2022年2月3日

困惑の中から...

 いまのわたしは非常に神経質になっている。現在、何もかもが悪循環に陥っていて、なにかをきっかけに状況は好転し得るのか?それとも、そもそも今の時代の何もかもが、わたしとは合わないのか・・・見極めは難しい。


一例をあげると最近アートブログにも、Tumblrにも投稿ができていない。だけでなく、フォローしているブログの投稿を見ても、心が高鳴るということがない。視ていて頭の中、胸の中に感嘆符〔!〕が灯るということが久しくない。

Tumblrに限らず、国内・国外を問わず、ブログを眺めていて、惹きつけられるような魅力を感じることがない。

人の投稿に美や歓びを見出すことができない上に、最近Tumblrのダッシュボード(フォローしているブログの投稿が流れてきて、イメージの下にある「スキ」や「リブログ」ボタンを押したり、自分もそこに絵や写真を投稿する場所の名称。SNSなら「タイムライン」というのだろうか)そのダッシュボード上に、Amazon Kindleの、








このような広告が頻繁に流れてきては気分を損なわせる。やる気を殺ぐ。

いいポストができていれば、このような広告など無視黙殺できるのだろうか。
それともやっぱり広告の「効果」が、そこに「うつくしいもの」を加えるという営み(=創作活動)に冷水を浴びせかけているのだろうか。わからない・・・

ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、
「わたしは本に囲まれていないと眠ることができない」と言った。

見苦しい広告に囲まれて、「美」をその流れの上に浮かべることはできない。

そもそも先のSNSが自壊し、フェイスブックに行くものとTumblrに行くものとに分かれたとき、Tumblrを選んだ者たちの規準は、「目障りな広告がないこと」ではなかったか。

以前に比べるとだいぶ難しくなってきているが、わたしはネット上での「余計なお節介」を嫌う。


ただ、まっさらな画面に自分の選んだ「美」を写し出したいだけなのだ。









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