2021年3月26日

きれいはきたない きたないはきれい

わたしがリチャード・ブローティガン・・・・うかがい知れないたくさんのトラウマを抱えこんだこの奇妙でやさしい人に会ったのは、これが最初で最後だった。一年後、モンタナのリビングストンの山小屋でピストル自殺した彼の死体が発見された。

ージャン・ケルアック『トレインソング』(1990年)(千葉茂樹訳) より


引用したジャン・ケルアックの文書にもあるように、1984年10月25日、モンタナのコテージで、ブローティガンの死体が発見された。死後1ヶ月たっていたという。自殺と見られている。晩年は酒浸りの毎日だったという話だ。

ー『リチャード・ブローティガン詩集「突然訪れた天使の日」中上哲夫訳(1991年)訳者あとがきより

 
最晩年のニーチェは、「わたしも嘗て、何冊かのいい本を書いたように思う」と言ったという。
既に正気を失っていた彼が、「誰に」そのようなことを言ったのか、或いは彼がそう独りごちたのを誰が聞いたのかはわからないが、そのようなことを読んだことがある。
 
まだ後ろ髪引かれる思いが残るが、わたしは約2週間前、3年間続けたブログを畳んだ。
あくまでも主観であり、自己満足に過ぎないが、約千ほどある投稿の中には、「いい文章」もあったと思っている。

「当時のように書けたら・・・」と希むが、年を追うに連れ、精神活動の衰えも隠しきれなくなっている。
 
 医師に明らかに鬱状態と言われながら、一錠の抗鬱薬も飲んではいない。

自分の内側に、「元気になりたい」「外に出られるようになりたい」という気持ちがほとんど見当たらないのだ。

しかし一方で、いい文章を書きたいという想いがあり、いい物を書くためには、いい文章を読まなければならない。そのために元気になりたいという矛盾した気持ちも、同居している。

『ブローティガン詩集』には、何故彼が自ら死を選んだのかという理由は記されていない。「彼の自殺についてはいろいろと憶測がなされているようだが」と、ブローティガン死後7年目に出されたこの本にはそれだけしかかかれてはいない。一人暮らしであった、アルコホリックであったとは書かれているが・・・


たしかに俺は王だったよ
俺の玉座は七つの海にまたがっていた
おれは全世界を支配した
大英帝国や核弾頭なんかより
ずっとスマートな方法でね
だから世界は俺を愛してくれたし
俺はガンジーの抵抗にも会わなかったじゃないか 
でも支配した結果 俺が得たのは
何だったと思う?
金だよ
ロックは死んで──
死亡通知は殺した連中が握りしめてる
どういうわけかその連中が
俺と同じで──
たいそう羽振りがいいんだがね
 
田口犬男『ハッシャ・バイ』(2003年)より「ミック・ジャガー」
 
 
ミック・ジャガーとブローティガンを比べても仕方がない。
ミックに比べて、ブローティガンはRockだったなんて言い草もどこか陳腐だ。
 
ただ、ぼんやりとした頭で思うのは、落魄にくらべ、「成功」とは何故こうも見苦しいのだろうか?ということ。
 
そして現実のその場の様子とは別に、自殺後ひと月を経て発見されたというその骸(むくろ)が、人間の存在論的在り方として、少しも「腐臭」というものを感じさせないのは何故なのか。
 
詩集『ハッシャ・バイ』収中の、タイトルと同名の詩には
 
「きれいはきたない きたないはきれい」
 
というシェイクスピアの戯曲のセリフが、繰り返しリフレインされる。
 
きれいはきたない きたないはきれい きたないはきれい きれいはきたない・・・
 
いうまでもなく名言であり、わたしの好きな言葉のひとつでもある。
 
ブローティガンはきれい ミックはきたない
 
心の中でそう言ってみる・・・
 

 

 

 

 

 


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