このところ日の暮れるのが少し遅くなっている。日が伸びている。
それだけでもなんとなくほのぼのうれしく、ありがたいと思う。
陽光に飢(かつ)えていたという自覚はなかったが・・・
少し気が早いけれど、「春」という季節が昔からあまり好きではなかった。
「春」よりも「秋」を好み、シェリーの「冬来たりなば 春遠からじ」という詩の一節にも、少しも心は動かなかった。数年前、アウグスト・ストリンドベリの ”Autumn is my Spring !”という言葉を見つけ、共鳴した。
「卒業・入学・入社」「新しい季節」「新たな出逢い」「新春」「芽吹き 芽生え」「花の宴」...etc...
春にはこれらの言葉に込められた生命活動のあわただしさとエネルギーが感じられ、「スプリング・ハズ・カム!」には今でも心ときめくことはない。
そんなわたしでも、日没が十分でも遅くなることに、今はよろこんでいる。
「空は監獄の窓から見た時が一番美しい」という。
闇の中にいるからこそ、わずかな光がうれしいのだ。
カーテンを、闇を隠すために使わずに、陽の光を遮るために引くような季節には、やはりあまり馴染めそうにないけれど・・・
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