2022年1月22日

時代に迎合するジャーナリスト ワシントン・ポストの堕落

21日付けの朝日新聞朝刊「オピニオン」欄に、前ワシントン・ポスト紙編集主幹であり、「米国で最もよく知られるジャーナリストの一人」(紙面より)であるマーティン・バロン氏のインタビュー記事が掲載されている。
タイトルは「ジャーナリズムの未来」インタビューの冒頭に、記事の概要として、このように大きな文字で記されている

「情報はスマホから 最良の届け方模索 伝統固執なら淘汰」・・・と三行で。


「右であれ左であれ、思想はネットでは伝わらない」という坪内祐三氏の言葉をわたしは支持する。言い換えれば、新聞紙上のインタビュー記事に見られるマーティン・バロン氏とは「ジャーナリズム」に対する見方が大きく異なる。

我々の仕事の全ては、(スマートフォンなどの)モバイル機器の上で、最大の効果を発揮しなければなりません。ジャーナリズムの実践において、伝統的なやり方に固執しているメディアは淘汰されるでしょう。人々がどのように情報を入手しているかを心得ている新しいメディアがすでに現れています

多くのニュースメディアが、将来の成功を勝ち取る態勢へ向けてやるべきことをやっていないのです。(古くからある新聞や雑誌などの)レガシーメディアは培ってきた伝統の一部を大切に守ってゆくべきでしょう。しかしその他の部分は捨てるべきでしょう。正直で高潔なジャーナリズムという基本的な価値観をしっかり守りながら、現代人のニーズを満たすために新しい形の発信と拡散の方法を発展させなければなりません。動画や音声、双方向性のあるグラフィック、アニメーション、アノテーション(注釈としての関連情報やデータの付与)などのツールを駆使することが求められています

2013年にアマゾン創業者のジェフ・ベソス氏に売却されたワシントン・ポストの名高いジャーナリストは、ベソス氏の経営方針に共感を示す。「これからはジャーナリズムもインターネットに依存しなければ生き残ることはできない」
そして最も重視すべきは、上に引用したように、モバイルの利用者の「ニーズ」とはなにかということを鋭敏に察すること。「モバイル(インターネット)読者たちのニーズを満たすことが「成功」に繋がる」と。

今後、表現の仕方は劇的に変化し、よりビジュアルになると私は考えています。しかしジャーナリズムの中核的価値観と原則は変わってはなりません。極めて高い報道の質を維持しなければなりません。必要とされる情報、そして知るべき情報を提供することによって、人々は民主主義の社会に関与できるのです。ジャーナリズムの仕事の中心にある大きな部分は、とりわけ為政者などの権力者と政府を監視し、説明責任を果たさせることです。この役割は決定的に重要です


わたしはジャーナリズムの本義は体制(大勢)に迎合しないことだと考えている。それは「時代・時流に阿らないこと」と同義である。言い換えれば「反・時代性」こそがジャーナリズムの本来の姿だろう。

既にして、モバイルだ、インターネットだというもの自体が「体制」であり「時代の主潮」に他ならない。ジャーナリズムは「圧倒的多数派」と一線を画すことによって「ジャーナリズム」足り得ている。
「いかにして「モバイル利用者」に読まれる記事を書くか」が大事だと説くこと自体が錯誤であると言わざるを得ない。
米国屈指といわれる元ジャーナリストも、いまや「辣腕」の経営者である。「いかにして読まれるか」を考えること自体が「ジャーナリズム」の本質的堕落に他ならない。大資本に庇護され、F・A・G・AやSNSに阿るジャーナリズムなど、ジャーナリズムの名に価するとは思えない。

「古い伝統に固執するメディアは淘汰されるだろう」と、自信満々の口吻だが、寧ろ時代に逆らって淘汰されることこそ「ジャーナリズム(ジャーナリスト)」の本懐と言うべきではないか。

権力と対峙し、それを監視するというが、そもそもインターネットというものが、国家によって、閲覧履歴などの個人的な情報が把握され得る危険性を孕んでいるということは、夙にエドワード・スノーデンなどの内部告発によって明らかにされている。端末の大本が「国家・政府」に握られていないと誰が言い切ることができるだろう・・・

アマゾンの傘下にあり、スマホをはじめモバイルユーザーの心を掴むことが成功の鍵?
アマゾンが購買者のニーズを知ることが大事だというのと全く同じ次元で、新聞が、伝えるべきは大衆の知りたいことだと、人々は何を知りたがっているのかを第一義とするなら、それは本末転倒というべきだ。権力・資本家・時代性の尻馬に乗って収益を伸ばすことがジャーナリズムを標榜する組織の「成功」であるとは思わない。そのような報道なら、ない方がマシである。


マーティン・バロン氏はこうも言う

「紙の新聞がなくなるのも時間の問題です」

時代に飲み込まれた元ジャーナリストにして、時代の流れに敏い経営者は、しかとは言えないが、何か大きな勘違いをし、間違いを犯しているように思えてならない。

もう一度繰り返す。

ジャーナリズムの立場とは、
「時代・時流(既存の文化・価値観)と一定の距離を置くこと。」
「時代の主流に批判的な視点を持つこと。」
「「ニーズ」等というような言辞を弄して読者の風下に立つのではなく、逆に時代を牽引し、啓蒙し「いま目の前にある現実」に違和感を覚えさせるほどの意見を表明すること。」ではないのか?

「迎合性と(株主及び読者との)相互依存性」の上に真のジャーナリズムは成立しない。








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