ぼく自身 或いは困難な存在
2021年11月4日
日本という国がもう少し静かな国であったなら、もう少し「音」というものに繊細な感受性を持った国民であったなら、閑けさを愛する文化的土壌があったなら、わたしの晩年もまるで違ったものであったかもしれない。
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