2021年2月14日

「性格とは運命である」

 

毎日が苦しい。この苦しみから少しでも楽になれたらと強く思う。
 
ここに書くことで今の心の状態を少しでも整理できればとページを開いたが、そこにはただもつれにもつれた糸の塊が転がっているようで、頭と胸の裡の混沌を解きほぐす糸口などは見つかりそうもない。
故に思いついたままを断片的に記して行こうと思う。
 
真っ先に思うのは、わたしの弱さだ。ここに来て、苦しいなどといっていること自体がお笑い種のようにすら思える。いったいこれまでここでわたしが書いてきたことはなんだったのか?これでは所詮は口先だけの男と思われても仕方がない。
 
本来はこういうことはもう少し気分が安定しているときに書いたほうがいいとも思う。不安と混乱の中で書くことは、徒に自己と他に対して攻撃的になり勝ちだから。
 
しかしあえて今、覚束ない足元の上に立って書くことが、わたしの真の闇を明らかにすることになるのではないかと考えるのだ。確かに、心の闇イコール真のわたしとは言えないかもしれない。けれども、気分が軽いときに書くよりも・・・と思うのだ。


先ず「楽になりたい」というのは具体的にはどういうことを言うのか?
おそらくは一日の果てしのない長さを感じないようになること。そして、嘗てのように自由に本が読め、映画が観られるようになること。

では今現在それを妨げているものは何か?
 
おそらくは凍て付くような孤独・孤立。
 
何があなたを孤独にし、孤立させているのか?
 
いちばんわかりやすく誰もが納得する答えは、わたしが、「今・現在」を、即ち「現代社会」を憎み、嫌悪していること。
 
 
現代社会を憎み、そのために、孤立し、抑うつ状態に陥っているのは当然のことなのだろうか?
 
しかしアメリカなどで、「国旗を燃やす自由」が認められている(州がある?)」と聞くが、いまわたしの両足を支えている「この国」を嫌うことは直ちに「孤立」を意味するのだろうか?
 
 
色々な人のブログを読んでみても、「目指せ社会復帰」という声はいたるところで耳にするが、「社会を憎んでいる者」を見たことがない。
また図書館のホームページで、「引きこもり」に関する数百冊の本の中から、気になったタイトルの本の簡単な紹介を読んでも、いったいわたしは巷間言われている「引きこもり」なのだろうかという疑問が募るばかりだ。
 
そもそもわたしの外出を困難にしている、「現代社会の在り方」・・・例えばスマートフォンの氾濫であるとか、電子音声の洪水であるとか、そんなことによって外に出られない者を一般の「引きこもり」と同列に扱うことができるだろうか?
外に出られるようにサポートすると謳っている行政・民間の機関は少なくないようだが、そういうところで、わたしの症状が劇的に(或いは段階的にであっても)軽快するのだろうか?
 
 
わたしは現代社会を嫌っている。その中には、府中市であれ、立川市であれ、何故こう無用な防犯(防災防疫)の放送を飽きもせずに毎日毎日市内中に流すのか?そのセンスのなさに辟易しているということも含まれている。「子供たちの下校時刻になりました、市民の皆様の見守りで、子供たちの安全を守りましょう」という放送に一体何の意味が、効果があるのか?
 
そして先日も書いたが、立川市の障害福祉課に電話をした際、担当者が不在で、後から電話があり、わたしに向かっての第一声は「先ほどお話は××からざっくりお聞きしましたけど・・・」
 
この言葉が忘れられずに、なかなか市役所に電話ができない。この女性がこの地区の担当者なので、別の人を、ということもできない。
 
 
以上、くどくどと書いてきたが、「楽になりたい」とは言いながら、誰にもこれからどうすればいいのか相談することができない。
 
そして、上記のことをひとまず措いて、相談をして、「デイケア」とか「作業所」或いは「地域活動支援センター」のようなところを紹介されたとしても、わたしは今の世の中のことをほとんど何も知らない。
バスや電車に乗るときに、小銭を使わずに乗ることができない。固定電話か、公衆電話以外の電話の掛け方を知らない。そして、最近の言葉のほとんどを知らない。テレビを見ない、ラジオを聴かない、新聞は敢えて見ないようにしている(読むと気が滅入って仕方がないので)、インターネットでニュースを見ることも一切していない。自分には不必要だと思われるニュースが多すぎるからだ。
 
だからわたしは誰と、どんな話ならできるのか?皆目見当もつかない。
 
わたしは様々な精神疾患、障害をもった人たちに比べて、あまりにも何も知らなすぎる。
 
 
これらのことをまとめると、わたしの外出困難は通常の「引きこもり」とは異なるということ。そしてなぜわたしが現代社会を憎むのかを掘り下げ、分析できる医師なり心理士に出会うことはないだろうということ。
そしてどうしても自由に外に出たいと希むのなら、文字通り、僻地僻村へ行くか、海外移住以外の選択肢は思いつかないということ。
 
そして
 
わたしは今の社会の仕組みについてまったく無知であるということ。
今後も、支払いは全て、現金で通すつもりであるということ。
このような事情から、障害者健常者を問わず、話の通じる人間を見つけるのは至難の業であろうということ。
 
 
「性格は運命である」・・・故に、こののたうつような苦しみもまた、微塵もわたしのせいではないということ。
 
 
 
 
 
 
 
 



0 件のコメント:

コメントを投稿