わたし自身、30歳の時から(一昨年くらいまで)約30年近く、様々な精神科医と出会ってきた中で、「統合失調症」と診断されたことも、またその疑いを持たれた経験もない。
けれども、精神病理学者木村敏の著書に接していると、木村敏の描く「統合失調症」患者の特徴が、非常にわたしと似ていると屡々(しばしば)感じるのだ。わたしがほんとうは「統合失調症」であるか否かは別として、(あくまで木村敏という一精神病理学者の目を通してだが)「人間のタイプ」として、わたしは極めて統合失調症的実存であると思わされる。
以下、木村敏の『臨床哲学講義』(2012年)の中の第三回目の講義「統合失調症の精神病理」(2)から抜粋引用する
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私たち精神科医がもっとも気をつけなければいけないことは、患者を自殺させないということです。(略)鬱病だったら、医者が十分に注意すれば、自殺を予知したり予防したりすることは原則的に可能です。ところが統合失調症の場合だと、これが恐ろしく困難になるのです。統合失調症の人は、なんの予兆もなく、ある日突然、自殺を決行してしまうことがあります。死と非常に近いところに、死と隣り合わせに生きている、と言ってもよいかもしれません。統合失調症の人にとって、死は、残された唯一の自己実現の可能性として選び取られることが少なくないのです。前にも申したように、治療中の患者に自殺されるのは、治療者にとって重大な失敗なのですけれども、それでも私たちは患者の自殺に直面して、これでよかったんだという一種の安堵感すら抱くことがあるのです。(下線 Takeo)
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木村敏は、医者は所詮は無力なのだ、ということを弁えている。殊に「精神医療」という、人間の「こころ」という「広大無辺な宇宙」とも「底知れぬ深海」とも比せられる内的世界を、その「治癒」の対象とする行為が、どれほど至難なものであるかを知っている。
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精神科医はもとより、医療・福祉に携わる者で、「自殺」を全面的に否定する者をわたしは信用することができない。さらに展げれば、自殺否定論者とわたしとは、そもそも合わない。
「患者の自殺に直面して、これでよかったんだ」と思える医師、そしてまた、親しい人の自殺に接して、同じように思える人をこそ、わたしは信頼する。
それは、他ならない、わたし自身が自殺した時にも、同じように思ってもらいたいからだ。
「これでよかったんだ」と。
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