2021年1月6日

苦しみは・・・

 
 
苦しみは「細部」に宿る




 

2021年1月5日

逃げ場はない・・・

 
わたしに必要なのは、どうやってこの生を終わらせるか、ということを具体的に話すことのできる相手なのだ。
 
正直もうバスにも乗りたくない。ここで一人でいれば、一日15時間寝てもまだ時間が余ってしまう。
 
外に出るためにはバスと電車の騒音地獄に耐えなければならない。
 
どうすればいい?どうすれば・・・
 
 
 
 
 
 

もう終わりにしたい

 
毎日何もすることがないものだから、「生き(てい)る意味」とか、「障害者の生きる権利」「どうしたら銃を手に入れるだろう?」など、そんなことばかり果てしもなく考えている。 
逆に言えば、もうそんなことしか考えることができなくなっているということなのだろう。

7日、木曜日に、医療センターに行く予定だ。以前書いたように、ドクターがわたしと対話をするという変則的な形を取っている。そもそも医師の診察日は月曜日で、木曜日にはわざわざそのために時間を作ってくれている。

昨年1年間でいちばん楽しかったことは、心理テストで行われたロールシャッハ・テストであった。
「心理テスト」といっても、心理士と一緒にやるゲームのような感覚だった。
結局わたしは、「問題解決の糸口を探る」などといった大層なものではなく、要は人と話したいから行っているのだ。
それに「問題解決の糸口」も何も、「時代と合わない」これはいわば不治の病である。
コロナが終わろうが、自民党政権が終わろうが、この社会は微塵も揺るがない。わたしの苦しみもまた。

ここで今年の冬まで暮らしていく自信などまったくない。

煎じ詰めれば問題は「楽に死ぬ」ということにこだわり過ぎているという点だ。

もっともっと精神的に追い詰められれば、「楽に死にたい」などとは言わなくなるのかもしれない。

わたしはこの世界に、そして自分自身にびた一文の値打ちも認めていない。
 
 
 
 
 
 
 

2021年1月3日

ある「視点」への極私的視点


今回の投稿は、「note」というサイトに載せられた、北米在住の日本人ライター塩谷舞(しおたにまい)さんの文章についての意見で、先ず元になっている塩谷さんの文章を読んでいただくことになるので、面倒くさいと思われる方はどうかそのままお通りください・・・

塩谷さんの文章のタイトルは、

あるものでなんとかする。「バナキュラー」的もの作り

彼女のツイッターによると、以前の上司に絶賛された文章のようです。

さて、以下、上記リンクにある塩谷さんの「視点」に基づいたわたしの意見です。



彼女は書いている。自然を取り入れるとか取り込むとかいうけれど、「自然」て「私(たち)」の外側にあるものなのか?はるばるやってきたアイルランドで、また現在活動拠点にしているニュージャージーで、「水(食べ物)が合わ」ずに、しばしばお腹をこわすのは、私の身体もまた生まれ育った「日本という気候・風土」という「自然」に依拠しているからではないのか?


「和食が好きだというアメリカ人の友人を招いて、手料理をふるったのだけれども、唐揚げと卵焼きとナムル(は韓国料理ですね)はSo Yummy!!!!とたいらげてくれた。けれども問題は、味噌汁にぷかぷか浮かぶワカメ。「ごめんね、これは前にも試したんだけど、ちょっと苦手で……」と箸を止めたのだ。「あぁごめん、そうだよね…!」と自分の配慮不足を反省した。

島国在住の日本人が海藻をちゃんと消化吸収できるのは、海藻を消化できる菌を歴史的に腸に住まわせてきたから、というのは有名な話だ。つまり、どれだけ遠くに引っ越したとて、小さな小さな「日本」みたいなものは、おなかの中に保っているのだ。それを「自然」と呼ばずに、なんと呼べばよいのだろう?

自然は「取り入れるか否か」を頭で取捨選択するよりもずっと前から、自分の中にちゃんとあるらしい。 」 
(太字Takeo)

けれども、 からだにとって「水が合わない」ことが「自然」であるように、個々人の精神もまた、「合わない物」「合わない場所」に抗うのではないだろうか?


べつに今の時代、Wi-Fiが入り、衛生的な都市であればどこでも生きていけるだろうと高を括って移住したので、これは大きな誤算だった。無論、仕事面だけに関して言えば、Wi-Fiさえ入ればどこでも出来る。テキストコンテンツで稼ぎ、アプリで円をドルに換金し、電子マネーで暮らしていく。なんて便利なソフトウェア時代なのだろう!

けれども私のハードウェア側は長距離移動に耐えられず「ここは違う!」「これは知らない!」と一生懸命抗っているのだから、定期的に油をさしながら、騙し騙しやっている。油というか、正露丸なのだけれど。」(太字・下線Takeo)

 
塩谷さんの「視点」には、人間の「生体」そしてまた「精神」「感受性」の問題が完全に捨象されている。
 
 
故郷で暮らしていた頃はあまりにも当たり前すぎて、さっぱり気づかなかった。けれども、遠い国で自分の身に、もしくは故郷の異なる他人に降りかかるバグのような出来事を通して、この身体はちゃんと自然の、気候風土の子どもなのだということにようやく気付かされたのだ。」
 
もちろん気候や風土によって「体質」は大きな影響を蒙るが、同時に人は、自分が生きてきた「過去」「時間の蓄積」によっても、「わたしがわたしである」ように「あらしめられている」
 
上記の下線を施した部分だけを取り出せば、まるで人間は身体だけでできているようにも聞こえる。
土地という物理的な変化のみに着目し、同じ場所に棲み続ける、「故郷喪失者」に対する視点が欠けている。 「同じ土地でも水は変わる」という認識が決定的に抜け落ちている。
一個の生体が苦しめられるのは、千数百キロ離れた異郷の水や食べ物に合わないだけではない。
50年間まったく同じ街に暮らしていても、環境の変化が精神や感性、そして美意識に与えるダメージは「異国の水」と変わらない。・・・無論このようなことは、自己の裡に自己を自己たらしめている「過去という時間の堆積」を持たない若い者たちに理解できるはずもないのだが・・・


 
「それに気がつくと今度は、「気候風土の影響力をふんだんに受けたもの」は自分の親戚であるようにも思えてくる。そうしたものを表すバナキュラー(Vernacular)という言葉を知ったとき、自分の身体が包まれるような心地よい衝撃を受けてしまった。」
 
 
 
このように見てくると、「バナキュラー」というのは、期せずして成った「非・グローバル化」といえるかもしれない。 

しかし、改めて考えなければならないのは、この文章は「パナソニック」という巨大企業の依頼によって書かれたものだということ。巨大企業のマーケットは言うまでもなく「ローカル」ではなく「グローバル」である。「バナキュラー」的ということが、特定の文化、風土に根ざしたものであるなら、それは大企業の存立を脅かすことになる。

パナソニックの製品は日本はもとよりアメリカでも、ヨーロッパでも売れなければ(売らなければ)ならない。

塩谷さんのこのコラムは以下の文章で終わっている。
 

「自然と一緒にうまくやる。それはなんだか「あるもんでご飯を作る」くらいの、地味で、飾らない、日常的な、けれども持続可能なもの作りの在り方なんだろうと思う。あるものでなんとかしよう。そうして作られたものは、異なる気候風土で暮らす人々から見れば、宝物と呼ばれるかもしれないのだし。」
 
これはある意味で、反・グローバリゼーションであり、反・資本主義のように見える。
読みようによっては、「もう成長の時代ではない」という宣言のようでもある。
 
しかし実際にはそんな大それたものではない。「バナキュラー 」というタームを用いて、一見目新しいことを言っているようだし、この部分だけを読めば、「古い時代に戻りましょう」という主張にも取れる。けれども他での彼女の文章を読めば、この書き手が決して今のままではいづれにせよこれまで通りに先に進むことは困難だから、後退しよう、時代を遡って、「現代」が捨てて顧みなかったものにもう一度目を向けようという考え方の持ち主ではないことが分かる。

そもそも1988年生まれの塩谷さんは、60年代も、70年代も知らないのだ。
 
北米在住の塩谷さん夫婦が、欠けた陶器の「金継ぎ」をやろうとして、金継ぎに適した温度や湿度を保つには、寒いアメリカ北部では大変な光熱費がかかってしまうことに気づいた。
 
だからこそ、世界のどこででも「金継ぎ」ができるようにしましょう、というのが企業の本質的な発想であり論理なのだ。
 
 
「日本の夏であれば暖房も加湿器も不要であるのに、ここは北米の冬であるから、電気代が馬鹿みたいにかかってしまう。金継ぎを北米でやるのはあまりにも不自然、反バナキュラーじゃないかと笑ってしまった。せめて電気代を節約するかと、小さな加湿器を買って段ボールの中に高温多湿な環境をこしらえ、ご丁寧に器を並べた。いまから卵でも孵化させるの? というような奇妙な装置が完成した。あぁ不自然!と笑ってしまう。

どうやら漆のほうも、遠い北米まで連れてこられた私の胃腸とおなじく「ここは違う!」「これは知らない!」と叫んでいたようなのだ。不自然な環境に連れてきてしまってまことに申し訳ないねと、胃腸と漆に申し上げたい。

 
改めて言うが、大企業の目指すのは、全世界を自社製品で埋め尽くすことだ。現実にF・A・G・Aなどがその実例ではないか。いったいどこに「バナキュラー」がある?
 
塩谷さん自身、こう言っていなかったか・・・
 
今の時代、Wi-Fiが入り、衛生的な都市であればどこでも生きていけるだろうと高を括って移住したので、これは大きな誤算だった。無論、仕事面だけに関して言えば、Wi-Fiさえ入ればどこでも出来る。テキストコンテンツで稼ぎ、アプリで円をドルに換金し、電子マネーで暮らしていく。なんて便利なソフトウェア時代なのだろう!」
 
そのような現代という時代の恩恵に浴しながら、同時に、あなたは、「バナキュラー」だ「あるもので間に合わせる時代」だというのか?


「自然と一緒にうまくやる。それはなんだか「あるもんでご飯を作る」くらいの、地味で、飾らない、日常的な、けれども持続可能なもの作りの在り方なんだろうと思う。あるものでなんとかしよう。そうして作られたものは、異なる気候風土で暮らす人々から見れば、宝物と呼ばれるかもしれないのだし。」
 
塩谷さんたちの世代、そして更に若い世代には想像もできないだろうが、つい数十年前までは、このような光景がそれこそ日常だったのだ。牛乳でもジュースでも酒でもビールでも、繰り返し使用可能なガラス瓶を用い、食べ物は味噌でも醤油でも豆腐でも、必要な分だけを量り売りしていた。肉も魚も、野菜も果物も、すべて日本で作られたものだった。輸入ものも、養殖も、水耕栽培もなかった。そして殊更「マイ・バッグ」などという他の国の言葉を使わずとも、誰もが買い物に行くときには「買い物籠」を下げていった・・・

ないものを求めない。足るを知る。即ちある種の不便さを受け入れる。

あなたが求めているのは本当にそういうことなのか?
あなたはご自身で、自分の生活の基盤をなしている「瞬時に世界を繋げる(世界とつながる)ネットワーク」と、あくまでも「地域の唯一性」にこだわるという「バナキュラー」という概念の背馳・矛盾に気付いておられるのか・・・
 
 
 
◇◆◇
 
 
塩谷舞 
 

 
 
 
 
 



 







ディア ステファン

 
久し振りにページのメイン・フォトを取り替えてみたのは、数ヶ月ぶりにTumblrの旧友である、ステファンのブログを訪れたからだ。ステファンは現在ギリシャに住むドイツ人。嘗てわたしが何故ギリシャに?と訊いたときに、「きみはドイツの冬の寒さを知らないんだよ」と言われたことを憶えている。
 
ハイネはイタリアの春を見て、「イタリアの春に比べれば、ドイツの春など色の付いた冬に過ぎない」と言った。
 
 
ステファンの写真を、彼のTumblr, A Funny Space Reicarnation の中から幾つか紹介する。 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 

 
 
 

 
 
 

 
 
 

 
 
 

 
 
 彼の一群の写真を見ていて思ったことがある。
 
嘗て
 
"You're on earth. There's no cure for that."

「あなたはこの地球に生きている。それについての治療法はない」
 
 
というベケットの言葉を引用をした。けれども、 治療法はあるのではないか。それはまさに「地球に住む」ということに他ならないのではないか、と。
顧みて、わたしが生きている「トウキョウ」という街は、はたして「地球」と言えるのだろうか?
わたしは自分が「地球に住んでいる」という実感が持てない。
 
 
ステファンの写真は、大袈裟に言えば、これからの「人間」の生き方に示唆を与えているようにも思える。
 
こんな言葉も思い出す
 
 
“Nature is not a place to visit. It is home.”

― Gary Snyder
 
 「自然は「訪れる場所」ではない。それは生きる場所なのだ」
 
 
 
 


 
 
 
 

2021年1月2日

「スカート」(他掌編一編)

先日「本が読めない」「映画を観る気になれない」とこぼした。その状況は相変わらずだが、「いい文章を書きたい」という気持ちはいまだに冷めていない。
 
以下紹介するのは、 1988年の素晴らしく美しいフランス映画、『読書する女』の中で、カフェテラスで、主人公コンスタンスの女友達がせわしなげに読んで聞かせる、いわば「掌編小説」で、新潮文庫版の原作の翻訳にはこのシーン、この物語はない。
 
以前、楽天ブログ時代、いくつかショートショートを書いたことがあるが、このような洒落たストーリーではない。いつかこんなお話を書いてみたい。そのために、こういう文章をもっともっと読みたい。
(繰り返すが、このショート・ストーリーは映画版にのみ収められているのだが・・・)

 
◆◇◆


ある日曜日、男が妻をサン・ランドリ街に散歩に誘った。有名な娼婦街だ。
妻も知っていたが散歩に応じた。スレた娼婦たちも驚いた顔で妻を連れた男と、その妻をジロジロと眺めた。
妻は無言で夫の後を歩く。
妻も女たちを見返す。
そして驚きの事態が。
赤毛の女の前で夫が立ち止まり、短く言葉を交わすと、妻に待つように言い、階段を上がっていった。
屈辱を目撃した娼婦たちは無表情に妻を眺める。憐れみも同情もない。
妻は歩き出したが、めまいを感じ壁に寄り掛かった。泣くのも隠れるのも嫌だった。
絶望の瞳がやさしさを惹きつけたのだろうか、通りがかった男が立ち止まり、見つめて来た。
女は立ち去ろうとしたが男に腕をつかまれた。男に誘われ薄暗い階段を上り、ホテルの一室に入る。
壁紙も、家具も目に入らなかった。
女はベッドに座り頭を垂れた。男は椅子に座り「君はうつくしい」と言った。女は目を見開き笑おうとする。
室内は暑い。男は上着を脱ぎ、女にも脱ぐように勧める。女は躊躇うが、コートを脱ぎ椅子に置く。
男は震える女を抱きよせ、セーターを脱がせ、スカートのホックを外す。
女は足でスカートを払い、未知のもののようにそれを見つめる。
女は横たわり腕で目を覆った。男は残りを脱がせ愛撫を始めた。女は恥ずかしさで身動きもできない。男も裸だ。男が入ってきたときには初めてのような痛みを感じた。だが一瞬の後男が動き始めると未知の悦びが肉体を充たした。

男は紅茶を注文し、女は部屋を出た。
夫はカフェで待っていた。妻が近づき、謝罪の言葉を口にする。黙っている妻に更に言う。
「10分で戻ってこの辺りを散歩していた」
「君は何をしていた?」
「歩いてた」妻は答える。
夫は妻の手に自分の手を重ねる。「すべて忘れて今度から日曜は家でテレビを観よう」
無言の妻に夫は紅茶を飲むかと尋ねる。普段は紅茶を飲まないのに。
妻は答える「さっき飲んだわ」
夫は妻の膝に愛情をこめて手を置き、スカートの布地をなでる。





映画『読書する女』より

新潮文庫版 レイモン・ジャン原作 鷲見佳子訳『読書する女』にはこのシーンは描かれていません。
 
 
 
まったくの蛇足ですが、嘗てわたしが書いたショートショートの中から比較的気に入っているものを改めてここで紹介します。
 
 
◆◇◆
 
 
「窓」
 
 
空調の効いた白い部屋に男はいた。彼は囚人であった。男はしかし何故自分が今ここにいるのかを憶えていない。そこにあるのは過去の記憶ではなく、彼を取り囲む四方の白い壁だけである。
周囲が白いのは真新しい壁の白さと、部屋の広さには不必要なほど明るい照明のせいだ。
彼がこの部屋で目を覚ましたのがちょうど一週間前。三度の食事は昔の映画などで見る刑務所の食事のイメージとは違って、「外」の世界の人たちが日常口にしているようなものと変わらないものを食べている。ラジオも音楽番組だけは聴くことができた。彼は試しにレコードを聴けないかと訊ねてみたが、それも叶えられた。ポータブルのレコードプレーヤが貸し与えられ、彼のリクエストするレコードはほとんど聴くことができた。本も大抵の本は読むことができた。
しかし彼は次第に落ち着かない気分になり、夜も安眠できないようになってきた。

この部屋には窓がないのだ。

実際には窓は部屋の扉に取り付けられていて、刑務所内の様子を垣間見ることはできる。しかしこの部屋からは娑婆の草木一本眺めることができない。
運動もやはり屋内のジムのような場所で行われた。囚人たちは体育館のような建物の中で自由に運動することができた。器具も一通りそろっていた。そしてこの建物の天井にも、大きな白い照明が要所要所に取り付けられていた。刑務所の至る所から「影」を一掃しようとするかのような配慮がなされているようだった。
彼は次第に精神のバランスを崩していった。彼は看守に向かって訊ねた。何故この部屋には窓がないのか、と。しかし看守は首をすくめて、さあね。窓を付け忘れたんじゃないか、と、まともに取り合ってはくれない。
彼は刑務所長に宛てて嘆願書を提出した。外を見ることができる窓を取り付けて欲しい。その代り、食事をもっと質素なものに代えてもらって構わない。なんなら三度の食事を二度にしてもいい、と。所長は「考えておく」とだけ答えた。

彼は読書も音楽も愉しむことができなくなった。砂漠で一滴の水に渇える者のように外の世界に焦がれた。今や彼の求めるものは、目に沁みて、そこから血管を巡り、全身を潤してくれる木々の緑と青い空の色だけであった。彼は直に所長に会って話をしようと考えた。
彼は両手を後ろに縛られて、所長室に通された。
所長は正面の椅子に座っていた。彼の小さな期待はたちまち失望に変わった。この部屋には窓があるだろうと思っていたのだ。しかし所長の背後の窓は閉じられ、ブラインドが窓全体を隠し、外の光の代わりに、ここでも白い照明が部屋の隅々までを隈なく・・・まるで部屋の隅のほんの小さな影でさえ、駆除すべき不衛生なゴキブリででもあるかのように・・・隈なく照らしていた。

所長はあれこれと理由を述べていたようだったが、結局窓の件は認められなかった。
男は刑期が多少延びても構わないから窓のある刑務所に移してくれないかと頼んでみたが、それも受け入れられなかった。

看守は彼の肩をつかみ、部屋に戻るようにと促した。彼はその腕を振り切り、所長室の窓に突っ込んでいった。
ガラスの砕ける音が響く。男は建物の外へ落下していった。それが何階の高さからだったかわからない。しかし男はドサリと地面に積もった雪の上に落ちた。
どうやらここはどこかの山奥の刑務所で、今は真冬だったのだと男は悟った。
男は雪の中を歩いた。雲は灰色に重く垂れ込め、古びたシャッターのように、空の光のほとんどを遮っている。木々も全て雪に覆われている。
深い雪の中を何度も転びながら男は歩いてゆく。
ふと目を上げると山小屋らしきものが目に入った。
男はそこにたどり着くと、中に入りドアを閉めた。軽装の彼にとってはまるで氷の湖に浸っているようだった。彼は丸太小屋の粗末な窓も閉めた。そこから寒風が流れ込んでくるのを避けるために。
男は震える手でなんとか火をおこし、戸棚の奥にあったウィスキーを飲み、毛布にくるまっていると、次第に体が暖かくなってくるのを感じた。

やがて追っ手は彼に迫った。小屋の外で声がしている。出てきなさいと。
冗談ではない。おれは死ぬつもりで窓から飛び降りたんだ。雪の上に落ちて助かったのは全くの偶然だ。
男は小屋の窓から彼を包囲している者たちに喚いた。
「おれは二度とあの刑務所に戻る気はない!おれは丸腰だ。これから出て行くからさっさと撃ち殺すがいい!」
「馬鹿なことを言うな、武器を持たない者を撃つことはしない。わかった。お前を別の刑務所に移送しよう。さあ、早く車に乗りなさい」
「は!そんな手に引っかかると思っているのか?捕まれば、おれはまたあの部屋に逆戻りだ。一旦とらえてしまえばお前たちの意のままだからな」
「そんなことはない。約束は守る!」
「そんな言葉を信じると思っているのか」
男はこれ以上の話し合いは無用とでもいうように窓を閉じ、火の前に戻った。
武器を持たない彼が捕まるのは時間の問題だ。窓のある場所へ移してやるなどと言ったところで所詮は空証文だ。あそこに戻されればおれは二度と外の世界に出ることはできない。少なくとも正気のままでは・・・
仮に丸腰のおれを撃つことはないにしても、向こうには犬がいるし車もあり、人数もいる。どうやったって逃げおおせるものではない・・・

男はしばらく暖炉の火に見入っていた。
今はひょっとしてクリスマス・シーズンなのだろうか?
子供の頃、姉や妹と一緒に暖炉の周りに靴下をぶら下げたことを思いだす。
みなの笑い声、クリスマス・キャロル・・・クリスマスの朝、どうしても眠れずに、まだ夜が明けないうちに靴下をのぞいてしまった。暖炉の火は小さくなりながらもパチパチと暖かい寝息を立てていた。カーテンの隙間から、クリスマスの朝の光が刺しこんでいた。
「みんな元気にしているだろうか・・・」

再び外からの声が聞こえた。
「いいか、これからそちらへ行く。おとなしく出てきて、一緒に行くんだ・・・」
男は立ち上がると両の掌の汗をぬぐい、薪割り用の斧を摑み、ひとつ大きく祈るように息をつくと、それを自分の頭上に降り下ろした。
その瞬間、強い寒風が小屋の窓を押し開けた。最後の瞬間に彼の目に映ったものは、窓の外に広がるどこまでも白い世界だった。
 
 
 

 






鳥帰る・・・


ここでかかなくとも何処かで書く。そして何処へ行こうとわたしの周りは常に敵意と排除そして軋轢に満ちていた。

そこで思い出したのが安住敦の句

鳥帰る 何処の空も 寂しからむに

安住 敦 / Azumi Atsushi. Japanese Haiku Poet, Writer (1907 - 1988)

この句と、安住(あずみ)=安住(あんじゅう)という名のコントラストが皮肉ではある。

Bird returns

Wherever you go

Every skies must be sad.


わたしはここを離れられない。わたしはいいものを書いてきた、というあくまで主観的な自負がある。それは風にそよぐ樹のように常に揺れ、大きく撓んでいるのだが。
わたしは離れられない。ここにわたしの時間の堆積があるからだ・・・