2021年8月28日
底彦さんへ、(コメントの返信に代えて)
2021年8月19日
2021年8月14日
断想、思いのままに・・・
メプさん。
今回外観というか、(Tumblrの)ブログのテーマを変えてみました。以前のをご覧になられたことがあるかもしれませんが、ごくシンプルなものでした。背景は白で、投稿された画はそのままの大きさで縦一列に表示されていました。10年間、ずっとあれでやって来たのですが、今回の出来事をきっかけに、ちょっと見た目を変えてみました。といって、ものすごく気に入っているかといえばそれほどのものでもなく、またすぐに元のいちばんシンプルなテーマに戻すかもしれません。
◇
いつも書いていますが、「樹 静かならんと欲すれども風止まず」といった心境です。
(この後に「子 養わんと欲すれども親待たず」と続きます。
「風樹の嘆」(ふうじゅのたん)と言いますが、出典はわかりません。
◇
同じ投稿に底彦さんからも返信の返信を頂き、それに何か書きたいのですが、なぜか心がざわついていて、静かに考え、書くことができません。
Junkoさんには、わたしには「自分を愛する」ということがわからないという、正直な気持ちを伝えました。
けれども、全体を通して、一から十までJunkoさんへの反論のような形になってしまっているのではないかと感じられて、後味が悪いのです。実際には、誰に訊かれても同じことを答える(書く)であろう、自分の正直な気持ちを書いたのですが・・・
それなのに今後その「現代社会」で, 生きていけるのだろうかどうかという強い不安を持っています.
これほど落ちぶれても, 生きたいという欲望があるのです.
それは私が臆病だからかも知れません.
水面下には必ず、、、ね。居ますよ。
2021年8月13日
Tumblrを辞めた
わたしの投稿した、著名な写真家が20世紀中葉に撮影したセミ・ヌード写真がTumblrの「検閲」に引っかかり、わたしのブログが凍結された。
幸い(?)投稿自体はできるのだが、ブログ本体は誰も見ることができない。
この状況を拙い英語で説明した文章を投稿したが、反応は殆どナシ。
「困っています」という内容のテキスト投稿に、数個の「スキ」が付く。
いざという時、人は冷たい。
これからはアート・ブログ一本にしよう。
「例の友人」が撮って送ってくれたスクリーンショット。
英語では
"This blog may contain adult content."
落ちぶれて 袖に涙のかかるとき
ひとの心の奥ぞ知らるる・・・
せめてこれまで10年間、約2万5千ほど投稿したアーカイブスを見たいものだが、
Tumblrのサポートにメールを出してもナシの礫。
ブログが削除されていないのなら、せめてブログの投稿者(わたし)だけでもなんとか見ることができないものか?
ー追記ー
以下わたしの拙い英文に寄せられたコメントを紹介します。正直わたしには彼らが何を言っているのかよくわかりません。「フラッグ」って一体なんだ?
とにかく削除される前に2万数千点の貴重な絵や写真を救いたい。
どなたかアドバイスがあれば教えてください。
1、only logged in users over age 18 can see you. you were flagged for posting nsfw images but since your blog is clearly "artistic" they should unhide your blog soon
2、Have you tried going to 'Review Flagged Posts' in your account? I can see you on the Dashboard only.
3、I can see your Tumblr. Send another request, 2 days is too short for them.
4、I can see your blog but flagged as adult before you enter
5、They did the same thing to me for a bit a year or two ago. I complained and they fixed it a few days later. I hope it works out, I love your blog!
6、😔 I can see your posts on the dashboard but not your icon nor the blog page. 🤞🏼 fingers crossed they get back to their senses.
7、I hope the problem fixes soon.
8、I can see your blog. Hope you get it worked out because I do enjoy your posts.
Junkoさんへ、(コメントの返信に代えて)
Junkoさん、「誕生日の断想2」に真っ先に頂いたコメント、なんども読み返しましたが、結局わたしには「どうもありがとうございました」以上のことは書けないと感じました。
生の問題は本文中にあるように「死」と切り離すことができません。そしてわたしは今「死」と真正面から向き合うことが出来ません。その勇気が、覚悟がありません。
ラ・ロシュフーコーでしたか、「誰も死と太陽をまともに見ることはできない」と箴言に記したのは。
わたしは死ねば無になると考えています。無神論、唯物論では必ずしもありませんが、「死ねば無になる」と考えることがわたしの救いでも慰めでもあります。
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。
吉野弘 -奈々子にー
「自分を愛すること」。もうずいぶん長く聞いたことのないような、または生まれて初めて聞くようなふしぎな言葉だ。
この言葉は私には、まるでラテン語か何かのように響く。にもかかわらず、この言葉の中に、久しく忘れていたあるなつかしいものを感ずるのだ。
わたしには、自分を心から愛したおぼえがない。
自分で自分の身体に泥をなすりつけるようなことばかりして来た。
時には負いきれぬほどの過大な要求をし、時にはわれとみずからを路傍へうちすててきたりした。
自分を愛すること。
自分を愛すること。
一体それはどういうことなのだろう。
『石原吉郎詩文集』「一九五六年から一九五八年までのノートから」(2005年)
2021年8月12日
断想 「弱者」について
「わたしの信仰は美である」と何度も書いた。弱き者、苦悩する者、貧しき人々、虐げられし者たちは、存在論的に美を具えていると考えている。弱さこそ美である。苦しみ悩むことは美である。襤褸を身にまとうものはうつくしい。虐げられし者は、その憎しみ故に美を持つ。
至極簡単に、且傲慢な口調で言うなら、以上のようなことをわたしは思っている。
「加害者になるしかない命」もまた、立派な被害者なのだ。」
2021年8月6日
無題
こんばんは、ふたつさん、メプさん。
そしてJunkoさん、コメントが正しく反映されず、また、メールをまめにチェックしていませんので、せっかく5日のうちに送ってくださった誕生日のメッセージを見逃してしまい申し訳ありませんでした。
2021年8月5日
セルフ・ポートレイト or What I want
ムンク『メランコリーな男と人魚』(パステル画)
誕生日の断想2
生まれてくるということ、「生」というものが、すべからく「死」を前提としたものであることを思うと、「生む」ということは、「死なせる」という意味を孕んでいる。
これは残酷なことではないのだろうか・・・
「種の保存のため」だという。けれども、あらゆる有機体の中で、我こそはこの地球上に存在する価値があるという「種」は、果たして何を根拠に、自分の属する種の生存・存在、そして存続を肯んじ得るのだろうか。
路傍の野の花に訊く、「きみが生き、きみが種子を残すということの必然性・妥当性とはなんなのだ?きみの自己肯定、そして種の肯定はどこから来たるのか?」
誕生日に思うこと、(メプさんのメッセージに託して)
日本という人権意識の極めて低い遅れた国で、重度の障害者であれ、わたしのように極端に変わった人間(乃至化け物)を生み、育てることが如何に過酷なことで、生んだ者は自分の生涯を我が子のために犠牲にしなければならないことを思うと、やはり「(障害者として)生まれてきたことの災厄」を思わずにはいられません。一方で嘗てJunkoさんが言われたように、母親というものは超人的な存在であると感じています。
母を愛すれば愛するほど、感謝の気持ちが大きければ大きいほど、自分が生まれてきたことの罪を思わずにはいられません。
このあたりの心境はこれまでに繰り返し書いてきたことですが・・・
メプさんのメッセージは、少なくともわたしの内心とはかなりかけ離れていると感じます。
同時に、こんにち、誕生日を「めでたい」「ハッピー」と、上辺だけではなく心から言える人がどれだけいるのかと怪しみます。
そういうわたしも、今のように外に出ることが困難(不可能)になる前は、母の誕生日に花やカードを贈ることをたのしみにしていました。ここ数年、生きていることが極めて苦痛であっても、できれば母の誕生日には、「オメデトウ」ではなく「アリガトウ」と書いたカードと、花を贈りたいという気持ちがあります。
アリガトウ=生まれてきてくれて。そしてわたし自身「生まれてすみません」の気持ちを生涯持ち続けながら・・・