以前「ヒキコモリ」と呼ばれている人たちのブログを見ていて、彼らが異口同音に「引きこもり」なんだから(毎日)書くことなんかないよ・・・」とボヤいているのを読んで、「そうかなぁ、「引きこもり」であろうと、身体の自由が利かない障害を持っていようと、毎日生きているんだから考えること感じることはあるはずだけど・・・」と、こころの中で反論していた。
母が、風呂場の天井の水滴を拭き取るために、雑巾を巻き付ける棒っきれ(50センチくらいの木の枝)を持ってきてくれた。そのときに枝を包んでいた新聞紙が9日、日曜日の「朝日歌壇・俳壇」のページだった。何の気なしに眺めていて、パッと目に入って来たのが、馬場あき子氏選の次の歌である。
楽しいこと少しは書こうと吾が手紙に考えつくせど独房の日々
名古屋市 西垣進さん
いまのわたしには、いわゆる「引きこもり」の人たち(=外に出られない人たち)の気持ちも、刑務所で暮らす人の心の重さもよくわかる。
吾(われ)もまた囚われ人なればなり
◇
昨日の投稿の最後に「3月に閉館する岩波ホール」と書いたが、閉館は7月であった。
13日の朝日川柳にこんな句がある
「旅芸人」「木靴」「山猫」みなここで
神奈川県 高田正夫さん
どれも、映画史に残る名作ばかりである。テオ・アンゲロプロスの『旅芸人の記録』『木靴の樹」はエルマンノ・オルミ。『山猫』はいうまでもなく、ヴィスコンティ・・・
高田さんはこれらの映画をすべて「岩波ホール」で観たというのだ。
正直こういう作品名を並べてみると、マイナーな映画を紹介する映画館というよりも、「名画座」という気もしないでもないが・・・
昨年だったか、母はここで「ニューヨーク市立図書館」について描いた3時間のドキュメンタリー『エクス・リブリス』を観、彼我の文化の層の「差」に圧倒されたという。
ちなみに[Ex libris] とは「蔵書表」のことである。主に版画で作られている。
蔵書表はあくまでも本の持ち主が個人的に愉しむためのものなので、概してエロティックだったり、グロテスクだったりするものが多い。
わたしはここ(岩波ホール)で上映した『大いなる沈黙の方へ』というドキュメンタリーが観たかった。過去にこのブログでも触れた『少女は夜明けに夢を見る』というイラン映画も岩波ホールでの上映ではなかっただろうか。
最後に、「朝日川柳」の隣の欄に「かたえくぼ」という「ひとこと欄」(?)があって、町田の「マグマ」というペンネームの人がこう書いている
『閉館へ』
コロナの荒波に負けた
── 岩波ホール
違う!
岩波ホールが閉館を余儀なくされた(る)のは、オリンピックを強行したこの国の、「文化」というものに対する政治家、企業家連中の驚くべき意識の低さに他ならないと断言放言しておく。
嘗て辺見庸の先輩は、「戦争とオリンピックと天皇(制)には勝てねぇんだよ!」と吐き捨てるように言った。
この国に最も欠けているもの、「人権意識」「文化への敬意」そして「美意識」
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