2021年3月27日
銅像の立場
深みより・・・

- Watercolor, Gouache, and Crayon on Composition board -
2021年3月26日
サマンサの言葉
きれいはきたない きたないはきれい
ージャン・ケルアック『トレインソング』(1990年)(千葉茂樹訳) より
引用したジャン・ケルアックの文書にもあるように、1984年10月25日、モンタナのコテージで、ブローティガンの死体が発見された。死後1ヶ月たっていたという。自殺と見られている。晩年は酒浸りの毎日だったという話だ。
ー『リチャード・ブローティガン詩集「突然訪れた天使の日」中上哲夫訳(1991年)訳者あとがきより
2021年3月17日
2021年3月14日
子守唄
今の若いお母さんは(もちろんお父さんでもいいのですが)、子供を寝かせつけるときに子守唄を唄ってあげるのでしょうか?
母の唄ってくれた子守唄をうっすらと憶えています。
うたがうまいとか音痴であるということとは関係なく、母親の胸に抱かれ、或いは負ぶわれて、母(または父)が自分をあやしてくれているという朧な記憶が大事なのだと思います。
国立(くにたち)の大学通り。駅からそれほど離れていない場所に、主に絵本を扱っていた洋書屋さんがありました。木造の一間間口ほどの小ぢんまりとしたお店でした。数日前、母が国立に行ったときには2月いっぱいで閉店しますと張り紙がしてあったそうです。
わたしはアートブログをやっていて、それに投稿する絵や写真は、ほとんどすべて、外国のアート系のサイト(美術館やギャラリーなど)で見つけてきます。「子守唄」の画家は、母国フィンランドで主に活動していましたが亡くなったのはスウェーデンです。絵のタイトルは原語から英語に翻訳しますが、人名=固有名詞だけは翻訳ができません。以前その国立の洋書屋さんに立ち寄って、日本でほとんど知られていないアーティストの名前はどのように訳されているんですか?と尋ねたことがあります。そのお店は70代くらいの女性二人がいつも店内にいましたが、わたしの奇妙な質問に対して、「さあ・・・それは、訳せないですねぇ」とおっしゃいました。
それでも今、子守唄を子供に唄ってあげたいという母親は、ひょっとしてYou Tubeで子守唄を覚えるのでしょうか。
街の景観の連続性が失われ、母から子へ、子から孫へと歌い継がれてきた歌の、ひいては生活の中のささやかな灯の連続性も失われた時代に、人はいったい何処に、その存在の根を下ろすことができるのでしょう?
窓辺にひとり
Alone At Home, Maria Wiik (1853 - 1928)
- Pastel -
ひとりしずかに窓の外の景色を眺める人の姿、佇まいがすきです。
車窓からの眺めであれば、めまぐるしく流れゆく町並み。
家の中であれば、たなびく雲、刻々色を変える大空、飛び去る鳥、風に揺れる草木・・・
フランス・ロマン派の詩人、アルフレッド・ド・ヴィニーは言っています。
「詩人にとって無駄にすごされた時間というものはない。それは観察の時間なのだ」
これはなにも「詩人」に限ったことではない。詩人だから観察するのではなく、観察が詩を生み出すのだと思います。いや、別に「詩」をかかなくても、観察という行為そのものが、既に詩的なものではないでしょうか。
アメリカのイラストレーター、エドワード・ゴーリーは、インタヴューに対して、
「私のいちばん好きな旅行?窓辺にすわって外を眺めることさ」と答えています。