母が、父の見舞いに行った帰りのエレベーターに、若い女性が乗ってきて、
「病院で無断で退院しちゃいました」と母に言ったらしい。
乳がんの手術を間近に控えている。ステージ3なのだと。エレベータのドアが閉まるまで彼女を見送ってくれた同室(?)の「仲間」たちは乳がんではなく、ともに股関節の手術を待っているのだという。
病院に「無断で退院」というのはないだろうから「病院から逃げ出した」のだ。
それがどの程度「必要な」手術であったのか「手術しなければ死にますよ」という重度のものなのか、何故彼女は「逃げた」すなわち「止めた」のか?
その辺の理由は当然行きずりの母にもわからない。
母が一番困ったのは「なんと言葉をかけたらいいのかとっさに思いつかなかった」ことだという。こういう時に気の利いたことを言えないのがわれわれ日本人だ。
型通りに生き、型にはまった、皆と同じ考え方しかできない者たち、そういう人間をこそ重宝がる社会に生きる人間が、外国映画に出てきそうな、機知に富み、それでいて、やさしさや思い遣りを感じさせる言葉を言えるはずがない。
ただ少なくともわたしは、彼女に向かって、「なんてことを!」「とんでもない」などと説教を垂れるような母でなかったことを今更ながら喜ぶ。
仮にいかなる重病であっても、彼女の命をどうするかを決めるのは彼女以外にはない。
病んだ人間は「医療システム」の支配下に置かれるなどということはあってはならない。
彼女の「脱走」をエレベーターまで見送ってくれた同室の仲間たちもいい人たちだ。
わたしなら、彼女にどんな言葉を掛けるだろう?
「あなたの人生です。好きなように生きてください」・・・
「病院に連れ戻されないように」
ああ!ダメだダメだ。英語ならせめて「グッドラック」くらいは言えるのに。
◇
病院と言えば、先日、難手術を前にした父に対して、医師が、「外に出れば車にぶつかるかもしれない。人間いつも危険と隣り合わせに生きてるんです。だからと言って、外に出ないわけにはいかないでしょう?」と、なにやら妙なことを言ったらしい。
道を歩いていて事故に遭うのは、これは避けようのないことだ。一方で、手術は「しない」という選択肢もある。「外に出れば交通事故に遭って死ぬかもしれない」
「難しい手術でうまくいかずに死ぬかもしれない」・・・これを同列に扱うのがいかにも浅墓な医者らしい発想だ。
事故死は不慮の死であり、手術をしないという選択をした上での死は、主体的に選択した死であって、それはまったく、まったく次元の違う話だ。
手術を前に脱走する乳がんの女性を、浅慮であると、医師は、医療関係者は言えるのか・・・
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