2019年4月9日

そして誰もいなくなった


● 2月の投稿『二枚の画』のコメントで、Sさんから、最近のわたしの文章の乱調を指摘された。
このような率直な意見感想はとてもうれしい。
Sさんはしきりに恐縮していたようだが、わたしは感謝している。

最近は毎日まるで縋るように、『マタイ受難曲』のハイライトや、死者を弔うミサ曲など、ルネサンスからバロック期に、主に教会で歌われ、演奏されるために作られた曲(歌)ばかり聴いている。
わたしの代わりに泣いてくれているような気がする。


● これまでこのブログでは、なんら糊塗することなく自分の気持ちを綴ってきた。そのことに後悔はないし、これからも書き続けられる限りは、「自分のために」書くつもりだが、一方で、「いったい自分はどこまで人と違うんだ」という、ある種の怖れ(畏れ?)のような感情も生じつつある。

ひとつ記事を書くたびに、新しいブログで一枚の画を投稿するたびに、今度こそ嫌われたのではないか?と、不安に怯えている。
これほど人を怖れず、またこれほどひとに嫌われることを怖れる人間もいないのではないだろうか。
しかしそんな不安自体に、嫌われることを怖れること自体に疲れてきた。


● 石原吉郎の本を読んで以降、「生き残る」ということに関心を持つようになった。
強制収容所から生還したことに、石原も、またプリーモも、まったく喜んでもいないし、うれしく思ってもいない。「死ななければならなかった」場所から生き延びたというのに。そしてプリーモは老年になってから自宅のアパートの階段から下のホールに飛び降りて自殺し、石原も、次第に酒に溺れるようになり、いわば緩慢な自殺のような形で生き延びた生命を閉じた。
死地からの生還は彼らにとってどのような意味を持っていたのだろう。
彼らにとって「その後の生」とはいったい何だったのか?

そしてわたしの「その後の生」とは?



 

3 件のコメント:

  1. こんばんは。

    ぼくにとって、人を嫌いになる規準があるとすれば、「自分の本当の姿を認めない人」ですね。

    そして、一度「自分の本当の姿」を認めた人が、その後、認めなくなるということはないと思っています。

    だから、Takeoさんでも、ほかの誰でも、その人の本当の姿を知って嫌いになることはないです。

    人は自分以外の存在を、厄介だと感じることは多いですが、それは嫌いということとは違うと思っています。
    それは、ただ単に「自分にとって都合が悪い」というだけのことで、「嫌い」ということとは違うと思いますよ。

    逆に言うと、「自分にとって、都合がいいモノ」を「好き」に成るとも限りませんから。


    ぼくは、こういう話をするときに、いつも、ミシシッピー・デルタなどアメリカ南部の「戦前のブルースマン」のことを思い出します。

    彼らは、必ずしも「ブルース」が好きじゃないんです。
    戦前のブルースマンで、「ブルースが大好きです」という人は、ほとんどいません。

    つまり、「ブルース」は「黒人であること」そのものなんです。

    それなのに、どうして「ブルース」をやっているのかと言えば、「ブルース」しか無いからなんです。
    つまり、それが、彼らにとっての「性」なんですね。
    でも、それがあまりに、「辛い性」なので、「好き」にはなれません。
    でも、それを「嫌い」に成ることもできないし、それが、彼らにとっての唯一の「慰め」でもありますから、離れられなかったんだと思います。


    ブルースの巨人の一人、サン・ハウスは『ブルースはトラブルだ』と言っています。
    つまり、その当時のアメリカ南部に黒人として生まれること自体が、救いようのない「トラブル」だったんだと思います。
    その「トラブル」を歌ったのが「ブルース」ですから、無条件で「好き」にはなれません。
    でも、「自分の性」ですから、離れられずに、「ブルース」を歌い続けるしかなかったんでしょう。
    だから、「嫌い」にもなれなかったんだと思います。

    ブルースマンたちは、黒人たちの中でも、アウトサイダーだったようで、常に孤独な人たちです。
    だから、あんな歌を歌ったんだと思います。


    それから、このブログについてなんですが、「文章の乱れ」ということですけど、ぼくは、もっと昔に、このブログに出会っていたら、たぶん、今ほどは読んでいなかったと思います。

    確かに、昔の記事の方が「いい記事」なのかもしれませんが、ぼくが惹きつけられたのは、今の「乱れた文章」の方だと思いますよ。
    それを「好き」というのかどうかわかりませんが、「嫌い」ではないことは確かですね。

    それから、前にも書いたと思いますが、なぜかわかりませんが、ここが居心地がいいんですよね。
    これは、ぼくにとっては、ネット上では初めての感覚です。

    なぜ、そうなのかは、よくわかりません。

    それでは、また。

    返信削除
    返信
    1. こんばんは、ふたつさん。

      わたしはブルースのことはほとんど知識がありませんので、こういう話を聞くのはとても興味深いです。
      今でも差別が消えたわけではありませんが、それでも、19世紀から20世紀初頭に南部で、黒人として生まれたこと、それ自体が「トラブル」だ、と。
      なんだかエミール・シオランを彷彿させる言葉です。
      わたしがいつも読んでいる彼の著作のタイトルは『生誕の災厄』これの原題を日本語にすると「生まれてきたことの不都合について」となるようです。

      アメリカ南部に黒人として生まれてきたことの不都合=トラブル。

      わたしのこのブログも、僭越ですが、彼らがブルースを演奏し、歌うことと同じことなのかもしれません。これがわたしの「性」(さが)なのだから。

      しかし当時彼ら自身の気持ちから離れて、彼らの「ブルース」を聴いていた人たちは、やはり彼ら=我々のアイデンティティーを歌った歌をやはり複雑な、愛憎の入り混じった気持ちで聴いていたのでしょうか。

      カシアス・クレイ=モハメド・アリやジェームス・ブラウンはやはり戦前のブルースマンと相通じる気持ちを持っていたのでしょうか?

      しかし例えば、サン・ハウスとロバート・ジョンソンは別の人間ですが、それ以上に共通項が多くはありませんか?
      戦前に南部アメリカで黒人として生まれたことだけでも同じです。

      しかし、わたしと、どこかの誰かが、そのような共通項を持っているでしょうか?
      世の中に変人や狂人はたくさんいる。というのは「共通項」とは言えません。
      それは世の中に男も女もたくさんいると言っているのと変わらないからです。

      アナキスト大杉栄は「美は乱調にあり」という言葉を残しました。「諧調は偽りなり」と。
      もちろんSさんが、わたしの文章の乱れを見たのは、彼の審美眼であり、わたしは決してそれを批判と受け止めてはいないということをSさんには強調したいのですが、
      ふたつさんのいわれることもとてもよくわかります。

      相変わらず、ちゃんとした返事ができませんが、ブルースマンたちの話、とても興味深く、また非常に考えさせられました。

      ふたつさん、Sさん、瀬里香さん、このような質のいい読者に恵まれたことを感謝します。

      ブルースマンたちについてはもっと考えてみたいと思います。

      素敵なコメントをありがとうございました。

      削除
  2. こんにちは。

    ジェームス・ブラウン(JB)やモハメド・アリが、抱いていた感情と、戦前のブルースマンたちが抱いていた感情は、Takeoさんも感じているように、全く別物だと思います。

    そして、確かに、戦前~シカゴ・ブルースの初期(1950年代くらいまで)のブルースマンたちは、共通の感情を抱いていたに違いありません。
    その感情を「ブルース」と言っていたんだと思います。

    つまり、「ブルース」が「音楽のジャンル」になったときから、「元のブルース」とは違う感情が生まれたということではないかと思います。

    古い時代のブルースマン(ウーマン)たちは、皆、「ブルース」を「音楽」とはとらえていません。
    そのことは、ロバート・ジョンソンの「ウォーキン・ブルース」を聞いても、サン・ハウスの「プリーチン・ブルース」を聞いても、まったく同じこととして伝わってきます。

    やはり、JBの「ファンク」やアリの「ビックマウス」を聞いて受ける感覚とは、別物と言わねばなりません。

    まず、なんといっても、彼らは「孤独」ではありません。
    「アメリカン・ブラック・コミュニティ」の代表者として、自信を持って行動し、発言しています。
    そして、彼らははっきりと「勝利」を目指していますし、「権利」を主張しています。

    そのことを批判するつもりは、サラサラありませんし、むしろ称賛したい気持ちですが、その前の時代に、そんな気力すらもなくして、生き、死んでいった者たちには、一層の敬意と称賛を、まったくもって僭越ながら、与えたくなってしまうわけなのです。

    『なぜ?』と聞かれるなら、『彼らが、あまりにも称賛されないから』と答えます。

    本当の意味で称賛されていないのは、「彼らの音楽としてのブルース」ではなく、「彼らの感情としてのブルース」です。

    ブルース・ファンですら、彼らの「負の感情」としての「ブルース」を本当の意味で理解し、受け入れている人は少ないです。
    もちろん、自分自身のことも含めてですが、「実体験」のないことを、本当に理解することは出来ませんから。

    それでも、自分が「ブルース」の存在に気づき、「その感情」を分け与えられたことには、非常に感謝していますし、「恩」を感じています。

    だから、ぼくは「嫌いな音楽」はないんですが、原則的に「ブルース」を中心とした「アメリカン・ブラック・ミュージック」しか聞きません。
    少なくとも、ほかのジャンルの音楽を、お金を払ってまでは聞きません。

    そんなことくらいしか、「ブルース」に恩返しができないので。
    それが、ぼくに送ることができる「人類史上まれに見る差別を受けた人たち」への、あまりにも非力な「称賛の拍手」なので。

    だから、「ブルース」のことは、どうしても「押し売り気味」にお勧めしてしまいます。
    本当を言えば、Takeoさんが、人から音楽などを勧められるのが好きではないのは知っているんですが、そこのところは、ぼくの「ブルースへの恩返し」なので、聞き流してもらえればと思います。
    相手の人が、共感して入れるのもうれしいことではありますが、それ以前に、自分の一方的な「ブルースへの恩返し」なので、相手の反応はそれほど気にしません。
    (ぼくの場合、おススメするところまでで「恩返し完了」みたいですね)

    そして、だからこそ(前の話とはやや矛盾するかもしれませんが)、「感情としてのブルース」を受け継いだ「アメリカン・ブラック・ミュージック」全体を一つのものとして、ぼくは、考えてしまうわけなのです。
    ですから、「ブルース」・「ファンク」・「ゴスペル」・「ソウル」に関しては分け隔てなく聞いています。
    (ただし70年代くらいまでですが)

    最近になって、この「恩」という感情は、人間の心の在り方として、かなり深いモノなんじゃないかと思っています。
    ぼくは、「感謝」は時間とともに薄れていくこともあるが、「恩」は消えることも薄れることもないんじゃなかと思うようになりました。

    ほかの記事の話になりますが、たぶん、JUNNKOさんは「サン・ピエトリーニ」の石畳に対して、「恩」に近い気持ちを持っておられるんだと思いました。


    だから、それがなくなったらイタリアを去るというのは、JUNNKOさんにとっての「サン・ピエトリーニに対する恩返し」なんじゃないかと思います。
    たぶん、消えないし、変わらないと思いました。

    そちらにも「称賛の拍手」を送ります。

    まったくもって、僭越ながら。

    それでは、また。

    返信削除