2021年8月28日

底彦さんへ、(コメントの返信に代えて)

 こんばんは、底彦さん。

「社会というものは思想の網の目では捉えきれないほどに複雑なもの」という考え方に底彦さんは共感されています。しかしほんとうにそうでしょうか。いうまでもなく「社会」というものは、「人間がその中で生きてゆくための装置」に他なりません。それは文字通り、「健康で文化的な『最低限度の』生活」を営むための仕組みです。


人間と社会はそれぞれ本来は別個のモノです。しかしほとんどすべての人は特定の文化・習慣・伝統・風俗を持ったクニ=社会の中に生まれてきます。
これも繰り返しになりますが、我々は自分の生まれてくる時代も、国も、性別も、親の人格も、家庭の豊かさ貧しさも、家族との関係も、自分の性格・性質も、容姿も体質体形も、才能・能力も、障害や持病の有無も、何ひとつ自分で選んだものはありません。我々人間は、そのような「自分が自分である」という基盤を、何ひとつ自分で選べないという不条理と共に生まれてきます。これを言い換えれば、我々は、良かれ悪しかれ、すべて違うということになります。

一方で「社会」というものは、既定の生き方というものを我々に提示するだけです。
小学校に行き、中学に行き、高校に行き、その先は、専門的な技術や知識を身に付けるための学校に行き、大部分は企業という組織に入り、やがて結婚し、子どもを設け、子どもは孫を産み、自分は年金で暮らしてゆく。という大まかな「コース」が予め決められています。
もっとも、この所謂「既定のコース」「定食の人生」というのは、個々人よりもクニ=しゃかいを優先するという、遅れた国の持つ特徴でもあるでしょうけれど。


「社会」というものは、「決まり事」の総体です。けれども、我々個人個人は、良きにつけ悪しきにつけ、「個性」(個別性)というものがあります。しゃかいはニンジンやピーマンを食べさせようとしますが、ニンジンやピーマンが嫌いな人もいます。ニンジンが嫌い、ピーマンが嫌いということは、わがままではなく、その人間の「個性」「個別性」に他なりません。そこに「社会」と「個人」との軋轢・相克が生じます。そして社会の成熟度とは、レディー・メイドのシステムからはみ出た者にどれだけ寛容であるかによって量られます。或いは「個人」と「社会制度」との軋轢・対立の多さによって。ニンジンやピーマンが嫌いだから食べないという人を、どれだけ寛容に受けとめられるかによって決められます。
畢竟社会の豊かさの規準とは「ニンジン、ピーマン」に代わる「選択肢」の多さです。


>自分は社会のシステムに寄りかかっている, 助けられている.
しかしその社会は自分を簡単に振り落とす可能性を持ったシステムである.

繰り返しますが、社会というものは、その国に暮らす者が「漏れなく」生きることのできる装置であり仕組みです(で、なければなりません)。社会はこぼれ落ちたものを放置しておくことはできません。こぼれ落ちたものを救助するのは社会の責務です。わたしは何故「社会に助けられている」等という言葉が出てくるのかがわかりません。助けない(助けられない)というのは、とりもなおさずその社会の薄志弱行に他ならないからです。


個人は社会を否定することができます。けれども、個人と社会は左右対称ではありません。仮に社会を全否定する者であっても、社会は、その者を否定することは許されません。
極論するなら「右の頬を擲たれたら、左の頬を差し出せ」これが社会というものの本質ではないでしょうか。少なくとも「国」「社会」は、「民主主義国家」を謳う以上、国民・市民の「下僕」であるはずです。

繰り返しますが、すべての人間が自分が生まれ落ちた社会の仕組み、文化・習慣、思考様式に馴染めるわけではありません。何故なら、我々はそれぞれに違うことを前提とした生身の人間・生体であって、同一均質を大前提とした「製品」ではないからです。「製品」でない以上、JIS「日本工業規格」(Japan Industrial Standard )のような「スタンダード」=「規準となる規格」もまた、存在しません。

>Takeo さんには社会との繋がりが驚くほど無い, そしてその繋がりを作る意思も無いように感じます.

最後に、わたしは「社会と繋がりを持つ気もない」わけではありません。「社会が」わたしを遠ざけるのです。そのことはここで何度も語ってきたはずです。
大学時代にゲーテの言葉に出逢った時に、わたしは「優秀な規格品になるよりもお手製の馬鹿になろう」と決めました。そして、この国は、規格外品に対し、驚くほど不寛容です。

生まれる前からア・プリオリにそこにある社会に馴染める人間と、馴染めない人間が存在するということは、まったく当たり前のことであるという認識が欠けている人間がこの国には多すぎます。わたし(たち)にとって、この社会は、「たまたまそこにあった」という理(ことわり)に対する認識の欠如もまた然り。


意識の上で社会=クニ(政ーまつりごと)を我々個々人の上位に置くことの危険性は、それによって容易に社会は全体主義化する、ということです。


マチスは、自分はどうしてもほかの画家のように描くことができなかったと、率直に語っています。見向きもしなかったのではなく、真似をしようとしてもどうしてもできなかったのだと。そしてその、人と同じことの出来なさが「マチス」を生んだのです。

司馬遼太郎が、概して天才というものは、普通の人があたりまえにできることができない人間である、と言っていることは、尤もだと思います。

最後にわたしのアートブログに一時なりとも心が穏やかになれると言って下さったこと、大いに励みになります。正直言って、あの統一性のないイメージの氾濫に、なにゆえ心癒されるのかがわからないのですが。

また話しましょう。













2021年8月19日

このところ、気持ちの中に少しづつ変化が兆しているように感じる。
端的にいえば、「人とのつながりを欲しなくなった」、或いは「人間に興味がなくなった」・・・といった感じだろうか。

うまくいえないのだが、これまでわたしは「ひとにあらざるもの」すなわち「人外(にんがい)」であると自分を規定していた。故に求めても人とつながることはできないのだと。
今回わたしが「他者」とのつながりを求めなくなったというのは、求めても所詮得られぬものという諦めや、自棄(やけ)の感情とは明らかにちがう。


わたしは外に出ることが困難な人間で、せいぜい徒歩、或いは自転車で10分圏内のコンビニやスーパーで売っている弁当などをひとりで食べていて、味覚障害を起こした。かといって、ここに引っ越してきた当初のように、自分で簡単な料理を作るということも1、2ヵ月で出来なくなり、以来、母が一日おきに食べ物を作りに来てくれるようになった。電車とバスを乗り継いで。約1時間かけて。
母が、当日と、翌日の食事を作ってくれたおかげで、何とか味覚は正常に戻った。けれども、ここのところの変化は、母がここに来ることに抵抗を感じるまでになりつつある。

近頃は、所謂「引きこもり」と呼ばれている人たちが、食事を部屋の前に置いてください。という気持ちがわかる気がするのだ。できればロボットが食事の支度から後片付け、何から何まですべてやってくれればいいのにとさえ、思うようになり始めている。

家族と一つ屋根の下で、自分の部屋に籠っている分には、「食事はドアの前に置いてください」で済むだろう。母はわざわざわたしのために食材を運んで来て(或いは箱に詰めて送って)この台所で作ってくれている。けれども現在のわたしの精神状態を考えると、台所との間仕切りのふすまを閉めきって、出来たらテーブルの上に置いておいて帰ってください・・・という心の状態になり得るかもしれない。更には母がここに来ることを辞退することになるかもしれない。そうなれば(生きるために)自分でコンビニなりスーパーに食べ物を買いに行くか?そうは思えない。母が食事を作りに来ることが苦痛になった時、それはわたしが死ぬ時だ。単に餓死ということを意味するのではない。母の存在すら厭うような心境の中で生きている意味など存在しない。


一時は底彦さんがアルコール依存症の人たちの自助グループに参加しているように、
どこか、同じ悩みを持った人たちの自助グループのような場所があれば、と。或いは所謂「地域活動支援センター」のような、障害者のための居場所のようなところに行って、ひとと雑談でもできれば、などと考えていたが、そんな気持ちはもうとうに失くしてしまった。

わたしには母さえ避けるようになっている気持ちが何処から来るのかわからない。
自助グループも、友だち作りもどうでもいい(=関係ない)という気持ちが、何故ここまで強くなってきたのか、わからない。ただ、これだけは確信を持って言えることだが、「感情の鈍麻」ではないということだけは明らかだ。わたしは今、死を異常に恐れている。だから自殺のことばかり考えている。何故なら死から逃れる唯一の手段が自殺に他ならないからだ。


「人はなぜ死ぬのでしょう?」という不如帰のセリフが頭から離れない。

「生を与える」ということは、とりもなおさず「死を与える」ということに他ならない。
人は何故そんな残酷なことができるのか・・・
あなたは今その胸に抱いている赤ん坊に「死」を与えたのだ。「生」を与えることによって・・・

「生」を与えるということは同時に「病い」と「老い」と「衰弱」をも、与えることだ。

しかしわたしは母に何故生んだとは決して言えない。何故ならわたしは母に会えてよかったと思っているからだ。


ド・ゴールが「結局は死が勝利を収めるのだ・・・」と言った時の、当時の文化相アンドレ・マルローの反論はわたしの耳には入らない。「結局は死が勝つのだ。」ド・ゴールの言葉は、「生まれてきたことが敗北なのだ」というエミール・シオランの言葉と対を成す。


しかしマルローはいったい何を言いたかったのだろうか?
「結局は死が勝つ」それは唯一絶対の真理だ。それに対して一体どのような反駁が可能だというのか?













2021年8月14日

断想、思いのままに・・・

メプさん。

今回外観というか、(Tumblrの)ブログのテーマを変えてみました。以前のをご覧になられたことがあるかもしれませんが、ごくシンプルなものでした。背景は白で、投稿された画はそのままの大きさで縦一列に表示されていました。10年間、ずっとあれでやって来たのですが、今回の出来事をきっかけに、ちょっと見た目を変えてみました。といって、ものすごく気に入っているかといえばそれほどのものでもなく、またすぐに元のいちばんシンプルなテーマに戻すかもしれません。

いつも書いていますが、「樹 静かならんと欲すれども風止まず」といった心境です。

(この後に「子 養わんと欲すれども親待たず」と続きます。

「風樹の嘆」(ふうじゅのたん)と言いますが、出典はわかりません。

先日「誕生日の断想2」でJunkoさんから頂いたバースデー・メッセージの返事を書きました。
率直な気持ちを書きましたが、何故か後味の悪いものです。

同じ投稿に底彦さんからも返信の返信を頂き、それに何か書きたいのですが、なぜか心がざわついていて、静かに考え、書くことができません。

Junkoさんには、わたしには「自分を愛する」ということがわからないという、正直な気持ちを伝えました。

けれども、全体を通して、一から十までJunkoさんへの反論のような形になってしまっているのではないかと感じられて、後味が悪いのです。実際には、誰に訊かれても同じことを答える(書く)であろう、自分の正直な気持ちを書いたのですが・・・

底彦さんにも、ご自分を愛せますかと訊きたいのですが、ためらわれます。先ず答えること自体がとても難しい質問ですし、「愛せない」というお答えなら、何かJunkoさんへのあてこすりのように(わたし自身が)感じてしまうでしょう。また「自分を愛せるか・・・少なくとも愛したいと思う」というお返事であれば、またぞろわたしは孤立感を感じてしまうのではないかというおそれ・・・

何故わたしのブログに来ると気持ちが落ち着くのか?現実からの逃避=隠れ処のように感じるのかも、お聞きしたいのです。
それが誰であれ、このブログが現実世界からの逃避の場になっているということは、決して不名誉なこととは思わないのです。

ただ、多少なりともそのようなことを感じている人たちに、何故そう感じるのかを訊きたいという欲求があるのです。(それはこのブログの(現在の)「位置」を知りたいという気持ちでもあります)


いくら正直な気持ちを書いたからと言っても、やはりJunkoさんには謝りたい気持ちがあります。
「自分に正直に書いたこと」を?

わかりません・・・

ただ、心のどこかで、彼女の好意を踏みにじったという思いが拭い去れないのです。

「いい人」になることを考えるよりも、何よりも己の気持ちに、自己の感情に忠実であれ。という、E.W.サイードの言葉を当のJunkoさんと共有しているにもかかわらず、です。


>私は, 自分が現代社会から落ちこぼれた人間だということをわかっています.鬱病, コミュニケーション恐怖, アルコール依存症.

それなのに今後その「現代社会」で, 生きていけるのだろうかどうかという強い不安を持っています.
これほど落ちぶれても, 生きたいという欲望があるのです.
それは私が臆病だからかも知れません.


このような底彦さんの心の訴えに対して、なにもことばが見つかりません。
ご存知のように、わたしは「現代社会」を激しく憎む人間ですが、底彦さんに「こんな腐りきった世の中にどうしてそんなにしがみつくのだ?」ということはできませんし、彼に対してそのような考えは持っていません。

「これほど落ちぶれても, 生きたいという欲望があるのです.
それは私が臆病だからかも知れません.」

この言葉にはただ黙って頭(こうべ)を垂れる他ありません。

一方わたしはJunkoさんに対して、底彦さんに対して黙していたことを、臆面もなくぶつけてしまったのかもしれません。

何かそのような、自分を責めるような気持ちが鎮まらないのです。


最後になりましたが、メプさん。

最新のコメントの文中にあった

そして普段は、決してコメントとか表に出さないけれど、
でも実は Takeo さんのブログに心を支えられてる人とかも、

水面下には必ず、、、ね。居ますよ。

この言葉が大きな励ましになったことをお伝えして、

このまとまりのない断想を終わろうと思います。









2021年8月13日

Tumblrを辞めた

 わたしの投稿した、著名な写真家が20世紀中葉に撮影したセミ・ヌード写真がTumblrの「検閲」に引っかかり、わたしのブログが凍結された。

幸い(?)投稿自体はできるのだが、ブログ本体は誰も見ることができない。

この状況を拙い英語で説明した文章を投稿したが、反応は殆どナシ。

「困っています」という内容のテキスト投稿に、数個の「スキ」が付く。

いざという時、人は冷たい。

これからはアート・ブログ一本にしよう。


「例の友人」が撮って送ってくれたスクリーンショット。

英語では 

"This blog may contain adult content."


落ちぶれて 袖に涙のかかるとき 

ひとの心の奥ぞ知らるる・・・

せめてこれまで10年間、約2万5千ほど投稿したアーカイブスを見たいものだが、

Tumblrのサポートにメールを出してもナシの礫。

ブログが削除されていないのなら、せめてブログの投稿者(わたし)だけでもなんとか見ることができないものか?


ー追記ー


以下わたしの拙い英文に寄せられたコメントを紹介します。正直わたしには彼らが何を言っているのかよくわかりません。「フラッグ」って一体なんだ?

とにかく削除される前に2万数千点の貴重な絵や写真を救いたい。

どなたかアドバイスがあれば教えてください。


1、only logged in users over age 18 can see you. you were flagged for posting nsfw images but since your blog is clearly "artistic" they should unhide your blog soon


2、Have you tried going to 'Review Flagged Posts' in your account? I can see you on the Dashboard only.


3、I can see your Tumblr. Send another request, 2 days is too short for them.


4、I can see your blog but flagged as adult before you enter


5、They did the same thing to me for a bit a year or two ago. I complained and they fixed it a few days later. I hope it works out, I love your blog!


6、😔 I can see your posts on the dashboard but not your icon nor the blog page. 🤞🏼 fingers crossed they get back to their senses.


7、I hope the problem fixes soon.


8、I can see your blog. Hope you get it worked out because I do enjoy your posts.







Junkoさんへ、(コメントの返信に代えて)

 Junkoさん、「誕生日の断想2」に真っ先に頂いたコメント、なんども読み返しましたが、結局わたしには「どうもありがとうございました」以上のことは書けないと感じました。

生の問題は本文中にあるように「死」と切り離すことができません。そしてわたしは今「死」と真正面から向き合うことが出来ません。その勇気が、覚悟がありません。

ラ・ロシュフーコーでしたか、「誰も死と太陽をまともに見ることはできない」と箴言に記したのは。

わたしは現在、言葉の本来の意味で「生きている」とは言えない状態にあります。強いて言うなら、「生きながら死んでいる」といった状態でしょう。

みなさんのハッピー・バースデーには心からお礼を申し上げました。そしてJunkoさんも、メプさんも、口先だけではなく、心から「誕生日おめでとう」と言って下さったのだと思っています。
しかしわたしの「生」とは何だったのか?


母は時折、自分たちの結婚について、或いは父について、結局自分自身も含めて誰も幸せにすることが出来なかった。と言います。自分たちの結婚は失敗だったと。それは自分が愚かで、人生について何も知らなかったからだ、と。

母にとって、父との結婚は生涯の失敗だったのでしょう。
思い出したように、「その頃の自分は馬鹿で無知だったから・・・」と、取り返しのつかない悔いをにじませるような口調で言います。

わたしの親友だった女性も、幼い頃の、主に言葉による虐待が忘れられず、屡々そのことについて口にしました。行く先々で「またその話か・・・」といわれながら。それでも母も、親友だった女性も、自分の人生にとって一番苦しい出来事を言葉にして吐き出さずにはいられないのでしょう。

母は以前、「お母さんはどうして私を生んだんだろう、生まなければ、本人も私も苦労せずに済んだのに・・・」と言ったことがあります。

その言葉はそっくりそのまま、わたしの母に対する言葉です。
わたしと弟を生みさえしなければ、母はもっと幸せな人生を送っていたかもしれない。「幸せ」といわずとも、少なくとも今よりも苦しみの少ない人生を。


こうして生を与えられた以上、最後まで生ききってやろうと思っています。

自殺もまた「最後まで生き切る」ということではないでしょうか?

私は全てのことに意味があると信じていますし、そして見始めた映画がどんなに退屈なものであっても、最後まで観ないではいられないのと同じで、この人生も最後まできちんと見届けたいと思っています。

わたしとJunkoさんの根本的な人生に対する見方の違いを思います。
わたしは「すべてのことに意味がある」とは思いません。「無意味なこと、もの」はいくらでもあると思います。そしてわたしは30代で社会から完全にリタイアして以降、孤独の中で、いつまでもこのつまらない遊技場にとどまっている意味はないと考えていました。

エミール・シオランは、「自殺という逃げ道がなければ、私はとうに自殺していただろう」と言っています。
嘗て石田衣良という流行作家は、愚かしくも、「自殺を禁止します」という短文を、主に若い人に向かって書いたことがあります。何という蒙昧。わたしはこれが仮初にも作家と呼ばれる者の言葉であることに一驚しました。
彼にはシオランの言葉の含蓄を到底理解できなかった。
死ぬことを/持薬を飲むがごとくにも/我は思へり/心痛めば
という啄木の歌の意味すらも分からないでしょう。


>そうでないと、あっちに逝ってから神様に「いくらなんでもあれはやり過ぎでしょ」などと言う、真っ当な文句の一つも言えないでしょうから。

これは失礼ですが、ジョークだと受け取りましたが、Junkoさんは、「神」の存在を信じておられるのでしょうか?
わたしは死ねば無になると考えています。無神論、唯物論では必ずしもありませんが、「死ねば無になる」と考えることがわたしの救いでも慰めでもあります。

「かつて江戸川乱歩は、もう一度生まれ変わるとしたら何になりたいかと問われて、どんなものだろうと二度と再び地上に生を受けたくないとニベもなく言い放ったが、三島もまた当然、吐き出すように同じ答えをしたことであろう。」
ー中井英夫『ラ・バテエ』より。

わたしも、おそらくは母も同じ気持ちでしょう。


>このお誕生日に、Takeo さんも書いていらっしゃいましたが、お母様に「ありがとう」と言って差し上げたら、(あくまでもそう言う気持ちになれたらの話です。私はお世辞はもちろんホワイトライも好きではありませんから、、) それは何よりものお母様への労いになるのではないかと考えます。

わたしは母に対しては、この世に存在してくれてありがとうと心の底から言うことができますが、自分を生んだことでの母の苦しみを思うと、逆立ちしても出てくる言葉は「生まれてきてごめんね」以外にはないのです。

わたしの生は自分自身も含めて、誰も幸福にすることはできなかった。それどころか母の人生を台無しにした。これはわたしにとって、揺るぎない事実なのです。


種子を残そうが、子孫を残そうが、私たちの人生の重みがそれで軽くなったり重くなったりする事はないと思います。
実際、私も種子も子供も残していませんが、その種子を残さないがために、未来への「続く」がない私の人生を、私だけの人生として愛します。

「あらゆる罪を犯してきた。父親となる罪だけをのぞいて」

またぞろシオランですが、わたしもまったく同感です。

けれども、「その種子を残さないがために、未来への「続く」がない私の人生を、私だけの人生として愛します。」
という言葉はわたしには当てはまりません。わたしは人生に愛されなかったし、人生を愛することもできませんでした。

「私の人生を愛する」なんという遠い言葉でしょう・・・

そう、Junkoさんと話をすると決まって出てくるのが、以下の言葉です。


ひとが

ひとでなくなるのは

自分を愛することをやめるときだ。


吉野弘 -奈々子にー


「自分を愛すること」。もうずいぶん長く聞いたことのないような、または生まれて初めて聞くようなふしぎな言葉だ。
この言葉は私には、まるでラテン語か何かのように響く。にもかかわらず、この言葉の中に、久しく忘れていたあるなつかしいものを感ずるのだ。
わたしには、自分を心から愛したおぼえがない。

自分で自分の身体に泥をなすりつけるようなことばかりして来た。

時には負いきれぬほどの過大な要求をし、時にはわれとみずからを路傍へうちすててきたりした。

自分を愛すること。

自分を愛すること。

一体それはどういうことなのだろう。


『石原吉郎詩文集』「一九五六年から一九五八年までのノートから」(2005年)


我こそはこの地球上に存在する価値がある。その価値は、私たち自身が与えるものであると私は信じますし、何の目的もなく、そして産まれて来た意味を知ることもなく、必然性も妥当性もなく、「ただ生きる」では足りませんか?

わたしは「ただ生きる」ということはできません。(と言いながら現在、いや、生まれてきた時から、ただ無駄に生きているのですが)

やはり生きているからには、「喜び」とか「うれしい」「幸せ」そういうものが必要なのです。「喜怒哀楽」の中で、怒りと悲しみだけの人生はもう充分です。
価値は自分で創り出すものといっても、やはりわたしはこの世界を好きにはなれませんでした。
この世界は、読む価値のない本であり、見続ける価値のない映画であり、居続ける意味のない遊園地に過ぎなかったのです。


以上書いてきたように、互いの人生に対する考え方の大幅な相違からこれまでコメントに返信を書くことができませんでした。

ただ最後に是非言っておきたいのは、Junkoさんのコメントにただの一言も上辺の言葉がなかったこと。そのことは充分に理解しています。Junkoさんはありのままのご自分を語られた。

考え方の懸隔は明らかですが、Junkoさんの真摯な、真心のこもったメッセージに心よりの感謝の気持ちを(遅まきながら)述べさせていただきます。

誕生日のメッセージをどうもありがとうございました。

Takeo 










2021年8月12日

断想 「弱者」について

 先の投稿のコメント欄で、ふたつさんは、「すべての弱者を敬う気持ちを持っている」と言われている。

では「弱者」とは何か?

「わたしの信仰は美である」と何度も書いた。弱き者、苦悩する者、貧しき人々、虐げられし者たちは、存在論的に美を具えていると考えている。弱さこそ美である。苦しみ悩むことは美である。襤褸を身にまとうものはうつくしい。虐げられし者は、その憎しみ故に美を持つ。

至極簡単に、且傲慢な口調で言うなら、以上のようなことをわたしは思っている。

先の投稿で、「人を傷つけることは許されない」と書こうとして思い直した。ほんとうに「ヒトヲキズツケルコトハ ワルイコト」なのだろうか?


今日偶々母から、先週の小田急電車の車内で起きた傷害事件について初めて聞いた。
母も最近は新聞をゆっくり読む時間もないほど忙しいようだ。既に誰もが知っていることだろうが、先週末、走行中の小田急線の車内で、30代(?)の男性が、刃物を振りかざし、乗客数人に重軽傷を負わせたという話だった。以下事件についての詳細は省くが、

わたしはその男性を悪く思うことができない。

無差別に人を傷つけ、ひょっとしたら死者が出ていたかもしれない事件を起こした男性を、わたしは憎めない。

何故ならわたしは、広義・狭義問わず、彼は弱者であると思うからだ。


2008年、秋葉原での、当時20代の男性加藤智弘くんによる殺傷事件の際に、わたしは彼に強くこころを寄せていた、そのような若者も少なくはなかった。あの時「他人事じゃないよな」と呟いた(主に若者は)、「いつどこで「キチガイ」に襲われるかわからない」・・・という意味ではなく、いつ自分が加害者=「殺人者」になり得るかわからないという怖れ(乃至「畏れ」)を述べていたのだ。その事件から13年。人心の荒廃は日を追って加速している。
今、秋葉原の事件の際に「加害者」に自分を重ね合わせた人たちのように、小田急線での「加害者」に自分を重ねることができる者は増えているのだろうか?或いは減少しているのだろうか?
わたしは13年前に比べ、更に生きてゆくことが困難になっている今の時代、逆に当時ほど加害者にこころを寄せるものは多くはないのではないかと危ぶむ。

デラシネ(無宿者)、貧困者、障害者だけが弱者であるという考えは皮相であり、あまりにも紋切り型だと思うのだ。わたしにとって加藤智弘くんがそうであったように、今回の小田急線で、若い女性に切りつけた若い男性(?)もまた、社会の被害者であり「弱者」であったと考える。

以下、過去の投稿から、今回の事件に関連すると思われる記事のリンクを載せておく。






わたしの言いたいことは結局、イランのドキュメンタリー映画、『少女は夜明けに夢をみる』ー 英語のタイトルは ' Starless Dreams'(星のない夢)ーを評した女優春名風花さんの言葉に尽きるのではないだろうか。

「彼女たちは罪を犯した。でも・・・罪とは、何なのか?
「加害者になるしかない命」もまた、立派な被害者なのだ。

弱者は盗み、殺すだろう。生きるために?憎しみのために?

それでも尚わたしは弱き者を愛す。

なぜなら

我もまた弱き者なれば也

我もまた鞭打たれし者なれば也・・・


ー追記ー

先日のコメント欄にあったふたつさんの詩、よかったなぁ。











2021年8月6日

無題

 こんばんは、ふたつさん、メプさん。

そしてJunkoさん、コメントが正しく反映されず、また、メールをまめにチェックしていませんので、せっかく5日のうちに送ってくださった誕生日のメッセージを見逃してしまい申し訳ありませんでした。

みなさんからのメッセージに、なかなかきちんとした返事が出来ずに心苦しく思っています。

「生」に対する今のわたしの切れ切れの想いは昨日投稿した通りです。

また昨年まではなんとか、一昨年にはあたりまえのように、今回頂いたような長文のコメントに返事を書けていたということを思うと、一歩一歩下りてゆく階段の「一歩の深さ」を意識せずにはいられません。数段の階段であっても、今は底から見上げるようです。


先にJunkoさんは、わたしとの対話を「禅問答のようだ」とおっしゃいました。Junkoさんがそのように感じてくれていることをうれしく思います。
わたしは「問答」が好きです。「ああでもないこうでもない」という果てしのない思考の流れが、わたしの頭の中の状態です。以前書いたことがありますが、わたしには「自明の事」というものがそもそも存在しません。子供から大人になるということは、心の中、頭の中の「?」を少しづつ「!」に換えてゆくことのように思われます。オセロの駒(?)を黒から白に裏返すように。
けれどもわたしは「!」を求めてはいません。その代り、いつも、より多くの「?」を(無意識に)捜しているような気がします。

ふたつさんは「迷い」こそがうつくしいと書かれています。まったく同じ気持ちです。
「?」を「!」に換えるつもりはない。所謂「答え」「正解」を知りたいとも思いません。

わたしは相対主義者でもあります。相対主義を簡単に言うと、「人間は万物の尺度である」というプロタゴラスの言葉が先ず思い出されますが、この場合の「万物の尺度」である「人間」というのは、すべてのにんげんということではなく、「わたしという人間」を意味しています。わたしもJunkoさんの言うように、「わたしの好悪」を絶対視します。
わたしはわたしであって、「彼」でも「彼女」でも「我々日本人」でもない以上、わたしにとってわたしの好悪は当然絶対的なものになります。同時に、わたしの「好き嫌い」はなんら客観的な価値を持ちません。わたしの好きな絵や写真、映画、音楽、言葉、詩・・・これらはみなわたしの好みに合うというだけで、わたしはそれらのものに一枚の薄紙ほどの価値を付与することはできません。わたしは自分の思考(嗜好)を著した文章に誰かの心をを動かす力があるとは思いません。もちろんわたしが紹介することで初めて知った絵や写真、音楽や映像などを新たに好きになる人はいるでしょうけれど。

以上のことを省みると、わたしはいかにつましく、微小な規模であっても「思想家」とは呼べないと思っています。
わたしにこれといった思想はない。「ぼく自身或いは困難な存在」に書かれていることは全てわたしの「感覚」「感性」「美意識」であって、わたしという「個」と不可分です。それらは決して抽象化されることはありません。それゆえ普遍性を持ち得る「思想」となることはできません。

一方わたしを嫌い、わたしが嫌う「彼(ら)」は小なりと言えども「思想家」と呼ぶことができるかもしれません。
何故と言って、彼らは「?」を「!」の手段として用いているからです。繰り返しますがわたしは「!」よりも「?」を重んじる者です。そして「?」は畢竟一個人の感覚であり、一方「!」は抽象化され普遍性を持ちます。
「?????」ばかりが頭の中に渦巻いているような「思想家」なんているでしょうか?

ですから万が一わたしの影響を受けるような人がいるとすれば、それはわたしの「?」を受け継ぐ人と言えるでしょう。わたしの「?」を受け継いだ人が、いづれその「?」=「何故?」を「!」(エウレカーユリイカ)=「見つけた!」となった時に、彼はわたしの影響から脱するのです。

わたしにとって「?」は、未だ「!」になっていない未成の状態でも「!」に成熟・完成・到達するまでの過渡の状態でもなく「?」を持ち続けることが、考えることに繋がるのだと思っています、そして人間は考えることが必要だと思っています。
Junkoさんは、「死」についてのわたしの恐れに対して、「終わりの無いものなど面白くもない」と仰っています。それに倣って言うなら、「答えのある問い(疑問)など面白くもない」。
答え=「!」とは普遍(誰にでも当てはまる)であるからこそ「答え」と呼び得るのです。普遍性とは「遍(あまね)き」ものであるが故に、わたしという個人とは直接の関係を持ち得ません。
参照


この投稿は、ふたつさんの言及された「絶対視」と「迷うこと」そしてわたしの影響力という点についてのまとまりのない習作のようなものです。

本来は、昨日のわたしの誕生日について書かれているメプさん、そしてJunkoさんへの返事を先にすべきなのですが、ひとまずおふたりの誕生祝い(やっぱりこの言葉には抵抗があるなぁ)に、お礼を述べさせていただくとともに、母へのお気持ちにも、こころからの感謝の気持ちをお伝えします。

何やらまとまりのない文章になってしまいましたが、この暑さですので。

Junkoさん、メプさんにも、少しづつお返事を書いていくつもりです。

不悉







2021年8月5日

8月5日

少なくともわたしにとって、自分の、或いはごく親しい人の誕生日に言うべきことは「オメデトウ」ではなく「アリガトウ!」だ。

この世界に(ましてこのクニ、この時代に)生まれてきたことに対して、とても「オメデトウ」とは言えないし、いわれても少しもうれしいとは思えない。

けれども、あなたが今わたしの目の前にいること、わたしと人生のときを共有していることに対しては、ごく自然に、素直に「あなたがここ(この世界)にいてくれて(わたしと同じ世界に居てくれて)「アリガトウ!」と言えるし、そう言いたい。(そしてそう言われたい)





セルフ・ポートレイト or What I want


Melancholy man and mermaid Encounter on the beach, Edvard Munch  
- pastel and wash on paper -

ムンク『メランコリーな男と人魚』(パステル画)




誕生日の断想2

生まれてくるということ、「生」というものが、すべからく「死」を前提としたものであることを思うと、「生む」ということは、「死なせる」という意味を孕んでいる。

これは残酷なことではないのだろうか・・・

「種の保存のため」だという。けれども、あらゆる有機体の中で、我こそはこの地球上に存在する価値があるという「種」は、果たして何を根拠に、自分の属する種の生存・存在、そして存続を肯んじ得るのだろうか。

路傍の野の花に訊く、「きみが生き、きみが種子を残すということの必然性・妥当性とはなんなのだ?きみの自己肯定、そして種の肯定はどこから来たるのか?」








誕生日の断想1

 

汚れちまった悲しみは

なにのぞむなくねがうなく

汚れちまった悲しみは

懈怠のうちに死を夢む


汚れちまった悲しみに

いたいたしくも怖気づき

汚れちまった悲しみに

なすところもなく日は暮れる


死ぬことを 持薬を飲むがごとくにも

我は思へり

心痛めば (啄木)


何度も引用してきた啄木の歌。

けれども、わたしはいま「死」を恐れてはいないか?

わたし自身の死を、そして母の死を





誕生日に思うこと、(メプさんのメッセージに託して)

メプさん、バースデー・グリーティングをどうも有難うございます。もともとカタカナ語というものを好きませんが、「誕生祝い」と日本語で書くと、なにやらご大層なもののような語感が伴うので、敢えて、Birthday Greeting と書きました。

日本という人権意識の極めて低い遅れた国で、重度の障害者であれ、わたしのように極端に変わった人間(乃至化け物)を生み、育てることが如何に過酷なことで、生んだ者は自分の生涯を我が子のために犠牲にしなければならないことを思うと、やはり「(障害者として)生まれてきたことの災厄」を思わずにはいられません。一方で嘗てJunkoさんが言われたように、母親というものは超人的な存在であると感じています。

母を愛すれば愛するほど、感謝の気持ちが大きければ大きいほど、自分が生まれてきたことの罪を思わずにはいられません。

このあたりの心境はこれまでに繰り返し書いてきたことですが・・・

メプさんのメッセージは、少なくともわたしの内心とはかなりかけ離れていると感じます。

同時に、こんにち、誕生日を「めでたい」「ハッピー」と、上辺だけではなく心から言える人がどれだけいるのかと怪しみます。

そういうわたしも、今のように外に出ることが困難(不可能)になる前は、母の誕生日に花やカードを贈ることをたのしみにしていました。ここ数年、生きていることが極めて苦痛であっても、できれば母の誕生日には、「オメデトウ」ではなく「アリガトウ」と書いたカードと、花を贈りたいという気持ちがあります。

アリガトウ=生まれてきてくれて。そしてわたし自身「生まれてすみません」の気持ちを生涯持ち続けながら・・・