと人間として恋愛や結婚は自然なことで・・・云々」と冒頭で述べている。
先ず、「恋愛」と「結婚」を同列に扱っていることに強い違和感を感じるとわたしは発言した。これには既婚者の賛同者が多かった。
「恋愛」という、生物としての本能的な情動・営みと、「結婚」という「制度」「(社会の)仕組み」を同じ次元のテーマとして俎上に乗せることはできない。そもそもわたしは「結婚」を「自然なこと」とは考えていない。

一方で、Kさんは、デイケアや作業所の支援者に会ってよく聞く「恋愛などは、トラブルのもとになりやすいので、外部での付き合いは一切禁止している」ということに対して、「そんな決まりを作ることはナンセンス」と言い切っている。
これには全面的に賛成する。
Kさんは続けて、「恋愛や結婚は、当事者であれ健常者であれたいへんなんです。今まで違う環境で育った人間同士が一緒に暮らすわけですから。それにいろいろトラブルやストレスが起こることは順調なできごとなのであって、なんにもないことの方が変なのだと思っています。」と。

いずれにしても、「当事者同士の外部での接触は禁止」というこの国の偏見と差別に基づいた規制・規則の多い福祉施設が多数を占める中、「当事者同士の恋愛を禁止するなんてナンセンス」というKさんのスタンスは、「あたりまえ」が通用しないこの国の精神医療・保健・福祉に於いて、敢えてエールを送りたくなる。



さて、今回わたしがKさんの発言の中で特にこだわったのは、

「当事者であることの前に、ひとりの男と女としての自分を確立しなければならない」という箇所であった。

「精神障害者である前に、ひとりの人間として」── そのような言い方が果たして可能だろうか?
参加者の中にも、「病気があろうとなかろうと、ひとりの人間として・・・」という言葉はあたりまえに共有されているように見えた。もちろんわたしも特に異論があるわけではない。

けれども、自分自身を顧みて、「精神障害者としてのTakeoである前に先ず一人の人間、ひとりの男としてのTakeoとして・・・」といわれても、正直戸惑ってしまう。

そもそも障害者であるTakeoと、それ以前のひとりの人間としてのTakeoとは分離可能なものなのだろうか?「精神障害者以外のTakeo」というものがどこかに存在しているのだろうか?

これは即ち「自己とは何か?」という問題と直結している。


分裂病の治療に携わっている精神科医なら誰でも、分裂病者の自殺への親近性を痛感しているに違いない。分裂病者は、たとえば鬱病者が(キルケゴールの表現を借りれば)「絶望して自己自身であろうと欲しない」ために自殺を選ぶのとは対照的に、「絶望して自己自身であろうと欲する」ために自殺に走る。分裂病とは自己自身であろうとする、つまり自己を一人称的に個別化しようとする絶望的な努力の病的形態に他ならない。だから、分裂病者であることと、死を求めるということは、ほとんど同語反復と言ってよい。
ー木村敏『関係としての自己』第Ⅴ章「個別性のジレンマ」より(2005年)(太字、下線Takeo)

つまり、ここでは、「私」即ち「分裂病者」であって、「分裂病であるなし関係なしにひとりの人間として」という言説は成立しない。 

わたしはここで木村敏のいう

分裂病とは自己自身であろうとする、つまり自己を一人称的に個別化しようとする絶望的な努力の病的形態に他ならない。

という断定を重視する。

わたしは病的気質、乃至精神障害と言われるものを備えた存在でしかありえないのではないだろうか。それを超えて、「病気のあるなしに関わらずひとりの人間として」という言葉は、あくまで抽象化された観念でしかない。

木村氏の言葉を借りるなら

「精神障害者であることと、「私」であるということとは、ほとんど同語反復と言ってよい。」

わたしは「恋愛」というものに憧れる。けれども、抽象的で匿名的な「ひとりの男」としてではなく、具体的な症状を備えた一回限りの限定された存在として、恋愛は非常に困難であると感じている。

また、次回「恋愛について」のプログラムがあれば、是非、恋愛とは不可分の「性」「SEX」=「スキンシップ」「抱擁」「触れ合うこと」「温もり」等の精神に及ぼす作用などについても話題にしたい。







2020年2月2日

滅びゆく日々


母とわたしはいま一歩一歩滅びの坂を下っている。高齢である母が、この先これ以上に衰えることはあっても以前のように元気になることはない。一歩一歩死に近づいている。
そういう状況にあって、わたしが元気になるということはなにを意味するのだろう。
なにも意味しはしない。わたしの生存の、存在の根拠が失われつつある中「良くなる」とか「元気になる」ということが如何に意味のない言葉であるか。


◇   ◇


No man is an island entire of itself; every man 
is a piece of the continent, a part of the main; 
if a clod be washed away by the sea, Europe 
is the less, as well as if a promontory were, as 
well as any manner of thy friends or of thine 
own were; any man's death diminishes me, 
because I am involved in mankind. 
And therefore never send to know for whom 
the bell tolls; it tolls for thee. 

ーJohn Danne ・MEDITATION XVII ”Devotions upon Emergent Occasions”


ひとりでひとつの島全部である人はいない。誰もが大陸の一片。
全体の部分をなす。土くれひとつでも海に流されたなら、ヨーロッパはそれだけ小さくなる。岬が流されたり、自分や友達の土地が流されたと同じように。
私も人類の一部であれば誰が死んでも我が身がそがれたも同じ。
だから弔いの鐘は誰のために鳴っているのかと、たずねにいかせることはない。
鐘はあなたのために鳴っているのだ。
誰(た)が為に鐘は鳴る、問うなかれ そは汝(な)がために鳴ればなり

ージョン・ダン 「瞑想録十七」より









2020年2月1日

生と死、二階堂奥歯とわたし


愛する者を喪った後(のち)も、まだ生きてゆけるということが理解できない。その「鈍感さ」ではない。その生命力の強靭さが理解できないのだ・・・

わたしの生命(いのち)の、そして生存の根拠はわたし自身の裡にはなく、「愛し・愛される」対象の裡にのみ存在している。このようなことを書くのは、今年になって母の「滅び」というものをこれまでになくなまなましく意識するようになったからだ。つまり母の目に見える衰えと新たな病気の発症。

母の滅びは直ちにわたしの滅びを意味する。「親亡き後」はわたしには当てはまらない。

置かれている状況の如何を問わず、何故ひとは「天涯孤独」で生きてゆくことが出来るのか。
無論身寄り頼りなく、それでも淡々と生きている人は少なくない。わたしは彼ら/彼女らを「不思議」だとは思わない。けれどもわたしはそれほど強くはない。

もののついでにまたぞろ二階堂奥歯の「眼差し」についての話をしよう。

(例えば彼女は2002年4月6日の日記でも、「眼差し」について記述している)



「人間性」とは感情移入される能力のことであり、感情移入「する」能力ではない。
ほとんどすべてのヒト(ホモサピエンス)が人間であるのは多くの人々に感情移入されているからである。ヒトでであるだけでまずヒトは感情移入され、人間となる。
しかし、人間はヒトに限られるわけではない。感情移入されれば人間になるのだから、ぬいぐるみだって人間でありうるのである。

そう、ピエロちゃんは人間だった。私が人間にしたのである。「した」と言う言い方は傲慢だ。言い換えると、ピエロちゃんは私にとって人間として存在していた。
上に書いたようなことを私は小学校1年生ながら理解していて、すさまじい責任を感じていた。なぜなら、ピエロちゃんに感情移入しているのは世界でおそらく私一人だったからだ。ピエロちゃんが人間であるかどうかは私一人にかかっていた。これは大きな責任である。ピエロちゃんに対する責任に比べると、この意味での責任を例えば生まれたばかりの弟に感じることはなかった。私一人弟に感情移入しなくたって世界中のおそらくすべての人間は彼を人間として扱うだろうから。

私がピエロちゃんが人間であることを忘れてしまったら、ピエロちゃんはきたない布切れで構成されたくたびれたピエロのぬいぐるみに過ぎなくなってしまう。それは人殺しだと私は思っていた。私がピエロちゃんをどこかに置き去りにしてしまったらピエロちゃんを見た人間は誰一人ピエロちゃんを人間だと思わないだろう。忘れもののぬいぐるみだと思って捨ててしまうかもしれない。

そして実際私はピエロちゃんを忘れ、ピエロちゃんはどこかにいってしまった。
ピエロちゃんはいつのまにか捨てられた。殺された。
違う。私が、ピエロちゃんを、殺した。
(私が子供を産まずペットを飼わないと決めている理由の一つは、私がピエロちゃんを殺した人間だからである)。

二階堂奥歯『八本脚の蝶』2002年12月5日その1



これもこのブログで過去に何度か引用した文章だ。

わたしと母との関係は、まさにこのピエロちゃんと二階堂奥歯との関係に等しい。
言い方を換えれば、母以外の他人は誰一人わたしを愛し得なかった。わたしに感情移入し得なかった。

しかし今となってはそのこともわたしの特異性として誇れることではあっても、決して卑下する必要はないと感じている。わたしが愛されなかったことも、誰もわたしを愛せなかったことも、運命なのだろう。

わたしが母のいない世界で生きることが出来ないということは、二階堂が、ピエロちゃんの例を以て申し分なく説明してくれている。
これ以上の説明は不要だろう。

わたしはこの一文をことのほか愛している。



一方遡って2002年3月13日その2ではこう書かれている。


私は一人で立っていられないほど弱いのかと問えば弱いと答えるしかない。
だからたまに自分を支える物語が欲しくなるけど、それは転落であり不誠実な態度だという気持ちがいつもつきまとう。
いつでもその根拠を支える根拠を問うことができる。だから信仰はいつも仮のものだ。現実はいつも定義されたところのものだ。
これに根拠はない。しかしこれを現実としておこう。そうやって日々を生きている私が、今更どのような自己欺瞞を行えば何かを信じることができるだろう。

それでも私はほっとしたい、何かを信じたいと思ってしまう。身を投じてしまう。
これは偽物、架空のもの。これの正当性に根拠はない。私の信仰によってこれは信仰に値するものとして聖化される。そう意識しながらそれでも行う信仰には最初から破綻がつきまとっている。
だから、破綻する前に、この(私によって)聖化されたものと、聖化されたものによって価値づけられた私を凍結したいのだ。



彼女は『八本脚の蝶』の中で頻りに「信仰」について言及している。

これについて、わたしは「愛」の根拠を問うことの無意味さを感じる。

順序がさかしまになってしまったが、この記述の前には、以下の文章がある。


自分の死を、生を、存在を価値づけてくれる何かを今更信じるなんて出来るだろうか。
初めて親しくなった異性が生涯一人きりの異性だったころなら、運命の人を信じることができたかもしれないけど、私はすでに何人もの人を愛してしまった。この人が最後の人だなんてどうして思えよう。
愛という名の無償労働という言葉を知った上で、母性ファシズムという言葉を知った上で、どうして無邪気にも傲慢にも愛を特権化できるだろう。
宗教を信じた結果のオウム事件。国家を信じた結果の、主義を信じた結果の……。
破綻した物語を超えてさらに何を新たに信じることができるだろう。

何かを信じるということは、目をつぶり鈍感になることだ。
それによって生まれる単純さによって安らぎと強さを得ることが出来る。
自分で立たず、大きな価値にくるみ込まれて「意義のある」人生をおくることができる。
でも、それは偽物だ。



これを説明するには、これが書かれた五日後、2002年3月18日の日記による補足が要るだろう。そこにはこのような一文がある。

私が死んだら悲しむ人がいて、私がいたらうれしいという人がいる、そういった私的な支え合いの中で生きています。」

二階堂が愛を特別視できないのは、彼女が、「愛されざる者」でなく、自分が死ねば悲しむ者がいる。私がいたらうれしいという人がいる、という「事実」を彼女自身が知悉しているからだ。
彼女にとって、To Love and To Be Loved 「愛し、愛される」関係は日常であって、何ら特権的なものではない。愛し愛されるという関係が何ら特別な意味を持たない以上、愛する者の喪失が、自己の喪失に繋がることはない・・・

二階堂は、

   自殺しても

 悲しんで呉れる者が無い

 だから吾輩は自殺するのだ。

という夢野久作の歌集『猟奇歌』からのこの一首をどう感じるのだろう。



最後に、「愛する人(もの・生物)」を喪った人に、「彼/彼女は、あなたの心の中で生き続けている・・・」という言い方を屡々耳にするが、わたしは昔からその意味がわからなかった。世界は、外界は、感覚によって存在している。笑顔を見ることも、話すことも、触れることも出来ない存在がいったいどこに存在しているというのか・・・

それゆえ彼女の2002年12月7日の記述はまったく理解できない。



こうして、われわれの前から永遠に消え去った人物はみずからが自己の内部に取り入れた対象であり、自己によって良い対象でありながら二度と再びめぐり会えぬ失われた対象となっていく。これこそわれわれが常に掴もうとあがきながら、掴みそこねる失われた対象としての対象aの一つの現世的な姿だとはいえないだろうか。そこで逃れて失われてしまった対象とは、外部の他者のようにみえて、その実、自己の内部に生み出された極めて内的な自己像だったということができるのである。
主体の消失がその補完物としての対象aを誕生させたように、対象の喪失はそれをとおして欠けてしまった自己の姿を映し出す。この両者は合わせ鏡のようにその欠けた縁を重ねて、はじめにあったはずの主体の欠如を反復する。対象aは失われたという資格で世界のどこにでも登場し、主体はこれら消え去った対象に橋渡しされることで、彼岸に投擲された十全なる存在と逆説的にその関係を保とうとする。ここでも失われたという事実が、ひるがえって、かつてたしかにそれが存在したという確証として対象aにアリバイを与え、それを無限の遠点へと先送りしている。
(福原泰平『ラカン 鏡像段階』講談社 現代思想の冒険者たち13 1998.2)

失われたそれは、失われたというまさにことによって特権化された(それの意図に反して)。
それは、求めても得られないがゆえに、いつまでも求め続けることが可能な存在になった。たどり着くことの出来ないその名のもとに、過去形という形でしか存在できない、幻の「失われた楽園」が現在において創造される。
失われたものは特権的ななにかではない。その価値は、「失われた」というその一点にあるのだ。明らかに。
それはわかっている。



ポルトガルの作家、ジョセ・サラマーゴは次のように言っている。

「最大の苦しみは、「その瞬間」に感じられるものではない。それは、あなたが、そのことに対してもはや何事をもなしえないと悟った時に感じられる。
「時が癒してくれる」と人は言う。だが我々はその理論を裏付けるほど長くは生きないのだ」

"The worst pain … isn’t the pain you feel at the time, it’s the pain you feel later on when there’s nothing you can do about it, They say that time heals all wounds, But we never live long enough to test that theory…"

— José Saramago “The Cave”

しかしわたしが知る限り、喪失の悲しみを表わす言葉で最も適切と思われるのは『断腸』であろう。



〔関連投稿〕人を「助ける」ということ