Kiri Te Kanawa, St. Paul's Cathedral Choir, English Chamber Orchestra, Conducted by Barry Rose
2019年4月29日
What is it ?
生きている意味がなければ、またそれがわからなければ、とても生きてゆくことはできない。シオランは、人は生きる意味、或いは「動機」がなければ生きられないと書き、自分はそれを持っていないといっている。「そしてわたしは生きている」と。
仮にわたしが「生きている」としたら、何のために生きているのだろう?
以前からどうしてもわからないことがあった。映画『男はつらいよ』の中で、寅さんの甥の満男が、時々「おじさん、にんげんて、なんで生きてるんだろう?」と尋ねる。
寅さんは苦笑いしながら「俺は学がないからそういう難しことはよくわかんねぇけど、ほら、たまにさ、何かの瞬間に、「ああ、生きててよかったな!」って思うことがあるじゃない。そのために生きてるんじゃないかな?」と答え、満男は感心して肯くのだが、わたしはそのような「ああ、生きててよかったな!」という実感を(自覚的には)持ったことがないので、そのように、誰もがそういう時を持っている、というような言い方に強い違和感を感じていた。
幸せは不幸ではないこと、生きるとは死んでいないことだとすれば、わたしは確かに幸せであり、生きているのだろう。
幸せが何であるかはわからないが、とにかくわたしは生きていて、楽しいと思うこと、うれしいこと、気持ちいいことというものが、これも自覚的にはまったくない。
わたしには、まるで自分がわからない・・・
「自分が何者か?」(Who am I?)
というよりも
「わたしとは何か?」(What is me?)という問いの方がよりしっくりする。
英語では、「わたしは何か?」とはどう表現するのだろう?
少なくともWhoという言葉は「人間」に対して使われる言葉だ。
そしてわたしに対しては「あなたは誰?」「あなたは何者?」(Who?)ではなく「あんたいったい何?」(What?)という問いこそ相応しいと感じている。
(しかし「あんた」だろうが「お前」だろうが、そう問う相手が「人間」であることを前提としている。人間ではない「モノ」に、お前は何だ?と訊くときの主語は何だろう?)
「仲間」のいない存在とはどういうものだろうか?
この場合の仲間とは、「友達」「同士」というような意味ではなく、これは魚であるとか、鳥であるとか、爬虫類であるとかいうことだ。
「人」ではないわたしとは、ではいったい「何」だ?
わたしは何故ここに「在る」のか?
2019年4月28日
淋しさの底ぬけている(極私的ノート)
二階堂奥歯の言葉を借りれば、最近(?)は「社会への違和感」ではなく、そもそも自分というものがこの世界に存在していることがひどく不思議で、またとても不自然なことのように思われてならない。
「わたしはなんのために生きているのか?」と問う以前に、そもそも「わたしは生きているのか?」という疑念の方が大きい。
「生きている」「生きていない」という判断はどのようにして下すのか、またその基準はどういうものであるのかはわからない。しかし少なくとも、わたしには自分が「生きている」という「実感」がない。
わたしはなぜ今ここにいるのか?それについての眼差しを捨象して、とりあえず、今自分はここにいる、私はこうして生きているということを疑う余地のない当然の前提として、さてでは「今たしかに生きているわたし」は、いかにして幸福になるか、幸福とは何か?という議論は、わたしの理解を遥かに超えている。
自分が存在していること、自分が生きていることが「自明のこと」ではない限り、わたしにとって幸福についての話は所詮机上の空論に過ぎない。
わたしが知りたいのは、いかにして幸福になるか、幸福とは何かということ以前に、「わたし」とは「なにもの」か?即ち「これはなにか?」わたし=(これ)は、何故いまここに「在る」のかということ以外にはない。「これ」がなんだかわからないのに、何故「これ」の「幸福」について語れるだろう・・・
◇
世界に存在している(らしい)ことに、強い違和感を感じながら、その世界から二階堂や西部邁のように、さっさと出て行くことができないでまごまごしているわたしは、自分がなんとか息をつける場所を探す必要があるように思える。
わたしが最近関心を持っているのは、これは、二階堂、ドロローサ、種村季弘などの影響もあるだろうが、「悪魔主義」のようなものだ。
しかし、さて「悪魔」といって、それについて全く何の知識もないことに改めて驚いている。
何たる無智であろうか。
「悪魔と聞いて真っ先に何をイメージしますか?」と訊かれても、まるで思いつかない。
これは「神」についても同じことだが、宗教について全く考えたことがない。
たとえば、一方にボードレールとオスカー・ワイルド、もう一方に、首相Aと副首相のガラの悪いサルを置いて、どちらが悪魔的か、どちらが「悪魔」のイメージに近いか?と訊かれれば、迷うことなく、ワイルド、ボードレールを選ぶだろう。ではそれは何故だろう?
悪魔イコール悪なのだろうか?
では「悪」とはなにか?
「悪」イコール「犯罪(とされている行為)」なのだろうか?
加藤智弘や植松聖は「悪魔」か?否!そもそもこの二人を同列に扱うことはできないが、大量殺人は、悪魔ではなく、それこそまさしく「人のなせる業(わざ)」なのだと思う。
「ヒト」とはおそらく「悪魔」と呼ばれる存在以上に「邪悪」なものなのだろう。
◇
「人生」はよく「旅」に譬えられる。
これもわたしにはよくわからない。
「人生は旅」とは、わたしにとっては、例えばこんなことだ。
Le Voyageur immobile (The Motionless Traveller) 1968, Roland Topor. French (1938 - 1997) - Lithograph - 「静止した旅人」ローランド・トポール(1968年) |
世界はわたしとまったく無関係に存在し、動いている。
わたしは世界を見せられている・・・
2019年4月25日
無題
今回も「勿論」投票には行かなかった。
投票所まで行くことが面倒ということ以前に、選挙管理委員とやらが、玄関先までやってきて、「候補者名の名前の上に印をつけるだけでいいんです。30秒で済みます」と、紙と鉛筆を差し出されても、お断りだ。
インターネットで投票できても同じこと。「政治家」と呼ばれる毒虫どもとは、いかなる形であれ関わりたくはない。
「選挙」自体を否定しているわけではない。これは「日本人としてのわたし」の発言だ。
他の国なら、たとえば韓国なら「当たり前のこととして」投票所に足を運ぶだろう。
日本に住んで日本の候補者に投票しないのが全く当たり前であるのと同じように。
2019年4月24日
ふたつさんへ(返信に代えて)
このブログにまだ読者がいて、まして自分の意見を聞かせてくれる人がいるとは思いませんでした。
残念ながら最近は考えること、それを言葉なり文章にすることが、嘗てなく困難になってきています。実際に母との会話も以前のようではありません。デイケアに通っている病院で、認知症の検査をやっているようなので、受けてみようかと思っていますが、それには主治医の紹介状が必要です。頼めば書いてくれるでしょうが、昨日も母に薬をもらいに行ってもらったというありさまです。
「このブログをまだ読んでくれている人がいるなんて・・・」というのは、
ここに書かれていることもそうですが、もう一つのブログ、(わたしは自分で「変態ブログ」と呼んでいますが)を読んだ、(見た)「真面目」で「正常」な人たちが、あれらのあられもない絵を見て、蜘蛛の子を散らすように去って行っただろうと思っているからです。
わたしはそのことを悲しんではいないし、彼らの「無理解」を嘆くこともありません。ただ、わたしが言いたいのは、「簡単に人をわかった気になるな」ということです。
このブログを通じてわたしを少し知った気になっていた人、「知的で繊細」などと、まるで見当違いの評価を下していた人たちが、「こんな(悪趣味な)ひとだとは思わなかった」と幻滅していることを想像するのは愉快なものですが、あのブログを見て、なにやら「あいつよりはマシだな」などと「優越感」を持ってくれる人がいれば、これに勝る喜びはありません。
先の投稿と重なる部分がありますが、優越感や強い自己肯定感を持っている人を見るのは滑稽なものです。確固とした自信を持つということは、ひどく滑稽なことですね。
>「権威」は望まない人に一方的に与えられてしまう場合もありますよね。
「権威」を「人気」「称賛」「喝采」と同じと考えてもいいですね。
けれども可能な限り「孤」であり続けようとすることは可能だと思います。
具体的には、マスコミに出ないとか、いわゆる「人脈」を作らないとか。
サリンジャーなどはそういう人でしたね。(もちろん彼は日本人ではありませんが)
>ぼくの場合は、「有名・無名」・「権威・反権威」ということ自体よりも、そういうことが、まったく眼中にないような、自分がどのような権威を与えられようが、有名になろうが、乞食だろうが、まったく頓着しないでいられる人がいれば、そういう人を最も評価するでしょうね。
わたしは「有名になっても平気な人」というのはダメですね。
わたしは誰もが(特に「辛口」などと称される知識人・・・この呼称もまた、ブンカジン同様滑稽ですね)たちが例外なく、と言えるほど称賛する人が嫌いです。具体的には永井荷風と立川談志。
もう少し調べてみたいのですが、荷風は、以前も何度か書きましたが、自分を「戯作者」と卑下しながら、文化勲章をもらうと小躍りして「天麩羅を食ってうまくないというやつがいないように、勲章をもらってうれしくない人間などいない」と嘯くような俗な人間です。(これは岩波新書の『勲章』という本に書かれていたことです)
談志が嫌いなのは、単に悪くいう人を知らない、という理由からです。
誰からも悪く言われない人間って、どうしても、どうしても、ただそれだけの理由で好きになれないのです。
まぁこじつけめきますが「スマホ」と同じで、だったら世界中でわたしひとりだけは嫌ってやろうじゃないかという気持ちになるのです。
荷風と正反対の勲章嫌いが芥川ですが、彼の「猿蟹合戦」という短編は面白いですよ。
さすがに世間を、人間をよく見ているなあと感心しきりです。
芥川らしさがよく出た出色の作品です。
いつもコメントをありがとうございます。
唯一の読者へ。
2019年4月22日
文盲礼讃
図書館から借りてきてもらった澁澤龍彦の本をめくっていて、なんだか「いやな気分」になってきた。アート、特に異色の美術を好む者が、澁澤や種村季弘の本を読むなんて、まったくもって「型通り」じゃないか。
澁澤龍彦はカリスマであり、その道の「権威」である。何故わたしがそんな人の本を読まなければならないのか。
存在論として、わたしは才能のある者、多くの人に認められ、愛される者を厭う。
澁澤龍彦を読むくらいなら、寧ろ、心を病んだ人、引きこもりの人たちの、誰からも一顧だにされないようなブログを読みたい。実際読む読まないはともかく、わたしにとってそれらは、澁澤龍彦や種村季弘の著作よりも、存在論的に意味があるのだ。程度の差はあれ、それは辺見庸だろうが、西部邁だろうが同じことだ。人に(その名を)知られているということ、それが反権力・反体制の人であろうと、支持者が多いということは胡散臭いことであり、見た目に見苦しいことだ。(「狷介孤高の人」という称賛も同断)
死んで多くの人に悲しまれ、惜しまれる存在よりも、その人が死んでも誰も困らないし、なんの支障もない、死んだ翌日には忘れられている、というような人こそ、尊い存在であると思う。
文学であろうと、アートであろうと、音楽、映画、すべて、わたしの嫌う「才能のある人」「皆に愛されるひと」の手によって作られたという、このどうしようもない不条理。ジレンマ。彼/彼女を愛する人の多寡が問題なのではない。知る人ぞ知る・・・所謂「通好み」「玄人筋に愛されている」などというのにも辟易する。寧ろこういう形の方がより嫌いかもしれない。
文明は醜悪であり、文化は鼻持ちならない。「文化・文明」の産物と無縁に生きられたら、それが理想なのだが・・・
2019年4月18日
不便になる一方の世の中
● 先日、新聞の日曜版の特集で、これから普及するであろう「電子教科書」についての特集があった。それをみていやな気分になったが、同時に、わたしはほんとうに、つくづく、子供というものを持たなくてよかったと思った。
わたしは学校で、タブレットだかipadだかのような(そもそもこの両者の違いを知らない)教科書を使い、今こんなことを習っていると、それをわたしに見せる子供を嫌悪さえするだろう。無論それは子供のせいではないのだが・・・
● 最近は、インターネット上で、たとえばSNSのようなサイトに参加登録する際に、「携帯電話番号」を記入することを求めるサイトが増えている気がする。
そういうのが増えてくれば当然利用できないサイトも増えてくる。
数年前、母が緊急入院した折、入院の手続きの書類を書いているときに、自宅の電話番号のほかに「携帯電話番号」を記入する欄があった。わたしはここは書けないと困っていると、受付の人も困っている様子だった。携帯電話を持っていない人は入院すらできない時代なのかと思った。幸い(?)傍に弟がいて、家族の中で唯一弟が携帯(スマホ)を持っているので、その番号を書いたが、あの時、弟がいなければどうなっていたのだろう。
今回も父の入院の際に、自宅の電話と携帯電話の番号の記入を求められたが、母は、そこは書きませんと拒否したらしい。自分も父も携帯電話を持っていないという理由だけではなく、連絡先は自宅の電話だけで充分であるとの判断からだ。
弟に番号を訊くこともなかった。「緊急の時に・・・」というのが病院側の言い分のようだが、母は、携帯電話を持っていなくて、緊急の連絡が間に合わないのならそれはそれで運命ですから、と言いたかったようだ。昔から、少なからぬ人が、何故か「死に目に会う」「会えなかった」ということに拘るのか理解できなかった。わたしは「携帯電話を持っていなかったばかりに」母の死に目に会えなくても仕方がないと思っているし、母も同じ考えだ。
携帯電話であれスマホであれ、ただではない。しかし仮に携帯電話所持にびた一文かからなくともわたしはお断りだ。タダだろうが嫌いなものが好きになるわけでも、「持ってもいい」という気持ちになるわけでもない。
● わたしがインターネットを始めた当初から使っているヤフーから電話があり、わたしは今人と話す気分じゃないし、まして馬鹿な携帯会社の馬鹿な若者と話などしたくないので、母に代わって聞いてもらったが、なんでも今後数年でわたしが今使っているADSLが使えなくなるとか、モデムの交換とか、そんなことらしい。
このままADSLを使い続けられるのなら、今より多少使用料金を上乗せしてもいいが、
インターネットの利用方法自体が大幅に変わるのなら、もうインターネットもしなくなるかもしれない。困るといえば困るが、それは自業自得というものだ。
繰り返しになるが、携帯電話がなければ利用できないものはしなければいい。そもそもそれがないと日常の生活に支障があるというのなら、わたしは携帯電話を持つことよりも、生活=生を放棄する方を選ぶ。
2019年4月16日
エロ・グロ…
ひょっとして、このブログを継続的なり、不定期なりで読んでいる人が、わたしのもうひとつのブログ「わが孤独・・・」のエロ・グロポストを見てどう思うだろう?
「なんだかすっかり変っちゃったな」と感じるだろうか?
しかしわたしはちっとも変ってはいない。
早稲田の哲学科を卒業し、国書刊行会に編集者として働いていて、2003年、25歳で投身自殺した二階堂奥歯の残したブログ(ウェブ日記)が書籍化されているのを、2年前に新聞で遅蒔きながら知り、以降愛読書になっていることはここで何度も触れた。
彼女の本『八本脚の蝶』は、もともとがブログなので、その当時、彼女が使っていた「ニフティー」というプロバイダーが、ブログサービスを止めたので、彼女が書いていた当時のまま残っているわけではないが、全く同じ内容で、今でもウェブ上で読むことができる。
わたしは図書館で本を借りて読んだが、専らネット上のものを読んでいる。
図書館の本では線を引いたり書き込みをすることができないから。
その『八本脚の蝶』の2001年10月の記事を引用する
◇
「会社の先輩が貸してくれた北村薫『夜の蝉』(東京創元社)を読んでいて、ある部分でぐっと詰まった。
主人公の本好きな大学生(日文)の女の子は、短編を読んで魅かれていたソログープの長編『小悪魔』を、友達の先輩(面識はそれまでない)に借りる。読んでいて何の気なしにカバーをはずしたら表紙には!
<<無気力と憂鬱、グロテスクとエロチシズム>>と書いてあった。
私は瞬間、かっと全身が燃え、続いて血の気が引いた。
信じられない罠に落ちた女狐になったような気がした。
麗々しくそう謳ってある本を、男の人に声までかけて何がなんでも借りたことを、その瞬間私はたまらなく羞ずかしく感じたのだ。
ガーン!
いつも(?)そういう本ばかり読んでいる、むしろそういう本を友達に(本友達は男性ばかりだ)貸している、むしろそういう本の作り手でありたい、私の立場は!?
この主人公は国書の本読まないのね。きっと。読んでも叢書江戸文庫くらいだ。決してフランス世紀末叢書なんか読まないに違いない。
でもねでもね、身持ちの堅くてしっかりした真面目なお嬢さんとして近所に通ってそうな、小市民的な道徳と幸せを決して疑おうとしないこの主人公のかたくなさでは、物語のおもしろさを理解できないことも多いのではなかろうか。
グロテスクとエロチシズム取ったら私なんてさ……。
(やさぐれ気味)。
勿論私もとても真面目なのだけど、彼女の真面目さとは違う真面目さなのだった。」
◇
一般には「エロ・グロ」、そして「ナンセンス」などを好む者は、浮薄な変態だと思われているのだろう。
どう思われても構わないし、わたしの苦痛をここでアリバイ作りのように訴えても仕方がない。
木村敏と有島武郎の本は、借りたまままったく手付かずだが、今日また、澁澤と種村の本をリクエストした。荒俣宏の『悪趣味の復権のために バッドテイスト』は、パラパラと読んでいる。「澁澤と種村」と聞けば当然それらの本が、「エロティシズム」「グロテスク」「デカダンス」というキーワードで通底していることは明らかだ。
尚、本日「あちら」のブログに投稿したMilo Manaraというイタリアのイラストレーターは、二階堂の本で知った。
多分わたしは、エロスとグロテスクというものを使って遠くへ行きたいのだと思う。
つまり、非、或いは反・常識、反・社会的なものへの傾斜が、わたしを、「褻」ではない、「エロ・グロ」という「ハレ」=非(反)・日常へと向かわせるのだろう。
ついでにアマゾンに書いた、この本のレビューも引用しておく。
彼女が亡くなって16年が過ぎた。生きていれば40代なのだ。
こんな彼女は、今のこの時代をどのように生きただろう・・・と思うよりも、わたしには彼女には、蝉や蜻蛉のように、最初から定められた命の短さというものがあったような気がするのだ。
◇
「死ぬことを持薬を飲むがごとくにも われは思えりこころ傷めば」(啄木)
2017年4月22日
遅蒔きながら彼女のことは2017年3月に新聞のコラムで紹介されていたことをきっかけに知った。
50代の中年男性にとって、25歳で死を選ばざるを得なかった彼女の遺した言葉について語ることは、いささか大きすぎ、重すぎるのかもしれない。
正直に言うと、わたしにとって二階堂奥歯とは、若くして自死した人、という定義が第一番に挙げられる。
言い換えれば、彼女がまだ生きながらえていたとしたら、わたしはこの本を手に取ることはなかっただろう。
「一般に長生きの芸術家や革命家ほど我々を痛く失望させるものはない」という辺見庸の言葉に共感する。そして彼は続けて言う
「とはいえ、エミール・シオランの言うように、『誰もが夭折の幸運に恵まれているわけではない』のだ・・・」
若き日「犬猫も鳥も樹も好き 人間はうかと好きとは言えず過ぎきて」と書き、
後に勲章を二つも受勲した女流歌人がいる。(注・歌人齋藤史)
「生きたもの勝ち」なのか「死んだもの勝ち」なのか?それを言い切ることは難しいが、
少なくとも生きて「立派」になることは、その若き日の言葉を知る者としては苦々しく鼻白む思いだろう。
『八本脚の蝶』の中に次のような記述がある。
「…私が黒百合姉妹を知ったのは16歳の頃だ。
その頃私は生きているのがおそろしかった。
そして決心した。私は決して子供を産まない。
私が耐えかねている「生」を他の誰かに与えることなど決してしない。
私は高校生で未成年で被保護者だから今はしないけれど、大人になって自分で生計を立てるようになったら、卵管圧挫結紮手術を受けよう。
避妊だとか、ましてや掻爬といった場当たり的な手段では足りない。私が生を与える可能性を完全に消し去ろう。
私は、産む機能を持たない身体を得ようと思った。
このおそろしさは、私で終わりにする。
卵管圧挫結紮手術を受け、妊娠が不可能な身体になった後、私が考えを変えて子供をほしがることがあるかもしれない。今の気持ちは変わらないなどと思い上がりはしない。私は自分がどれほど変わりやすく、忘れやすい人間かを知っている。
だからこそだ。私は取り返しのつかない改変を自分の身体に加えようと思った。子供をほしがる未来の私を私は決して許さない。未来の私が今の私を裏切ろうとするのならば、思い知るがいい、私は決してあなたを許さない。
子供をほしがる未来の私よ、あなたは忘れたのか。
この世界がどれほどおそろしかったのかを忘れたのか。
このおそろしさをあなたの子に味わせようというのか。
あなたは悔やむだろう。今の私を恨むだろう。これほど大きな不可逆的な決定が既に下されていることに苦しむだろう。
苦しめばいい。この恐怖を味わう可能性を産み出そうとする私など苦しみ嘆けばいい。
子供を産もうとする私よ、あなたはあらかじめ罰されている。」2002年11月2日(土)
わたしはこの発言に100%共感する。
けれどもわたしは彼女に根強い希死念慮があったとも、もともと彼女の心が病んでいたとも思わない。(無論自殺間際の時期に関しては別だが)
読書量に関して驚く声が多いようだが、チャールズ・ブコウスキーの言葉だったか「本がなければこの世界は地獄だ」と、思う人間も存在している。
逆にいえば「本があるから生きてゆくことができる」のだ。
◇
この本に触れて一番衝撃的だったのは彼女の創造力の豊かさだ。彼女の描いた「短篇」(ショートストーリー)に強く惹かれる。
では早世は惜しいではないか、と言われるかもしれないがそうは思わない。
高野悦子や芥川、太宰、ゴッホなどをその「自死」と切り離して語ることが不可能なように二階堂奥歯もそのような存在のひとりなのだろう。
また彼女の世界認識の仕方は非常に興味深く、世界は眼差されることによって、「注視」されることによってはじめて存在すると考えているように見受けられる。
日記部分と、遺品の写真だけであるなら満点だが、周囲の人の言葉はわたしには不要であったので、実質的に星は4ッ半。
このように故人の言葉を「★」で評価するなどということがひどい冒涜であることを認めます。申し訳ありません。
素敵な本を残してくれてありがとう。二階堂さん。
◇
わたしの罪、それはとりもなおさず、「生まれてきたこと」に他ならない・・・
2019年4月15日
病院にて
母が、父の見舞いに行った帰りのエレベーターに、若い女性が乗ってきて、
「病院で無断で退院しちゃいました」と母に言ったらしい。
乳がんの手術を間近に控えている。ステージ3なのだと。エレベータのドアが閉まるまで彼女を見送ってくれた同室(?)の「仲間」たちは乳がんではなく、ともに股関節の手術を待っているのだという。
病院に「無断で退院」というのはないだろうから「病院から逃げ出した」のだ。
それがどの程度「必要な」手術であったのか「手術しなければ死にますよ」という重度のものなのか、何故彼女は「逃げた」すなわち「止めた」のか?
その辺の理由は当然行きずりの母にもわからない。
母が一番困ったのは「なんと言葉をかけたらいいのかとっさに思いつかなかった」ことだという。こういう時に気の利いたことを言えないのがわれわれ日本人だ。
型通りに生き、型にはまった、皆と同じ考え方しかできない者たち、そういう人間をこそ重宝がる社会に生きる人間が、外国映画に出てきそうな、機知に富み、それでいて、やさしさや思い遣りを感じさせる言葉を言えるはずがない。
ただ少なくともわたしは、彼女に向かって、「なんてことを!」「とんでもない」などと説教を垂れるような母でなかったことを今更ながら喜ぶ。
仮にいかなる重病であっても、彼女の命をどうするかを決めるのは彼女以外にはない。
病んだ人間は「医療システム」の支配下に置かれるなどということはあってはならない。
彼女の「脱走」をエレベーターまで見送ってくれた同室の仲間たちもいい人たちだ。
わたしなら、彼女にどんな言葉を掛けるだろう?
「あなたの人生です。好きなように生きてください」・・・
「病院に連れ戻されないように」
ああ!ダメだダメだ。英語ならせめて「グッドラック」くらいは言えるのに。
◇
病院と言えば、先日、難手術を前にした父に対して、医師が、「外に出れば車にぶつかるかもしれない。人間いつも危険と隣り合わせに生きてるんです。だからと言って、外に出ないわけにはいかないでしょう?」と、なにやら妙なことを言ったらしい。
道を歩いていて事故に遭うのは、これは避けようのないことだ。一方で、手術は「しない」という選択肢もある。「外に出れば交通事故に遭って死ぬかもしれない」
「難しい手術でうまくいかずに死ぬかもしれない」・・・これを同列に扱うのがいかにも浅墓な医者らしい発想だ。
事故死は不慮の死であり、手術をしないという選択をした上での死は、主体的に選択した死であって、それはまったく、まったく次元の違う話だ。
手術を前に脱走する乳がんの女性を、浅慮であると、医師は、医療関係者は言えるのか・・・
2019年4月11日
ふたつさんへ
ふたつさん
「そして誰もいなくなった」に頂いたコメント、素晴らしいと思います。
とてもここでちょこちょこっと返答できるものではありませんので、少し時間を下さい。
というよりも、今更あのコメントにわたしが付け加えることは何もない、わたしの気持ちを代わりに言ってくれたとさえ思っています。
何故ここにわざわざこのようなことを書いたのか、それは他の人にも是非読んでもらいたいからです。
書きたいことがうまく書けない今のわたしに代わって、素晴らしい文章を書いていただきました。
先程、デイケアから帰ってきました。ごく近くとは言え、強風の中の久しぶりの外出、
人との会話で疲れています。
先日も書きましたが、帰り、6階(最上階)のデイケアルームからエレベーターに乗りました。そして奥の鏡の中には先日と同じように、太って、死んだ魚のようなどろりとした目をした、鈍そうな醜い中年の男がいました。
そしてその男を見て、そのいやな感じの男の姿を見て、人から好かれないと嘆くことの馬鹿馬鹿しさを痛感したのです。
2019年4月10日
おちんちんが悲しい…
前から時々目にしていた写真。お坊さんかな、と思っていた。
Tumblr に投稿する写真を探して、ある写真家のエキシビションページを眺めていて、この写真にぶつかった。もともと、どちらかというと、シュールレアリズム系の写真家だと思っていた。
写真のキャプションには
と記されていた。
「ヨセフ・ブライテンバッハ 朝鮮戦争の孤児 1953年 」と。
顔は見えないけど、まだ幼い子供なんだろう。おちんちんが悲しい
どうして・・・なぜ・・・
この写真を撮った写真家の気持ちはどうだったのだろう。
「絵になる悲劇」を写すということは、果たして何を意味するのだろう?この写真を視て、一人でも多くの人が、戦争は比較を超えた絶対悪だということを知ってほしい。
「悲しみはうつくしい」「誰もがハッピーであるような世の中には生きられない」とわたしは言った。けれどもこのような世界にも、また生きたくはない。
わたしはほんとうに狂ってきているのだろうか。世界があまりにも悲しすぎるから?
それとも「わたしが」あまりに悲しいから?
2019年4月9日
そして誰もいなくなった
● 2月の投稿『二枚の画』のコメントで、Sさんから、最近のわたしの文章の乱調を指摘された。
このような率直な意見感想はとてもうれしい。
Sさんはしきりに恐縮していたようだが、わたしは感謝している。
最近は毎日まるで縋るように、『マタイ受難曲』のハイライトや、死者を弔うミサ曲など、ルネサンスからバロック期に、主に教会で歌われ、演奏されるために作られた曲(歌)ばかり聴いている。
わたしの代わりに泣いてくれているような気がする。
● これまでこのブログでは、なんら糊塗することなく自分の気持ちを綴ってきた。そのことに後悔はないし、これからも書き続けられる限りは、「自分のために」書くつもりだが、一方で、「いったい自分はどこまで人と違うんだ」という、ある種の怖れ(畏れ?)のような感情も生じつつある。
ひとつ記事を書くたびに、新しいブログで一枚の画を投稿するたびに、今度こそ嫌われたのではないか?と、不安に怯えている。
これほど人を怖れず、またこれほどひとに嫌われることを怖れる人間もいないのではないだろうか。
しかしそんな不安自体に、嫌われることを怖れること自体に疲れてきた。
● 石原吉郎の本を読んで以降、「生き残る」ということに関心を持つようになった。
強制収容所から生還したことに、石原も、またプリーモも、まったく喜んでもいないし、うれしく思ってもいない。「死ななければならなかった」場所から生き延びたというのに。そしてプリーモは老年になってから自宅のアパートの階段から下のホールに飛び降りて自殺し、石原も、次第に酒に溺れるようになり、いわば緩慢な自殺のような形で生き延びた生命を閉じた。
死地からの生還は彼らにとってどのような意味を持っていたのだろう。
彼らにとって「その後の生」とはいったい何だったのか?
そしてわたしの「その後の生」とは?
2019年4月6日
「丁寧に生きる」とは
先日の投稿「無題」に、久しぶりの人からコメントをもらった。
イタリアに留学中の女性で、このブログの右側、プロフィールの下に書かれているふたつのブログで、最初のブログの終わりの頃から、そして引き続き、この前のブログに頻繁にコメントを寄せてくれていた。
昨年8月にちょっとした行き違いがあり、わたしはその彼女、Jさんのブログから遠ざかっていた。そして久しぶりの再会が一昨日のコメントだが、そこには昨年の10月にブログを閉鎖しました。と書かれていた。
コメントの最後の方に、以下のようなことが書かれている。Jさんに断りなく引用するが、決して彼女の揚げ足を取るつもりはなく、その言葉を読んだときに感じた印象を書いておきたい。Jさん、気分を害されたら深くお詫びします。
「正直言って私もこの世界に生きていることに飽き飽きしています。死ぬ気はないので、最後の1日まで丁寧に生き切るつもりでがおりますが、大半の人が少しでもこの世に長くいようとしがみついてるのとは、正反対で、私はいつその日が来るか、楽しみにしているくらいです。」
わたしが疑問に思うのは、これはJさんの言葉に対してではなく、一般論としての話だが、生きることに、また自分を取り巻いている世界(社会)、そして人間という存在に「絶望」しながらも、なお「日々を丁寧に生きる」ということが可能なのだろうか、ということだ。
もちろん刑務所の中に居ても、嫌な言葉だが、「確定死刑囚」という身分であっても、その閉ざされた空間と限られた時間の中で、繊細に生きている人は少なくないだろう。
しかし、ではそのような状況で、「丁寧に生きている」とは具体的にはどういうことだろう?わたしにはそもそも「丁寧に生きる」という意味がよくわからない。
わたしは今の世界の在り方に、この国の姿に、この国の人たちの根本的な心性に、「穢土」を見ている。 そして「絶望」する。その「絶望」は事毎に更新される・・・
人は果たして絶望しながら日々を丁寧に生きるということができるのだろうか。
Jさんとは正反対に、わたしは文字通り、「自堕落」を絵にかいたような毎日を送っている。本音を言えば、朝な夕なに酒色に溺れたいところだが、残念ながらその器量甲斐性がない。
「丁寧に生きる」などということは端から考えたこともない。
丁寧に生きるというのは、規則正しい生活をしたり、部屋の掃除をきちんとしたり、
たとえば聖書や仏典を読み、難解な映画を観、しばしば美術館に足を運ぶことではないだろう。
しかし仮にそれが、日常の些細なことに心を寄り添わせること、一輪の名前も知らない花の佇まいに心を通わせることだとしたら、わたしはそもそも、木々のさざめきや、片隅に咲いている花と通じ合えるような状態の心を持たない。
最晩年のプルーストが、コルク貼りの部屋の中で過ごしたように、「外界」に感覚を開放するということができないのだ。
木を殺す田夫たちの姿を見まいとし、まったく無造作に太い枝を、幹を切り落とし、まるでゴミででもあるかのように落ち葉を吹き飛ばすあの忌まわしい音を遮断しながら、同時に道端に咲く花に目を留める、ということは、不可能なのだ。
以前、アマゾンのレヴュアーで、なかなかセンスのいい数名の人たちのレヴューを読んでいた時期があった。その中のひとりが、『何故プラスチックの街路樹ではいけないのか?』という本の紹介をしていた。アマゾンのレヴューも御多分に漏れず仕様が変わり、すっかり読みにくくなって、もう読むことも書くこともしなくなったが、この本は確かカリフォルニアで実際にあった議論に基づいて書かれていると記憶している。
この本がどうであれ、実際にこれほど育っては伐り倒し、樹木に剪定は必要とは言え、かえって見苦しい姿にするだけの田夫たちのやり方であるならば、いっそ街路樹はプラスチックであってもかまわないのではないかとさえ思う。今は「造花」も本物と区別がつかないほどだという、であれば、見ただけでは本物と見紛うほどのプラスチックの木だって作れないことはないだろう。
Jさんは「絶望」という言葉を使ってはいないし、わたしほどおかしくなってはいないだろう。けれども、「じんせい百年!」と大旗がはためき「枯れるもの、朽ちるもの、萎れるもの、病むもの、壊れるもの」を忌避するこの時代に、なお「日々を丁寧に生きる」とはどういうことだろうか。
わたしにとって、「日々を丁寧に生きる」というのは、自分の美意識に沿った生き方ができるということに他ならない。例えば喫茶店でちょっと本を読みたいと思う。
けれども、きょうび、外観から内装、小物、そして目に見えない「雰囲気」まで「丁寧」に作られた喫茶店がどれほどあるだろう。食べ物、着る物、身に付ける物で、ほんとうに丁寧に造り込まれたものは「ブランド品」と呼ばれている。
男性用の下着にしても、今ではブリーフと言えば「セミビキニ」がほとんどだ(苦笑)
タオルシーツが売っていない。そもそも最近は「シーツ」を使う人がいないという。だから製造されていない。ないない尽くしの世の中・・・
「雑」に出来上がった世の中にあって「丁寧に」日々を生きるとはどういうことか、どうすればいいのか・・・
繰り返しますがこれはJさんの一言に対する反論ではなく、彼女がふと漏らした言葉からわたしが深く考えさせられたことを浅く書き記したものです。
Jさんには重ねてお詫びします。
2019年4月4日
無題
腰の痛みのため、かかりつけの内科を受診した。わたしの説明を聞くと、内臓に持病があることをよく知っていながら、検査をしてみようともせず、言下に、それは整形外科の領域だという。とりあえず、体を動かすことがないために血流が悪くなっていて、それが痛みの原因かもしれないので、血のめぐりをよくする薬を出しておく、これで治らなければ、整形外科に相談してください、と。
それにしても、たまには外に出る、電車に乗ってみるのもいいかもしれない。(内科は自転車で行くのだが)
外に出ると、ほんとうに心の底から寒々とした気持ちになる。当たり前のように平気で「散歩」や「ドライブ」などができる人は、いったいどういう人なのだろう?
外に出て、スマホバカや歩きたばこバカを目にすると、自然と「生への執着」が薄れてゆく。これは望ましいことだ。「絶望」・・・即ち「外界」にはなにもないという気分は、自死への恐怖を和らげてくれる。
死ぬのが怖くなったら、とりあえず外に出て、電車に乗ってみることだ。
◇
明日父が入院する。
正直ホッとしている。心臓に疾患があるため、手術には危険が伴うという。
父が死んだら悲しいだろうか?正直見当がつかない。
親が入院して危険な手術をするのに、「ホッとしている自分」が別段嫌いではない。
そう思ってしまうのだから仕方がない。
わたしには働いて収入を得るという能力が無いので、そんなことはそもそも有り得ないのだが、仮にわたしが家庭を持つようなことがあれば、伴侶や子供から同じように思われるであろうことは火を見るよりも明らかだ。
つまり立場が入れ替わればまったく何も違わないということ・・・誰からも嫌われる者同士。お互いさまなのだ。
結局父も、母も、ある程度の年齢になったら結婚するもの、結婚したら子供を持つものという何やら馬鹿馬鹿しくも不合理な因習があった時代の犠牲者なのだろうと思う。
その結果こんな箸にも棒にもかからないような者が生まれてきたのだ。
・・・わたしには、当たり前に散歩ができる人の気持ちが分からないし、今の時代にこの国で、結婚したり子供を持とうという人の気持ちがまったく理解できない。
仮に両親がどんなに、どんなにその子を愛していて、命がけで愛していても、子供は社会に殺される。親は全身全霊を賭けても子供を守ることは極めて難しい。
社会に殺されることなく、今のこの国この時代を、そこそこうまく泳いでゆけるような子供を、わたしは愛することはできないだろう。そしてまた、生きることに悪戦し苦闘している子供であれば、わたしは「親になった罪」を生涯後悔するだろう。
わたしは両親を恨んではいない。両親もまた時代の犠牲者であるのだから。
そしてわたしは、まだ人間が人間らしく生きていた最後の最後の時代を見ることができたから。
ー追記ー
内科の待合室と薬局でテレビがかかっていた。画面の中で絵が動き、人の話し声がいやでも耳に入ってくるのでとても疲れる。
しかし上にも書いたが、最近は、「ああイヤダ」という場面に出くわすと、「しめしめ」という気持ちもまた、同時に生まれてくる。
2019年4月1日
死を前に書くということⅡ
最後の最後を間近に、無理をして人に、誰でもいい、誰かに好かれるよりも、この世界の誰一人わたしを好きになれなくとも、「わたし」でありたい。そうすることによって自分がすきになるということとは別で、わたし自身もやはり、最後まで自分を好きになれないだろう。
このブログには、ほぼ、ありのままの自分・・・つまり相当に反・社会的な部分や、厭世観、厭人観など、包み隠さず出していると思う。それでも「わたし」というものの8割程度は表出されているかというと疑問だ。
ただ、わたしにはこのようにしか書けない。
最近始めた「エロ・グロ」ブログに関しては、正直まだまだという感じ。バイロスなどは、いわば「綺麗なエロティシズム」で、女性が見てもそれほど嫌悪感を持たれないだろう。
わたしの知る限り、相当「エロ・グロ」度が高いのは、ベルメールのドローイング、版画、ベルギーのフェリシアン・ロップス、以前ここにも書いたが、70代で自殺したピエール・モリニエ。モリニエはそれほどでもないが、ベルメール、ロップスは好きだ。
バイロスや、少しユーモラスなところもあるオーストラリアのノーマン・リンゼイなどに比べて、ロップスやモリニエには、露骨に顔をしかめる女性がほとんどだろう。
そういう部分がまだまだ出し切れていないもどかしさを感じる。「綺麗なもの」が嫌いなわけではないので、その点でもジレンマを感じている。
先日も書いたが、「性」(「エロス」ではなく「エロ」)と「死」、「醜」と「狂気」を孕んだ「美」・・・まだまだだ。こちらのブログに関しては未だ「上澄みだけ」という感じが否めない。
◇
・・・なにもわざわざ人に嫌われたいのではない。ただ、わたしはわたしを知ってもらいたい。そして過去の経験から、深く知れば知るほど、人は離れて行く。
たとえば、駅へ向かう道を歩いているAさん、会社員の45歳のBさん。街中の任意の誰某・・・彼らが己のほんとうの内面をあからさまに表現したら、やはりわたしのように誰からも嫌われるのだろうか?
人は誰も「本当の自分」を隠すことによって、なんとか他者と、社会と繋がることができているのだろうか・・・
或いは多くの人は、わたしほど内面に変態性や狂気を孕んではいないから、手袋や靴下をくるりと裏返すように、内面がそっくり外面になっても、なにほども変わらないのだろうか?
◇
・・・ここのところ腰が痛かったのだが、今日は動くことも困難だ。
「腰が痛い」といっても、実際には「腰」ではなく、内臓からくる痛みだ。
父は今月、5~6時間の大腸の手術をするが、わたしは、入院も手術も御免だ。
入院して手術しなきゃ確実に死ぬよと言われても嫌だ。仮にそれが「盲腸」であっても。
そもそもわたしは病院で正気でいられるとは思えない。
わたしは病院に入り病院で死ぬことが何よりも一番怖い。独りぼっちで誰にも気づかれずに死んで、腐乱臭が辺りに漂ってから、半ば腐った状態で発見される方が遥かに好ましい(望ましい)し、できるならわたしはそちらを選びたい。
死ぬことは怖くはない。(と思う・・・)死に至るまでが怖いのだ。
今目の前で、額に銃を突きつけられてもそれほど怖くはないだろう。一瞬のうちに頭が吹っ飛ぶだけなのだから。
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