2021年2月3日

最近の日常など

 
 
● 一日一日があまりにも長すぎてどうしようもない。12時間以上は布団の中にいるはずだが、それでもまだ一日の半分ほど残っていると思うと途方にくれる。
 
 
● 何もしたくない。
 
 
● 何もできない。
 
 
● 先月(1月)に入浴したのは、記憶にある限り4日のみ。入浴後はただただ、倦怠感だけが残る。 

 
● (わたしにとって)世の中に「たのしいこと」「おもしろいこと」「おかしいこと」「やりがいのあること」などなにひとつ存在しない。

 
● 食欲がない。最近は「食べること」が「仕事」のように感じられる。「まずくもおいしくもない」ただ胃を満たすためだけに食べている。味などわからない。本当を言えば、食べなくても済ませられるものなら何も食べたいとは思わない。
 
 
● 府中にいるときから、電車で二駅の主治医のところまで通うことができなくなっていて、年々できることが少なくなっている状態で、敢えて、「外出困難者の一人暮らし」をはじめたのは、もちろん家族問題もあるが、何よりも、母の負担を少なくできればという気持ちからだった。
 けれどもこれでは、13年前、大田区からはじめて多摩に移ってきたときに住んだ東中神のURでまったく動けなくなってしまって、母に毎日通ってきてもらっていたときと変わらない。
 
 
● 眼圧が高い状態が続いているので、また来週(12月の第2週か第3週)診せに来てくださいね。
といわれていたにもかかわらず、今に至るもいけていない。理由は12月後半から急速に悪化した「乗り物恐怖」のためだ。バスや電車に乗るのも本当に命懸けである。
母は「タクシーを使って」と言ってくれるが、ここから西国分寺まで片道約3千円(往復6千円)。
そんな大金を使ってまで治す目は誰の目だ?と、そもそも生きる意味を見出しかねている者はどうすべきなのか?と、ひたすら悩み、考えている。
 
「緑内障の悪化」といわれても、目以前に、そもそも自分の存在自体に懐疑的・・・更に言うなら、「いない方がいい人間」 とすら考えている者の気持ちなど誰に通じるだろう?
 
 
わたしの口から屡こぼれる言葉は、「楽になりたい」。
一体何から楽になりたいのか?そして「楽になった状態」とはどのような状態をさすのか?
 
実際生きることは地獄である。だから厳密に言えば「生き地獄」という表現はトートロジーであるはずだ。
生きていることが即ち地獄であるとしたら、心からの安息、休息というものは死後にしか訪れない。(というわたし自身、死ねば無になると考え、また信じているのだが)
わたしは馬込にいたころから、大好きな部屋に住み、生涯の親友を持っていた頃から、母に対して、「生きていることの苦しさ」を訴えていた。そしてわたしの胸のそこに常に、「死」というものが横たわっていることも伝えた。もっとも、伝える前から母は察していたかもしれないが・・・
 
 
上記のような訴えから、医師はわたしに抗欝剤の使用を勧めるかもしれない。
確かに毎日が苦しくて仕方がないが、わたしが呟く「楽になりたい」ということの意味は、抗欝剤を使って状態を少しでもいい方向へ、ということではないような気がしてならない。
わたしの苦しさの大本は、孤独であること。孤独がわたしを無気力にさせている。
では何故こうまで孤独なのか?それは何度も書いたようにわたしの主訴が「他者と良好な関係を築くことができない。たまさかいい関係が築けたとしてもそれを維持することができない」から。
わたしのこれまでの人生がこの分析の正しさを証明している。
そして主治医は抑うつ状態ひいては鬱状態は、上記のように、他の人間と繋がる事の困難さに起因する、と。

故に浴びるほど抗鬱剤を飲んだところで、他者と良好な関係が築けない以上、わたしの抑うつ状態は解消されることはない。
 
 
わたしはヘンリー・ライクロフトのように、自分の人生を「つまらない人生だった」と一言で切って捨ててしまいたくはない。
 
この人たちと出会えただけでもわたしの人生には意味があったと思える人がいるからだ。
 
母と、高校時代からの友人と、40代の6年間を共に過ごしてくれた親友だ。
 
もちろんこの3人だけはわたしを愛してくれていたなどという確信などない。
 
それが錯覚でも誤解でもかまわない。人は知らず、わたしは真実だけではとても生きてはゆけない。
 
 
◇◆◇ 



I have been a rover
I have walked alone
Hiked a hundred highways
Never found a home
Still in all I'm happy
The reason is, you see
Once in a while along the way
Love's been good to me

There was a girl in Denver
Before the summer storm
Oh, her eyes were tender
Oh, her arms were warm
And she could smile away the thunder
Kiss away the rain
Even though she's gone away
You won't hear me complain

I have been a rover
I have walked alone
Hiked a hundred highways
Never found a home
Still in all I'm happy
The reason is, you see
Once in a while along the way
Love's been good to me

There was a girl in Portland
Before the winter chill
We used to go a-courtin'
Along October hill
And she could laugh away the dark clouds
Cry away the snow
It seems like only yesterday
As down the road I go

I've been a rover
I have walked alone
Hiked a hundred highways
Never found a home
Still in all I'm happy
The reason is, you see
Once in a while along the way
Love's been good to me
Love's Been Good To Me 
Song by Frank Sinatra
 
このシナトラの名曲のように、わたしも終に、安息の地(ホーム)を見つけることはできませんでした。また、この男性のように、時折、優しさや親切に援けられたのかどうかもわかりません。でもひょっとしたら、そうだったのかもしれません。
 
いや。そうじゃない。上の3人、そして祖母を除いた一体誰がこれまでの人生で真にわたしに親切にしてくれたというのか?やさしくしてくれたというのか?上の歌はあくまでもアメリカの詩人によるアメリカの詩だ。あくまでもシナトラが歌うアメリカの歌だ。わたしは訝る、そもそも日本に「親切」だとか「やさしさ」などということばがあるのか、と。
思い返せば憎しみや、殺してやりたい奴ばかり。 
自分の国には決して存在しないことを歌っているから、この歌がいっそう素晴らしく感じられるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 

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