「子守唄」 1893年 ヘレナ・シャーベック(?) 油彩
フィンランドの女性画家ですが、名前が読めません。
今の若いお母さんは(もちろんお父さんでもいいのですが)、子供を寝かせつけるときに子守唄を唄ってあげるのでしょうか?
母の唄ってくれた子守唄をうっすらと憶えています。
うたがうまいとか音痴であるということとは関係なく、母親の胸に抱かれ、或いは負ぶわれて、母(または父)が自分をあやしてくれているという朧な記憶が大事なのだと思います。
国立(くにたち)の大学通り。駅からそれほど離れていない場所に、主に絵本を扱っていた洋書屋さんがありました。木造の一間間口ほどの小ぢんまりとしたお店でした。数日前、母が国立に行ったときには2月いっぱいで閉店しますと張り紙がしてあったそうです。
わたしはアートブログをやっていて、それに投稿する絵や写真は、ほとんどすべて、外国のアート系のサイト(美術館やギャラリーなど)で見つけてきます。「子守唄」の画家は、母国フィンランドで主に活動していましたが亡くなったのはスウェーデンです。絵のタイトルは原語から英語に翻訳しますが、人名=固有名詞だけは翻訳ができません。以前その国立の洋書屋さんに立ち寄って、日本でほとんど知られていないアーティストの名前はどのように訳されているんですか?と尋ねたことがあります。そのお店は70代くらいの女性二人がいつも店内にいましたが、わたしの奇妙な質問に対して、「さあ・・・それは、訳せないですねぇ」とおっしゃいました。
マザーグースや不思議の国のアリスと共に、母が子供に唄う子守唄も無くなってしまったのでしょうか。
それでも今、子守唄を子供に唄ってあげたいという母親は、ひょっとしてYou Tubeで子守唄を覚えるのでしょうか。
街の景観の連続性が失われ、母から子へ、子から孫へと歌い継がれてきた歌の、ひいては生活の中のささやかな灯の連続性も失われた時代に、人はいったい何処に、その存在の根を下ろすことができるのでしょう?
”Nothing ever Stand Still....” そんな中で、いったいどのようにして生きればいいのか?わたしはただ途方にくれるばかりです・・・
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