2019年2月13日

Good Morning / Night, My Heartache...


Photographer  German Lorca.

"Nobody came, nobody called, nothing happened, nobody cared whether I died or went to El Paso."

Raymond Chandler - 'The High Window' (1942)


CARMEN MCRAE - GOOD MORNING HEARTACHE





2019年2月12日

心傷み申し候…


● 先日デイケアで使った画用紙の残りが、戸棚の上に置いてあったので、母に「これ、邪魔でしょう?」と言った途端、その言葉にヅキッと心が痛んだ。「邪魔」「じゃま」「ジャマ」・・・「邪魔」とはわたしに向けられるべき言葉だ。

● わたしはクリニックの診察室にいた。主治医がなぜかいつもは着ていない白衣(?)を着て、大きな黒い眼鏡をかけていた。相手の目が見えないせいか、なにかロボットのような感じがした。それまで何を話していたのか憶えていないが、彼は不意に、カルテを書く手を休め、黒い眼をした顔をこちらに向けてこう言った。
「正直に言うと、私はあなたが嫌いなんですよ」

これは夢の話だが、そういわれたわたしは、「やっぱり」と思った。
わたしの主訴は「他者(=他の人間)と良好な関係を築けないこと」また「関係を維持できないこと」そして当然のように「医師」もまた「他者(他の人間)」である。例外ではない。


● 自分を定義するなら ──「愛されざる者」「許されざる者」「鞭打たれる者」そして「狂人」

● キリスト教に限らず、「宗教に於ける赦し」というものに関心がある。

 「赦し」=「愛」だろうか?

 「赦される条件」「赦されざる罪」というものがあるのだろうか?

 「神仏」はヨセフ・メンゲレを赦すだろうか? 日本政府がこよなく愛するカーティス・ルメイ(将軍?)はどうか?

 わたしは死後の世界を信じていないが、神はわたしを赦すだろうか?

死後の世界を信じないものには、生きているうちに地獄を味わわせるのだろうか?

「赦す」「赦し」とは、どういう概念か・・・


●「枯れないものは花ではない」「死なないものはいのちではない」・・・わたしはそれに「傷つかないものはいのちではない」と書き加えたい。


汚れて弱った野良犬を棒で容赦なく打ち据える者。

薄ら笑いを浮かべて飢えた野宿者を足蹴にする者。

嗚呼、その犬はわたしだ。

その浮浪者はわたしだ!


汚れて弱った犬をやさしく抱いて連れ帰る者がいる。

野宿者に暖かいコーヒを差し出して、黙って隣に座る者がいる。

しかしその犬はわたしではない。

その浮浪者は、決して、決して、わたしではない。















辺見庸のことなど


昨年12月に紀伊国屋ホールで行われた、新作『月』発表に伴う講演会に行くことを止めて以来、辺見庸のブログには暫く訪れていなかった。

「朝日新聞のマーク(?)は旭日旗に似ていないか」等さんざんマスコミをなで斬りにしておきながら、いざ新作の出版となると、薄い微笑を湛えた写真とともに、朝日新聞のインタヴューに応じ、これまた悪口を並べ立てていたNHKの番組にも出演するという変幻自在の「彼」の姿に、ここでもまた「人間であることの恥」を見た思いがしたのだ。

今日、わたしは幸いにして、(というか今更という感ではあるが)自分がみなと同じ「人間であること」から免れている(或いは除外されている)という実感を得る契機があり、久しぶりに辺見のブログを訪れた。

最新の記事が[2018年08月26日]である。確かこのころから、『月』執筆についての投稿が目立ち始めてきたのだった。
10月には、上記の講演会の告知もしていた。

この間どのような経緯があったのかは知らない。また知る必要もない。
少なくとも、今、彼からは「罪のない恥知らず」の臭いは漂っては来ていないようだ。

しばらく様子を見て、いつかまた彼の本を手に取ることもあるだろう。


◇

この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身(うつしみ)は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そして最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。
私は文学のふるさと、あるいは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる ── 私はそう思います。
『坂口安吾全集3』(1993年)より「文学のふるさと」

神でさえ抱擁することを躊躇うこの身。このわたし。「選ばれざる」ことによって「選ばれし者となる」皮肉なアイロニー・・・救いのないこと、孤立無援であることが、そんなさかしまな苦い矜持となることを怪しむ者はいるまい。

「希望を捨てること、という希望がある」そんな石原吉郎の言葉が遠くから耳に届く。














2019年2月11日

追記、「死」について


「一般に私たちの間で語られる死とは、死に膚接するまでの過程、生者がついに「沈黙する」までの時間である。死はついに体験ではありえない。」── と、石原吉郎は書く。けれどもそれは、あくまでも、「わたし自身の死」についての言及でしかない。

他者、特に見知った者、親しかった者の死は、まさに彼 / 彼女が「永遠に沈黙した」時点から、その人が、二度と再び会うことも、言葉を交わすこともできない「永遠の不在者」となったとき、その死が、「わたしにとっての死」となる。そして死は、人間が感じ得る極限の悲痛、絶対的な喪失として、そして自身の内的崩壊として、体験される。


「生」と「死」に分かたれること、それにいかにして人間存在は堪えうるのか・・・


そのとき、なぜわたしは「まだ生きている」と言い得るのか・・・















「ポイント・オブ・ノー・リターン」


また暫く主治医のところへ行っていない。
「外に出られない」という状態も、ここ数年の感覚とはかなり違う気がする。
これまで何度も書いてきたことだが、医者に行って「よくなる」ということの意味がわからない。「よくなる」とは、今の状態がどのように変化することを言うのだろう?
「つまり簡単に言えば多少とも生き易くなる」「少し楽になる」ということですよ。
ということだろうか?
「多少楽になる」「生きやすくなる」・・・わからない。

高橋三郎という社会学者の『強制収容所における「生」』(1974)という本を、石原吉郎が紹介している。


◇


一般に私たちの間で語られる死とは、死に膚接するまでの過程、生者がついに「沈黙する」までの時間である。死はついに体験ではありえない。『強制収容所における「生」』と題されたこの著述の前提には、発想のこの重大な転換があるように私には思われる。

著者は強制収容所の経験者ではない。だがそれゆえにこそ、駆使し得る限りの資料を駆使し、念には念を入れた追求の回路を経て、強制収容所で生き残ることの意味を問うことができたのではあるまいか。
 
「生き残った人びとがのぞかせる心情の翳をさぐることは、あるいは傲慢なことといわれるかもしれぬ。だが、そうすることによってのみ、生きのびた人びとの体験を、われわれ自身の生き方にかかわらせてとらえることができるのである」と冒頭で述べた著者は、「強制収容所におけるこれらの生き方のうち、いづれが正しいとかいった判断は容易に下せるものではない。どの生き方が正しいとか望ましいとかとかいう客観的な基準など存在しないし、また、それは、この小論の範囲を超えた問題である。ただ、われわれがどの生き方を選択するかということがあるだけである」と末尾にのべて、極限の体験から教訓を引き出そうとする誘惑をかろうじていましめている。人は教訓を与えられるために極限に置かれるのではない。

本書は「強制収容所を『生きのびる』ということ」「『生』の諸条件」「プロミネント(特権を与えられた囚人)」「適者生存(『壊れない』人びとの一類型」「精神の死と肉体の『生』」の五章と結びの「プロミネントと回教徒」の六つの部分から成っている。

最後に抑留者が肉体的な生を選ぶか、精神的な生を選ぶかの選択へ追いつめられる地点として、「帰還不能点」が設定され、この地点をどのように意識していたかによって、著者は、ナチ強制収容所の抑留者を六つのタイプに分類し、それぞれについてのおそらく救いのない分析によって、その論述を終わっている。
(下線・太字Takeo)

◇


肉体の生を選ぶか、精神の生を選ぶか?── 'Point Of No Return' 「帰還不能点」

── わたしにとって、「今・この時代」に「生きる残る」ことを考えることは、「強制収容所を『生きのびる』ということ」と一体何が違うというのだろう・・・
ナチの強制収容所や、石原が生きのびたシベリアのラーゲリは、わたしのいる現在の東京と、どれほどかけ離れているといえるのだろう。

そして、「ポイント・オブ・ノー・リターン」(=引き返すことのできない一線)を、わたしは既に越えている。









2019年2月4日

或る詩人のノートより


● 適応とは「生き残る」ことであり、さらにそれ以上に、人間として確実に堕落して行くことである。生き残ることは至上命令であり、そのためにこそ適応しなければならないのであり、そのためにこそ堕落はやむをえないという論理を、ひそかにおのれにたどりはじめるとき、さらに一つの適応の段階を私たちは通過する。
このような環境をはるかに遠ざかったいま、安んじて私たちはそれを堕落と呼ぶかもしれない。だが、任意のいかなる時期にそう呼びうるにせよ、私たちが堕落の過程を踏んだのは事実であり、それに責任を負わなければならないのは私たち自身である。ある偶然によって私たちを管理したものが、規定にしたがって私たちを人間以下のかたちで扱ったにせよ、その扱いにまさにふさわしいまでに私たちが堕落したことは、まちがいなく私たちの側の出来事だからである。


● 何かに気をまぎらわせることが、生きることだと思っている人間。自分が生きていることに気づかないことが生きていることだと思っている人間。それでも彼は人間である。
但し、他の何かにとって人間なのであって、自分自身にとって人間であるわけではない。


● 実存とは、いわば私自身のことである。私はついに私自身を一歩も離脱できず、結局この私自身を生きてこそ本当に生きたということができるのだ、という意識から、何かの価値の転倒(私にとっての)が起こらないだろうか。生きるということは、この世界の何を生きるというのでもない。ただ現実の中の現実、レアリテの極限としての自分自身を生きることに他ならない。
それはロジックではない。走り出したらあとをふり向かない決意としてである。生きることが虚無であるなら、とりもなおさず私自身が虚無であるということであり、生きることが救いであるなら、とりもなおさず私自身が救いであるということだ。


● <立ちどまる>ということは重要なことだ。とある街角の敷石の上であれ、書店の店先であれ、その時私は立ちどまらねばならない。私は階段を一つ降りる。生きることがそれだけ深くなるのだ。なぜなら、立ちどまる時だけ私は生きているのだから。


● 自分の現実の姿を承認することなしには、私にはどんなささやかな前進もありえないだろう。私はこういう人間である。私はこういう人間であるよりほかに、ありようがないのだという確かな認識以外の場所から、私は出発してはならない。ありえざる理想像の高みから、自分を見おろし、叱責し、絶望するほど不毛なことはない。そういう<前のめり>の姿勢から一時も早く立ち去ることこそ、私にとって今、最も必要なことなのだ。私が希望をつかもうとあせるのは、実は逃避にほかならないからである。


● 一人の思想は一人の人間の幅で迎えられることを欲する。
 不特定多数への語りかけは、すでに思想ではない。


● 日常は本来脱出不可能なものである。といって、腰を据えるには到底耐えうるものではない。


● 生き場所のみがのがれがたくのこった。死に場所を得られぬままに。


●「生きることを正しとすれば、死が誤りとせらる」(カール・バルト)


● ひとと共同でささえあう思想、ひとりの肩でついにささえきれぬ思想、そして一人がついに脱落しても、なにごともなくささえつづけられてゆく思想。おおよそそのような思想が私に、なんのかかわりがあるか。


●「ことばは人に伝わるか」(講演のタイトル)

『石原吉郎全集Ⅱ』(1980年)より


◇   ◇


わたしは勿論彼のすべての言葉を愛するわけではない。

「うしなったものを取りもどすべきではない。それが出発というものだ。」

或いは

「もし私が何ごとかに賭けなければならないのであれば、私は人間の<やさしさ>にこそ賭ける。」

このような言葉は、わたしの横を黙って素通りしたり、またわたしを鼻白ませたりする。

「ことばは人に伝わるか?」・・・同じ人の同じ傷口、同じ魂の深みから発せられた言葉でも、わたしには伝わらなかった言葉が、ある・・・それは何故か?















2019年2月1日

これが人間か…If this is a man !


詩人石原吉郎は、昭和20年、日本敗戦の年の12月、ソ連軍の捕虜となり、その後8年間 ─ 30歳から38歳まで ─ をシベリアの強制収容所(ラーゲリ)で過すことになる。そして昭和28年(1953年)12月、スターリン死去に伴う恩赦で解放され日本へ帰国した。

以下はその約20年後、1974年1月の彼の日記である。

◇

朝、満員電車のなかで、ふといやなことを思いだした。帰国して三日か四日目のことだ。東京駅で始発電車に乗ろうとしたら、あっというまにうしろから突きとばされた。呆然と立ったままの私の横をすばやくかけぬけた乗客たちが、からだをぶつけあうようにしてすわってしまった。その時のショックはいまでも忘れない。私はもうこんなことをしないですむところへ帰ってきたはずだった。
私は胸がわるくなって、夢中で電車をとび出したが、顔色が青ざめて行くのが、自分でもよくわかった。それからひと月ほど、電車がこわくて、ほとんどあるいてすませた。

その後、私は半年ほどラジオ東京のアルバイトに傭われた。仕事は英語のほん訳であった。そんな仕事しか私にはなかったのである。私のほかに、英文科の女子学生が五人ほど、おなじような仕事をしていた。私は英語の力をとりもどすため、夜学に通ったが、私のほん訳能力が向上するにつれて、女子学生の姿が一人づつ消えて行くのに、うかつにも気づかなかった。結局さいごには、六人でやっていた仕事を私一人でさばくことになったが、あるとき、それまでほん訳を外注していたある老人も仕事をことわられたことを知って愕然とした。

私は考えたすえ、アルバイトをやめた。人を押しのけなければ生きて行けない世界から、まったく同じ世界へ帰ってきたことに気づいたとき、私の価値観が一挙にささえをうしなったのである。

『石原吉郎全集 Ⅱ』(1980年)〔下線は本書では傍点〕

◇

「これが人間か!」' If This Is A Man '
「人間であることの恥」' A Shame of Being A Man '

アウシュヴィッツの「生き残り」プリーモ・レーヴィの言葉である。

石原吉郎が、彼の死後、丁度10年後に自ら命を絶ったプリーモではなく、寧ろヴィクトール・フランクルの影響を受け、一方、石原を愛する辺見庸が、こよなくプリーモを愛する。これは何を意味しているのだろう・・・

いずれにしても、プリーモの叫びは、焼きごてで記された烙印のように、わたしの額から決して消えることはないだろう。「現代日本に生き残った者」という恥辱として・・・