いまのわたしは非常に神経質になっている。現在、何もかもが悪循環に陥っていて、なにかをきっかけに状況は好転し得るのか?それとも、そもそも今の時代の何もかもが、わたしとは合わないのか・・・見極めは難しい。
一例をあげると最近アートブログにも、Tumblrにも投稿ができていない。だけでなく、フォローしているブログの投稿を見ても、心が高鳴るということがない。視ていて頭の中、胸の中に感嘆符〔!〕が灯るということが久しくない。
Tumblrに限らず、国内・国外を問わず、ブログを眺めていて、惹きつけられるような魅力を感じることがない。
人の投稿に美や歓びを見出すことができない上に、最近Tumblrのダッシュボード(フォローしているブログの投稿が流れてきて、イメージの下にある「スキ」や「リブログ」ボタンを押したり、自分もそこに絵や写真を投稿する場所の名称。SNSなら「タイムライン」というのだろうか)そのダッシュボード上に、Amazon Kindleの、
いいポストができていれば、このような広告など無視黙殺できるのだろうか。
それともやっぱり広告の「効果」が、そこに「うつくしいもの」を加えるという営み(=創作活動)に冷水を浴びせかけているのだろうか。わからない・・・
ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、
「わたしは本に囲まれていないと眠ることができない」と言った。
見苦しい広告に囲まれて、「美」をその流れの上に浮かべることはできない。
そもそも先のSNSが自壊し、フェイスブックに行くものとTumblrに行くものとに分かれたとき、Tumblrを選んだ者たちの規準は、「目障りな広告がないこと」ではなかったか。
ただ、まっさらな画面に自分の選んだ「美」を写し出したいだけなのだ。
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