2021年3月27日

銅像の立場

Not looking back. The two Ilyich, 1981
 
今から40年前、1981年ソビエト連邦党大会でレーニンの写真を背にして演説するブレジネフ書記長。
Two Ilyich, というのは、ウラジミール・イリイチ・レーニン、そしてレオニード・イリイチ・ブレジネフのことを指すのだろう。
 
それにしてもこのレーニンの肖像、随分厳(いかめ)しいな。
 
 
 
レーニンは
自分の銅像が倒されてほっとしている
本当は半世紀も前から
赤の広場で寝そべりながら
ビーチボーイズを聴いていたかったんだ
天気の良い日曜の午後になんか
もちろん家族や 親しい友人たちと一緒にね
でもそんなことは誰にも打ち明けられないから
銅像のままつっ立ってたよ
だがねえ 銅像の身にもなっておくれよ
ただ突っ立って歴史を眺めているだけでも
けっこう体にこたえるものだよ
 
田口犬詩集『ハッシャ・バイ』中「偉人伝」より、レーニン
 
 
なるほど、それでフィデルは自分の死後、銅像の類は一切建てるべからずと言い残したんだな 
 
雨の日も、風の日も、ジリジリと照りつける真夏の太陽の下でも、「偉人の銅像」と讃えられてる一介の歩哨はつらいからな。



 
 
 
 


深みより・・・

Venetian Twilight, 1896, Walter Launt Palmer (1854 - 1932)
- Watercolor, Gouache, and Crayon on Composition board - 
 
『黄昏のベネチア』ウォルター・パーマー(1896年)
 
*

“ I must be a mermaid. I have no fear of depths and a great fear of shallow living.”

ー Anaïs Nin



”わたしは人魚になるべきだわ。深い海の底に恐怖は感じない。むしろ浅瀬の、上辺の生を怖れるの。”

ー アナイス・ニン
 
 
 
 
 
 
 
 

2021年3月26日

サマンサの言葉

 
心の中でそう言ってみる・・・
 
そう書いてふと思い出したことがある。
 
Facebook台頭直前、世界最大規模のSNSだったMySpaceにいた頃、女性フォーク・シンガー、エヴァ・キャシディの「フィールズ・オブ・ゴールド」という歌が流行っていた。 あまりに彼女の曲をMySpace内でしばしば見るので、てっきり彼女のオリジナルだと思っていた。ところが、もともとはスティングの作った歌だった。
スティングのバージョンもいいけど、エヴァの曲に漂う哀しさ、静けさ・・・そんな雰囲気に惹かれていた。

そんなことをある時イギリスの友人に話したら、彼女も、エヴァのバージョンの方が好きだと言った。
そしてその後すぐつづけてこう言った
 
「でもこれはスティングには内緒よ」
 
短いメッセージのやり取りだったけど、彼女のいたずらっぽい笑顔が目に浮かぶようだった。
 
 
 
 Eva Cassidy - Fields of Gold
 
 
Sting - Fields Of Gold 
 
 
 
 
 
 

 
 


きれいはきたない きたないはきれい

わたしがリチャード・ブローティガン・・・・うかがい知れないたくさんのトラウマを抱えこんだこの奇妙でやさしい人に会ったのは、これが最初で最後だった。一年後、モンタナのリビングストンの山小屋でピストル自殺した彼の死体が発見された。

ージャン・ケルアック『トレインソング』(1990年)(千葉茂樹訳) より


引用したジャン・ケルアックの文書にもあるように、1984年10月25日、モンタナのコテージで、ブローティガンの死体が発見された。死後1ヶ月たっていたという。自殺と見られている。晩年は酒浸りの毎日だったという話だ。

ー『リチャード・ブローティガン詩集「突然訪れた天使の日」中上哲夫訳(1991年)訳者あとがきより

 
最晩年のニーチェは、「わたしも嘗て、何冊かのいい本を書いたように思う」と言ったという。
既に正気を失っていた彼が、「誰に」そのようなことを言ったのか、或いは彼がそう独りごちたのを誰が聞いたのかはわからないが、そのようなことを読んだことがある。
 
まだ後ろ髪引かれる思いが残るが、わたしは約2週間前、3年間続けたブログを畳んだ。
あくまでも主観であり、自己満足に過ぎないが、約千ほどある投稿の中には、「いい文章」もあったと思っている。

「当時のように書けたら・・・」と希むが、年を追うに連れ、精神活動の衰えも隠しきれなくなっている。
 
 医師に明らかに鬱状態と言われながら、一錠の抗鬱薬も飲んではいない。

自分の内側に、「元気になりたい」「外に出られるようになりたい」という気持ちがほとんど見当たらないのだ。

しかし一方で、いい文章を書きたいという想いがあり、いい物を書くためには、いい文章を読まなければならない。そのために元気になりたいという矛盾した気持ちも、同居している。

『ブローティガン詩集』には、何故彼が自ら死を選んだのかという理由は記されていない。「彼の自殺についてはいろいろと憶測がなされているようだが」と、ブローティガン死後7年目に出されたこの本にはそれだけしかかかれてはいない。一人暮らしであった、アルコホリックであったとは書かれているが・・・


たしかに俺は王だったよ
俺の玉座は七つの海にまたがっていた
おれは全世界を支配した
大英帝国や核弾頭なんかより
ずっとスマートな方法でね
だから世界は俺を愛してくれたし
俺はガンジーの抵抗にも会わなかったじゃないか 
でも支配した結果 俺が得たのは
何だったと思う?
金だよ
ロックは死んで──
死亡通知は殺した連中が握りしめてる
どういうわけかその連中が
俺と同じで──
たいそう羽振りがいいんだがね
 
田口犬男『ハッシャ・バイ』(2003年)より「ミック・ジャガー」
 
 
ミック・ジャガーとブローティガンを比べても仕方がない。
ミックに比べて、ブローティガンはRockだったなんて言い草もどこか陳腐だ。
 
ただ、ぼんやりとした頭で思うのは、落魄にくらべ、「成功」とは何故こうも見苦しいのだろうか?ということ。
 
そして現実のその場の様子とは別に、自殺後ひと月を経て発見されたというその骸(むくろ)が、人間の存在論的在り方として、少しも「腐臭」というものを感じさせないのは何故なのか。
 
詩集『ハッシャ・バイ』収中の、タイトルと同名の詩には
 
「きれいはきたない きたないはきれい」
 
というシェイクスピアの戯曲のセリフが、繰り返しリフレインされる。
 
きれいはきたない きたないはきれい きたないはきれい きれいはきたない・・・
 
いうまでもなく名言であり、わたしの好きな言葉のひとつでもある。
 
ブローティガンはきれい ミックはきたない
 
心の中でそう言ってみる・・・
 

 

 

 

 

 


2021年3月17日

数秒の重み

 
久し振りに保健所の保健士と和やかに話した。話が終わり「では失礼します」と言うや否や電話が切れた。
あなたの惜しんだほんの2~3秒が、わたしの心に傷を残した。
 
 
 
 
 
 

2021年3月14日

子守唄

 Kehtolaulu / Lullaby, 1893, Helene Schjerfbeck (1862 - 1946)
- Oil on Canvas - 
「子守唄」 1893年 ヘレナ・シャーベック(?) 油彩

フィンランドの女性画家ですが、名前が読めません。

今の若いお母さんは(もちろんお父さんでもいいのですが)、子供を寝かせつけるときに子守唄を唄ってあげるのでしょうか?
母の唄ってくれた子守唄をうっすらと憶えています。
うたがうまいとか音痴であるということとは関係なく、母親の胸に抱かれ、或いは負ぶわれて、母(または父)が自分をあやしてくれているという朧な記憶が大事なのだと思います。

国立(くにたち)の大学通り。駅からそれほど離れていない場所に、主に絵本を扱っていた洋書屋さんがありました。木造の一間間口ほどの小ぢんまりとしたお店でした。数日前、母が国立に行ったときには2月いっぱいで閉店しますと張り紙がしてあったそうです。

わたしはアートブログをやっていて、それに投稿する絵や写真は、ほとんどすべて、外国のアート系のサイト(美術館やギャラリーなど)で見つけてきます。「子守唄」の画家は、母国フィンランドで主に活動していましたが亡くなったのはスウェーデンです。絵のタイトルは原語から英語に翻訳しますが、人名=固有名詞だけは翻訳ができません。以前その国立の洋書屋さんに立ち寄って、日本でほとんど知られていないアーティストの名前はどのように訳されているんですか?と尋ねたことがあります。そのお店は70代くらいの女性二人がいつも店内にいましたが、わたしの奇妙な質問に対して、「さあ・・・それは、訳せないですねぇ」とおっしゃいました。

マザーグースや不思議の国のアリスと共に、母が子供に唄う子守唄も無くなってしまったのでしょうか。

それでも今、子守唄を子供に唄ってあげたいという母親は、ひょっとしてYou Tubeで子守唄を覚えるのでしょうか。

街の景観の連続性が失われ、母から子へ、子から孫へと歌い継がれてきた歌の、ひいては生活の中のささやかな灯の連続性も失われた時代に、人はいったい何処に、その存在の根を下ろすことができるのでしょう?

”Nothing ever Stand Still....”  そんな中で、いったいどのようにして生きればいいのか?わたしはただ途方にくれるばかりです・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 

窓辺にひとり

 Alone At Home, Maria Wiik (1853 - 1928)
- Pastel -

「家でひとり」フィンランドの画家、マリア・ワイクのパステル画です 


ひとりしずかに窓の外の景色を眺める人の姿、佇まいがすきです。

車窓からの眺めであれば、めまぐるしく流れゆく町並み。

家の中であれば、たなびく雲、刻々色を変える大空、飛び去る鳥、風に揺れる草木・・・

フランス・ロマン派の詩人、アルフレッド・ド・ヴィニーは言っています。

「詩人にとって無駄にすごされた時間というものはない。それは観察の時間なのだ」

これはなにも「詩人」に限ったことではない。詩人だから観察するのではなく、観察が詩を生み出すのだと思います。いや、別に「詩」をかかなくても、観察という行為そのものが、既に詩的なものではないでしょうか。

アメリカのイラストレーター、エドワード・ゴーリーは、インタヴューに対して、

「私のいちばん好きな旅行?窓辺にすわって外を眺めることさ」と答えています。