2021年3月11日

癩 友 美

 
最近中世からルネサンスそしてバロック時代の音楽を聴く機会が増えた。主に宗教曲である。それらの音楽の世界と「癩」ということばが、とてもぴったりとわたしの胸の中で融合する気がした。わたしにとって癩ということばは、ある種の宗教性を帯びている。
癩とは、「遠ざけられし者」と同義に思われる。
決して世の中に受け容れられることのない人たち。愛されざる者。
癩者と自分を同一視するのは或いは僭越でもあろうが、わたしの中では、何故か彼ら、彼女らが己の同類に思えてならない。 
癩の人の胸にこの身をもたせかけたいという静かなおもいを胸底に感じる・・・

わたしの信仰は「美」である、と前に書いた。 しかしそれは「天上」にはむかっていない。
美は弱さとかなしみの裡にこそ宿ると信じている。そして全能といわれる「神」に「弱さ」や「悲嘆」「涙」「絶望」を感じることはできない。
 
 

 
 
うつくしいもの


わたしみずからのなかでもいい

わたしの外の せかいでもいい

どこかに 「ほんとうに うつくしいもの」は ないのか

それが敵であっても かまわない

及びがたくても よい

ただ 在るということが 分かりさえすれば

ああ ひさしくも これを追うに つかれたこころ

『定本八木重吉詩集』(昭和49年)




 


 
 
 
 
 




 

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