2019年12月29日


ブログが書けない。書かなければならないという気持ちもない。ただ唯一、底彦さんがわたしのブログに、僅かとはいえ、心の慰安を感じていてくれたこと、それにもう応えることができない。それが底彦さんに対してというよりも、自分自身にとって残念に、心残りに思う。

文章を読む意味がわからなくなってきた。書く意味もまた。何を「書く」のか?
「書くこと」とはどういうことか、わからない。
先日他の自治体から再び(三度?)借りた、『石原吉郎全集2』、結局一度もページを開くことなく、2週間が過ぎて、一文字も読まぬまま返却した。
つげ義春も、業田良家のマンガにも手が伸びない。

今日は絵を選ぶことにも気が乗らなかった。

今夜は繰り返しおなじCDを聴いていた。ルネサンス期の作曲家ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナのミサ(混声合唱無伴奏)と、パレストリーナと同時期のジョヴァン・レオナルド・プリマヴェラのマドリガル(器楽)

わたしは「キリエ」というラテン語が使われる曲をよく聴く。


先日の繰り返しになるが、わたしが例えば来年の3月、或いは、来年の今頃に、「まだ」生きていたとしたら、それはいったいどのような形での生だろう?

德富蘆花の「不如帰」、(この部分しか知らないのだが)病の床にある妻浪子が、「武男さん、どうして人は死ぬんでしょうね・・・」と問いかける場面がある。

同じ名前の武雄としては、それ以前に「人はなぜ生きるのか?」を知りたいのだ・・・


2019年12月23日


冬の夜は恐い。

窓を開けて身を乗り出して、陽の落ちた夜の冷気を感じただけで、震えてしまうほどに。
喉の奥で声にならない叫び声を上げてしまうほどに・・・

かつて自分が、こんな冬の夜に外に出ていたことがあったなんて。

それもひとりで。

それも電車に乗って。

何故人は平気で、夜、ひとりで、電車に乗ったり外を歩いたりすることが出来るのだろう・・・

これは底彦さんの訴える「人が怖い」「人混みが怖い」というものとは異質のものだ。

わたしが何よりも怖いのは「孤独」


明日も4時50分からの主治医の予約をまた母に行ってもらう。

母も疲れでいろいろと体調がよくない。

改めて、人の世話になるしか生きられない者の「生の資格」を考える。

人の命を喰い潰して生きている者の生の在り方を思わずにはいられない。





2019年12月16日


何も書けない。底彦さんのブログを読んでいたら、このようなことが書かれていた。

「頭の中が様々な情報で溢れて混乱しているということだ.それらをどのように考え, 処理したらいいのかがわからない.」

底彦さんの言われる、「頭の中が様々な情報で溢れて混乱・・・」という意味はよくわからないが、わたし自身同じような感覚を持っている。

自分は無価値である。

生きていてもしょうがない。

孤独。

さびしい。

誰とも通じ合うことができない。

いない方がまし。

(生きることが)こんなに苦しいのなら、酒やクスリに手を出すのは寧ろ自然なことではないか。

これまでは、底彦さんの呻吟がある種の救いでもあった。けれども、よく考えれば、底彦さんは呻きながらもやるべきこと・・・少なくとも出来る範囲のことはきちんとやっている。

そんな底彦さんに劣等感を覚え、自分自身に自己嫌悪を感じる。

底彦さんの投稿に残したコメントは今も短剣のようにわたしの胸を突く。

曰く

「「話が通じる」ってどういう状態(どういうこと)だろうと頭をひねります。そしてわたしは嘗て人と話が通じたことがあっただろうかと訝ります。
わたしは瀬里香さんと、ふたつさんと、底彦さんと、Junkoさんと話が通じたことがあったでしょうか?」

逆に言えば、「話が通じない」というのはどういう状態なのか?そして何故わたしは誰とも話が通じないのか・・・

気狂いだから? 化け物だから?










2019年12月15日


最初にふたつさん。お返事がなかなかできず申し訳ありません。

皮肉なことに、ふたつさんは、わたしの「ナニモワカラナイ!」という投稿にいつもながらの内容の濃いコメントをくださいました。でも今は本当に何もわからないのです。
少し時間をください。

目が片方見えないと、頭の半分が機能していないような感じです。
眼科、1月6日9時の初診は、とても行けそうにないので、午前の一番遅い11時に変えてもらうように電話しました。11時の初診で一番早いのは2月の7日。真冬です。風邪をひいていけないかもしれない。すると次は3月?

もう目は良くならないかもしれません。

◇

「人は失敗を通じて成長する」とよく聞きます。
けれどもこれはわたしには当てはまらない。

わたしは某サイトで、ある人を不快にさせてしまいました。
そのことに先程気付き、謝罪の言葉を遺して早々に退会しました。
ところが、文章を書いた本人がいないと、その投稿も反映されないようなのです。

わたしは「いやな気持ちになった」と指摘されて、黙って逃げるような形にはしたくなかったので、同じ名前で再度入会し、謝罪のコメントを投稿し、明日その人「たち」がその投稿を目にしたであろうことを願って、正式に退会するつもりです。

先刻その投稿に、上記の「人を傷つけたら謝ればいい、人は失敗を通じて成長・・・」という慰留のコメントが寄せられました。

仮にわたしがふたつさんを、底彦さんを、Junkoさんを傷つけたとします。
無論それが分かれば謝ります。口先だけではなく、傷つけたという事実に対して。
けれどもわたしは変わりません。いつも言っているように、わたしが人に嫌われ、疎まれるのは、わたしがどこまでもわたしであるからです。

わたしは人を傷つけるつもりもなければ、自分を変えるつもりもない。
第一変えられない。

自分の個性、自分の思考が好きでたまらないからか?

違う!

わたしはわたしを受け容れなければならないと思っています。

先程の慰留に関しては・・・無理ですとは言えない。だから黙って去ります。
居続けるということは、そこで言葉を発するということは、今回のように、どこかで、誰かを不愉快にさせることを意味します。

けれどもわたしは言葉を、思いを発信せずにはいられない人間です。
それも自分の言葉を。

合わなければ去る、別れる。失敗から成長というのはわたしとは全く無縁のことです。
つまりわたしは永遠に成長しない(成長することを止めた)オスカルです。





2019年12月13日

孤独


「話が合う」ってどういうことだ?

「孤独じゃない」ってどういうことだ?

成程ここを訪れてくれている3人は、わたしという人間のかなりの深いところまで知っている。1年間通ったデイケアの利用者、そしてスタッフの誰よりも。

「自殺肯定」「現実否定」「スマホ・タブレット・電子書籍(=語義矛盾)嫌悪」、「アル中、ヤク中、場合によっては殺人者をも肯定するが、名利(金と名誉)に敏い人間が大嫌い」「皆が好きなものは皆が好きという理由によって嫌い」「日本という国が大嫌い」「人類は(わけても日本人は)地球上から消滅すべき」・・・エト・セトラ・・・

これだけでも相当過激な変わり者だが、それをとりあえず受け容れてくれている。

けれどもわたしはあなたたちの顔を知らない。声を聴いたことがない。文字を見たことがない。それは逆さまにして、ふたつさんも底彦さんもJunkoさんも同じこと。
わたしの顔を知らない。わたしがどんな風に話すのかを知らない。どんな文字を書くのかを知らない。淋しい時、怒った時、どんな表情をするのか知らない。

だから「わたしは孤独ではない」ということができない。

それにしてもこの3人以外に上記のような「わたし」という人間を受容してくれる人間が存在し得るだろうか?

そしてみんなは、このアンチ・ソーシャルの権化のような存在を現実に目の当たりにした時にいったい何を感じ何を思うのだろう・・・






「めぐり逢い」


わたしは切実に出逢いを求めている。けれども、わたしの求めている「人との交流」というものが、いったいどのような形のものなのか?自分でもよくわからない。

今年一年間、月平均3回ほどではあったけれど、デイケアに通った。人一倍発言をしたが、親しい人はひとりも出来なかった、また、あの人と話してみたいと思える人も見つからなかった。

同性とのメールでの雑談のレベルでもいいのかもしれないと思ったり、SM系の風俗店に行ってみようかしらんと思ったりもする。

自分の心に率直に問いかける。「SEXがしたいのか?」と?
わからない・・・したいわけではないが、必要な気はしている。
「恋人が欲しいのか?」いや、特にそんな気持ちはない。
それなら身体だけの関係でもいいような気がする。しかし繰り返すがそれを心底欲しているのか、わからない。所謂「性欲」があるのかさえ、わからない。

ただひとつ確実に言えることは、「出逢い」を求めているということ。

どういう形の「出逢い」を求めているのか?

それをどうやって知ることができるのか?

いったい「出逢い」とはなんだ?


ー追記ー

この投稿は11月の「覚書」のつづきになるだろう。





2019年12月10日

檸檬 落ち葉・・・


Falling Leaves , 1877, Nadezhda Elskaya. (1947 - 1978)
- Oil on Canvas - 

20世紀ロシアの画家によって描かれた「落ち葉」。
描かれたのが1977年。亡くなる前年です。31歳で亡くなっています。

◇

明日返す(母に返しに行ってもらう)つげ義春の「近所の景色」という作品の中に、
ゴミを回収して生計を立てている人の多い朝鮮人たちの住む一帯があって、そこは当然貧しい人が多く、ボロ屋とゴミばかり目立つ場所なのですが、主人公は何故かそこに来るとほっとする。
その中で主人公の心中で思い出される梶井基次郎の「檸檬」の文章を孫引きします。

◇

何故だか其頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えてゐる。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても他処他処(よそよそ)しい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさくるしい部屋が覗いてゐたりする裏通りが好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまふ、と云ったやうな趣きのある街で、土塀が崩れてゐたり家並が傾きかかってゐたり ── 勢ひのいいのは植物だけで、時とするとびっくりさせるやうな向日葵があったりカンナが咲いてゐたりする。
 時どき私はそんな路を歩きながら、不圖、其処が京都ではなくて京都から何百里も離れた仙台とか長崎 ── そのやうな市(まち)へ今日自分が来てゐるのだ ── という錯覚を起こさうと努める。


つげの引用はここまでですが、続けます。


私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないやうな市へ行ってしまゐたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂ひのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になりたゐ。希わくはここがいつの間にかその市になってゐるのだったら。錯覚がやうやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんのことはなゐ、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失ふのを楽しんだ。

『ちくま日本文学全集 梶井基次郎』(1992年)より 

上は『つげ義春全集8』(「近所の景色」「無能の人」他)(1994年)

◇

「檸檬」はわたしも好きな短編です。この本は、確かまだよく銀座界隈に行っていた頃、小説の舞台である「丸善」ではなく、「八重洲ブックセンター」で求めたものだったような気がします。あの頃は本当によく街を歩いた。

何もかもが変わってしまった・・・