2020年1月16日

追記 泣けとばかりに・・・


下の記事を書く時に、偶然わたしはYou Tubeで、マックス・リヒターという人の曲を聴いていた。この曲を聴きながら、「おばあさん」を読んでいると、胸が熱くなり、涙が流れそうになる。
「だから」わたしは、音楽を止め、投稿にもその曲を貼りつけることを意図的に避けた。
これじゃあ「風の音が胸をゆする泣けとばかりに・・・」津軽海峡冬景色じゃあるまいし。

今、再度その曲を聴きながら、曲に投稿されているコメントを読むと、こんな書き込みが目についた。


геннадий яковенко 1 年前

This one is what's you need to clean up your ugly soul by tears... Especially,when it's at background while you're reading something tragic..

「この曲を聴いて、きみの汚れた魂を涙で洗い清めるんだ。特に、何か悲しい物語を読んでいる時に、バックに流してね」

わたしも(そしておそらく辺見も)世を拗ね者で、「泣けとばかりに」というのが嫌いでね・・・




美と悲しみ


バスの運転席近くに薄暗がりがあった。小さな影が消え入りそうに座っていた。
イエユウレイグモ。白髪のおばあさん。隣に座る。おばあさんは動かなかった。
よくみると、顎をこきざみにふるわせている。影の微動。


なにか臭った。おしめか。ダイコンのぬか漬け。おばあさんの左手の指にさわってみた。おばあさんは動かなかった。ただ、冷たい指が細かにふるえていた。
ぬか漬けが濃く臭った。


いま、どうしていますか?


きのう隣にすわったちいさなおばあさん。いまどうなさっていますか?
お昼はちゃんとめしあがりましたか。お昼寝しましたか。夢を見ましたか。
どんな夢でしたか。バスでわたしが隣にすわったこと、おぼえてらっしゃいますか。あなたはどなたですか。


どなたでもない。ということはありえません。でも、だれでもない、そうとしか言えない姿をわたしはみました。運転席をしきる鉄のバーをあなたは両手でにぎっていた気がする。骨にじかに皮をはりつけたような手で。


おばあさん、あのときあなたは時間のむこうをみていた。身に寸鉄もおびずに。
ぬか床のにおいのなかのあなた、拳銃いっちょうくらいよいのですよ。ぶっぱなしたって。バーン。わたしを撃ったって文句は言わない。どうぞ。


おばあさん、貧しく、寂しそうなおばあさん、ぼくはあのとき、引っ越しのことを考えていたのです。どこからどこへ引っ越すのか・・・・・わからなくなって。けふ、おもいつきました。それで、おばあさん、あなたに電話しようとしましたが、かかりませんでした。


おばあさん、貧しく寂しく、ぬか漬け臭いあなた。いじめられているのですか?やさしい口調(笑顔)のひとびとに、とってもやさしく朗らかにいじめられているのですか。


了解!仕返ししましょう。てつだいます。どこまでも陰湿に報復しましょう。


こくみんひとりびとりの口にビゴのピストルをくわえさせて、君が代をハミングさせませう!おばあさん、あなたに指揮を任せます。


ぼくはぼくから引っ越そうとしているのです、おばあさん。

ー 辺見庸「おばあさん」『純粋な幸福』より

◇

おばあさんであれ、障害を持った人であれ、描くことは難しいと感じさせる。悲しいね、さびしいね、とべとついた感傷は御免だ。であるならば、いっそこのようにふざけてしまった方が「マシ」なのかもしれない。

辺見庸がどのように「おばあさん」を描こうと、世の中にこのような「おばあさん」が存在することは事実だ。

これは逆説的だが、今の救いのない、救いようのないこの世界に、さびしいおばあさんのような存在があること。それだけが救いだと近頃ますます強く感じるようになった。

世界に悲しい言葉、悲しい詩(詞)、悲しい曲があるというのは救いだ。そして悲しい運命を背負った人がいるということも、また救いだ。

寂しく、貧しいおばあさんの微笑みを心から願いながら、わたしはひとりでも多くの人が、寂しく、貧しくあれかしと、同じように願い、望む。

笑顔よりも、泣き顔の方が崇高で、美しいと信じている者より。


ー追記ー


「・・・神性の輝きが世界から消えてしまったのである。世界の夜の時代は、乏しき時代である。それはすでに甚だしく乏しくなってしまって、最早神の欠如を欠如として認めることができないほどになっているのである・・・」
ーマルティン・ハイデガー『ハイデガー選集 Ⅴ』「乏しき時代の詩人」(1972年)(手塚富雄、高橋英夫訳)より

「〇〇の欠如を欠如として認められない時代」・・・わたしがこの空欄を埋めるなら、「美の欠如を欠如として認められない時代」と躊躇うことなく書きこむだろう。

寂しくまずしいおばあさんの実在を称揚し、美化すればするほど、その崇高さが希釈され、物象化されるというパラドクスにわたしは困惑する。

わたしはただ、黙ってその実在の前に立ち、頭(こうべ)を垂れる他ないのだろう。














アイスベアー 



"She fed him rosehips from a beautiful bowl to sweeten his voice and calm his soul."
Illustration from the bool 'Ice Bear' by Jackie Morris.

彼女はうつくしい器に盛ったローズヒップを彼に与えた。その声にやさしさを、心に安らぎをもたらすために・・・

 イラストレーション ジャッキー・モリス。絵本『アイス・ベアー』より


◇


かつて詩人飯島耕一は「母国語」という詩の中に

「わたしは母国語で日々傷を負う」という一行を残した。

わたしに必要なのは水の流れのように清冽な旋律と物言わぬ自然・・・

そしておそらく、ときに、脈打ついのちを抱きしめること、その拍動と呼吸を直に感じることが必要なのだ。

他のいのちを抱きしめることが自己のいのちを抱擁することになるのだから。



Arvo Pärt - Trisagion - Estonian National Symphony Orchestra - Dir. Paavo Järvi (2002)




2020年1月15日

読者のみなさまへ


暫くこのブログから離れていました。事情については、ここでは述べません。
ただ、落ち着いて書ける環境ではなかったということです。

他のブログで、丁度投稿数が50になったのを機に再び戻ってきました。
まあ「投稿数が50になったのを機に」というのは単なる偶然でしかありませんが。

すべて、書かれた日付順に並んでいます。既にここに書いている時から、離れることを予想して、よそで書いていた記事も混じっていますので、必ずしも、ここでの最後の記事の後に50の文章が付け加えられたわけではありません。いずれにしても、一度に50の記事が投稿されたわけですから、読みにくさも、また日にちを遡ることの面倒もあろうと思いますが、必ずしも時系列順に読む必要はありませんので、目に留まった投稿をお読みいただければ幸いです。

2020年1月15日

Takeo











わたしとは「誰」か?


一昨日、13日付東京新聞『本音のコラム』で、過去に何度か紹介した精神科看護師の宮子あずささんが書いている。タイトルは『「甲さん」「乙さん」ではなく』

以下全文引用する

◇

知的障がい者ら四十五人が殺傷された「津久井やまゆり園」事件の裁判員裁判が始まった。実名が出る被害者はただ一人。他は「甲A」「乙B」などと記号で呼ばれる。この中、今月八日の初公判に合わせ、殺害された女性の母親が、その名前を公表。大きな話題になった。母親は「『甲さん』『乙さん』と呼ばれることは納得いきませんでした。ちゃんと美帆という名前があるのに。どこにだしても恥ずかしくない自慢の娘でした。家の娘は甲でも乙でもなく美帆です」と語った。
本当の気持ちを言えば、私はなるべく実名に近い名前で、被害者が呼ばれて欲しい。
理由は二つある。ひとつは、障害者を人と見ない加害者にあなたが殺したのは名前を持つ人なのだという事実を突きつけたいから。そしてもうひとつは、被害者家族が障害を恥じない姿勢を示してほしいからだ。
これは批判や要求ではなく、あくまでも願いであり、望みであり、祈りである。美帆さんのように名前だけでもいい。無理ならイニシャルだけでもいい。記号以外の何かで名付けてほしい。
背景に差別があり、だから実名を出したくないのはわかる。でもこの「わかる」を乗り越えていかなければ、世の中は変わらない。ひとりひとりが少しづつ自分を乗り越えよう。そうせねばならぬほどひどいことが起きたのだ。
◇

確かに甲だ乙だAだBだと呼ぶことは、被告に、「俺が殺したのは、結局甲とか乙であり、1番2番・・・であって、「固有名詞を持つ人間存在」ではない。ということを、向こう側が裏付けている。」という感想を持たれても仕方がない。思う壺である。

どのような肩書を持ち、どのような状態の生であっても、人間を記号で呼ぶことは、彼ら/彼女らの魂を再度抹殺したことに等しい。植松被告は彼らの生存を消し、被害者の家族を含めた世間は、彼ら/彼女らの存在自体を否定する。被告と懸隔した場所に立つわけではない。

あくまでわたし個人の意見だが、これは殺された者たちへの冒瀆である。
家族が殺された。そして殺された娘や息子、兄弟・姉妹を「甲」「乙」で呼ぶことに耐えられない人がただ一人とは。差別が怖いなら、差別するものを殺しても構わない。最早これ以上怖れるものは何もないはずではないか・・・

けれども、同時にわたし自身、はたして「武雄」であるのか?という想いもある。
嘗てわたしは「武雄」であった。けれども今は一障害者、単なるアノニマスのひとりではないのか、と・・・

以前のブログで、石原吉郎が、「無名戦士の墓」について「無名の戦士などいるはずがないし、自分はこの「無名戦士」という呼称を断じて受け入れることはできない」というようなことを書いていて、わたしはそれに対し反論をした。

その時に「名前とはどのような意味を持つのか?」ということを、『シベールの日曜日』という映画を引きながら語ったが、今その記事を見つけることができない。

やまゆり園で殺された人たちにも、無宿者にも名前がある。宮子氏のように生ぬるいことを言っている場合ではない。世間が彼ら/彼女らを「甲」「乙」と呼ぶことを許しては、肯(がえ)んじてはならないのだと思う。繰り返すがわたしはそれを(仮に家族の意思であろうと)「第二の(障害者の)抹殺・否認」と考える。

そして同時に、唯一自分を愛してくれた人を殺された時に、彼を(誤解から)射殺した警官に名前を訊かれ「もう、わたしには名前なんかない・・・」(DVDでは「もう名前なんか必要ない・・・」)とうなだれた少女シベールの気持ちも100%理解できるのだ。

わたしの心の中にはいつもこの言葉がある。
嘗て、陽気なディーン・マーティンが歌った曲のタイトル

"You Are Nobody Till Somebody Loves You..."






Junkoさんのコメントに寄せて。


昨日、Junkoさんの「書き続けること・・・」に頂いたコメントに対して、まったく満足のいく返信ができなかったことを先ずお詫びします。
最後の部分に書いてくれた、前の投稿に使ったモノクロ写真についての感想にも触れることが出来なかった。「アンタイトルド」(無題)という写真を気に入ってくれたと。
ああいう投稿もちゃんと見てくれているんだ、とうれしい思いです。
往々にして「追伸」や、「あ、それから・・・」と、付け足しのように書き添えられている数行のくだけた文章に、書き手の人となりが垣間見えるいい感想を聞くことは、よくあることと思います。

現在は自分の文章を綴ることが精一杯で、頂いたコメントに充分な返事ができません。
原因は、この異常な疲れ。今日も午後からのデイケアに参加して、そのあと参加者と30分ほど話しましたが、帰って来て非常に疲れました。何度も書いているのでご存知でしょうけれど、わたしがデイケアに通っている病院は家から徒歩10分圏内です。
疲れるのはデイケアに参加した時だけではなく、最近はどこにも行かず、何もしていないのに、常時疲れている感じです。母は、目が見えないせいだ、といいますが、本当にそれだけなのか?それが主たる原因であるのかは他の科に掛かること、内科で血液検査などしてもらうことを「怖れている」ので、原因の特定は困難です。

昨年末に「家から出てゆく」の何のと書きましたが、そのことに触れていないのは、現在弟が、わたしの状況を見て、ひとまず、戻ってくるということを考えないでいてくれていること、(そのため、月々の家賃が支払われるわけですが)加えて、わたし自身、また母の体調が芳しくないことも併せて、「出る」「出ない」より前に、目前に迫る(母とわたしの)「滅び」という感覚が強くなっているということだと思います。

本日のデイケアのプログラムで、例によって、最初に「名前と、ひとこと」があり、今日の一言は、このプログラムが今年初めてということもあって、
「月並みですが皆さんの今年の目標を」

「アルバイトを始めたい」「就労を目指したい」「作業所2年目なので、このまま続けられるように」「いろんな意味で、スタートの年にしたい」などの意見が出た中、わたしは、まったく「明日」のことさえ分からない、見えないので、「今年は・・・」などということは言えないと、今の率直な気持ちを伝えました。仮に「可能であるか不可能であるかはとりあえず措いて、希望や夢などはありますか?」と訊かれても、'Unreachable Star' 「届かぬ星」「見果てぬ夢」について語ることは余りにも悲しい。更に言えば「寝言は寝てから言え!」ということ。

尚、今日のデイケアは久し振りに「集団認知行動療法」。
昨年末に書いたように、ある参加者から、「認知(行動)療法というのは、こういうものなんだから、あなたがいくら異議を唱えても仕方がないんだよ」と言われ、その通りだなと深く納得し、それ以来出席しなくなっていましたが、今日のテーマが、「適応的思考」ということで、「現代社会に適応しないこと」をアイデンティティとしているわたしには、他の参加者が、「適応すること」についてどのような意見を述べるのか関心があったので久し振りに顔を出してみました。

そのことについては改めて書こうと思っています。

疲れているとはいえ、半分上の空のような返事をしてしまったJunkoさんにはあらためてお詫びを。そして今後のことはまったくわかりませんが、今の状態では、コメントを頂いても、昨日のような結果になるであろうことを改めてご理解ご容赦ください。
それでも、コメントを読むことはいつも楽しみにしています。






2020年1月12日

死と滅び


「死」ということを最近よく思うように・・・否、感じるようになった。
ここに言う「死」とは「自死」ではない。それに実際は、所謂一般にいわれる「死」「死亡」という言葉よりも、感覚としては寧ろ、「滅び」に近い。
わたしという実在が死ぬ
わたしという実在が滅びる・・・
死は遍く誰にでも訪れる。しかしすべての死が「滅び」ではないだろう。

「滅ぶこと」と、「死」を、今明確に区別することはできない。
ただ、「滅び」は「敗北」により近いという気持ちがある。
わたしはいったい何に敗れたのか。
わたしはいったい誰に敗れたのか・・・

自分自身の「滅び」と共に、この家族の、就中「母の」「滅び」を感じる。
両者の死、双方の滅びは結ばれている。

◇

死ぬことが怖い。今ここに銃があれば、その銃口を口に咥えることを厭わないし、誰もが思うように、「眠っている間に楽に死ねる薬」があれば、それを飲むことを躊躇わない。死、消滅よりも、死に至るまでの過程、終焉までの苦しみが怖いのだ。

桂枝雀師匠は若い頃、「死ぬの怖い病」だったと自著に書いている。そしてその気持ちは最後まで変わらなかったのではないか?「死を恐れるものは、殺される前に自ら死ぬ」
これは普通の人にはわかりにくい感覚かもしれない。
無論枝雀師匠の自殺については、わたしの勝手な憶測にすぎないが・・・

「死ぬことが怖い」と同時に、「生きることになんのたのしみも見出すことができない」
それはわたしの怠慢であるのか。それはわたしの無能・・・というよりも、愉しみを見出すことができないという、生きる上で何よりも必要な資質の欠如に因るのか?

◇

昨夜から頗る体調が悪い。風呂の水を洗濯機に入れるというのが、今わたしのできる数少ない「手伝い」のひとつだが、それをやってしばらくしてからパソコンの画面を見ていることさえ大儀なほどの疲れが湧いてきた。

わたしの机の上に、2016年の卓上カレンダーが置いてある。
これも母に買ってきてもらったもので、それ以前は、毎年銀座伊東屋や、丸善のカレンダー・フェアにいって、ちゃんとした「来年のカレンダー」を求めていた。友人を失ってからは母と一緒に行っていたと思う。

その後わたしは ' a man with a past ' に ' Clock without Hands'になっていった。
つまり時が静止した。そして年を重ねるごとにできることが消えていった。
2016年、4年前には、今よりも4倍のことが出来ていたはずだ。
何故このように、毎年確実にできることが減ってゆくのか。

◇

年を取ってゆくにつれて、できないことが増えてゆくということは、とりもなおさず、年々母の負担が増えるということに他ならない。

そうまでして生き続けている意味・・・だがもうそんなことを考えることにも疲れた。

どうしたら母をしあわせに・・・とまでは言わずとも、少しでも楽に、そして笑顔になってもらえるのか?それはおそらく、わたし自身が笑顔になること、わたしが元気になって実際に母の負担を軽くすることだろう。
けれども、それは難しい。元気になるには、「母のため」ではなく、自分自身の生きがいを、たのしみ、よろこびをもたなければならない。

◇

今日は時間が重なって、ベランダでタバコを吸う弟の煙を、トイレの中で浴びてしまった。風に乗って、煙が流れ込んでくるのだ。
しかしわたしは舌打ちをする気も、ここから出てゆくと自殺を仄めかし、これ以上母を困らせるつもりもない。もうそんな気力もないのだ・・・

大田区にいた頃、馬込から蒲田の自宅に毎晩通っていたことは前に書いたと思う。
そこで食事をし、入浴して再び電車に乗って馬込に帰るのだが、帰路、歩きたばこをしていた人も珍しくはなかったし、アイドリングをしているクルマも皆無ではなかった。
けれども、それを苦にしたことはなかった。
一方で当時から、母に洗濯してもらったものを、もう一度、アパートの日当りのいい、風通しのいいベランダで、風に当てるということはしていたが。

◇

今問題なのは、弟の煙草のことではなく、わたしの状態・状況だ。
わたしは母だけではなく、弟にとっても邪魔者になっている。
最近はそんな風に思うようになった。

昨日Tumblrで、こんな写真を見つけた。




ひどく嫌な思いをした。

同じアマチュア・フォトグラファーの


この写真も不愉快だった。けれども現実にわたしを取り巻く外界はこんなものじゃない。

(「彼」はいい写真もいくつも撮っている。)

同じ「待つ」といっても、わたしはこちらの絵を選ぶ。


James (Jacques) Joseph Tissot (1836 - 1902), Waiting (also known as In the Shallows)

◇

生き難さを感じる者は、何かが「間違っている」のだろうか?

例えば「発達障害」とは「存在としての」「間違い」だろうか?

自分を苦しめる美意識・・・ニーチェだったか、「美に敏感な者が、醜さには鈍感ということは考えられない」と言ったのは。


啄木の歌を想ふ

 わが病の
 その因るところ深く且つ遠きを思ふ
 目をとぢて思ふ ー「悲しき玩具」より

◇

昨夜つかれたからだを横たえて読んだ、昭和42年に33歳で処刑された、島秋人の歌集『遺愛集』より


● おろそかに過ごし得ぬ日とおもいつつなすことのなくひと日昏れたり


● 身に淋しきことのあるいま掌(て)にのりて啼く文鳥の啼くを愛(かな)しむ


● 幼な日の優しきことの幾つかを獄壁(かべ)にさはりつ憶(おも)ひ更けたり


● 温もりの残れるセーターたたむ夜ひと日のいのち双掌(もろて)に愛(いと)しむ

『遺愛集』の序文を書いた歌人窪田空穂は

「遺愛とは生前愛したもので、死後に遺すものという意であろう。秋人の遺しうるものは、ただその作歌があるのみおである。わが作歌こそわが生命であるとの意であろう」

と記す。

遺愛の品。そんなものがわたしにあるだろうか・・・