2021年11月30日

孤愁

Arlequin, Anto Carte (1886 - 1954) 
- Oil on Canvas -

*

ベルギーの画家、アント・カート(?)によって描かれた『アルルカン』

このさびしげな表情に惹かれる。


「悩みのない存在は存在のない存在である」

ールードヴィッヒ・フォイエルバッハ









2021年11月25日

「溺れる者と救われる者」

まさにいまこの瞬間もそうなのだが、最近はブログを書いて自分の気持ちを文章にして表わすということの無意味さを、次第に意識するようになった。

「書いてどうする」悲しい酔いどれの捨て鉢のような想い。やりきれぬ虚無感。かつまた、誰にも読まれていないにしても、自分で満足のいく文章が書ければ・・・といった意欲気概も、今の自分の思考力や表現能力を省みて、ただだた末枯(すが)れてゆくばかりである。

彼女にとって、カウンセリングは一種のアジールであった。ある人は「解放区」と呼ぶ。世間のドミナント(支配的)な家族言説から解放される場、それがカウンセリングの役割なのだ。
 (略)
なぜ、アジールが必要なのか。「私は親からまったく愛されませんでした。だから親のことは嫌いです」「母親の存在が不気味で恐怖すら抱いてしまいます」「いっそ早く死んでほしい」という衷心から発する言葉が無批判に聴かれる場所がなければ、彼女や彼らは孤立無援の状態におかれてしまうからだ。自分が感じていることが「正しくない」「ヘンだ」「異常だ」と批判されて責められること、自分が感じ、考えていることが誰からも承認されないこと、このような状態で人は生きてゆくことはできない。たとえ生命は維持できたとしても、精神的生命は絶たれてしまうのだ。
 (略)
どちらを向いても孤立無援な闘いしか見えないとき、たったひとつのアジールが必要なのだ。
クライエントは、生きるために、命を賭けてアジールとしてのカウンセリングを求めているのだ。そうしなければ生きてゆけないからである。とすれば、カウンセラーの役割は明瞭である。目の前のクライエントが生きてゆくことを支援するのだ。そのために、彼女が母の死を喜んでいるのであれば、ともに喜ぶ、ためらいもなく、そうするのである。
(下線・太字Takeo)

信田(のぶた)さよ子著『国家と家族は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(2021年)


しかしながら、わたしのような者。即ち「人外(にんがい)」の言葉を、カウンセラー、精神科医を含め、一体誰が「無批判に耳を傾けてくれる」のか?
例えば信田氏のクライエントが、「時々親に殺意を抱くことがあります」或いは「いっそ親を殺して自分も死のうかと最近は思うようになっています」という「衷心からの言葉」を聞いた時に、カウンセラーはそれらの言葉を「無批判に」「受容する」ことが可能だろうか?
仮にクライエントが生きることをカウンセリングの第一の使命であるとするなら、その為に犠牲になる者の存在をも認めることが出来なければ、辻褄が合わないのではないか?

「いっそ早く死んでくれればと思う」という言葉には「無批判にクライエントの言葉=感情=心の在り方」を認め、「ひとおもいに殺してやろうかと・・・」に関しては批判的に容喙するというのでは、おかしくはないか?

仮に目の前にいる人間の生を維持することが至上の課題であるとするならば、カウンセラーはあらゆる「負」(とされる)感情をも受け止めなければならないだろう。

信田氏の信念に基づくなら、カウンセラーは、モラルや規範、法の束縛すら超越し、人間存在のありとある「業」を肯定しなければならないだろう。

・・・と以上のようなわたしの言い分が、いったい誰に理解され得るのか?

わたしの言葉は、老練なカウンセラー信田さよ子氏にすら、

「正しくない」「ヘンだ」「異常だ」と批判され、責められるのではないか。

率直に言って、信田氏は人間に対して、高をくくっている。

「まだ名前を持たないマイノリティーが常に存在する」という事実を看過している。


「彼女が母の死を喜んでいるのであれば、ともに喜ぶ、ためらいもなく、そうするのである。」

ここにカウンセリングという「職業」「お仕事」の、絶対に越えることのできない限界がある。

即ち

「彼女が母の死を心底望んでいるのであれば、その為の協力を惜しまない。力を貸す。ためらいもなく。」と決して言うことができないからである。


わたしには「アジール」と呼べる場所がない。そしてそれは探せば見つかるというものではない。わたしはあくまでも「孤立と、独特の認識の化け物」であり、人間ならぬ何か奇妙に悲しい生物(いきもの)」なのだから。


新聞によると、17日千葉県で放火があり、寝たきりの男性(67歳)同じく重度の身体障害を持つ息子(32歳)が焼死した。火をつけたのは、殺された夫の妻であり、同じく焼死した息子の母である65歳の女性であった。容疑者本人もまた、身体に障害を持ち、「介護に疲れた」と供述している。

わたしはこの事件に関して、「仕方がなかった」「他にどうしようもなかった」としか言えない。わたしが仮にこの事件を裁く立場にいたなら、この、妻であり、母親であり、また(自身障害を持った)ひとりの人間である女性に対して「無罪」判決を出すだろう。実際彼女はなんら咎められるべき「罪」を犯してはいないのだから・・・

わたし自身「母に殺されても仕方がない」と思い「母はわたしを自分の人生から消し去る権利をもつ」と考えている。





 


2021年11月23日

無為の幸福

 ジャン・リビエルの写真をもう一枚。

L'attente du pêcheur, Canet-Plage, 1956, Jean Ribière (1922 - 1989)

*
これもまた、「いま感じている」「しあわせ」


季節外れの写真ですが、みなさん、穏やかな「勤労感謝の日」を過ごされますよう。







「幸福」

Scènes de la vie quotidienne dans une rue du Quartier Saint-Jacques, Perpignan, (Scenes of everyday life in a street in the Quartier Saint-Jacques, Perpignan),1954, Jean Ribière (1922 - 1989)

*

フランス南部、ペルピニャンの路地で営まれている日々の生活。1954年。写真はジャン・リビエル(ジーン・リビエール)

*

テオドール・アドルノは言う

「幸福」とは事後的な概念である。我々はそれを「あの時は幸せだった」という回顧の姿でしか持ちえない」
『ミニマ・モラリア』(1951年)

けれどもわたしはこの写真に写された家族は、「いまの幸福(しあわせ)」を実感していると信ずる。たとえそれが無意識の裡であったとしても。

わたしはアドルノの意見に一も二もなく賛同する。だがここには確かに実時間での・・・「いま感じている」しあわせが存在している。

もしわたしがこの写真のタイトルを付けるなら、迷うことなく「幸福」(Happiness)と名付けるだろう。








2021年11月21日

 生きるということはどうしようもなく残酷で、苛烈酷烈で理不尽で不条理である。

「生まれてきたのが運の尽き」(太宰治)

「生まれてきたことが既に敗北なのだ」(E. M. シオラン)

といった、身も蓋もない「真実」を語った言葉や思想、『ラルジャン』(ロベール・ブレッソン)のようなひと欠片(かけら)の救いもない映像作品が存在しなければ、わたしはただの一日たりとも生きることはできないだろう。






映画『アルファヴィル』を観て

ゴダールが1965年に制作したこの近未来SFを観て、感想を書くことの難しさを感じている。朋友であるフランソワ・トリュフォーが監督した、レイ・ブラッドベリの『華氏451』のように、ストーリーに一貫性がなく、いわば「言葉」と「感情」についての様々に矛盾したフラグメント(断片)の集積のような作品だからだ。

舞台である「アルファヴィル」という国では、感情を持つことを禁じられている。
ディストピアを描いた小説乃至映画に共通するのは、そこに住む人々が、自分が感情の無い世界、考えること、感じることを禁じられ、罪とされる世界に生きていることに全く無自覚であるという点だ。
無論例外もいる。彼らはしかし、「思惟する」「感じる」といった「罪」によって、「当局」によって処刑されるか、或いは洗脳のために隔離されている。

この映画では、「辞書」が「聖書」と呼ばれている。だがその辞書の中の言葉は頻繁に更新され、「今現在」に相応しくないとみなされた言葉は、次々に消されてゆく。
映画の中で、『アルファヴィル』という国を建国した、フォン・ブラウン博士の娘であるナターシャ(アンナ・カリーナ)は、自分の好きな「コマドリ」「泣く」「秋の光」「愛情(やさしさ)」という言葉たちがこの数週間のうちに辞書から消えたと呟く。この世界では、辞書の中の言葉が消されるということは、現実のコマドリや秋の光が、この世界から消滅したことを意味するらしい。

ゴダールの意図が那辺に在るのかは分からないが、わたしは「世界は言葉で出来ている」とは考えない。辞書からそれを指す「動詞」や「名詞」が消されても、空を飛ぶコマドリも、枯葉の散り敷く大地に落ちる秋の光も消すことはできない。
「恋」や「愛」という言葉の意味を教えられていないからといって、人間の感情を完全に無化することはできない。何故なら「人間」とは畢竟「感情体」の謂なのだから。

わたしはこの映画で、人間が「ことば」に頼り過ぎているのではないかという逆説を感じた。
読み書きが全くできなくとも、人間は人間である。けれども、少なくともわたしは、「秋の光に心動かされることなく」「コマドリの啼く声に耳をそばだてず」「涙を流すことなく」「人へのやさしさを知らない者」を「人間」と呼ぶことはできない。

映画では「詩(ポエジー)」が、ひとりの女性(ナターシャ)を救う設定になっている。けれども、「詩(ポエジー)」はあくまでも一つの契機であり触媒に過ぎない。
内面に、耳に聴き、目にした言葉に呼応し得るポエジー(機微)を持たざる者、すなわち情緒を持たない人間にとっては、ほんものの「バイブル」であろうが、シェイクスピアのソネットであろうが、所詮馬の耳に念仏である。

捕らえられた探偵コーションが、この都市を支配する巨大コンピューターα60に尋問される。

アルファ60は問う

「闇を光に変えるものは?」

「詩(ポエジー)だ」

闇を光に変えるのはことばではない。暗闇に差し込む一筋の光、それは愛情に他ならない。

先程「馬の耳に念仏」であると書いた。では馬は「詩(ポエジー)」を理解し得ないか?
否。馬の存在それ自体が詩なのだ。

詩人を詩人たらしめているものは何か?それは「自然」である。
いうまでもなく、「自然」と「マテリアル・ワールド」は相容れない。
人間が自然から遠ざかり、機械への依存、すなわち「効率」と「利便性」への盲信が飽和点にまで達した時。そこは、「アルファヴィル」になる。

SNSLINEの日常化によって、言葉の、即ち内面世界の貧困化は歯止めが利かなくなっているように感じられる。しかし同時に、ツイッターなどで、巧みに言葉を駆使し、ひまを見ては本を読んでいる人たちの「ツイート」を見て、そこに感情の豊穣とは全く無縁の、薄っぺらな衒気だけを見てしまうのだ。


ー追記ー

映画の主人公である探偵レミー・コーションは決して二枚目ではない。けれども何故か魅力があり、彼と「愛」や「詩(ポエジー)」「言葉の力」などについてゆっくり語り合いたいと思わせる人物だ。彼の言葉の比重は、「呟き人」たちの内容空疎な衒いに比べて、遥かに重い。











2021年11月19日

「アート」と「言葉」

Constructed Sculpture, 1920's,

アメリカ。1920年代。アール・デコ華やかなりしころに現れた「作品」です。
[Constructed Sculpture] ー 「組み合わせによる彫刻」── これが正式な作品名であるのかは不明です。

無機質無表情な男性のプロフィール(横顔)に見えませんか?
3つのキューブをずらして重ね、「影」を作ることで出来上がった男性の顔。

この男性の相好を崩すためにはどうしたらいいのだろうかと考えます。


暫く中断していたアートブログとTumblrを再開しました。
継続的な投稿が可能かどうかは未知数ですが、’Clock Without Hands’ にも 'a man with a past’ にも、わたしの投稿をたのしみにしてくれる人たちがいます。

また『ぼく自身・・・』も、以前のような文章を書くことは困難ですが、少しづつでも、書いていくつもりです。

アートブログもTumblrも、わたしの投稿を好んでくれるのは、ほとんどが海外の人たちです。言い換えれば、わたしたちを繋げているのは「言葉」ではありません。

わたしは自分の心中を母国語で綴ります。しかし同じ言語を使う人たちと通じ合う「ことば」を、わたしは持っていません。

それでもわたしは誰のためでもない、自分のために、創造しつづけることを止めたくはないのです。

わたしの感性と美意識が選んだアートと、わたし自身が紡ぎ出す「言葉」。いづれがより真のわたしに近いかというのは難しい問題です。

いづれにしても、わたしは創造する者で在りつづけたいと願っています。


ー追記ー

この「彫刻の男性」は極めて思慮深げに見えます。それはおそらく、彼には「口」が無いからでしょう。けれどもわたしは、言葉を発する「口」が必要なのです。仮にその言葉が、多くの人たちにとって、理解困難、或いは「受け容れ難い」ものであったとしても・・・









2021年11月16日

「あなたに夢中」ジョニー・ハートマン

I Concentrate On You - Johnny Hartman 


「あなたに夢中」[ アイ・コンセントレイト・オン・ユー ](コール・ポーター作曲)
1956年11月、ニューヨークにて録音






2021年11月15日

 「希望」という足枷がある。



すべての救われざる者への嘲弄

「人生は時として、あまりにも理不尽で厳しい。
 それでも人生は素晴らしい ── 」

ダニス・タノヴィッチ監督 
ベルリン国際映画祭で3冠に輝いた、感動の実話。
『鉄くず拾いの物語』


わたしは2010年代以降の映画を(おそらく)ひとつも観たことがない。先に書いた『帰って来たヒトラー』と、これから述べる『鉄くず拾いの物語』の二本だけである。
前世紀の映画で、まだ観ていない名作が山ほどある。そして現在(乃至現代)そのジャンルを問わず、20世紀に作られた名作に比肩し得る映像作品が生み出される可能性をわたしは信じることはできない。人間の想像力、更に言えば人類の頭脳と情操は加速度的に鈍化・劣化している。
では何故、この映画を観ようと思ったのか。それは現代の、東欧の、貧困者の生活の実態を垣間見たいという好奇心と欲求からであった。

図書館のホームページでこの映画の紹介を見た時にはこう書かれていた。

「ボスニア・ヘルツェゴヴィナに住むナジフは鉄くず拾いで生計を支えていた。3人目を身ごもる妻セナダが激しい腹痛で病院に行くと、今すぐ手術をしないと危険だと告げられるが、手術代がないため病院側に拒否されてしまう。」

ところが、実際にDVDを借りてみると、パッケージには冒頭のような陳腐なコピーが踊っている。げんなりした。このまま観ずに返そうかとも考えたが、下等な好奇心が勝った。

わたしは映画でも小説でも、粗筋を簡潔に説明するということが殊の外苦手なので、以下、横着をしてDVDのパッケージに書かれている「あらすじ」を引き写す。


「ボスニア・ヘルツェゴヴィナに暮らすロマの一家。夫のナジフは鉄くず拾いで生計を支え、妻のセナダと2人の幼い娘たちと貧しくとも幸福な日々を送っていた。ある日、3人目を身ごもるセナダが激しい腹痛に襲われ病院に行くと、今すぐに手術をしないと危険な状態だと告げられる。しかし保険証を持っていないため、高額な手術代を要求される。無論そんな大金はない。手術を懇願するが、病院に拒否されたナジフは、妻の命を救うために死に物狂いで鉄くずを拾い集め、貧困者救済の組織に助けを求めるが・・・実際の出来事を、その当事者たちが演じた感動の実話。」


この一家は、妻の実家や夫の兄弟、そして友人たちの惜しみない協力によって救われた。(みな貧しいので金の貸し借りは一切ない)
しかしそれは彼らが、隣人愛・家族愛・兄弟愛に充ちた人々の中で暮らしていたという幸運の賜物であって、この一家のエピソードひとつを以て、
「人生は時として、あまりにも理不尽で厳しい。 それでも人生は素晴らしい ── 」
と謳いあげる神経に唖然とし、同時に背筋が寒くなる。

DVDの惹句は、すべての孤独な、救われざる者たちへの侮蔑であるようにわたしには聞こえる。
この家族が、この妻が救われたのは、あくまでも「愛と友情に恵まれていた」からだ。
けれどもひとたび現実に目を向ければ、世界には助けを求める手を差し伸べる場所すらない人たち、たった一人で途方に暮れ、絶望の闇の底でうずくまっている「寄る辺なき人たち」が無数にいる。



困っている人を助けるという、人間として当たり前の行為を淡々と描いたに過ぎないこの映画を、殊更「銀熊賞」(グランプリ)に選んだベルリン映画祭。そして「アカデミー賞外国語映画賞」・・・それぞれのイベントの審査員諸子の見識の低さに呆れる。
貧しい人たちが助け合い、人間らしい生活を送っている。それはいまや「あたりまえのこと」ではないのか?困っている人間が、周囲の助力で助けられたという顚末を、なにゆえかほどに騒ぎ立てるのか?

「感動の実話」?

「それでも人生は素晴らしい」?

ふつうのにんげんの、ありふれた「喜びと悲しみ」を持ったふつうの生活がそんなに珍しい出来事なのか?
人間同士が助け合うということは最早奇蹟だというのか。

仮にそうだとすれば尚更、パッケージに記されたこの文句は、繰り返すが、世界中のすべての救われざる者への侮辱であり、冒瀆であり、彼ら・・・否、「わたしたち」に屈辱感を味わわせるものだとわたしは受け止める。

ハッピーエンドの映画を観終わった後、ひとつの黒い思念が頭の片隅をよぎった。

「なぜ、あなたではなく、わたしが・・・?」


いったい誰が、今宵の塒(ねぐら)にも事欠き、食堂の残飯を漁り、生活保護の申請を無下に却下された人たちに向かって

「それでも人生は素晴らしい ── 」

などという「嘘事(うそごと)」を言えるのか。

この映画をフランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生』と重ね合わせて見た時、豊かさとは、金銭的豊かさのみではなく、人々の愛と友情に包まれた人もまた「富める者」と言えるのだと感じる。3度のアカデミー賞を獲得したキャプラは、この映画で、二級天使クラレンスにこう言わせている。

「友のいるものは敗残者ではない」

ある意味で、『鉄くず拾いの物語』も富者の物語である。

「寄る辺なき人々」は救われない。

キャプラとこの映画は教えてくれる。「貧者」は必ずしも「弱者」ではないと。

『ハートウォーミング』・・・決して癒されることのない凍てついた魂を抱える遺棄された者たちにとって、残酷な映画である。魂の深いところに痛みがはしる。

「なぜ、あなたではなく、わたしが・・・?」

「溺れる者と救われる者」・・・黒々とした想いを否定し去ることは誰にもできない。








2021年11月14日

午前3時

Telephone Booth, 3 A.M. Rahway, NJ, 1974, George Tice.

「電話ボックス 午前3時」ジョージ・タイス(1974年)

*

かつてわたしたちは「物語」のある世界に生きていた








2021年11月13日

映画『帰って来たヒトラー』を観て

『帰って来たヒトラー』という映画を観て、その感想を書こうとしたが、どうしてもうまくまとめることができない。

参考にアマゾンのレヴューを見たが、概ね好評のようである。

ここ数週間で観た映画は何本かある。『男と女のいる舗道』(ゴダール)、『田舎司祭の日記』(ロベール・ブレッソン)、『太陽がいっぱい』(ルネ・クレマン)、『スリ』(ブレッソン)・・・何故それらについての感想を書かずに、この映画について書こうと思ったのか?自分でもはっきりしない。

まとまらぬままに断片的に感じたことを記すなら、

● 日本とドイツとの間に何らの共通点も見いだせなかったということ。

● 日本には、「もし今あの人物が蘇ったら」というような存在がひとりも思い浮かばないということ。

● 嘗て日本にヒトラーのような人物が存在したことがないということ。

● 日・独・伊三国同盟とは言いながらも、日本のファシズムと、ナチスのファシズムとは本質的に異質であること・・・などが挙げられる。

更に戦後のドイツは「過去(=「自分たち」がしたこと)の贖罪」と民主主義の道を歩み続けてきたが、日本は嘗て一度たりとも民主主義国家であったことはなく、故に「自分たちの罪」を贖うという行為からひたすら目を背け続けてきた。

「ナチス」=「ドイツ人」のしたことを、これからもドイツという国家が存在する限り、忘れてはならないと考える国民と、戦後一貫して、戦前回帰を志向してきた日本の政治とは、そもそも正反対の現代史(=戦後史)を歩んでいる。


まったく映画の批評にはならないが、この国には、ヒトラーのようなカリスマ的独裁者は不要である。何故ならヒトラーに洗脳されるまでもなく、我々日本人全体が、(程度の差こそあれ)本質的に顔のないヒトラーだからだ。われわれは既にして、「ヒトラー的なるもの」を潜在的に容認している。それは何か。社会的弱者、障害者、マイノリティーへの忌避感情、そして内面化され血肉化された国家(オカミ)への忠誠・追従である。弱きを挫(くじ)き強きを援けるメンタリティーである。

民主主義国家の最も特徴的な要件は、国民(市民・人民)は政府にとって脅威であるという点である。即ち言葉の本来の意味に於ける「民主主義」とは、国家(政府)への「抵抗」「不服従」を包摂した概念である。

「ヒトラーの復活」は問題ではない。

先の大戦で、日本という国は、「独裁者不要(乃至不在)のファシズム国家」であったことを忘れてはならない。











2021年11月12日

間違った生き方

 間違った生き方というものがあるのだろうか?

彼は間違った生き方をしたために、いま、貧しく、不幸せなのか

それとも

彼は間違った生き方をしたために、いま、成功し、幸福を謳歌しているのだろうか?






 
ある街(町)、ある都市を、「その町(街)」「その都市」足らしめている要件とはなにか?




「脱・引きこもり」への疑問「あなたは何処へ行きたいのか?」

いまだにわからない。「脱・引きこもり」をスローガンに掲げる当事者及び支援者にとって、「脱」とは何を意味しているのかが。
正直なところ、「ひきこもり」なる概念もつまびらかではない。

窓から眺めるともなく外に目をやると、団地内のプラタナスの落ち葉が道に散り敷いている。
うつくしいとおもう。

いつのころまでだったろう、この時期、ひとりで、或いは友人がいた時には一緒に、皇居前広場を歩いたのは。上野公園の銀杏の、目もあやな黄金色の落葉を愛でたのは。晩秋の日比谷公園を逍遥していたのはいつの頃だったのだろう。

「脱・引きこもり」を揚言する人たちに訊きたい。

あなたにとって、「外界」とは何か?

確かにいまでも「皇居前広場」はあるだろう「上野公園」も「日比谷公園」も無くなってはいないだろう。

けれども、わたしにとって、わたしの生まれ育った街(町)は既に存在しない。

銀座はとうに「わたしの銀座」ではなくなり、渋谷もまた「わたしの渋谷」ではない。

東京は夙にわたしの故郷ではない。

「脱・引きこもり」とは、「内」から「外」へだと仮定して、その「そと」とは、実体を伴う「街(町)」ではなく、あくまでも、抽象的な「シャカイ」なるものを指すのだろうか?

特に中年以上の「引きこもり」の方たちに尋ねたいのは、あなたが望むのは、「帰郷」ではなく、あくまでも「シャカイ」という機関の内側に入り込むことであるのか?

あなたにとって、あなたの生の連続性は何に拠って支えられているのか?

扉を開ける度に、目の前に昨日と異なる風景が広がっていても「あなた」は「あなた」でい続けることができるのか?目覚める度に隣に見知らぬ女が寝ているのに気づいた時と同じように、苦笑ひとつをもって異質の世界に適応できるのか?

生きるということは、自分を取り巻く世界との融和に他ならない。けれども、外界は目まぐるしい速度で変化し続けている。「停泊する港が見つからない状態」── そのような状況の中で、尚「脱・引きこもり」とはどのような意味を持つのか?


「脱・引きこもり」とは何処から何処への「脱出」なのか?

「引きこもり」から「脱した後」あなた方を待っているのは如何なる世界か?

あなた方が待っている世界とは何処なのか?

生きるとは、「安息の地」を、そして「死所」「終の栖」を探す長い旅ではないのか?

やっと停泊する港を見つけたと思ったら、明日はまた沖へ放り出されているような環境で、そんな国で、「脱・引きこもり」の持つ意味とはなにか・・・








2021年11月11日

物書き渡世

  辺見庸は書く

年をとったら、ものわかりがよくなる。おだやかになる。腹立ちが減る。なにごともてきとうなところであきらめる。周りと上手にあわせる。争わなくなる。口汚くなくなる。ジョウシキというものをわきまえるようになる。そうおもっていた。だが、年はたっぷりととったのに、さっぱりそうならない。逆である。年とともに、内心がグツグツと沸騰するようになっている。世の中と、というか、世界中と、うまくおりあいがつけられない。いつもなにかを呪っている。絵空事をならべるのも、ならべられるのもノーサンキュー。風景がみんな書き割りにしか見えない。人の動作、言葉がなぜだかわざとらしい、すべてはあまりに空虚だ。

『コロナ時代のパンセ』「2016年12月」(2021年)

◇ 

わたしはこの辺見庸の述懐を額面通りには受け取れないが、物書きに限らず、そもそも芸術家とはそういうものではないのか?年を取ろうが取るまいが、年齢の如何を問わず、「世の中」と、「世界中」と、うまく「おりあい」がつけられない者たちこそが、創造する者たちではないのか?

年とともに世間知を身に付け、円満になり、朗らかになり、人を呪わず、社会に唾を吐きかけず、人生について優しく人に説教を垂れるようになったり、国家と仲睦まじくなったりしたら、それは最早「芸術家」とは言えまい。

しかし同時に、人間社会と、世界と、全くおりあいがつけられなくては、そもそも「物書き」にはなれないこともまた事実なのだ。彼は出版社とおりあいをつけなければならない。編集者を口汚く罵ることはできない。広告主と諍いを起こすことはできない。そこには必ず「折り合い」=「妥協」が介在する。
「あまりに空虚な世の中」という嘆きを、広く世人の目に触れさせるためには、「出版ー流通」という「肝心なところ」だけは、「妥協し」「目をつぶり」「折り合いを付けなければ」話にならない。

そういう意味で、辺見庸は、稀有な世渡り上手と称賛されるべきかもしれない。
エミール・シオランまた然り。

世の中と全くおりあいがつけられない作家など、ただのひとりもいたたためしはない。

ここに辺見庸を読み、シオランの本を読む「わたし自身」をも含めた、「人間であるということの恥辱」の本質がある。


ー追記ー

先日図書館からシオランの『涙と聖者』を借りたところ、今年新たに新装版として紀伊國屋書店から出版されたものであった。「グロテスク」と言っていいほどの装丁の趣味の悪さ、「暗黒のエッセイスト」なるあまりにもチャチなコピー。

ここまで自著を「冒瀆」されても、シオランは出版のために、「目をつぶり」「妥協」するのだろうか。
尤も、彼の眼が既に永遠に瞑ざされている以上、それを知る術もないが。










2021年11月9日

傷と抱擁

Washington Square Park, 1953,  Lou Bernstein (1911 - 2005) 

「ワシントン・スクエア・パーク」ルー・バーンスタイン(1953年)







2021年11月8日

敵対者

所謂「知的な人たち」とわたしとは、対極にある存在同志である。更に言うなら、わたしたちは「敵」である。




我 無智を愛す

徒然にツイッターの「文学・文化系」アカウントをいくつか眺める。5分もしないうちにドゥルーズのいう「人間であることの恥」の感覚があたまをもたげてくる。
たくさんの本を読むこと、文化的、知的で博識といわれるような人間であるということはひどく薄汚いことだなという気持ちに囚われる。

或る「読書家」の言葉

「苦しい時に本に助けられることが多い。でもその時その時、どの本が助けになるのか、開くまでわからない。読んでいる途中もあまりわかっていない。読み終えてから、あやういところを助けられた、と思う。」

わたしは先に「哲学は人を救えるか?」という問いに対して、「否!」と答えるだろうと書いた。


「本に救われる程度の苦しみ」・・・優雅だな・・・


先日の「断想、廃滅の美」に於いて、わたしは、孤独な者、悲しむ者、悩める者、貧しき者、鞭撲たれし者、涙を流す者の中に「美」を視る、と書いた。

あるブログで、この投稿について言及されていて、それは「美と健康の背馳」と題されていた。幾分大雑把ではあるが、左程的外れではない。

「健康・健常」であることと「美」とは相容れないと考えているわたしは、同様に、「知」と「美」の背馳をも感じている。

嘗てこう書いたことがある


わたしは「限りなく「無」に近い存在」を愛する。

この「無」には「無口」(無言)「無能」「無智」というような意味あいも含まれている。

有名より無名を

勝者よりも敗者を 敗者よりも不戦敗者を 不戦敗者よりも逃亡者を

若年・中年よりも幼年・老年を

人間よりは動物を 動物よりは植物を 植物よりは鉱物を

博識よりは文盲を

饒舌よりは啞者を

進歩よりは退化を

健常より障害を・・・

しかしわたしじしんがまだ「無」に近づけていない。

宗教的な思想とは無関係に、寧ろ哲学的な意味合いにおいて、より小さく、より無力で、より弱くありたい

けれどもこのように「無」を事々しく言い募ること自体が、「無」から遠ざかることになるという矛盾。

「雨露を凌ぐ」という。けれども本当は雨と露と、風だけで生きられるような存在でありたい。

無に近づきたいという欲求と、生きるということは、それ自体が相容れないことなのだろうか。

それ以前に、わたしは「限りなく無に近い存在」に何を見ているのだろう・・・


本に、また広く「文化」と呼ばれるものに救われ得る者たちは幸いである。彼ら知的ブルジョアは、所詮わたしとは縁なき衆生である。わたしはそのような存在を厭う・・・









2021年11月6日

愛の炎が涙で消えたとき、たちのぼる煙が目にしみる



Smoke Gets In Your Eyes - Charlie Mariano Quartet

チャーリー・マリアーノ・カルテット「煙が目にしみる」(1955年)


*

パーソネル

チャーリー・マリアーノ(アルト・サックス)
ジョン・ウィリアムス(ピアノ)
マックス・ベネット(ベース)
メル・ルイス(ドラムス)

Personnel

Charlie Mariano  (Alto sax)
John Williams  (Piano)
Max Bennett  (Bass)
Mel Lewis  (Drums)






2021年11月4日

ロスト・ホーム

JC Penney Building, ca 1970, Danny Lyon.

*

“The past is a foreign country;
they do things differently there.”

ー L.P. Hartley

*

「過去というのは、異国と同じだ、そこではみなが私たちと違った生活を営んでいる」

ー L. P. ハートリー


郷愁ではない。帰りたいのだ

 自分の生まれ育った国に・・・








日本という国がもう少し静かな国であったなら、もう少し「音」というものに繊細な感受性を持った国民であったなら、閑けさを愛する文化的土壌があったなら、わたしの晩年もまるで違ったものであったかもしれない。






まだ世界に「絶望」という言葉が残っていたころ、人々は今よりも賢明だった。

いまの世界は形而下的にも、形而上的にも、あまりにも明るすぎ、楽天的過ぎる。

人々は、本当に困ったら「誰か」が、或いは「社会」がきっと助けてくれると信じているように見える。

その無根拠の「信頼」はどこから来るのか?

何故彼らはそこまで「社会」を信じ切ることができるのか?






2021年11月1日

「私が私であるための自殺」

わたし自身、30歳の時から(一昨年くらいまで)約30年近く、様々な精神科医と出会ってきた中で、「統合失調症」と診断されたことも、またその疑いを持たれた経験もない。

けれども、精神病理学者木村敏の著書に接していると、木村敏の描く「統合失調症」患者の特徴が、非常にわたしと似ていると屡々(しばしば)感じるのだ。わたしがほんとうは「統合失調症」であるか否かは別として、(あくまで木村敏という一精神病理学者の目を通してだが)「人間のタイプ」として、わたしは極めて統合失調症的実存であると思わされる。

以下、木村敏の『臨床哲学講義』(2012年)の中の第三回目の講義「統合失調症の精神病理」(2)から抜粋引用する

私たち精神科医がもっとも気をつけなければいけないことは、患者を自殺させないということです。
 (略)
鬱病だったら、医者が十分に注意すれば、自殺を予知したり予防したりすることは原則的に可能です。ところが統合失調症の場合だと、これが恐ろしく困難になるのです。統合失調症の人は、なんの予兆もなく、ある日突然、自殺を決行してしまうことがあります。死と非常に近いところに、死と隣り合わせに生きている、と言ってもよいかもしれません。

統合失調症の人にとって、死は、残された唯一の自己実現の可能性として選び取られることが少なくないのです。前にも申したように、治療中の患者に自殺されるのは、治療者にとって重大な失敗なのですけれども、それでも私たちは患者の自殺に直面して、これでよかったんだという一種の安堵感すら抱くことがあるのです。
(下線 Takeo

木村敏は、医者は所詮は無力なのだ、ということを弁えている。殊に「精神医療」という、人間の「こころ」という「広大無辺な宇宙」とも「底知れぬ深海」とも比せられる内的世界を、その「治癒」の対象とする行為が、どれほど至難なものであるかを知っている。


精神科医はもとより、医療・福祉に携わる者で、「自殺」を全面的に否定する者をわたしは信用することができない。さらに展げれば、自殺否定論者とわたしとは、そもそも合わない。
「患者の自殺に直面して、これでよかったんだ」と思える医師、そしてまた、親しい人の自殺に接して、同じように思える人をこそ、わたしは信頼する。

それは、他ならない、わたし自身が自殺した時にも、同じように思ってもらいたいからだ。

「これでよかったんだ」と。