アートのブログとTumblrを再開して、次第に投稿数が増えるにしたがって、これまでにない壁にぶつかっている。ブログの方はともかく、タンブラーに関しては1年間も間が空いているわけではないというのに、その間にネット上ではいろいろな変化があったようだ。
わたしはブログでも、Tumblrでも、絵や写真を投稿している。自分の描いた画ではないし、自分の撮った写真でもない。であれば、当然その画像をどこからか取ってこなければならない。ふつう、このようなアート・ブログやタンブラーをやっている人は、オークション・ハウスのカタログ、各国のギャラリー&ミュージアムが、それぞれのサイトにUPしている画像を使う。2007年だかに、MySpaceを始めた時から、わたしは世界中のそれらのサイトから画像を渉猟してきた。皆も同じだろう。
けれども、最近になってそれが難しくなってきている。
それらのサイトのほとんどすべてが、サイト閲覧に際して、Cookieというものを求めてくるようになった。中には露骨に、Accept なりAgreeのボタンを押さないと、まったくページが観られないようにしているサイトも少なくない。
わたしはこの「クーキー」だか「クッキー」というものがどういうものであるのか全く知らない。けれども、世界中のほぼすべてのオークション・ハウス、ギャラリー、美術館がそれらを強行に求めるということは、それなしに閲覧され、画像を利用されてはサイトにとって非常な不利益になるからだろう。
商いの原則として、売り手にとって利益になることは買い手の損であり、買い手が得をするということは、売っている方が損をすることになっている。
つまり、これに「同意」するということは、画像が見られる代わりに何かしらのデメリットが必ずある。それがなにか。
白状しよう、これまでTumblrだけでも、約2万2千点の画像を投稿してきたが、一度としてコピーライトの持ち主の許可を得たことも、また金を払ったこともないということを。
しかし例えばドロローサは彼女自身優れた画家であるのだが、フェイスブックに毎日投稿している絵が、仮にそのほとんどがパブリック・ドメインのものであったとしても、どのように入手しているのだろう?
辺見庸に指摘されるまでもなく、日本人とは意思無き「遵法主義者たち」の集団である。彼らの言い分は「悪法もまた法也」である。
だから、わたしは日本で、タンブラーのような「人の画を使った」アート・ブログというものをほとんど知らない。日本人にしてみれば、それがゴッホであれ、モネであれ、カラヴァッジョであれ、「自分のものでない絵」を「勝手に」「自分の」ブログに載せるなどということはほとんど犯罪行為に等しいのだ。
つまりドロローサもオーファンも、いってみれば犯罪者だ。
それで、数万人のフォロワーだなんてとんでもないことである。
日本の美術ファンてそういうものだ。
フェイスブックで約8万人のフォロワーを持つドロローサは、一体どこから画像を蒐めてくるのか?
毎日のように更新している無数のタンブラーのブログの持ち主たちは?
彼女ら/彼らは、みな唯々諾々とCookieとやらに同意しているのだろうか?
「ビッグデータ」とはいったいなんだ?
昔辺見庸がブログに、「ここに「アルカイダ」と書いたら公安が視ている」と書いていたことを思い出す。確か安倍政権が「新たな治安維持法」と呼ばれる何とかという法案を強行採決した時だった。その時ツイッターで、「著名人」たちはその悪法に反対したのか?
あるいはその当時はまだSNSというものが今ほど「流行って」はいなかったのだろうか?
そうではなく、辺見などの変人を除くほとんどの国民にとって、安倍政権の唯一にして無二の失策が今回の「黒川某」の事案だなのだ。
昔から「メディア・リテラシー」という言葉の意味が分からなかった。
今でも全くわからない。
そもそも「メディア」に限らず、「なにがよくてなにがわるい」というものがそんなに簡単にわかるものだろうか?
「植松聖のやったことは?」わたしには答えることはできない。あまりにも難解すぎる。
秋葉原事件の加藤智弘くんにしてもそうだ。「殺人は無条件に悪いに決まっている」とはわたしには言えない。
また一般論としても、売・買春のなにががいけないのか?さっぱりわからない。
いずれにしても自由は至る所で制限されつつある。
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