2020年1月1日

追記2


50年代に"Where or When?" という歌があった。シナトラなども歌っていたが、ジャズ・ヴォーカルというよりも、ポピュラーなラヴ・ソングに近い気がする。

「いつ?どこで?ぼくはまだめぐり会わない貴女と出会うんだろう?」

多分そんな歌詞だと思う。所謂ティーンエイジ・ソングだ。

わたしも同じように「ホェアー・オア・ホェン」を想う。無論「出逢い」ではない。(ある意味では「出逢い」とも言えるが)

いつ? どこで?そして、どのように?





追記


母が「疲労」から体調を崩すことが多くなった。
父は家族みんなに嫌われていたとはいえ、今は我が家の収入をすべて使ってケア・ハウスで悠々自適の生活をしている。
同じく八十代の母はいつまでわたしと弟の世話をし続けなければならないのか?
どちらかが倒れるまで?

「存在の維持」について考える、というのは、やはりわたしは(が)いなくなった方がいいのだという気持ちが強まって来ているということでもある。

「死」を、というよりも「死に至る過程」を怖れるけれど、時に、生きることの辛さが勝る時には、「今なら死ぬことができるかも」と思うことが増えてきた。

母のように、「死に場所」「死ぬ時期」を考えていたらとても無理そうだが、「勢いに任せて」ならなんとかなるかも、と。

生きていたって、いいことなんてなにもないし、息ができないくらい孤独だし、母の負担になるだけだし。死は、「正解」なのだけれど・・・





「美しい心」と「スマホ」は両立しうるか・・・

嘗てこれほどまでに「存在の持続」ということを意識した新年はなかった。
言い方を換えれば、「いつまで生きるのか?」── これは何も「自死」のことばかりではない。母も、わたしも、ここのところ体調が優れない。
一方で、現代に生きる意味というものを見出すことは出来そうにない。
現代という時代、そこに生きる人間に対して、そもそも敵対的な眼差しを向けている。
こんな時代にも何かしら美しいものがあり、心の美しい人がいるかもしれない、という気持ちに敢えて蓋をしているところがある。

「わたしはスマホを持たないから心が美しい」などと思ってはいない。わたしは「狂人」という「別枠」に置いて、尚、「うつくしい心」と「スマホを持つこと」は両立しうるのか、という大きな疑問がある。

先に書いたように、「スマホを持った美女(美男)」というものは存在しない。
「障害を持った美女」も「ホームレスの美女」も存在するけれども、「スマホを持った美女(美男)」は存在しない。
何故なら「スマホ」というものそれ自体が、「醜くさ」というものの象徴なのだから。

◇

自分の体調であろうと、母の体調であろうと、具合が悪いと不安だ。「死」に怯えている。それでいて、どうしても、「健康であること」「元気でいること」の意味を見いだせない。刻々と迫りくる死の影に蒼くなって震え、同時に生きる意味がわからない。この世界に「わたし」にとって意味のある何があるのか・・・わからない。

残された道は真の(今が偽りというわけではないが)「狂気」。
何故なら「狂気とはこれ以上進行することのない心痛」なのだから。

死ぬことを 持薬を飲むがごとくにも
我は思へり
こころ痛めば

「死ぬこと」ができない以上、狂うしかないのではないか・・・

嘗てこれほどまでに「孤独」「孤立」を感じた年の瀬はなかった。
「時代に取り残されている」という感覚ではない。「置いてけぼり」という感覚は、まるでない。
「取り残される」「置いてけぼりにされている」というのは、先を行く人たちに、「距離」を引き離されているということだ。けれども、わたしが問題にしているのは距離や時間ではない。そもそも同じ空間、同じ地平にいない者同士、「取り残される」とか「遅れる」という概念は使わない。火星や金星は地球に取り残されているのか?地球に遅れているのか?或いは先んじているのか・・・

わたしは現代に遅れているわけではない。そもそも「現代」にいないのだから。
その点について、どこかのブログの愚者が言った、「現代についていけないものだから・・・」という言葉は全く当を得ていない。

生きていることが苦しくて仕方がない。辛い・・・
布団を被って、背中を丸めて膝を抱えて呻いている。それは「存在することの痛み」であり、「存在の傷」の疼きである。
蛇足を言うなら「存在」とは、そもそも「傷」である。




2019年12月30日

美意識と妥協・・・


書くことが覚束なくなった。これもまた、ここ数年の裡にできなくなったことのひとつだ。
筋道を追って考えるということが難しい。わたしがよく使う「つまり・・・」とか「即ち・・・」という言葉で話を繋げ、展げてゆくことが困難だ。
そして思考力の低下と共に、集中力の低下は更に著しい。

絵を選ぶことは瞬発力だ。この絵が好きか?感覚・感性、即ち非・言語的な領域だ。投稿した絵や写真についてあれこれ語る必要もない。しかしそれとても、だんだんと関心が薄れてきているような気がする。グラスの中の氷が解けだして、酒が次第に薄められてゆくように・・・

◇

スマホと妥協することも辞さないというほど、今の世の中は、生きるに価するものだろうか?
しかしスマホを含め、ほとんどのデジタル製品を拒絶して、嘗てのような「便利な」生活は望むべくもない。

デイケアの大きな部屋の窓際に、マンガや精神疾患関連、就労関連の書籍、新聞などが並べられている。その中に、女性誌もある。何の気なしにパラパラとページをめくってみる。
若くて(?)綺麗な女性モデルの写真が並んでいる。空想の世界とは言え、20年前なら、否、10年前でも、綺麗で、話が合えば、友達になるのに問題はなかった。というよりも、「ああ、こんな女性と知り合いになれたらな・・・」などという空想は自然だった(勿論、付き合ってみて、意外な面が見えてくるということは、いつだってあることだけれど)
けれども現在は、美しく、趣味のいい女性と、「はじめまして」とテーブルを挟んで椅子に腰を下ろして、次の瞬間、目の前の女性が、バッグからスマホを取り出して、手元に置く・・・それを見ただけで、「次回はない」。
家族会の年配の女性と話した時も、「そういうことが目の前の相手に対して失礼だという感覚がないのね・・・」と言っていた。
「失礼だという感覚が無い」そのことが全く理解できない。ということは、目の前の美女とわたしとは、所詮異世界の人間であったということだ。

現実にわたしは、まだ楽天のブログを書いていた頃だったと思うが、フェイスブックで知り合った70代の女性と数回会っている。最初は新宿のジャズ喫茶で、次はその翌月に渋谷のBunkamuraの展覧会に。その時に彼女に撮ってもらった写真を観た人もいるだろう。
その後わたしが新宿や渋谷などに行けなくなった時、彼女は約1時間の道のりを、電車を乗り継いで、わたしの最寄り駅まで来てくれた。この駅は国分寺と国立に挟まれた、喫茶店も、軽い食事ができる店もなにもない駅で、わたしたちは駅ビルの中のパン屋のイートインコーナーで、パンを食べおしゃべりをした。その頃既にインスタグラムに熱中していた彼女は、特別なものでも無いパンを、食べる前にスマホで撮影する。

彼女はいいひとである。優しい人である。アート好きであり、大学では美学を専攻していたひとである。けれども、わたしは彼女のスマホ好き、インスタグラム好きに馴染むことが出来なかった。つまり「妥協」できなかった。自分の価値観を押し通した・・・
その後彼女から2度ほどメールがあったが、わたしは返事をしなかった。
何故?わたしには彼女の趣味に干渉する権利も資格もない。「スマホをしまってくれませんか?」というのはこちらの我儘でしかない。「何故あなたにそんな指図を受けなければならないのか?」

今の時代、心根優しく、趣味が合い、わたしのような人間にも優しく接してくれる人・・・だけでは友達にはなれないのだ。「趣味が合うこと」と同程度にスマホに対するスタンスが似ていることが(わたしには)「必須条件」なのだ。

優しくとも、美しくとも、どんなにアートの趣味が、映画や音楽の趣味が似ていようとも、そしてそのKさんのように、「気が合っても」「スマホ」次第で、どちらにでも転びうるのだ。

◇

この先仮に(デイケアなどで)第二のKさん(年齢性別を問わず)が現れた時に、わたしは自分の美意識に蓋をできるか?
それともまたKさんのように、訣別か・・・

ちなみにわたしがKさんに対して左程心苦しく思っていないのは、彼女は友達も多く、頻繁に美術館に足を運んでいる人なので、わたしなどがいようがいまいが、大した問題ではない・・・全然問題ではないことを知っているからだ。

これから友達に成れそうかな?という人には、同じ轍を踏まないように、わたしのスマホ嫌いのことを伝えておく必要があるだろう。

誰もが怪訝そうな顔をするだろう。

もうとうに、わたしの時代は終わっているのだ。







好きな人って?


何人分かるか?

これだけ好きな人が持てるか?

「好き」になる規準は何か?

「有名人」を「好き」になれるか?

わたしは自分の部屋の壁に誰のポートレイトを飾ることができるか?

とりあえずだけどこの人は入れてもいいかな
















わたしが分かったのは57人中36人。


2019年12月29日

メモ


タンブラーでフォローしているJeffのポスト。

以下全文引用

The World...

is just so fucked up. We have to deal with the racist ugliness of the utterly corrupt and criminal Trump in the United States, the Brits have to deal with the similarly disgusting Boris Johnson. The French working class has been in the streets for nearly a month, fighting against Macron and his trying to force working class people into working more for less, in the name of increasing the authority and power of business.. The Philippines has the violent lunatic Duterte; the Russians, the neo-Stalinist and corrupt Putin; the Italians are facing street mobilizations by a renascent fascist movement. The racism against black people in the United States continues unabated and now, we’ve just had another in a rapidly growing series of murderously violent attacks against Jews. To make matters even more grim, all of this shit is taking place against the backdrop of a planet that has been pushed to the very limit, that has passed the tipping point of environmental degradation in the name of ever-increasing profit for a handful of corporations and wealthy individuals, so that now we know the question isn’t stopping the catastrophe that is already upon us but whether we can limit it enough so that the world is still habitable and recognizable 50 years from now. I don’t know, somehow this shit makes me not feel particularly like posting my usual silliness. Someone, please tell me that I’m wrong.

Tumblrは所謂SNSではなく、厳密には、個々の「ブログ」をフォローし合っているコミュニティーで、最近になって、タンブラーにも、投稿に対する一言を書きこめる場所があることを知った。

わたしは拙い英文で、このように書きこんだ。


Very important post for me. Although you may not know Japanese politics is as same as French, China, and America, Just one thing difference is We never protest. Because it is our culture. "Never against upper people" why? Japanese think they are upper because they are correct. why poor people or weak people is miserable ? cos we were wrong. thats how we think. I am a Japan hater so I support your opinion.

英文としてまるでなってないが、大体このようなことを書いた。

「ジェフ、きみはトランプやジョンソン、フランスのマクロン、更には、フィリピンのドテルテ大統領のこと、プーチンのネオ・スターリニズムのことを述べているが、おそらくきみは日本のことを知らないのだろう。きみが挙げた国の政治とまるで差が無いことを。
ただ、一点だけ、重要な相違は、日本人は決して逆らわないということ。
何故かって?それが我々の「文化」だからだ。
上のものに逆らうな。何故なら、彼らは、「正しい」が故に今の地位に=「上」にいるのだから。
貧しいもの、弱い者は、「何かが間違っていたから」今、惨めな人生を送っているのだ。
つまり、豊かさや、貧しさは、「正しさ」の、そして「誤り」の結果なのだ、と。
それが日本人の思考様式だ。
わたしは生憎日本人が大嫌いでね。きみの意見を支持するよ。」


母によると(新聞によると)何とフランスでは、いまだにゼネスト状態が続いているらしい。


このジェフのポストが何故かわたしを勇気づけてくれたことを付け加えておく。









わたしにとって熊が人間より優れている点は、ことばが通じないこと。

人間が熊よりも面倒なのは、ことばが通じないこと・・・


Embracing the Bear by Virginia Lee.