2021年2月5日

立春そしてわたしの立冬 (極個人的なこと)

 
昨日は暦の上では春のはじまり「立春」であったようだ。(わたしの机の前のカレンダーは輸入版である)。同じように日ごろからニュースに接することがないので、これも母から聞いたのだが、春一番が吹いたとかふかないとか。
 
いづれにしても暖かい日であった。
 
一月ぶりに医療センターに行って来た。断言はできないが今回が最後だろう。
以前書いたように、今わたしと話し合いを行っている医師は今年度いっぱいで異動になる。
つまり、3月の診察=話し合いがまだ残っているのだが、何故か、もういい、という気持になっている。
 
今日はバスと電車を使って行ったが、医師はわたしの乗り物恐怖とはどういうものかと尋ねた。
わたしは電車やバスの中で、途切れることなく流されるアナウンスが耳障りで仕方がない、と。
 
最近の状態に関して記したメモについては、確かにわたしの現在の状況で、抗鬱剤を使うことは意味のないことだろうと言っていた。しかし乗り物の「騒音」に対しては、或いは薬物療法は劇的な効果を表すかもしれない、無論まったく何も変わらないということも同じ確率であるのだが、試してみる意味はあるだろうと、薬を一種類処方してくれた。どのような作用があるのですか?と訊くと、音が脳内で増幅されるのを抑えるというのが主作用であるらしい。
 
これについては、わたしの乗り物恐怖、騒音嫌悪についての説明が足りなかったと反省している。 

確かに、バスに乗る際に、ヘッドフォンで音楽を聴き、更にその上から、遮音用のイヤーマフをつけると、騒音は8割方軽減される。そしてそれらの「騒音防止装置」無しで、同じ状態を作り出すことができるのなら、と思わないでもない。けれども、薬の作用で、ヘッドフォン+音楽+イヤーマフをつけているときとほぼ同じ音の感じ方にすることができても、わたしの「心理的な側面」はどうなるのだろう?
 
以前書いたことの繰り返しになるが、
 
数年前、母の通っている内科に行って、薬を処方してもらったことがある。
薬をもらうために薬局の中で待っていると、何処からか、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
わたしは落ち着かなくなって外で待とうとしたが、生憎の雨。結局薬局の人に頼んで、音を消してもらった。
 
音量としては、薬局内の小鳥の声は、電車やバスの車内のアナウンスとは比較にならないくらい小さなものである。わたしはそれが、脳内で増幅されて苛立ったのではない。
 
 何故、日没後の町中の薬局の中で、「小鳥のさえずりが聞こえているのか?」 わたしにはその意味が、その理由がわからなかった。その「そこにある音の意味の不在」が、わたしを不快にさせた。

小鳥のさえずり、せせらぎの音を、大きな音で流すところはないだろう。だから、これは音の大きさの問題ではない。

視覚的なノイズに対しても同じことが言える。「万引きは犯罪です!見つけ次第警察へ通報します!」という張り紙や、駅で見かける「痴漢は犯罪!」更には町中での「不法投棄禁止」「ポイ捨て禁止」といった張り紙を見ても、車内での「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」といった意味のない音声同様の強い抵抗がある。
 
いったい世界中何処の国でも、音声で、或いはポスターで、ああするなこうするなと、町のいたるところで注意が促され警告が発せられているのだろうか?
 
中島義道が、「(日本の)文化としての騒音」といったのはそういうことではないだろうか。
 
 
 
 
 
「猫額洞」さんのブログには確か「三信ビル保存」云々といったリンクが貼られていたはずだ。
三信ビルは、以前はJRの有楽町駅から日比谷方面に見えたモダンなビルで50年代の小津、成瀬の映画に出てくるようなアールデコ調の内装を施した瀟洒なビルであった。
もう取り壊されて10年ほどになるのだろうか。
50年代から60年代初頭の日比谷ー有楽町ー銀座界隈が、現在わたしたちが当時の映画で見るような町並みを誇っていたとしたら、なんとも豪華で華麗なことではないか!
 
大田区にいた当時、東京中(下町界隈を除く)を散策して回っていたわたしは、ある時佃島からの帰りだったか、息を呑むほどの美しい建物に出逢った。わたしはガードレールに腰をかけて、30分以上そのあまりにも見事な美しさを持つ建物に見入っていた。「病院で死ぬのだけは御免だが、ここなら・・・」とさえ思わせるアウラがあった。旧聖路加病院であった。
 
わたしは現在の聖路加ガーデンだか、聖路加タワーだかをまるで知らないが、いうまでもなく、当時の聖路加病院の美しさの足元にも及ぶまい。 

話がそれたが、描額洞さんのように、三信ビルを愛する感性を持つような人とすら、わたしは同調できない。

つまり、わたしの感性はあまりにも、あまりにも、誰とも似ておらず、先ほどの「音の問題」にしても、最後の一回で、医師に理解されるとも思えず、最早わたしの生きられる場所は何処にもないと・・・少なくとも、わたしの気持ちを誰かと共有することはありえないと、今日の医師との対話の中で感じたのだ。
 


バスの中から、町を歩く老若男女を眺めていて、一体この人たちと、わたしとの間にどのような共通項があるのだろうと考えた、無論町行く人それぞれの間にも、なんらの共通点も、接点もないだろう。一人一人がそれぞれの目的で歩いている。
けれども、町を行く人たち同士の相違以上に、わたしと彼等、彼女達との隔たり、距離は、より大きく感じられる。それはおそらくは、彼らは、どのような形であるにせよ、なんらかの形で、社会と、他者とのつながりを持つ人たちではないのか、ということ。それがホームレスであっても、重い障害を持った人であってもことは同じだ、彼等は幽かな細い糸一本ほどのものであっても「社会」と、そして「現在」と繋がっているのではないか。


おかしなもので、衰弱が進む中で、わたしは死に怯えている。最早どのような形にせよ、現代で人間らしく生きることは不可能だし、またそれを拒否しているにもかかわらず、死というものの、生々しさに圧倒されている。
わたしの冬が始まる・・・
 
 
 

 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
 
 

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