2021年2月26日

「これは狂人の絵だ」という賛辞

 
東京新聞夕刊一面に「紙つぶて」 というコラムが掲載されている。母づてに聞いたのだが、ムンクの『叫び』という絵、あれは叫んでいるのではなく、耳を塞いでいるのだと。
そしてわたしは記事を読んでいないのでわからないが、そのコラムの筆者だろうか、『叫び』を評して、
「これは狂人にしか描けない絵だ!」と。

「狂人にしか描けない絵」・・・なんという褒め言葉であろう。
その表現が妥当であるかは措いて、これ以上の賛辞はないと思っている。
 
ああ、わたしも「狂人にしか書けない」といわれるような文章が書きたいと強く願う。
 
 
 
 

2021年2月20日

Mさんへ。

 
コメント欄を閉じていますが決してMさんを拒否しているわけではありません。
 
昨日数日振りに投稿をしましたが、ここに投稿すべきだったかと、いまでも心が乱れています。
 
書くたびに、そのような葛藤に悩まされるのはもう限界だという思いは以前からありますが、駄文であるにせよ、ここなら自分の本心を書くことができるのです。
 
コメント欄を閉じたのは、今は誰であれ、返事を書く心の余裕がないからです。
 
Mさんには感謝しています。けれども、今の気持ちの乱れをお察しくだされば幸いです。
 
平和な週末を過ごされますように。
 
 
 
 
 
 
 
 

抗うつ薬は要りません

 
状態は相変わらず。しかし、「相変わらず」であることだけでも救いであるのだろう。

しばしばわたしは「死」の吐息に怯えている。「死にたくない!」と慄いている。

これまでわたしはこのブログで、「今この世界で元気になることにどんな意味がある?」と繰り返し主張し続けてきたのではなかったか。それをいざ死の気配が近づくと「寝たきりになるのも入院するのもいやだ」と願っている。ふ。滑稽じゃないか。つまりわたしは自分のこれまで書いてきたことをすべて反古にしてまで、(信念とやらがあったのなら)、変節も厭わずに、生にしがみついている。
 
母に自嘲交じりに「滑稽だね・・・」というと、「人間は誰でも滑稽だよ」
 
いっぽうで死の影に蒼くなって慄きながら、では、一重に「元気になること」を望んでいるかといえばそうでもないようだ。
 
死神が居眠りしているときなど、インターネットをのぞく。母から新聞に載っていた記事の話を聞く。
そして思うのだ。「やはりどうしてもわたしはこの世界では生きられない」 と・・・


昨夜、「無職日記」という30歳くらいの女性のブログを見つけて目を離すことができず、全ての投稿を読んだ。

パワハラー派遣切りで、その日から無職ーそれから現在に至るまで3年間、「日雇い」「バイト」「派遣」を問わず仕事を探したが、未だに働き先は見つからない。
 
未経験でもできる仕事と謳いながら、書類選考だけで落とされる。無職の身には履歴書を送る140円だって大事なお金なんだと怒り、書類選考で落とされた求人先が、別の媒体で「急募」としているのを見て「面接をして欲しかった」とうなだれる。
 
ブログのコメント欄を開けたことがあったが、誹謗中傷のコメントばかりで、もう二度とコメント欄は開けないと打ちひしがれる。
 
吃音症がひどくなった。パニック障害で電車一駅乗るのも困難。母親からは「働かざるもの食うべからず」と冷たくあしらわれる。
 
周囲はコンビニ一軒ない田んぼと畑だけの環境で、時間をつぶすために図書館に行くにも交通費がかかる。
 
求人を探す以外はパソコンを眺めているか、横になって天井を見つめているだけ。
 
ブログのほぼ全てのページに「死にたい」「苦しい」「孤独」「働きたい」という言葉が記されている。
 
けれども彼女だけが、極めて特殊な例とはいえないのだ。
 
 
わたしは今の世の中で元気になってどうなると嘯いてきた人間だが、そしてその気持ちは根底では変わらないが、これまで100社以上の「バイト」の求人に落とされ、誰からも人間扱いされていないかに見える彼女を無言で抱きしめてあげたいと思いがこみ上げてくる。仮に彼女がLINEをやり、インスタをやる人であっても・・・
 
加えて彼女は中学校から大学までずっといじめられ通しだったという。
 
彼女が祈るような思いで、履歴書を送っても、連絡がないことで「不採用」としている企業が相当数あるという。
 
こんなことが何年も続けば、「死にたい」「苦しい」と呻き、布団の中で泣きわめくのも当然だろう。

繰り返すが、わたしは現代社会に一文の値打ちも見出すことのできない人間であり、且、「自死」を肯定する者だが、彼女には一日も早く働ける場所が見つかって欲しいと願う。
働きたいと願うのなら、その願いがかなうようにと望む。
 
 
彼女のブログに嘲弄と侮蔑と攻撃的なコメントを残した者たち。
 
いったい彼ら/彼女らは、いつ神に、お前の人生は生涯安泰であるとの保証を受けたのか?
 
心に傷を負った人のブログを読んで、話したいなと思うときがある、けれども、鬱病や、引きこもりなどの人たちのブログのコメント欄がオープンにされていることは少ない。
 
心を病むことは、決して、けっして、その人の責任ではない。同時に、ある者が今現在健康であるのは「幸運」であり「僥倖」であって、なんらその者の功績でも能力でもない。それにもかかわらず、この国の人間は、弱った者をそっと見守ることができない。
 
宗教と哲学の欠如というものはこれほどまでに人間をいびつにさせるものか・・・
 
極論すれば、上記のブログの女性は人生を知っているが、オレの人生順風満帆とご満悦の人間の目には、人生の表層しか見ることはできない。
 
 
次回母に、主治医のところに行ってもらう際、母は主治医に「抗鬱薬がひつようでしょうか」とそれとなく訊いてみる、と。
しかし、わたしは抗鬱薬は要らない。仮に処方されたとしても飲まないだろう。
 
抗鬱薬にせよ、他の薬にせよ、それを飲むことで、わたしの孤独が、孤立が癒されるのか?
 
精神医療というものは、患者の症状を聞き、不眠であるとか、イライラ、不安といった「症状」を緩和させる薬を処方するのが仕事なのか?
無論差し当たりの対症療法も必要だろう。寝られなくてつらいのなら、寝られるようにする。それは当然の処置だろう。しかし不眠の訴えを聞けば、何故患者が眠れないのか、その原因を探るのが本来の精神医療の役割ではないのか?
 
そうでなければ精神科医とは所詮薬屋の親玉でしかないことになる・・・
 

 
馴染めない国の虚ろな巨大都市で孤独であること。人との意思の疎通が極めて困難であること。
 
これを脇に置いたまま、いったいわたしの援けになる薬とは何だ?
 
死への恐怖、死にたくないという思い、それと、現実の肯定是認とは左右対称ではない。
 
「死にたい」「苦しい」「孤独」を繰り返す彼女にとって、すぐにでも必要なのは、抗不安薬、抗鬱薬などを浴びるほど飲むことではなく、働き口がみつかることだ。
 
わたしにとっては・・・わからない・・・いまのわたしはただ、死という生々しい現実と向き合うことへの恐怖と、厭離穢土の感情、底なしの虚無感、空虚の間にゆれるひともとの蝋燭に過ぎない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

2021年2月16日

Mさんへ

 
コメントを拝見しました。いつもありがとうございます。
 
断片的に感じたことを書きます。本音を言えば、Mさんへの返信の形を借りた愚痴のようなものですが・・・
 
先ず、ストレッチですが、考えてみれば、こちらに引っ越してくる前から毎日寝る前にやっていました(といっても5~6分程度ですが)、からだがみしみしいうんですが、やった後はさっぱりしますね。
 
音楽は毎日聴いています。今はコーヒーを飲みながら。コーヒーを飲みながらジャズを聴く機会はいまでも多いと思います。ただ、昨年あたりから、いかにも「現世的」なジャズよりも、中世ールネサンスーバロック時代の音楽を聴くことが増えています。ジャズといっても、わたしが聴くのは、それこそチック・コリアの世代くらいまで。いちばん良く聴くのはやはり50年代です。そしてジャズといえば、酒と紫煙、そしてヤク。それらと無縁な健康的なジャズメンたちには興味がもてません。
 
一方で、せいぜいモーツァルトの時代までの音楽を聴くと、心が落ち着きます。聴くのは宗教音楽が多いですね。グレゴリオ聖歌など聴いていると、地上のあれこれが、彼岸の出来事のように感じられます。またそれは否応なく「死」というものを連想させます。(「死」と無縁の宗教音楽はありませんから)
 
マリメッコは母から聞いたのです。昔、銀座松屋にマリメッコの店があったとか。
立川のルミネにも、マリメッコを扱っている店がありますが、なんというか、わたしにとっては縁のない「ブランド品」という印象を受けました。
 
「デイケア」や「作業所」についてのMさんのご意見も、よくわかります。
 
 
さて、今回敢えて、Mさんのメッセージの一部を使わせていただいたのは、
ブログを続けていくことが難しいと感じ始めているからです。
 
下の「性格とは運命である」で書いたように、わたしを取り巻く壁をどうしても突き崩すことができそうにないのです。
 
わたしが外に出られない理由は幾重にも重なっています。芋蔓式につながっています。
 
わたしは知りたいのです、何故これほどまでに現代社会を嫌悪するのか?その象徴としての携帯電話をこれほどまでに憎悪するのか?何故それを(それを持つ者たちを)無視することができないのか?
 
その原因を突き止めず、「音の感じ方を和らげる薬」などの薬物療法だけの精神医療なら不要であるとさえ思うのです。
 
もうひとつは、ご覧のように、毎度毎度同じことしか書けないということ。出口のない円の中をぐるぐると巡っているだけのような徒労感。書くことによって、何かしら進むべき道筋が途が見えてくるということがなく、徒労感の上塗りにしかならないという現状。
 
そして、このような記事をよろこんで読んでいる者がいるということ。
 
これまで何度もブログを止めたり再会したりしているのも、過去に千以上の投稿をしてきたというわたしの内面の蓄積への執着。愛着。同時にいつも頭の隅にその人物がいるという大きなジレンマ=ストレスからです。
彼は「引きこもりは罪人(つみびと)である」といった人物です。
そしてこのブログの過去の閲覧者の総数の三分の一を占めるほど、このブログに足繁く通っています。管理画面によると、昨日今日、そのブログからの訪問数が5回。
 
気持ちは揺れますが、ここに書いている以上、そしてわたしが障害を持ち、外に出られず苦しんでいる以上、彼(ら)の好奇の眼差しからは逃れられないと感じています。そしていまのわたしはもうこれ以上、憎悪の対象を持ちたくはないのです。
 
今は100人の読者を失っても、彼(ら)から逃れられるのなら、という気持ちが嘗てなく強まっています。
 
高校時代の友人は、わたしのコンピューター、オーディオ、ヴィジュアルの面での欠かせないアドバイザーで、彼の存在なしにわたしのインタネットもありえないのですが、彼は、「そういう人間は仮にキミがブログを移ったところで、必ず見つけ出すよ」と言っています。
 
無論この投稿も読んでいるでしょうから、当然また恰好の話題になるでしょう。彼らはわたし以上にわたしの障害についても詳しいようですから水際立った分析がなされるでしょう。
 
母は人から馬鹿にされるのが何よりも嫌いだと言います。
 
ここまで彼に餌を与え続けてきた自分がひどく愚鈍なうすのろに見えて仕方がありません・・・
 
このブログを続けている限り、彼(ら)から逃れることはできない。そのことを肝に銘じておきたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 

2021年2月14日

「性格とは運命である」

 

毎日が苦しい。この苦しみから少しでも楽になれたらと強く思う。
 
ここに書くことで今の心の状態を少しでも整理できればとページを開いたが、そこにはただもつれにもつれた糸の塊が転がっているようで、頭と胸の裡の混沌を解きほぐす糸口などは見つかりそうもない。
故に思いついたままを断片的に記して行こうと思う。
 
真っ先に思うのは、わたしの弱さだ。ここに来て、苦しいなどといっていること自体がお笑い種のようにすら思える。いったいこれまでここでわたしが書いてきたことはなんだったのか?これでは所詮は口先だけの男と思われても仕方がない。
 
本来はこういうことはもう少し気分が安定しているときに書いたほうがいいとも思う。不安と混乱の中で書くことは、徒に自己と他に対して攻撃的になり勝ちだから。
 
しかしあえて今、覚束ない足元の上に立って書くことが、わたしの真の闇を明らかにすることになるのではないかと考えるのだ。確かに、心の闇イコール真のわたしとは言えないかもしれない。けれども、気分が軽いときに書くよりも・・・と思うのだ。


先ず「楽になりたい」というのは具体的にはどういうことを言うのか?
おそらくは一日の果てしのない長さを感じないようになること。そして、嘗てのように自由に本が読め、映画が観られるようになること。

では今現在それを妨げているものは何か?
 
おそらくは凍て付くような孤独・孤立。
 
何があなたを孤独にし、孤立させているのか?
 
いちばんわかりやすく誰もが納得する答えは、わたしが、「今・現在」を、即ち「現代社会」を憎み、嫌悪していること。
 
 
現代社会を憎み、そのために、孤立し、抑うつ状態に陥っているのは当然のことなのだろうか?
 
しかしアメリカなどで、「国旗を燃やす自由」が認められている(州がある?)」と聞くが、いまわたしの両足を支えている「この国」を嫌うことは直ちに「孤立」を意味するのだろうか?
 
 
色々な人のブログを読んでみても、「目指せ社会復帰」という声はいたるところで耳にするが、「社会を憎んでいる者」を見たことがない。
また図書館のホームページで、「引きこもり」に関する数百冊の本の中から、気になったタイトルの本の簡単な紹介を読んでも、いったいわたしは巷間言われている「引きこもり」なのだろうかという疑問が募るばかりだ。
 
そもそもわたしの外出を困難にしている、「現代社会の在り方」・・・例えばスマートフォンの氾濫であるとか、電子音声の洪水であるとか、そんなことによって外に出られない者を一般の「引きこもり」と同列に扱うことができるだろうか?
外に出られるようにサポートすると謳っている行政・民間の機関は少なくないようだが、そういうところで、わたしの症状が劇的に(或いは段階的にであっても)軽快するのだろうか?
 
 
わたしは現代社会を嫌っている。その中には、府中市であれ、立川市であれ、何故こう無用な防犯(防災防疫)の放送を飽きもせずに毎日毎日市内中に流すのか?そのセンスのなさに辟易しているということも含まれている。「子供たちの下校時刻になりました、市民の皆様の見守りで、子供たちの安全を守りましょう」という放送に一体何の意味が、効果があるのか?
 
そして先日も書いたが、立川市の障害福祉課に電話をした際、担当者が不在で、後から電話があり、わたしに向かっての第一声は「先ほどお話は××からざっくりお聞きしましたけど・・・」
 
この言葉が忘れられずに、なかなか市役所に電話ができない。この女性がこの地区の担当者なので、別の人を、ということもできない。
 
 
以上、くどくどと書いてきたが、「楽になりたい」とは言いながら、誰にもこれからどうすればいいのか相談することができない。
 
そして、上記のことをひとまず措いて、相談をして、「デイケア」とか「作業所」或いは「地域活動支援センター」のようなところを紹介されたとしても、わたしは今の世の中のことをほとんど何も知らない。
バスや電車に乗るときに、小銭を使わずに乗ることができない。固定電話か、公衆電話以外の電話の掛け方を知らない。そして、最近の言葉のほとんどを知らない。テレビを見ない、ラジオを聴かない、新聞は敢えて見ないようにしている(読むと気が滅入って仕方がないので)、インターネットでニュースを見ることも一切していない。自分には不必要だと思われるニュースが多すぎるからだ。
 
だからわたしは誰と、どんな話ならできるのか?皆目見当もつかない。
 
わたしは様々な精神疾患、障害をもった人たちに比べて、あまりにも何も知らなすぎる。
 
 
これらのことをまとめると、わたしの外出困難は通常の「引きこもり」とは異なるということ。そしてなぜわたしが現代社会を憎むのかを掘り下げ、分析できる医師なり心理士に出会うことはないだろうということ。
そしてどうしても自由に外に出たいと希むのなら、文字通り、僻地僻村へ行くか、海外移住以外の選択肢は思いつかないということ。
 
そして
 
わたしは今の社会の仕組みについてまったく無知であるということ。
今後も、支払いは全て、現金で通すつもりであるということ。
このような事情から、障害者健常者を問わず、話の通じる人間を見つけるのは至難の業であろうということ。
 
 
「性格は運命である」・・・故に、こののたうつような苦しみもまた、微塵もわたしのせいではないということ。
 
 
 
 
 
 
 
 



2021年2月13日

「生きづらさ」について




最近はあまり訪れなくなった英国のエディター兼アーティストの女性のブログを見ていて、偶然見つけたイラストである。作者はChris Dunn(クリス・ダン?)。
夜、お父さんが子供に本を読んで聞かせている絵だろう。
キルトの布団、木のベッド、オイルランプ、木製のおもちゃ、壁に飾られたおそらくは子供が描いた絵・・・
シンプルだけど安らぎのある部屋だ。
 
この絵を見ていると飽きることがない。
 
結局はホームシックなのだ。この絵に描かれている世界への。
 
 
図書館で数人待ちだった内田樹(たつる)の『生きづらさについて考える』という本の順番が回ってきた。しかし結局借りることなくキャンセルした。
 
生きづらさ、という言葉を耳にすることは多いが、今更学者先生の売らんかなの著述を拝読するまでもなく、この時代、どう考えたって生き易いわけがないじゃないかと思わずにいられない。
 
安っぽいプラスティック製品に溢れかえる世界。

旧聞になるが、スウェーデンの環境保護運動家グレタさんは、新聞で斜め読みしただけで記憶が曖昧だが、環境保護の演説を行うために、国連だったかに向かう際、ヨットを使ったと話題になった。
 
けれども、彼女を揶揄したトランプ元大統領にやり返したのはツイッターではなかったか。そしてそれは「何で」発信したのか?それはまさしくプラスティックを主な素材として作られたものではなかったのか?── そしてわたしは使ったことも、持ったこともないので知らないが、「それ」は古くなったから、壊れたからといって「捨てる」ということはないのか? ──
結局は彼女も避けがたく「時代の子」であったのではないか?
 
そういうわたし自身、このようにパソコンを使いCDを聴いている。
 
世界にそのようなものと一切かかわらずに生きている人が少数でも存在する以上、わたしもまた堕落している。そしてこれを皮肉というべきか、わたしはこれ以上はもう一歩も進むことはできない。
 
 
嘗てわたしの親友だった人が言ったことが鮮明に記憶に残っている。
 
「今は物質だけが豊かになって心の貧しい時代だなんていうけど、物質的にも全然豊かじゃないじゃない。わたしの子供の頃は、ものは少なかったけど、「ほんもの」しかなかった」
 
確かに今は何から何まで、本当に何から何まで、フェイクの時代に生きているという感覚を拭い去ることができない。
 
では「本物」と「フェイク」=「まがいもの」はどのように区別しうるのか?
 
あくまでも個人的な規準だが、「山(土)川草木」からの距離によって。
 
わたしは上の絵に「まがいもの」は何一つないと考える。
 
 
小津安二郎の『お茶漬けの味』という作品にふたつ、印象に残っているセリフがある。
 
ひとつは、若き日の鶴田浩二が、ラーメン屋で、津島恵子に言う言葉。
 
「せつ子さん。世の中にはね、安くておいしいものがいっぱいあるんですよ」
 
わたしは今ではほとんど外には出られないが、10年ほど前までは、東京の街をあちらこちらと毎日のように歩いていた。親友と入った店も数知れない。けれども、この1950年代に作られた映画の中のセリフを思うたびに、「失われた古きよき時代」としか思えないのだ。
わたしはバブル期に若き日を送った世代である。大量生産大量消費、言い換えればわたしの20代は既に「本物」の時代ではなく(旨いものは当然ながら値も高く)「粗製濫造」の時代であった。
「安くてうまいものがたくさんある時代」はとうに過ぎ、「安かろう悪かろう」の時代に突入していた。
 
その後ファストフード、ジャンクフードの時代、どの町にも同じチェーン店を見る時代が間近に迫っていたことは周知の事実である。
 

 
『お茶漬けの味』のもうひとつのセリフは、佐分利信が妻の小暮美千代に言うセリフ。
 
「プリミティブでインティメットな関係がいいんだ」(「根源的で親密な」とでもいうのか)
 
例えば、わたしが始めて会った人と、喫茶店なり、レストランなり食堂なりに入ったときに、「スマートフォンの電源を切ってくれますか?」といえるか?おそらくはいえないだろう。
 
先日紹介した「ミソフォニアの日々」に
 
大切な人がいてその人が嫌悪音を出すということであるなら、理解を求めることもできるのです。
自分には嫌いな音がある、だからその音を出さないでほしい、と言うだけで変わる現実もあります。
 
わたしはスマートフォンの電源を切ることは目の前の相手に対する当然のマナーだと思っている。
何故なら、電源を入れたままいつ何時電話がかかってくるかわからない状態にしておくということは、わたしと、その人との間にもうひとり、3人目の人間を割り込ませることに他ならないからだ。そして向き合っている双方が同じように携帯電話の電源を入れたままにしているということは、現実にはその場には最低4人の人間がいることになる。
それがはたして、根本的で親密な会話といえるだろうか。わたしはそのような状況ではとてもリラックスして話はできない。
 
もしそれが親しい間柄の男女だとして、向き合って、或いは並んで座っている時にどちらか一方の携帯が鳴るような関係が、そもそも「恋人」と呼べるだろうか?
 
携帯電話は人と人との、原初的な、親密な関係を毀損しなかったか?
 
数年前の新聞で、生命科学者の女性だったか、新聞に「人は超高層ビルの中で生きることができるか?」というようなことを書いていた。
 
つまり、人はどれほど反自然的状態の中で、大地から離れて心身ともに健康で生きることができるかという問題提起である。
 
誰もが何の問題もないと思っている。誰もが、それが現代だと平然としている。
しかし、それは知らず知らずのうちに、所詮は地球上の生物の一種類に過ぎない我々の生体を、そして精神を、魂を毀損してはいないか。
 

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

Mさんへ

 
いつもと変わらず、やさしい語り口のお返事をありがとうございました。
 
いただいたご提案は何一つ難しいというものがなく、すぐにもやれそうなことばかりで、そのようなご配慮もされているのだろうなと改めて感じています。 

まだまだ寒い日が続きますが、Mさんもどうかご自愛の上、お過ごしくださいますよう。
 
追伸
 
Mさんがわたしの返信をきちんと読んでくださり、それを快く微笑みを以って受け取ってくださったことが伝わってくるお返事でした。
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 

2021年2月11日

Mさんへ、コメントのお礼

Mさん。おそらくは過去に1度か2度あったかなかったかという、4千字を数回に分けての長文のメッセージ、最初から最後まで拝読しました。
簡単な提案、工夫で、いかに今のわたしの生活に潤いを与えてくれるか、そのような親切なお気遣いに感謝します。シンプルな内容ですが、あれだけのものを書くには、時間はもちろん、気力も体力も使われたことと思います。文面全体から、わたしの援けになれば、というお気持ちが伝わってきました。
 
一点だけ、冒頭のお話に関しては、幾分わたしの気持ちとのズレがあるように感じました。
しかし、ここでそのことについて話題にすることは、そこからMさんの発言を推測することもでき、それはあくまでも、これらのコメントはわたしへの個人的なメッセージであるとおっしゃってくださるMさんの気持ちに反することであると思い、ここで触れることはしません。
 
もちろん考え方の違いが見られたからといって、わたしが気分を害したというようなことはまったくありません。上に書いたように、そのような箇所も含めて、あたまから尻尾まで、わたしへの心遣いに満ちていると感じたことを改めて繰り返させてください。
 
簡単で、わたしにもできそうなこともいくつかありました。
 
敢えて、一部ではあるけれど、考え方の違うところがあるとお伝えしたのは、Mさんに対し、わたしなりに誠実でありたいという気持ちであるとお考えくださり、時間を無駄にしたということはないと考えていただきたいのです。
 
重ねて、長文のメッセージへのお礼を申し上げます。
 
武雄拝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「ひとり暮らし」ということについて

 

昨夜偶然あるブログを見つけた。書き手はおそらく30代の男性で、統合失調症を患っている。
内容も多岐に亘っていて、暇を持て余している身にとっては、(失礼ながら)格好の読み物を見つけたと思った。
全ての投稿に目を通しているわけではなく、哲学的な思索を思わせるタイトルを主に拾い読みしている。
 
彼とコメントで対話したいと思わないこともないが、今のわたしにその元気はない。
自身、統合失調症ということもあって、木村敏の著作もかなり読んでいるようだ。そんな人がわたしのブログを読んでどのような印象を持つか興味があるが、しかし、それが誰にせよ、また誰の著作が元になっていようが、わたしという「一回性」「特殊性」を精神医学や心理学の術語で訳知り顔に裁かれるのは御免蒙る。もっとも、ここで触れている彼は、知識よりも思惟を重んじる人のように感じられる。
 
 
心理的にも経済的にも、親離れができていない。自分は外に出ていたほうが楽に過ごせるというのは、そこに関係があるんじゃないか。親離れするためにも、就労を目指したほうがいいんじゃないか。まずは経済的に自立することだろうか。働きに出ることを目指したほうがいいんじゃないか。そうすれば自分の病状も軽くなるのではないか。

 

だから、いつになるかわからないけど、一人暮らしすることを目標にしようと思う。そのために、働かなければならない。経済的にも、精神的にも親から独立するために。

 

これは昨年春に書かれた彼の投稿「親離れ」と「一人暮らし」という二つの投稿である。
 
 
わたしの一人暮らしはあっけなく挫折した。
先に1月に風呂に入ったのは4日間のみと書いた。そして、2月はまだ一度も。
 
食欲も暫減しているが、まだ、一日飲み物だけというところまではいっていない。
昨日、午後に自転車で5分ほどのコンビニに行って、ガラガラになった棚から、弁当とおにぎりを買って食べたが、そのまずいこと。
先日も同じ弁当を買ったが、これほどまずいとは感じなかった。
 
「風呂に入らなければ」 という気持ちはない。食事にしても、死なない程度に何か口にしていれば、と思っている。とにかく何をするにも倦怠感が先に立つ。

苦痛なのは、風呂に入る気にならないことや、食欲がないことではなく、目が覚めたとき、今日もまた、空っぽの長い一日が始まるのかという気分である。
 
眼圧が高いのは、おそらくは、自律神経の乱れと、極度のストレスによるものだろう。それにしても、自転車でいける範囲に眼科があるというので、近いうちに行かなければならないだろう。
しかしそれすらも面倒くさいと感じてしまうのは、所謂「うつ状態」ではなく、自分が存在していることの根拠が夙に失われているためだと考えている。
 
以前にも書いたと思うが、わたしは自分の内部に自己の存在の根拠を持たない。
故に、自分のために飯を食う、自分のために風呂に入るということの無意味さは、一人暮らしをすることで、いとも容易に露呈する。
 
母がわたしにとって、世界との唯一の接点というよりも、寧ろ、わたしにとっての外部そのものであるというのは、逆を言えば、母以外は悉くわたしにとっての「対立者」であるという意識と裏表である。
 
わたしにとって、母の不在ということは、文字通り、「世界にたった一人遺棄されし者」になることを意味する。
 
わたしは誰とも繋がることができない。わたしは人間が理解できる言葉を持たない。
これはわたしの妄想ではなく、これまでの半生が証明してきた事実に他ならない。

母はわたしの外部であり、わたしをわたしたらしめている、いまや唯一の存在であるのだ。
 

 
「今や唯一の」ということについて、贅言するなら、例えば、ここで言及している男性のブログに興味深いことが書かれていた 


家の中で本の位置を移動することも難しかった。というのも、本を置いてある位置を少しでもずらしたりしただけで、世界の秩序が失われて、自分自身の秩序が乱れて、自己喪失に陥る恐怖を感じていた。

世界の秩序はそのまま自己の秩序であると感じていた。本棚の内容、また部屋の中の物の位置は、自分の精神の内部をそのまま映していると感じていたから、本棚とか物の位置をいじることは、自分の精神をいじることにほかならなかった。本棚の内容、部屋の物の位置をでたらめに乱しでもしたら、ぼくの精神は崩壊しただろう。)
(下線Takeo)
 
これについてコメントを残した。彼から返事があり、そこには、
 
部屋の整理は心の整理である、という考え方もあるみたいです。ぼくの場合は、明らかに病的なものでした。日常生活が相当に制限されていました。

 わたしは、常々言っているように、自己の内面と外界とは分離不能であり、外界の変化に伴い内面も当然の様に変容する、ということを言ったつもりだった。 

彼の文章を借りるなら、「本棚」を「街の景観」と言い換えることができる。


 ── もしこれ以上議論を推し進めるなら、それは最早「依存」や「親離れ」といった話ではなく、「誰かに寄りかかることなしには生きられない者の生の権利云々」の問題になる。
 
「生きる」という選択ではないにせよ、「死ねない」という現実がある以上、わたしは母に依存しなければならないのだ。母の不在は直ちにわたしの精神と肉体の死を意味する。だからわたしは常々「わたしに「親亡き後」は存在しない」と言い続けてきた。
 
「自立とは、一つでも多くの依存先を確保することだ」と。しかし、わたしが依存できる先は後にも先にも母以外にいない。わたしは普通の人間ではないのだ。

そして空っぽの毎日が続くことと同様に、わたしは自分がこのような狂人であることに疲弊し尽くしている。
 
 
 
 
 
参考にさせていただいたブログ 「駅弁祭りの読書、音楽、食べ物日記」
 
 
 
 
 




2021年2月10日

再びコメントをありがとうございます。

 
Mさん、再度のコメントをありがとうございます。
最初のコメントは4千字を上回る長文だったのですね。わたしも残念です。
もちろんコメントは気が向いたときに気軽に書き込んでください。
長くても短くてもかまいません。
 
それにそもそもわたし自身、読み手が理解できるようなことを書いていませんので、
思ったままを伝えてください。
 
わたしにとって大事なのは、前回2年前にいただいたコメントのように、わたしの書いたものに、真剣に向き合ってくれているという姿勢だけです。 

前にも書きましたが、わたしがシモーヌ・ヴェイユというフランスの思想家をはじめて知ったのは、蒲田の古本屋の店先でした。ほとんどが断章ですが、その中に「不幸な人にしてあげられるただひとつのことは、彼/彼女に関心を持つことだ」と。他の言葉は忘れてしまいましたが、何故かその言葉だけは、強く心に刻印されました。
 
些細な感想でも、それは「関心を持つこと」だとお考え下さり、体裁など考えずに、コメントを残して下されば何よりの喜びです。
 
あらためて、ありがとうございました。
 
 
 
 
 
 
 
 


2021年2月9日

誰も理解できないということ

 
日が長くなってきたせいもあるのかもしれないが、ここのところ、いやまして一日が長く感じられて仕方がない。何もする気が起きない。何もしたくない。身の回りのことも出来ないことが増えてきた。
 
しかしそんな中でわたしは何を望んでいるのか?どうなりたいのか?それがはっきりしない。
 
「外に出ることが困難な精神障害者が、何もやる気が起きずに一日をもてあまして困っています」
 
市役所の障害者支援担当の部署に伝えるのはそれだけなのだろうか?
 
障害者を支援する場所に限らず、それが精神科であっても、彼らはこのような訴えを聴いて、「良くなりたいんだな」「少しでも元気になりたいんだな」と短絡に考えはしないか?
 
例えば役所の担当者が、「あなたはほんとうに元気になりたいですか?」 と訊いて来たら、わたしは素直に「もちろん」とは答えることが出来ない。

時折、「やはりどうしても今の時代には生きられない・・・」と強い絶望を感じる。
 
その感覚は当然、「元気になることへの懐疑」に繋がる。
 
わたしは「生」自体を否定しているのではなく、「現代」という時代の様相を否定しているのだ。
 
だから例えば、「ミソフォニアの日常」にも書かれていたように、ミソフォニア=「音嫌悪症」が生き残る道として、「海外移住」を挙げているのは至極当然だと思う。
 
加えて、わたしは普通の精神障害者ではない。
 
現にわたしの気持ちは、母にも、十数年通っている(た)主治医にも理解できない。
わたし自身、誰かこのブログに書き連ねたこと、わたしの内面=狂気を理解できるものがいるとは思っていない。
 
であれば、それがデイケアであれ、当事者の自助グループであれ、わたしの「居場所」「行き場所」になり得るとは思えないのだ。
 
彼らが「引きこもり」であっても「発達障害で聴覚過敏を持っている」としても、彼らは「スマホの群集(あるいはスマートフォンという存在)に耐えられずに」外に出られないわけではないだろうし、聴覚過敏の人は、その音が如何に不自然且不必要に思われようと、町の薬局で流される小鳥のさえずり程度の音には耐えられるのではないだろうか?実際に彼らはそれぞれの自治体が毎日数回定時に流す防災防犯防疫の放送に、いちいち耳を塞いでいるだろうか?(わたしは「聴覚過敏」ではないけれども)
 
いづれにせよ、精神障害者も含めた一般の人たちとは感覚が、感受性が大きく・・・いや、まったくといっていいほどに異なるのだ。 

しかし繰り返すが、わたしは日一日と衰弱し、時の長さに耐えられずに誇張ではなく呻吟しながら毎日を何とかかんとか乗り切っているという現実もある。

わたしは生きたいのだ。ここが、ヨーロッパの古い町或いは田舎町であるなら。
 
わたしは生きたいのだ。今が1970年代であるのなら。
 
いや、せめて、町がもう少し静かであれば、そして生活様式の多様性がもっともっと重視される国であるなら・・・
 
けれどもそれが現実不可能で、尚且つ、わたしがわたしである以上、誰とも、文字通り誰とも話が通じないことを自覚しながら、尚、誰に、何を訴えることが出来るのか?
 
繰り返すが、元気になることを放棄しているのではない。今、この時代にあって、元気になることとはどういうことかを教えて欲しいのだ。
 
そして誰ならそのことを教えてくれるのかを知りたいのだ。
 
確定死刑囚が刑務所内で病気になり、苦痛が耐え難い。無論医師たちは「殺す」という目的にために全力で彼の回復を目指すだろう。
しかし治癒した彼の気持ちはほんとうに晴れ渡っているのだろうか?
心の底から回復をよろこんでいるのだろうか。
病癒えた彼の獄中の生活に何があるというのか?
 
・・・いや、大道寺将司、島秋人、そして永山則夫の例もある。
獄中にだって、生きがいはある。おそらくはほとんどの囚人には。
 
しかしわたしにはこの世界に「よろこび」「たのしみ」、何一つ見つけることができない。何故か?わたしには「獄」以上の頚城がある。
それを「孤独」という・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 


2021年2月8日

コメントをありがとうございます

 
二年前の三月に、一度、「非公開で」ということで、ある方からコメントをいただいた。何度も迷った挙句にコメントを残したとおっしゃっていた。
今回もやはり同じような気持ちでメッセージを残してくださった。
字数制限に引っかかってしまったと書かれていた。昨年夏のリニューアル後、ほとんどコメントをもらった記憶がないので、そこも変わったのかもしれないが、わたしの知る限り、ブロガーの1度のコメントの文字数上限は4千字強だったと思います。
 
ただ、今はパソコンが壊れていて、古いパソコンを引っ張り出して、ブラウザーもこれまでと違うものを使っているので、そういうことが原因になっているのかもしれません。せっかく長文を書いてくださったのに、ほんとうにもうしわけありません。そしてこのブログを読んでご自分の気持ちを伝えようとしてくださったことに、心から感謝します。
 
 
 
 
 

2021年2月6日

少数派の中の少数派の中の少数派・・・

 

ここでひとつのブログを紹介したい。

ミソフォニアの日常」という、過去にも少し触れたことのあるブログだ。

ブログの説明にも記されているように、「ミソフォニア、音嫌悪症と共に生きていくしかない日常と苦悩」

非常に意義のあるブログだと思う。

「音嫌悪」とは、簡単に言ってしまって申し訳ないが、このブログにも再三書かれているように、「いびき」「咀嚼音」「洟をすする音」「タイピングの音」「書類(或いは本など)を捲る音、「お茶を飲む音」などに接して、生理的な不快感を催すことを言う。
 
 
以下の投稿が興味を引いたので一部抜粋引用させていただく。
 
 
 
薬を飲むだけでゴックン!というでかい音が本当に必要でしょうか。
お茶漬けを食べるだけで、御茶碗にがっついてジュルジュル言わせながら食べる必要があるでしょうか。
飲み物のおいしさを表現したいがために、ゴキュゴキュとのどをいわせる必要が本当にあるでしょうか。
揚げ物のをおいしさを表現する方法は、サクサク、バリバリいわせるだけでしょうか。
食事をおいしそうに食べるのはいいですが、目をひんむいて大きな口を目いっぱいあけてがっつくのは不自然ではないでしょうか。
焼き菓子のおいしさを表現したいのは分かりますが、口に入れてからガリガリボリボリ言わせないといけないのでしょうか。
 
つまりここでも「その音」「その表現」は本当に必要なのか?妥当であるのか?という疑問が取り上げられている。
 
そして書き手が強調しているのは
 
他の障害と同様に、ミソフォニアや聴覚過敏、HSPといった障害への配慮をしてほしいというだけの話なのです。 

そして、視聴者側の結論となってしまいますが、今の状況で考える最善の策は、「テレビを見ない」という選択肢一択になります。

率直に言って、わたしには、ものを食べるときに発せられる音、せんべいを齧る音、そばを啜る音、味噌汁を飲む音に非常な抵抗と嫌悪感を示すということがわからない。しかし問題は、わたしがわかるとかわからないなどという次元ではなく、現にそのような音で苦しんでいる人が存在するということ。

それだけなのだ。 
 
昨日書いたように、わたしも様々な音に苦しめられている。けれどもわたしの症状にはまだ診断名が存在しない。
 
工事の音は言うまでもなく耐えられない。
そして「音の大きさ」という点に関して言えば、「電車やバスの車内でのアナウンス」、も決して「爆音」でも「轟音」でもない。しかしわたしには耐えられない。
 
加えて、わたしは電子音(?)というものに嫌悪感がある。例えば、券売機。電話の音声ガイダンス。そしてレジでの自動清算機の音。自治体が毎日数回定時に流すアナウンス(今なら、「不要不急の外出は控えましょう」といった類のこれまた「不要な」もの)。更にスマートフォンやタブレットなど、視覚的に嫌悪感を引き起こす物が加わる。
 
 
ことほど作用に、わたしは現代社会を蔑視し、敵視している。
 
 
ミソフォニアの症状があるときに、どれだけ絶望は身近なものとなりえるでしょうか。
ミソフォニアは、音を嫌悪し、憎むものです。
嫌悪する音が日々たくさん耳に入ってきて、激しい怒りの衝動に駆られながらも、我慢して我慢して、耐え忍ぶという毎日です。
これは絶望に値するのか。
難しい問題ですが、値すると言えるのではないでしょうか。
 
 
人によってはひとりになったときに、怒りを抑えきれずに、自身を激しく殴打することもあります。それは、まったく力の制御が効かないため、目いっぱいの力で自分の身体を殴打してしまうのです。

ですが、その怒りは本来自分に向けられているものではなく、その音そのものに向けられているものであり、ひいては音を出している人に向けられたものです
我慢できずに自分の身体を殴打してしまうほどの感情は、本来は音を出している人に向けられているのです。
つまり、本来は、音を出している人を殴打したいのです


たとえば今日、私は電車に乗っていました。ガムを噛んでいる人がいました。本当はその人を殴りたいと思っていました。それもかなりの衝動で、実際にこぶしを握っていました。もちろん、そんなことはせずに、我慢するのみです。

わたしもこの気持ちはよくわかる。プラットホームなどで、スマホに見入りながらのろのろと歩いている者を見ると、それが若い女性であっても、上記のような暴力衝動に駆られる。


ミソフォニアというだけで、周囲には全く理解されない深い深い苦しみがあります。
ですが、それを嘆いているだけでは現実は変わりません。
その対策を行い、理解を求めていくという行動によってのみ、道は切り開けるのです。
死に至る病であるということは否定できないものですが、あらがうことができないものでもありません。
ならば、できるだけあらがってみるしかないのです。
 
ここで彼が主張しているのが、
 
「耳に入ってくる嫌悪音を最小限にとどめるという努力をすることは、誰にでもできるのです。」
 
「その対策を行い、理解を求めていくという行動によってのみ、道は切り開けるのです。」
 
そして
 
「あまり深刻に考えすぎず、ひとりで苦しむのではなく、同じように苦しんでいる人たちもいるので、SNSでそういう人たちと話してみたり、ブログなどを読んでみると参考になる部分があると思います。
ツイッターでミソフォニアと検索すれば、たくさんの仲間が見つかります。
同じ苦しみを共有できるというのは、とても力になるものです。 」
 

彼の言っていることは確かにその通りだ。けれどもこれは、このブログを書いた男性のような「普通の人」が運悪く「ミソフォニア」という障害乃至精神疾患を持ってしまった場合には当てはまるだろうが、残念ながらわたしにはこのような途はない。

わたしにとっての「死に至る病」とは、「嫌悪すべき音」ではなく、いまという時代そのものなのだ。
そして今という時代を憎む者がどのように、他者の理解を得ることができるだろう。

現にわたしは、「ミソフォニアである彼の味方」であるはずのSNSも、ツイッターも、そして「ケンサク」することさえも嫌うのだ。
 
 
しかし同時に今尚、わたしは、生きている以上誰かと繋がりたいと希むのだ。
これは虫のいい話だろうか?現代社会を全否定しつつ、その中に生きている人と通じ合いたいというのは。
 
だとすれば、時流に阿ることのない以上、時代のしつらえたお仕着せを拒む以上、わたしに残された途はやはり、どのような形であるかはわからないが、孤立、そして「死」以外にはありえないのだろうか?
 
ある時代を憎む者は遂には時代に滅ぼされるだけなのだろうか?
あらゆる時代、人は、「今・このとき」に従順であらねばならないのか?
あらゆる人間は、畢竟、時代の産物でしかないのだろうか?
 
そしてわたしは滅びなければならないということを説明してくれる人間が存在しないのは何故か?
 

 
 
 
 

 

 

 

 

 

 
 

2021年2月5日

立春そしてわたしの立冬 (極個人的なこと)

 
昨日は暦の上では春のはじまり「立春」であったようだ。(わたしの机の前のカレンダーは輸入版である)。同じように日ごろからニュースに接することがないので、これも母から聞いたのだが、春一番が吹いたとかふかないとか。
 
いづれにしても暖かい日であった。
 
一月ぶりに医療センターに行って来た。断言はできないが今回が最後だろう。
以前書いたように、今わたしと話し合いを行っている医師は今年度いっぱいで異動になる。
つまり、3月の診察=話し合いがまだ残っているのだが、何故か、もういい、という気持になっている。
 
今日はバスと電車を使って行ったが、医師はわたしの乗り物恐怖とはどういうものかと尋ねた。
わたしは電車やバスの中で、途切れることなく流されるアナウンスが耳障りで仕方がない、と。
 
最近の状態に関して記したメモについては、確かにわたしの現在の状況で、抗鬱剤を使うことは意味のないことだろうと言っていた。しかし乗り物の「騒音」に対しては、或いは薬物療法は劇的な効果を表すかもしれない、無論まったく何も変わらないということも同じ確率であるのだが、試してみる意味はあるだろうと、薬を一種類処方してくれた。どのような作用があるのですか?と訊くと、音が脳内で増幅されるのを抑えるというのが主作用であるらしい。
 
これについては、わたしの乗り物恐怖、騒音嫌悪についての説明が足りなかったと反省している。 

確かに、バスに乗る際に、ヘッドフォンで音楽を聴き、更にその上から、遮音用のイヤーマフをつけると、騒音は8割方軽減される。そしてそれらの「騒音防止装置」無しで、同じ状態を作り出すことができるのなら、と思わないでもない。けれども、薬の作用で、ヘッドフォン+音楽+イヤーマフをつけているときとほぼ同じ音の感じ方にすることができても、わたしの「心理的な側面」はどうなるのだろう?
 
以前書いたことの繰り返しになるが、
 
数年前、母の通っている内科に行って、薬を処方してもらったことがある。
薬をもらうために薬局の中で待っていると、何処からか、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
わたしは落ち着かなくなって外で待とうとしたが、生憎の雨。結局薬局の人に頼んで、音を消してもらった。
 
音量としては、薬局内の小鳥の声は、電車やバスの車内のアナウンスとは比較にならないくらい小さなものである。わたしはそれが、脳内で増幅されて苛立ったのではない。
 
 何故、日没後の町中の薬局の中で、「小鳥のさえずりが聞こえているのか?」 わたしにはその意味が、その理由がわからなかった。その「そこにある音の意味の不在」が、わたしを不快にさせた。

小鳥のさえずり、せせらぎの音を、大きな音で流すところはないだろう。だから、これは音の大きさの問題ではない。

視覚的なノイズに対しても同じことが言える。「万引きは犯罪です!見つけ次第警察へ通報します!」という張り紙や、駅で見かける「痴漢は犯罪!」更には町中での「不法投棄禁止」「ポイ捨て禁止」といった張り紙を見ても、車内での「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」といった意味のない音声同様の強い抵抗がある。
 
いったい世界中何処の国でも、音声で、或いはポスターで、ああするなこうするなと、町のいたるところで注意が促され警告が発せられているのだろうか?
 
中島義道が、「(日本の)文化としての騒音」といったのはそういうことではないだろうか。
 
 
 
 
 
「猫額洞」さんのブログには確か「三信ビル保存」云々といったリンクが貼られていたはずだ。
三信ビルは、以前はJRの有楽町駅から日比谷方面に見えたモダンなビルで50年代の小津、成瀬の映画に出てくるようなアールデコ調の内装を施した瀟洒なビルであった。
もう取り壊されて10年ほどになるのだろうか。
50年代から60年代初頭の日比谷ー有楽町ー銀座界隈が、現在わたしたちが当時の映画で見るような町並みを誇っていたとしたら、なんとも豪華で華麗なことではないか!
 
大田区にいた当時、東京中(下町界隈を除く)を散策して回っていたわたしは、ある時佃島からの帰りだったか、息を呑むほどの美しい建物に出逢った。わたしはガードレールに腰をかけて、30分以上そのあまりにも見事な美しさを持つ建物に見入っていた。「病院で死ぬのだけは御免だが、ここなら・・・」とさえ思わせるアウラがあった。旧聖路加病院であった。
 
わたしは現在の聖路加ガーデンだか、聖路加タワーだかをまるで知らないが、いうまでもなく、当時の聖路加病院の美しさの足元にも及ぶまい。 

話がそれたが、描額洞さんのように、三信ビルを愛する感性を持つような人とすら、わたしは同調できない。

つまり、わたしの感性はあまりにも、あまりにも、誰とも似ておらず、先ほどの「音の問題」にしても、最後の一回で、医師に理解されるとも思えず、最早わたしの生きられる場所は何処にもないと・・・少なくとも、わたしの気持ちを誰かと共有することはありえないと、今日の医師との対話の中で感じたのだ。
 


バスの中から、町を歩く老若男女を眺めていて、一体この人たちと、わたしとの間にどのような共通項があるのだろうと考えた、無論町行く人それぞれの間にも、なんらの共通点も、接点もないだろう。一人一人がそれぞれの目的で歩いている。
けれども、町を行く人たち同士の相違以上に、わたしと彼等、彼女達との隔たり、距離は、より大きく感じられる。それはおそらくは、彼らは、どのような形であるにせよ、なんらかの形で、社会と、他者とのつながりを持つ人たちではないのか、ということ。それがホームレスであっても、重い障害を持った人であってもことは同じだ、彼等は幽かな細い糸一本ほどのものであっても「社会」と、そして「現在」と繋がっているのではないか。


おかしなもので、衰弱が進む中で、わたしは死に怯えている。最早どのような形にせよ、現代で人間らしく生きることは不可能だし、またそれを拒否しているにもかかわらず、死というものの、生々しさに圧倒されている。
わたしの冬が始まる・・・
 
 
 

 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 

2021年2月3日

最近の日常など

 
 
● 一日一日があまりにも長すぎてどうしようもない。12時間以上は布団の中にいるはずだが、それでもまだ一日の半分ほど残っていると思うと途方にくれる。
 
 
● 何もしたくない。
 
 
● 何もできない。
 
 
● 先月(1月)に入浴したのは、記憶にある限り4日のみ。入浴後はただただ、倦怠感だけが残る。 

 
● (わたしにとって)世の中に「たのしいこと」「おもしろいこと」「おかしいこと」「やりがいのあること」などなにひとつ存在しない。

 
● 食欲がない。最近は「食べること」が「仕事」のように感じられる。「まずくもおいしくもない」ただ胃を満たすためだけに食べている。味などわからない。本当を言えば、食べなくても済ませられるものなら何も食べたいとは思わない。
 
 
● 府中にいるときから、電車で二駅の主治医のところまで通うことができなくなっていて、年々できることが少なくなっている状態で、敢えて、「外出困難者の一人暮らし」をはじめたのは、もちろん家族問題もあるが、何よりも、母の負担を少なくできればという気持ちからだった。
 けれどもこれでは、13年前、大田区からはじめて多摩に移ってきたときに住んだ東中神のURでまったく動けなくなってしまって、母に毎日通ってきてもらっていたときと変わらない。
 
 
● 眼圧が高い状態が続いているので、また来週(12月の第2週か第3週)診せに来てくださいね。
といわれていたにもかかわらず、今に至るもいけていない。理由は12月後半から急速に悪化した「乗り物恐怖」のためだ。バスや電車に乗るのも本当に命懸けである。
母は「タクシーを使って」と言ってくれるが、ここから西国分寺まで片道約3千円(往復6千円)。
そんな大金を使ってまで治す目は誰の目だ?と、そもそも生きる意味を見出しかねている者はどうすべきなのか?と、ひたすら悩み、考えている。
 
「緑内障の悪化」といわれても、目以前に、そもそも自分の存在自体に懐疑的・・・更に言うなら、「いない方がいい人間」 とすら考えている者の気持ちなど誰に通じるだろう?
 
 
わたしの口から屡こぼれる言葉は、「楽になりたい」。
一体何から楽になりたいのか?そして「楽になった状態」とはどのような状態をさすのか?
 
実際生きることは地獄である。だから厳密に言えば「生き地獄」という表現はトートロジーであるはずだ。
生きていることが即ち地獄であるとしたら、心からの安息、休息というものは死後にしか訪れない。(というわたし自身、死ねば無になると考え、また信じているのだが)
わたしは馬込にいたころから、大好きな部屋に住み、生涯の親友を持っていた頃から、母に対して、「生きていることの苦しさ」を訴えていた。そしてわたしの胸のそこに常に、「死」というものが横たわっていることも伝えた。もっとも、伝える前から母は察していたかもしれないが・・・
 
 
上記のような訴えから、医師はわたしに抗欝剤の使用を勧めるかもしれない。
確かに毎日が苦しくて仕方がないが、わたしが呟く「楽になりたい」ということの意味は、抗欝剤を使って状態を少しでもいい方向へ、ということではないような気がしてならない。
わたしの苦しさの大本は、孤独であること。孤独がわたしを無気力にさせている。
では何故こうまで孤独なのか?それは何度も書いたようにわたしの主訴が「他者と良好な関係を築くことができない。たまさかいい関係が築けたとしてもそれを維持することができない」から。
わたしのこれまでの人生がこの分析の正しさを証明している。
そして主治医は抑うつ状態ひいては鬱状態は、上記のように、他の人間と繋がる事の困難さに起因する、と。

故に浴びるほど抗鬱剤を飲んだところで、他者と良好な関係が築けない以上、わたしの抑うつ状態は解消されることはない。
 
 
わたしはヘンリー・ライクロフトのように、自分の人生を「つまらない人生だった」と一言で切って捨ててしまいたくはない。
 
この人たちと出会えただけでもわたしの人生には意味があったと思える人がいるからだ。
 
母と、高校時代からの友人と、40代の6年間を共に過ごしてくれた親友だ。
 
もちろんこの3人だけはわたしを愛してくれていたなどという確信などない。
 
それが錯覚でも誤解でもかまわない。人は知らず、わたしは真実だけではとても生きてはゆけない。
 
 
◇◆◇ 



I have been a rover
I have walked alone
Hiked a hundred highways
Never found a home
Still in all I'm happy
The reason is, you see
Once in a while along the way
Love's been good to me

There was a girl in Denver
Before the summer storm
Oh, her eyes were tender
Oh, her arms were warm
And she could smile away the thunder
Kiss away the rain
Even though she's gone away
You won't hear me complain

I have been a rover
I have walked alone
Hiked a hundred highways
Never found a home
Still in all I'm happy
The reason is, you see
Once in a while along the way
Love's been good to me

There was a girl in Portland
Before the winter chill
We used to go a-courtin'
Along October hill
And she could laugh away the dark clouds
Cry away the snow
It seems like only yesterday
As down the road I go

I've been a rover
I have walked alone
Hiked a hundred highways
Never found a home
Still in all I'm happy
The reason is, you see
Once in a while along the way
Love's been good to me
Love's Been Good To Me 
Song by Frank Sinatra
 
このシナトラの名曲のように、わたしも終に、安息の地(ホーム)を見つけることはできませんでした。また、この男性のように、時折、優しさや親切に援けられたのかどうかもわかりません。でもひょっとしたら、そうだったのかもしれません。
 
いや。そうじゃない。上の3人、そして祖母を除いた一体誰がこれまでの人生で真にわたしに親切にしてくれたというのか?やさしくしてくれたというのか?上の歌はあくまでもアメリカの詩人によるアメリカの詩だ。あくまでもシナトラが歌うアメリカの歌だ。わたしは訝る、そもそも日本に「親切」だとか「やさしさ」などということばがあるのか、と。
思い返せば憎しみや、殺してやりたい奴ばかり。 
自分の国には決して存在しないことを歌っているから、この歌がいっそう素晴らしく感じられるのだ。