2019年10月30日

ALL I NEED IS...


Scene from Taxi Driver

or 

Couple walking, Park Avenue, 1960, Roy DeCarava. African - American Photographer (1919 - 2009)



底彦さんへ


「ふたつさん、Junkoさん、底彦さんへ」へのコメントをありがとうございました。

お返事を書こうと、今まで、約1時間半ほど、ああでもないこうでもないと、書いては消しまた書いては考えなおしして、一向に考えがまとまりません。

辛うじて言えることは、今のわたしにとって、ブログを書くということがどういうことかわからなくなっているということ。

父のケア・ハウスへの入居準備が着々と進んでいる中、いまのわたしの頭の中は、「わたしさえいなければ」「わたしさえいなければ・・・」ただそれだけで占められています。つまり現時点に関しては言い切ってもいいと思いますが、わたしの心は真っ直ぐに「死」に向かっているということ。結局死ねない(死なない)かもしれない。けれども、11月を間近に控え、今年もあと2か月。来年、2020年も「まだ」生き永らえていることを思うと、ほんとうにたまらない気持ちになるのです。

そんな中で、底彦さんの指摘があったように、ブログを書くということは、なにがしか生産的な営為です。つまりそれは現在のわたしのこころとからだの状態に抗い逆らって書くことになるのです。

一途に死を希む者が、なにかを産み出そうとする・・・
その意味が、わたしには見いだせないのです。



ー追伸ー

>あらためて今回, Takeo さんの心に土足で踏み込むような文章を書いてしまったことに打ちのめされています. 取り返しの付かない無礼をはたらいてしまった.

せんだっても、底彦さんは同じようなことを書かれていましたが、わたしにはいったい底彦さんが何を仰っているのかさっぱりわからないのです・・・

この部分での食い違いがあるのでしょう。底彦さんは、わたしのブログを褒めてくれる。わたしのブログは心の安らぎであり慰藉である、と。けれども、底彦さんは、わたしが何故ブログを書かないのか?ひょとして「書かない」のではなく、「書けない」のではないか、ということに思いを巡らせてくれたでしょうか?
このブログは不思議と心が和らぐ、是非続けてもらいたい・・・しかしその書き手の抱えている苦しみについて一言でも触れてくれたでしょうか?

昔MySpaceで、わたしが落ち込んでいて、ステータスの箇所にLeave me alone...と書きました「そっとしておいてくれ」「ほっといてくれ」と、すると、当時まだ10代だった、アメリカのアンナという女性が声をかけてきました。「ほっといてくれ」と書いているのに、声をかけてくれたんだね。」というとアンナは「だって友達じゃないか、ほっとけないよ・・・」わたしは[Leve me alone]と下げられている札をあえて無視してドアをノックしてくれたアンナの心遣いがうれしかった。

・・・ことほど左様に人間関係は難しいということです。

わたしに底彦さんを批判する資格はありません。

久しぶりにカーペンターズのCDを聴きました。

原題はI Need To Be In Love. その中の一節が好きです。


I know I ask perfection of a quite imperfect world...














2019年10月22日

ふたたび還らず


先週見学に行ったケア・ハウスがマァマァの場所であったらしく、父も渋々、厭々、仕方なくという感じではなさそうだったということで、一応父の行く先の目処は立った。
問題は、父が出た日からわたしの居場所がなくなるということ。
何度も書いているように、弟は一人暮らしができないにもかかわらず、わたしと一つ屋根の下に暮らしていると、わたしが何をするかわからないということで、(わたしの)主治医の同意もあり現在別のところに住んで、毎日ここまで自転車で10キロの道のりを通ってきている。しかし、朝9時から午後2時までを過ぎれば、また明日の朝まで弟は一人ぼっちいなる。だから家に電話を掛けてくる。つまりもう彼の現在の生活も限界に来ている。また父も、今回それほど悪くない居場所を見つけることが出来た。今を逃して、もっと状態が悪くなった時に、都合よく、いろんな点で同じくらいのレベルの場所が見つかる可能性は低いだろう。

すべての問題は、わたしが、父と住めない、弟と住めないという一点にある。
だからわたしは出ていくべきだし、そうすれば、それがこの世から去るジャンピングボードになるかもしれない。

現在の状況では、1年も持たずに何かが起こるだろう、そして父と入れ替わりに弟が戻ってくれば更にその確率は高くなる。

わたしは出なければならない。けれども、母は、弟は、わたしを追い出すような形になってまで(=彼が戻るーわたしが出てゆく)戻っては来ないだろうと。たとえ自分の症状が悪化しても。

要は何の前触れもなくわたしが消えればいいのだ。
何もほのめかすことなく、ちょっと駅前の美容室に髪を切りに行ってくるよ、とかなんとか言ったきり2度と戻らなければ、父はケア・ハウスに行き、弟はいなくなってしまった者のことで、いつまでもくよくよもしていられないだろうから(?)ここに戻ってくる。

もうそれしか考えることはできない。

わたしはいったいいつまで母を肉体的に、精神的に苦しめれば気が済むのか?

せめて「わたし」という「化け物」亡き後、1年でも、母に自由な時間を持って欲しい。
もうそれしか望むことはない。



2019年10月20日

何も知らない・・・


明日(日曜日)両親と、地域包括支援センターの「若い」職員と弟の4人で、埼玉県まで、父のケア・ハウスの見学に行く。詳しいことは知らないが、そこに行くことが決まれば、前にも書いたように、現在わが家の全収入である父の年金をすべてそちらのために使うことになる。今後金はびた一文入ってこない。「金の切れ目が(この世との)縁の切れ目」だと母は言う。それはいい。けれども、カツカツに暮らしていけば1年くらいは持つのかもしれない。持たなければそれもいい。
問題は、父と入れ替わりに、弟がこちらに戻ってくることだ。
弟は今立川に別に住んでいる。それは同じ屋根の下に住んでいると、わたしが何をするかわからないからだ。別居はわたしの主治医の意見でもある。
つまり父の行く先が決まった瞬間からわたしの居場所はなくなるということだ。
それもいいだろう。
死ねない死ねないと言っていても、外堀からじわじわと埋めてゆけばよい。

ところで、自分が手に掛けるかもしれない父や弟が今、突然の事故や病気で死んだら、
きっとわたしは悲しいだろう。その悲しさは、結局自分の狭量さ、あくまでも寛容になれなかったことへの後悔と、彼らのことを何ひとつ知らずに別れを迎えることになってしまったことに対してだ。

「理解することは許すことだ」というパスカルの言葉が好きだ。

わたしは父とも、弟とも、文字通り、子供の時から一言も言葉を交わさずに嫌ってきた。
けれども、母と父がそうであるように、生きている内に、わたしが弟の、また父の内面を知ることはないだろう。

明日、もし父のことが決まれば、わたしはいつ、どこへ旅立つのだろう。




2019年10月19日

「障害」「性」そして「生」 ー 気狂いだってセックスしたい


目がよく見えないせいで、資料を参照・引用する文章を書くことが徐々に難しくなっている。

昨日の保健士二人との2時間近くに及ぶ話し合いで、そろそろ本気で、「仕舞い時」を考えなければならないと感じた。
そもそも「デジタル・ネイチャー」と呼ばれるひとたちに、極度の「デジタル・ヘイター」の生き難さが理解できるはずがない。けれどもそれは、わたしよりも20歳±年の離れた彼/彼女らの責任ではない。

最近は気分の振幅が大きく感じられる。けれども、膨らんだふうせんも、ちょっとしたことで破裂してしまう。風船がある程度の大きさのままに保たれるということは考えにくい。

◇

資料を使った記事を書くのが困難であると言ったのは、例えば先週の『東京新聞』に掲載された「春画」に関する記事を抜粋し、引用することの困難さとして現れている。

記事の分量としては文庫本サイズの見開き2ページ分くらいだろうか?

簡単に頭の中でまとめると、2015年に20万人を動員した日本初の本格的な「春画展」は、そもそも大英博物館から巡回してきたものだが、その実現までに3年以上を要した。2013年に成功を収めた大英博物館の「春画展」の日本開催は、公立、私立を含め20以上の美術館に断られた。その3年間の経緯を追ったドキュメンタリー映画『春画と日本人』が、現在「18歳以下入場禁止」という制約付きで、東京の「ポレポレ東中野」で上映されている。

「春画展」を断った美術館の言い分は「美術館のイメージが悪くなる」「逮捕者が出るかもしれない」(おそらく主催者側に、という意味だろう)「クレームが来たらどうする」というようなものだった。

「ポレポレ東中野」HP

この映画、観に行きたいが、残念ながら無理だろう。新聞によると「DVD化の予定もない」とのこと。
先程、主治医に電話をして、「また母に薬を取りに行ってもらいます。昨日の保健士との面談のこと、デイケアのこと、人の悩みを「娯楽」にする「招かれざる客」たち・・・お話したいことはいろいろあるんですが、とてもそちらまで(電車に乗って)伺えません。」と言い訳をして予約を取ったところだ。無論主治医はわたしを気遣ってくれている。「電車に乗れないので・・・」というと「そうですか・・・」と声を落としていた。

◇

最近しばしば考えるのは、障害者と性=SEXのことだ。

無論一般論としてではない。わたし自身の問題として切実に考えている。

先日都立中央図書館に資料調査のメールを送った。

■質問内容

「障害者と性」というテーマでの本を探しています。もっと厳密に言うと、「精神障害」と「性」との関係です。広く言えば、鬱病など、何事にも無気力無関心そして「欲望」「意欲」というものが極度に低下・減退している状態に対して、「性」乃至、「恋愛的なもの」が何らかの自然治癒力を高める役割を果たすということがあるのか?といったことです。
これは精神障害に限らず、特養にいるお年寄りなどにも言えることかと思います。
昔の新聞記事で、老人ホームで「ポルノ映画会」を催したところ、上映後の皆の顔が生き生きとしてきたというレポートが掲載されていました。
また広く、人間の生にとって「性」の果たしうる効用とは、ということにも関心があります。
以上のような観点からジャンルを問わず、「精神状態」と「性」についての資料の調査をよろしくお願いします。

◇

インターネットで、「障害者とセックス」などのキーワードで検索したところ、ほとんどすべての「障害者」=「肢体不自由」「脳性麻痺」つまり「身体障害者」及び「重度の知的障害」のことで、「精神障害者の性(セックス)」について言及したものを見つけることができなかった。(無論これは「デジタル・ヘイター」たるわたしの検索能力の不足に依るものでもあるだろうが)

その中で、ふたつの映画についての記事を見つけた。

ひとつは、『パーフェクトレボリューション』という映画についてのクローズアップ現代の記事。

「障害者と恋とセックスと」〔2017年9月25日放映〕

主演を演じたリリー・フランキーの言葉

「手が触れ合うだけで生きていきたいって思える」この言葉に100%共鳴する。


◇

次は『セッションズ』ーこの作品は実話に基づいて作られている。



これは図書館には在庫はなさそうだ、何故なら「R+18」指定になっている「成人用映画」を図書館が購入するとは思えない。

日本の伝統文化「春画」でさえ「わいせつ」と見做す美術関係者が少なくないのだから。

◇

上記の「パーフェクトレボリューション」そしてこの「セッションズ」も、
意地の悪い見方をすれば、「いいお話」「ラッキー・ストーリー」と言えるだろう。

けれども、諸外国のように、努力はしたが運が無かった、というのと、端から、「障害者の性」というだけで、分厚い偏見・差別の立ちはだかる国とでは「アンラッキー」の質からして違う。

また両者とも、主人公は障害者であっても、狂人ではないし、変人でも変態でもない。

◇

さて、単刀直入に、「キミはセックスがしたいのか?」と訊かれれば、わたしの答えは、「イエス」でありまた「ノー」(I dont know)だろう。

わたしはセックスの経験はあっても、それで身体的・情緒的満足を得た経験が一度もない。SEXでエクスタシーを感じたことがない。無論精神的充足感 ー(心と心のつながりを感じたことも・・・)

「あなたは今「性欲」に翻弄されているのか?」と訊かれれば、「ノー」(Maybe...)と答えるだろう。

わたしはでは一体何を望んでいるのか?何を求めているのか?

「全き抱擁」とは何を意味するのか?

簡単なことだ、人として、男性として、同じ人間から「身も心も愛され得る存在であるという歓び」だ。

しかし残念なことに、わたしは身も、心も、「化け物」であることを知っている。

わたしが裸になれば、10人中9人の女性が目を覆うだろう。20人いれば19人が。30人なら29人が。「何故皆がと言わないのか?」と言われれば、「全ての人間が全く同じ」だとは考えたくない、「例外」がいたっていいじゃないか、というそれだけの理由だ。
自分の身体にわたしは強烈な劣等感と羞恥心を抱いている。

そんな激しい劣等感と恥の意識、そして相手を不快にさせているのではないかという不安を抱えたまま抱き合ってもセックスのよろこびや一体感など味わえるはずはない。

◇

『セッションズ』のページには以下の文章がある。


「セックス・サロゲート」(日本語で訳すと「性治療師」)という職業は、日本ではまだあまり馴染みがなく、映画を観て知った方も多いのではないでしょうか。

「セックス・サロゲート」の具体的な仕事内容は「セッションズ」と同じで、性生活に不安や悩みがある人を対象にセラピーやレッスンを行い、必要であればその過程で相手とのセックスも行います。

この手法に対して、一部からは批判の声も挙がっていますが、現在アメリカやオーストラリアなどでは職業として認知されつつあります。

障害者の性的介助に関してはヨーロッパではごく一般的に行われるようになっていますが、日本はこういった面ではまだまだ後進国と言えます。
(下線・太字Takeo)


ー追記ー

『春画と日本人』は是非観たかった映画だが、『パーフェクト・レボリューション』『セッションズ』は特に観たいとは思わない。しかし「セックス・サロゲート」という仕事(?)制度(?)にはとても興味がある。









2019年10月18日

ふたつさん、Junkoさん、そして底彦さん、瀬里香さんⅡ


今日はデイケアで、「カラオケ」をやってきました。デイケアでディスカッション以外のリクリエーションに参加するのは初めてです。
午後から、曇り空の中外に出ると、玄関を開けたとたんに金木犀の香りがしました。
しかし、やはり心は浮き立つことはない。昨年金木犀の香りに触れた頃は、確か半袖のTシャツをきていました。ここのところ降りやまぬ雨。それでもまだ金木犀の香りには魅力があります。それは懐かしさではありません。プルーストの「マドレーヌと紅茶」のような過去の追想への起点ではなく、花の香りそのものの美しさです。しかしそれはさびしいものでもあります。それ自体がうつくしくとも、その美しさが、記憶や郷愁と結びついていない。その香りは最早「あの頃」とのつながりを失ってしまっている。丁度美術館で、絵画や工芸品を見るのと同じで、「今・その時だけの美」でしかないのです。極端な言い方をすれば、鼻腔内の粘膜的な美とすら言えるかもしれません。

◇

「カラオケ」は10数年ぶりでしょうか。見学半分、参加してもいいかなという気持ち半分でした。カラオケボックスのような、狭く、暗い部屋で、七色の照明が部屋を照らすという感じではなく、いつものプログラムで使う部屋で、小ぶりな装置で行いました。
歌おうかなと思っても、歌いたい曲がほとんどない。
参加者は、男女取り混ぜて10人前後。人の曲を聴いているのも楽しいものです。

画面に映し出される歌詞を見ていて気付いたことは、日本の歌、まだJ-POPなどという言葉が無かったころから、日本のポップソングって、説教臭いなということでした。
そういう意味では、年を取るにつれ、「希望」とか「明日(あした)」「夢をあきらめないで」「涙の数だけ強くなれるよ」などという歌詞よりも、男と女の情念や憂愁を歌った「演歌」(怨歌)に傾斜してゆく気持ちも分かります。
いつもディスカッションで一緒になる男性が歌ったミスター・チルドレンの「イノセント・ワールド」など、30代の頃に、高校時代の友人3人でよくカラオケに行っていた時には、歌詞などろくにみていませんでしたが、とても今はついていけないと感じました。

とにかくそこに用意されている歌が少ないので、甲斐バンドの「安奈」を歌いました。
歌を歌ったのは本当に10数年ぶり。声は出るのですが、どうしても音程が外れてしまう。改めて、身体(からだ)も楽器なんだと感じました。長年使っていないと、頭で、この音、と思っていても、身体がその音を正確に出してくれない。高校時代、休み時間に友人のギターで松山千春の歌を歌い、クラスの喝采を浴びた遠い日の思い出・・・
当時放送部で、来る日も来る日も発声練習をやっていたので、かなり高い音まで楽に出すことが出来たのです。そしてもちろん若かった。

◇

歌を一曲歌っただけで疲れましたが、それは、日頃、ディスカッションで、持論を述べた後のジメッとした疲れではありませんでした。
机上で持論を展開する。それに関心を持ってくれる人がいる。また特に反発も反感も感じられない。しかし、机を叩かんばかりに「Aである」「Bではない」と息巻いても、爽快感も、心地よい疲れもありません。「わたしはそれについてこう思い、このように考えている」・・・それで終わりです。存在論の本質を「精神」ではなく「身体(しんたい)」に反転せよという、ニーチェー木村敏の説に改めて思いを致しました。
つまり、「生きるの死ぬの」と悶々と考えていることよりも、そんなことを忘れているという状態が、本来の健康な状態なのではないかとも思うのです。とはいえ「人間は考える葦である」ー考えるからこそ人間なのだという定義を、そう簡単に打ち捨てられるものか?「精神」と「身体」のバランスというのは、口で言うほど簡単なものではないはずです。

死について考えていない、と気づくたびに、私はおのれの内のなにものかを虚仮にし、裏切ったような気持になる。

ー エミール・シオラン『生誕の災厄』より
◇

今日、とあるブログにあったリンクに書かれていた文章を読んで、数年前、(もっと?)中東の紛争中のある国の少女が、「このままでは戦争だけしか知らない人生で終わってしまう!」と涙を流していた新聞記事を思い出しました。
精神医療にかかわる人間も含め、幸福も不幸も、自分の行動・思考様式次第であると信じている人が驚くほど多いということです。

「何を言っている、今現在紛争・戦争中の国の人と、現在の日本に住んでいる我々を同列に扱えるのか」と言われるかもしれません。

けれども、どこが戦場であるか、それは物理的にその人が砲声轟き、銃弾の飛び交う戦地にいるかいないかで計られるものではありません。人はそれぞれの心の内側に住んでいるのであって、外界(の実体)というものは「わたし」とはまるで無関係に存在している。だとすれば「外界」を「戦場」であるとみることを「誤り」だと何故、何を根拠に言えるのでしょうか?

「ここは戦場ではない。あなたはただ逃げているだけだ」
ではわたしは訊きたい

「わたしは何から逃げているのか?」

「わたしは何故死を賭してまで逃げなければならないのか?」

「ここがあなたにとって戦場でなければ、わたしにとっても戦場ではないという根拠は何か?」

「あなたにはわたしの内面の何が見えているのか?」


信ずるということは知ることではない。魂はただ自分が飢えていることをたしかに知っているだけだ。大事なことは、魂が飢えの叫びをあげることだ。子供は多分パンがないことを聞かされても、叫びつづける。それでも叫ぶのだ。

危険なのは、パンがあるかないかを魂が疑うことではなく、いつわって自分が飢えていないと思いこむことだ。いつわりによってしかそう思いこむことはできない。魂が飢えているという現実は信念ではなくて、確実なことだからである。

ー シモーヌ・ヴェーユ 『シモーヌ・ヴェーユ著作集4 神を待ち望む』(1967年)より

あなたは、彼/彼女の魂は飢えてはいない、「何故ならここは21世紀の日本なのだから」と断言できる根拠をお持ちでしょうか?言い換えれば、「21世紀の日本」では魂は飢えないということは何故根拠になり得るのでしょうか?


ー追記ー

わたしはあえて、リンクを貼らなかった。このブログを読んでくれる人に対して、あまりにもお粗末な駄文だからだ。実際このようにそこに書かれている空論(というよりも寧ろ駄弁)に言及しながら、わたしも自分のブログを穢している気がしてならない・・・

● 幸福になるために目を閉じてはならない











2019年10月17日

無題



若い頃は、将来こんなに不便で、物のない世の中になるとは思いもしなかった。

そして若い頃は、まさか自分がこんなに長生きするなんて考えもしなかった。