毎日何もすることがないものだから、「生き(てい)る意味」とか、「障害者の生きる権利」「どうしたら銃を手に入れるだろう?」など、そんなことばかり果てしもなく考えている。
逆に言えば、もうそんなことしか考えることができなくなっているということなのだろう。
7日、木曜日に、医療センターに行く予定だ。以前書いたように、ドクターがわたしと対話をするという変則的な形を取っている。そもそも医師の診察日は月曜日で、木曜日にはわざわざそのために時間を作ってくれている。
昨年1年間でいちばん楽しかったことは、心理テストで行われたロールシャッハ・テストであった。
「心理テスト」といっても、心理士と一緒にやるゲームのような感覚だった。
結局わたしは、「問題解決の糸口を探る」などといった大層なものではなく、要は人と話したいから行っているのだ。
それに「問題解決の糸口」も何も、「時代と合わない」これはいわば不治の病である。
コロナが終わろうが、自民党政権が終わろうが、この社会は微塵も揺るがない。わたしの苦しみもまた。
ここで今年の冬まで暮らしていく自信などまったくない。
煎じ詰めれば問題は「楽に死ぬ」ということにこだわり過ぎているという点だ。
もっともっと精神的に追い詰められれば、「楽に死にたい」などとは言わなくなるのかもしれない。
わたしはこの世界に、そして自分自身にびた一文の値打ちも認めていない。
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