2022年1月20日

フォロー解除 キライなモノはキライ

 日本人は自分の頭で考えないという言い方をたまに耳にするが、Tumblrをやっていると、いずこも同じという感慨を持つ。
2011年の春にはじめたTumblrは、もうすぐ11年目になるが、フォロワー数の多い者の投稿には、その質を問わず、多数のリアクション(「スキ」「リブログ」)がある。わたしは先ほど2人の人気ブログのフォローを止めた。どんな投稿でも多くのリアクションが付くという現象に嫌気が差した。
その代り・・・ではないが、大人しい(オーソドックスな)絵画を投稿する「人気のない」ブログのフォローをはじめた。

フォローを止めた二つのブログは投稿数も多い。総じて一日のポストの量と、そのブログの人気は比例しているようだ。
質は二の次。

投稿数と人気の相関関係はわたしのブログにも言える。けれども、Tumblrでもアートブログでも、投稿ボタンを押す前に、もう一度、その絵をゆっくりと、じっくりと眺めてみる。そうすると、これは本当にわたしが「好きだ」と言える絵(写真)なのだろうか?という疑問、迷いが生じ、結局投稿ボタンを押せずに、「下書き」として保存される絵が増えている。投稿数が減っている。それに応じて、いわゆる「人気」-「閲覧数」も、下降線をたどっている。
それでいいと思っている。自分のブログを、心から好きと言えないアートで貶めるよりは・・・

わたしは訝る。件の2つのブログに限らず、一日に20から30の絵、写真を投稿する「人気者」たちにとって、それらの投稿は本当に自分の琴線に触れ、彼や彼女の心を動かしたものなのだろうか、と。

繰り返すが、わたし自身、気に入ったアートがなかなか見つからず、投稿数が減り、ブログの閲覧者数もそれに伴って少なくなっている。けれども、わたしにとって、それが文章であろうがアートであろうが、ブログとは「作品」であり、自分自身の内面の表出に他ならない。視る者読む者の思惑を気にすることは、(わたしに関して言えば)ブログの在り方の本義に悖ることだと思うのだ。自分の感性、己の美意識に、頑なと言えるほどに忠実でなくて、なんの「わたしのブログ」か!


フォローを止めたアートブログで、わたしが「フォロー解除」を押す直接の原因になったのはこの投稿であった。


Cellphone 5 -    Richard Bosman, 2021.
American, b. 1944 -

Cellphone 4 -  Richard Bosman, 2021.
American, b. 1944 -


それからもう一つ。「ブログ村」で長くフォローして、このブログでも何度か触れたことのある同世代の女性のブログのフォローも解除した。
わたしは彼女の書く詩が好きだった。ここでも何度か引用させてもらったこともある。
このブログ同様、コメントの付かない投稿ばかりだった。それでも、反応がないとボヤくことも愚痴を言うこともなく、詩を書いたり日常で出逢った出来事を淡々と綴っていた。わたしはその姿勢にいつも感服していた。

このところ彼女のブログを見ないと思っていたら、現時点で、ブログの最後の投稿になっている1月7日の投稿にこのように書かれていた。

「こちらにあまり書かなくなってしまったのは、最近 Hi Nativeというアプリのサイトにはまってしまっているからである。
このHi Nativeは、世界中の外国語を学ぶ人が、その外国語について質問があると投稿し、誰でも答えることのできるサイトである。」

そして投稿はこう結ばれていた。

「これにはまると、時場所関係なくスマホをいじることになり、電車の中でも食事をしている時でも(!)つい見てしまう。よくないなーと思う。

ということで、こちらに書く気持ちの余裕がなくなってしまった・・・。」


 

 




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