2018年2月6日

廃墟について

私は石の柱……崩れた家の 台座を踏んで
自らの重みを ささえるきりの
私は一本の石の柱だーーー乾いた……風とも 鳥とも かかはりなく
私は 立っている
自らのかげが地に
投げる時間に見入りながら
ー 立原道造 「石柱の歌」

松山巌は、廃墟を語る一文の中で道造の詩を引き「この詩は私たちにあらゆる事柄から解き放たれた時間を夢想させる。一瞬かもしれぬし、 永遠かも知れぬ凍結した時間、その美しい夢へと廃墟の一本の柱は私たちを誘う。」『手の孤独、手の力』
と綴る。

けれどもこの詩を「廃墟」の文脈から切り離して単独に読んだ時、わたしはすぐに
ジョン・シンガー・サージェントの「アトラス」の絵を思い出した。

Atlas and the Hesperides, 1925, John Singer Sargent

ゼウスとの戦いに敗れ、天空を支える罰を科せられたアトラスは、シジフォス同様に永遠の苦痛に耐えることを運命付けられている。

同時に、この詩がわたしにもたらした印象は、己(の生)を支え、維持することのみを目的とする存在となった、一本の柱の悲しみでもあった。
「石の柱」が支えているのは、他ならぬ自分自身のいのちである。
「彼」は身じろぎすることもままならず、「風とも 鳥とも かかはりなく」ただじっと支え続けることに耐えている。

わたしは自分の「生」を容易にこの詩に、この絵に重ね合わせることができる。
「風とも 鳥とも かかはりなく」ただじっと動かずにいることを余儀なくされているいのちの在り方に。

まだみどりも花も見ることができ
まだ蓮の花咲く池のほとりをめぐり
野鳥の森の朝のさわやかさを
味えることのふしぎさよ
ー 神谷美恵子

自らの生をただ維持するためだけに、不動の柱として生きているわたしが、風や鳥や、樹々や草花とふたたび心を通い合わせることのできる日が訪れるのだろうか・・・



「廃墟の美しさは「風とも 鳥とも 花とも かかはり」のない久遠の美しさだ。建築家は多かれ少なかれ、この美学に魅了される。当然である。自らが設計した建築が、たとえ機能を失い、建築としての生命を失っても、周囲がどれほど変わろうとも超然として残ることは建築家の夢に違いないからだ」と松山は続ける

廃墟を廃墟たらしめているのは、建築としての本来の機能を失ってしまったからだが、それでもわたしは下の絵にあるように、「超然たらざる」廃墟と人の生活が交差する情景が好きだ。

A Hermit Praying in the Ruins of a Roman Temple, ca 1760, Hubert Robert. French (1733 - 1808)


これはユベール・ロベールの描いた「ローマの寺院の廃墟で祈りを捧げる隠者」。
廃墟は造られた当初の機能は失われても、尚このように人々の生活の中に溶け込んでゆく。

「廃墟というものがいまだ存在する。炭鉱やさびれた漁港で、石炭積み出しの施設、洗炭場、鉄道施設、炭住、そしてかつて漁師たちが寝泊まりした番屋や赤錆を浮かした船に出会った時は新鮮な驚きを感じた。それらはすべて打ち棄てられていた。かつての栄華を、土地の記憶を強く廃墟や廃屋や廃船は焼き付けていた。
同時に感じたのは、廃墟が経済的価値から解き放たれて見えたことだ。人間が与えた価値から、これらの建築や船は解放されて、ただの物体に戻り、あたかも自然そのものとして息づいている。風雨にさらされたコンクリートの肌、錆びた鉄、茂る雑草は地霊の力を感じさせた。」『手の孤独、手の力』

廃墟は打ち棄てられることによって、新たな生命を得る。ある人々、ある階層、ある使命から離れることで、別の人々に愛され、別の役割を担うことになる。
現在の資本主義は「いつまでも壊れず、汚れない物は作らない」という呪縛の上に成り立っている。
言い換えれば、壊れたり汚れたりしたものは、ただちに新品に取り替えられるということだ。
廃墟は既に市場経済の埒外に位置し、貧しい人たちとその新たな生命を共有する。

新しい建造物は、廃墟化することで、自然の一部となる。衰え、やがて朽ちてゆくという、有機物としての生命を与えられる。
そこではじめて巨大建築は人間に近しいものになる。
廃墟を偏愛し、廃墟の絵を描き続けたユベール・ロベールは、建造物に「やがて滅びゆく」有機体としての生命を吹き込んだ人ではなかっただろうか。

「廃墟や廃屋や廃船が残されるのは、土地の経済的な価値が取り壊す費用と見合わないほどに低いためである。もし東京などの大都市であるならば、廃墟が生れるいとまも許されない。使われぬ建物は瞬時に建て直される。」(同)

大都市では時間も空間もすべてが経済対効果で計られる。廃墟の生きられない土地、「無駄」の許されない土地では、人間の生もまた、やせ細ってゆく。

The Barn Hubert Robert, 1760,
ユベール・ロベール「納屋」(1760年)








0 件のコメント:

コメントを投稿