2021年11月15日

すべての救われざる者への嘲弄

「人生は時として、あまりにも理不尽で厳しい。
 それでも人生は素晴らしい ── 」

ダニス・タノヴィッチ監督 
ベルリン国際映画祭で3冠に輝いた、感動の実話。
『鉄くず拾いの物語』


わたしは2010年代以降の映画を(おそらく)ひとつも観たことがない。先に書いた『帰って来たヒトラー』と、これから述べる『鉄くず拾いの物語』の二本だけである。
前世紀の映画で、まだ観ていない名作が山ほどある。そして現在(乃至現代)そのジャンルを問わず、20世紀に作られた名作に比肩し得る映像作品が生み出される可能性をわたしは信じることはできない。人間の想像力、更に言えば人類の頭脳と情操は加速度的に鈍化・劣化している。
では何故、この映画を観ようと思ったのか。それは現代の、東欧の、貧困者の生活の実態を垣間見たいという好奇心と欲求からであった。

図書館のホームページでこの映画の紹介を見た時にはこう書かれていた。

「ボスニア・ヘルツェゴヴィナに住むナジフは鉄くず拾いで生計を支えていた。3人目を身ごもる妻セナダが激しい腹痛で病院に行くと、今すぐ手術をしないと危険だと告げられるが、手術代がないため病院側に拒否されてしまう。」

ところが、実際にDVDを借りてみると、パッケージには冒頭のような陳腐なコピーが踊っている。げんなりした。このまま観ずに返そうかとも考えたが、下等な好奇心が勝った。

わたしは映画でも小説でも、粗筋を簡潔に説明するということが殊の外苦手なので、以下、横着をしてDVDのパッケージに書かれている「あらすじ」を引き写す。


「ボスニア・ヘルツェゴヴィナに暮らすロマの一家。夫のナジフは鉄くず拾いで生計を支え、妻のセナダと2人の幼い娘たちと貧しくとも幸福な日々を送っていた。ある日、3人目を身ごもるセナダが激しい腹痛に襲われ病院に行くと、今すぐに手術をしないと危険な状態だと告げられる。しかし保険証を持っていないため、高額な手術代を要求される。無論そんな大金はない。手術を懇願するが、病院に拒否されたナジフは、妻の命を救うために死に物狂いで鉄くずを拾い集め、貧困者救済の組織に助けを求めるが・・・実際の出来事を、その当事者たちが演じた感動の実話。」


この一家は、妻の実家や夫の兄弟、そして友人たちの惜しみない協力によって救われた。(みな貧しいので金の貸し借りは一切ない)
しかしそれは彼らが、隣人愛・家族愛・兄弟愛に充ちた人々の中で暮らしていたという幸運の賜物であって、この一家のエピソードひとつを以て、
「人生は時として、あまりにも理不尽で厳しい。 それでも人生は素晴らしい ── 」
と謳いあげる神経に唖然とし、同時に背筋が寒くなる。

DVDの惹句は、すべての孤独な、救われざる者たちへの侮蔑であるようにわたしには聞こえる。
この家族が、この妻が救われたのは、あくまでも「愛と友情に恵まれていた」からだ。
けれどもひとたび現実に目を向ければ、世界には助けを求める手を差し伸べる場所すらない人たち、たった一人で途方に暮れ、絶望の闇の底でうずくまっている「寄る辺なき人たち」が無数にいる。



困っている人を助けるという、人間として当たり前の行為を淡々と描いたに過ぎないこの映画を、殊更「銀熊賞」(グランプリ)に選んだベルリン映画祭。そして「アカデミー賞外国語映画賞」・・・それぞれのイベントの審査員諸子の見識の低さに呆れる。
貧しい人たちが助け合い、人間らしい生活を送っている。それはいまや「あたりまえのこと」ではないのか?困っている人間が、周囲の助力で助けられたという顚末を、なにゆえかほどに騒ぎ立てるのか?

「感動の実話」?

「それでも人生は素晴らしい」?

ふつうのにんげんの、ありふれた「喜びと悲しみ」を持ったふつうの生活がそんなに珍しい出来事なのか?
人間同士が助け合うということは最早奇蹟だというのか。

仮にそうだとすれば尚更、パッケージに記されたこの文句は、繰り返すが、世界中のすべての救われざる者への侮辱であり、冒瀆であり、彼ら・・・否、「わたしたち」に屈辱感を味わわせるものだとわたしは受け止める。

ハッピーエンドの映画を観終わった後、ひとつの黒い思念が頭の片隅をよぎった。

「なぜ、あなたではなく、わたしが・・・?」


いったい誰が、今宵の塒(ねぐら)にも事欠き、食堂の残飯を漁り、生活保護の申請を無下に却下された人たちに向かって

「それでも人生は素晴らしい ── 」

などという「嘘事(うそごと)」を言えるのか。

この映画をフランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生』と重ね合わせて見た時、豊かさとは、金銭的豊かさのみではなく、人々の愛と友情に包まれた人もまた「富める者」と言えるのだと感じる。3度のアカデミー賞を獲得したキャプラは、この映画で、二級天使クラレンスにこう言わせている。

「友のいるものは敗残者ではない」

ある意味で、『鉄くず拾いの物語』も富者の物語である。

「寄る辺なき人々」は救われない。

キャプラとこの映画は教えてくれる。「貧者」は必ずしも「弱者」ではないと。

『ハートウォーミング』・・・決して癒されることのない凍てついた魂を抱える遺棄された者たちにとって、残酷な映画である。魂の深いところに痛みがはしる。

「なぜ、あなたではなく、わたしが・・・?」

「溺れる者と救われる者」・・・黒々とした想いを否定し去ることは誰にもできない。








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