2020年5月7日

繰り返される愚昧さ


ドイツでもお店がほぼ正常営業できるようになった。新聞には、再び患者数が増えるようなら再度外出禁止令を出すということ、6月2日までは外出時のマスク着用を「義務付ける」ということが書かれていた。

「どうして日本は韓国やドイツのようにできないのか!」といったところで、どだい無理なこと。そもそも戦後に築き上げてきた歴史と、そもそもの民族性が違うのだ。

前の投稿で、「過去」と「現在」との時間軸ー垂直方向での対比をしたが、同じ時代を生きるにしても、また或いはデジタル・ワールドの様子は韓国やEUの方が進んでいるのかもしれないが、日本ではGWが明けても、相も変わらず、「フヨウフキュウノ ガイシュツハ ヒカエマショウ ミナサマノ ゴキョウリョクヲ オネガイシマス・・・」と繰り返し放送が流れる。

中島義道のいう(日本の)「文化としての騒音」そして根生いの「パターナリズム」

これだけはドイツはもちろん韓国や中国にも存在しないだろう。

電車に乗れば「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」「ホームと電車との間に隙間が空いている箇所がございますので気を付けて・・・」「事故防止のため「やむを得ず」緊急停止することがございますので、お立ちの方は手すりや吊革につかまって・・・」「携帯電話はマナーモードにして車内での通話はお控えください」「優先席があります。妊娠中の方、身体の不自由な方におゆずり・・・」

バスに乗れば「走行中の座席の移動は大変危険ですので・・・」「バスから降りて道路の横断には気をつけて・・・」「爆発物の持ち込みはおことわり・・・」

商業施設では「エスカレーターにお乗りの際はベルトにつかまりステップの中央に。良い子のみなさん。エスカレーターの駆け下り駆け上りはたいへん危険ですのでやめませう・・・」

つまりなにもかも手取り足取りああしろこうするなと教えてもらわないと電車にもバスにも、そしてエスカレーターにさえ乗ることができない民族が、どうして突発的な危機に際して適切かつ迅速な行動に移せるだろうか。

これだけ街に騒音が溢れていても、誰も「ガキ扱いするな!」とは言わないし、おそらくはそんなこと感じてもいない。現に中島の本『うるさい日本の私』には、「アナウンスがないから忘れ物をしたじゃないか!」と怒鳴り込んでくる客がいるという。

これがまさしく「文化」である。

70余年をかけて成熟してきた国と、決して「成長」も「成熟」もあり得ない国と、同列に扱うことは不可能だ。

しかし「お前は国から「義務付けられ」たり「禁止命令」を出されるようなことは嫌う人間じゃなかったのか?」と思われるかもしれない。確かに日本は、ドイツや韓国のように、いざとなれば数百万単位のデモ行動を起こし、大統領でも引きずり下ろすようなことは決してしない。エスカレータの乗り方も毎日その都度教えてもらわなければ忘れてしまうようなこどもの国だから、すべて「親」=「お上」の言うがまま。皮肉なことに「自己責任」・・・言い換えれば「自分で判断して行動する」という観念から最も縁遠い国・・・そこに日本という国の、どうしてもアジアを含めた諸外国に追いつけない「限界」がある。














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